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第68話 嵐の前の静けさ

「それで、アーシヤはひと月後には戻ってくるんだな」

「ええ、その予定です。お兄様からも、諾との返信が届きました」

「やっとアーシヤに会えるのね。この二年半、長かったわ」


 ナルニエント公爵、公爵婦人はそう言って嬉しそうに笑った。


 わたくしは今、両親との優雅なティータイム中。

 上品で美味しそうなお菓子と、豪華なティーカップにそそがれた香りの良い紅茶を頂いております。

 この至福のひと時。お嬢様になってラッキーだなあと思う。感謝、感謝。


「お兄様へはこの二年半の、私が公爵代理として行った新事業や現在の体制について引継ぎ書を用意しております。また、執事長、侍女長含め、城内の主な者は各業務を把握しております。万が一、私が倒れても滞りなく城がまわるようにしてきました。お兄様にすぐに公爵代理をお返ししても問題はないかと存じますが、一応3ヶ月間の移行期間を考えております」

「素晴らしいわ、ジェシカ。アーシヤ不在の間、あなたはよくやったわ。本当にありがとう」

「本当に、君はよくやった。私達は君を誇りに思うよ」


 両親に誇りに思うとまで褒められて、嬉しさのあまり私の涙腺は崩壊寸前だ。だが、そこをグッとこらえて、私は一番言うべき事を口にした。


「これも、あたたかく見守って下さったお父様、お母様、そして真摯に務めてくれる公城のみんなのお陰です。このような貴重な体験をさせて頂きましたこと、心より感謝しております。実は、お二人にご報告する事があります。お兄様がお帰りになったら、すぐお話致しますね」

「報告、今ではいけないのか?」

「はい。家族である皆様がお揃いになってから、申し上げます。宜しくお願いします」

「わかったわ。何の報告かドキドキするけれど、楽しみにまってるわね、ジェシカ」


 ニコニコと和やかな笑みを浮かべながら、私は心の中で二人に謝りたおした。


(いやあ、さすがにおおらかなお二人でも、公爵令嬢である自分の娘が、親に内緒で勝手に使用人の北の民と結婚しちゃってるのを知ったら、まあ泡ふいて倒れるよね。でも、公爵代理の権限をお兄ちゃんに返す前に、親をはじめ国王や皆にきちんと報告しとかないと。王命で誰かと無理やり結婚させられる可能性もあるし。そもそも、公爵代理になったのは、ライガとの結婚の為だもの)


 兄アーシヤ不在の二年半。なかなか充実した日々だった。


 ナルニエント公爵城内の制度改革、人材育成、衛生と健康意識の向上、城下の平民教育制度の立ち上げ、目安箱設置、女性と子供の駆け込み寺の設置、などなど。もう、やりたい放題させてもらった。


 この地域の為に、私に思いつく今できる事は、ほぼやりつくしたといってもいい。

 勿論、まだまだ成果がでてないものもあるけれど。人々に必要とされることならば、時間がかかっても定着するだろうし、不要なら淘汰される。それだけだ。


「では、来週の定例会が、お前の公爵代理としての最後の登城となるのだな」

「はい。国王様はじめ、お世話になった他公爵家の皆様に、きちんと御礼を申し上げる予定でおります」

「そう。皆様によろしくね。定例会がおわったら、城下の平民用のお芝居を一緒に観にいきましょう。最近は何が人気なのかしら?」

「そうですね。お芝居に詳しい侍女長代理に聞いておきますわ。楽しみにしております、お母様」


 両親との楽しいお茶会を終えた私は、執務室へと戻った。

 来週の定例会に持っていく報告書の最終チェックをしておかなくては。


 定例会。半年に一度開催される国王と王子、貴族達が集い、各家門の現状と課題点等を報告する大がかりな会合は、私に上田知花であった時代を思い出させる。

 まあなんというか、定例会は、ホテルの経営会議に似ているのだ。

 あの頃勤めていたチェーン展開のホテルでは、オーナー、社長、本部役員と各支配人が一同に集められ、毎月会議を行っていた。


 会議は、進捗状況や問題等を共有し、企業理念・方針のリマインド、今後の経営戦略、売上目標等のすりあわせの為に集うもの。

 本来は上の人が色々決定する場でもあると思うけど、私にとってはおえらいさんの有難いお言葉を直接頂けるウダウダお話会、みたいなイメージだ。


 日本でも、こちらの世界でも、それは同じ。

 いや、あくまでも私個人の感想だなんだけど。


 でも、懐かしいな。ホテルの支配人時代。私は本当に仕事が好きだったし、あのままキャリアを築いて生きていくつもりだった。まさか、自分が漫画みたいに異世界転生するなんて夢にも思わなかった。


 そう言えば、こちらに来てからもう八年以上経つ。すっかりジェシカである事にも慣れたもんね。

 いかんいかん、ノスタルジーにひたるのは、仕事終えてからにしないと。


 ここでの生活は、それなりに色々あるけど、今のところ物事は私の希望通り順調に進んでいると思う。本当にありがたい。まずは、定例会を無事終わらせないと。


 と、思ってたら、ドタバタと聞き慣れない荒々しい足音がして、バンと勢いよく扉がひらいた。


「お嬢様! いや、公爵代理! 緊急事態だ!!」

「え? なになに? 」


 飛び込んできたのは、愛しのダーリンだ。

 扉を閉め、今まで見たことのないような厳しい表情でこちらに近づいてくる。

 おでこにある角のようなでっぱりのせいもあり、まさに鬼の形相。


「やだ、なんなの、ライガ……? 怖いんだけど」

「チカ。今すぐ、ここから二人で逃げよう」


 彼は私の肩をガッシリ掴んで、そう言った。


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