海岸沿いにあるオールノット城から漆黒の森入口までは、馬で約30分。森の入口から北の沼まで、約10分。
私は、必死でバランスを取りながら馬を走らせた。
落ちたら、終わりだ。出来る、大丈夫、私には出来る、と何度も自己暗示をかける。
「お願いね、あなたが頼りなのよ。どうか、力を貸して。漆黒の森の小沼まで連れて行って」
馬への声掛けも勿論、忘れない。
漆黒の森へ入ったところで、森の奥から白馬がこちらに向かってくるのが見えた。人は乗っていない。月明りの元、すれ違いざまに、真っ白な毛に真っ赤な血がついているのがわかった。
(もしかして……まさか、仲間を……? )
嫌な予感は的中した。馬を走らせる途中で、オールノット公爵家の鎧をつけた騎士が、うつ伏せに倒れているのが見えた。
一瞬躊躇した後、馬は止めずそのままロバートを追うことを決めた。
(これだけの事をする男だもの。残念だけど、あの仲間の人の命はないわね……。きっと、
細心の注意を払わなくては危険だと思いながら、小沼の手前で馬を降りる。
見えにくい場所に、相棒の馬の手綱を括り、顔を撫でながら小声で話しかけた。
「有難う。ちょっとだけ、ここで待っててくれる? 」
馬はこちらの言葉がわかったかのように、小さく頷いた。
「ごめんね。すぐ戻るわ」
私は数回、深呼吸して、剣を抜いた。
借り物の剣は、自身のものよりグリップが太く、しっかり握らないと手から抜けてしまいそうだ。
音を極力立てないように、気をつけながら移動する。
森の奥へと進むごとに漆黒が増し、人間社会から自然のテリトリーへとかわる。
ホーホーという夜鳥の声や虫の羽音、風が枝葉を揺らすザーッという気配と木や草の香り、遠くからは山犬の遠吠えらしきものが聞こえる。先ほどまでの、波の音と塩の匂いがした場所とは、また別の世界が広がっている。
(確か、この先よね。ポノボノ国へと続く森なんだけど、実はトウゾウ国への隠れた坑道があるのよ。ライガと一緒に、実際に坑道を通って、トウゾウ国の国境近くまでこっそり行ったのは2年前、いや3年前だったかな……。そういえば、こんな風に本当に一人で行動するのって、こちらに来て初めてだわ。いつもライガが傍にいてくれたから……)
沼の反対側からガサッと音が聞こえた。無意識に、体がビクッと震える。
怖くないと言えば、嘘になる。逃げていまいたい気持ちもなくはない。でも……。
(この5年間、私はずっとライガについて修行してきた。剣大会でも、何人もの相手と戦った。私には先読みの心威力と、いざとなれば瞬間移動もできる筈。私は絶対に、負けない‼ )
お腹に力を入れ、肩の力は抜く。
目を閉じて、細く長い呼吸を行ってから、私は足を進めた。
山林の奥、なだらかに土が盛り上がった場所に、確かに人間が動いているのが見えた。
こういう場合は、ハッタリ上等、先手必勝、言ったもん勝ちよね。
私は覚悟を決めて、腹から声だした。
「あなたが今回の騒動の主犯だということはわかっている。ケガをしたくなければ、大人しくなさった方が身のためよ」
相手の人間が動揺したのが感じられた。
私は、右手に剣を握りながら、ゆっくりと相手に近づく。
うっそうと茂る木々のなか、それでも月明りでお互いの顔がなんとなく見えた。
間違いない。ロバートだ。
「……っクックックッ……ハッハハハハッ!! 」
高笑いするロバートと私は、お互いに目を見ながら向かい合った。
聞こえるのは、風に揺れる木々のざわめきだけ。
オールノット公爵の騎士達が、到着するまでには、まだもう少しかかるだろう。
「悪いが、捕まるわけにはいかないんでね。隣国へ続くこの地下道の入口を知っていることは褒めてやるが、お嬢様がのこのこ一人で追いかけてくるなんて、自信過剰もいいとこだろ」
ロバートがニヤリと口を歪めながら、吐き捨てるように言った。
今の彼は、先程オールノット城で見せた紳士的な対応が信じられない位、どこからどう見ても悪人のオーラを醸し出している。
そして、ジリジリと間合いをつめてきた。
(くるわ!! よし、
「ジェシカお嬢様、あんたに俺が止められるのか?」
そう大声で叫びながら、ロバートは私に向かって切り込んできた。
私はヒラリと側面に体を捌きながら、彼が攻撃を加えようとしたその一瞬の虚をつき、両手で剣を持ちながら、彼の刀身の付け根に渾身の力をこめた一撃を加えた。
間近で見るロバートの顔に、驚きと焦りの表情が見えた。
剣を握る私の腕に大きな衝撃が伝わり、それと共に、ガキィーン、と重みのある鉄の音が聞こえた。
とばされた剣が木に突き刺さるのがみえた。
「う、嘘だろ……。そんな……馬鹿な……」
よほど自分の腕に自身があったのだろう。
ロバートは空になった自身の両手を見つめながら、驚愕と恐怖の表情で立ち尽くした。
「傭兵の俺の剣をはじき飛ばすなんて……ただの小娘が、いったいどうやって……」
信じられないという顔で私を見つめるロバート。その首に剣先を当てながら、私は無表情を装いながら告げる。
「これが最後よ、ロバート。大人しく騎士団の到着を待ちなさい。もし逃げる素振りをみせたら、わかるでしょう?」
私はさらに声を低くして続ける。
「例えあなたが極悪人で、百戦錬磨の傭兵だとしても、命はひとつだけだもの。大事にしないとね」
項垂れるロバートをじっと見つめる。私は彼が、このまま大人しく捕まるのを待つ人間でない事を理解していた。