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第44話 お嬢様はやっぱりわがままでした

「アーシヤお兄様……」

「いや、これは八つ当たりだな。すまない……」


 今にも泣きそうな顔のアーシヤに、私はなんとも言えない申し訳なさと切なさを感じた。

 確かに、私は自分の事ばかり考えていて、彼や家族の事をそう大切にしてこなかった。


「ねえ、お兄様、ダンスを一曲お付き合い下さらない?」

「いや、私はダンスは」

「お願い! お兄様。一曲だけでよろしいのよ。ね、お願いします」

「……わかった」


 曲がかわるタイミングで、私達はホール中央のダンスに加わった。この曲は10分程の筈だ。その間に彼が、本当に間違いを犯したのかどうか聞きださなくては。

 私はライガの位置を確認した。中庭へ続くベランダの入口近くに立っているのが見えた。


「お兄様、私はどうしても今、お兄様に伺いたい事がございます」

「……なんだ?」

「とても重要な事です。質問は3つだけですので、正直に答えて下さいね」


 睨むように真剣に伝えると、兄は訝しげに私を見ながらも、軽く頷いた。


「アーシヤお兄様は、もし後継ぎでなければ、何になりたかったですか?」


 私の質問が予想外だったらしく、アーシヤは一瞬呆けた表情を見せ、それからにこやかに笑った。


「真剣な顔で聞くから、何かと思ったよ。そうだな、もし私が次男や三男だったら、きっと冒険者になって色んな国を旅していただろうな」

「そうなのですね」

「ああ、子供の頃、書物で旅行記等を読み、私も行ってみたくてたまらなかったよ。まあ、ナルニエント公国後継ぎとして、現実にはそうは出来ないけどね」


 アーシヤは、私から視線を外し、眩しそうに遠くへと目をやった。


「では次の質問です。もし今、願い事がひとつだけ叶うなら、何をしたいですか?」

「願い事が叶うなら、何をしたいか……。そうだな。時間を戻してもらうかな。二ヶ月前に、戻る事ができれば……」

「……二ヶ月前に……。なぜ?」

「……私は、間違った選択をしたのだ……。その時に戻れれば……」

「あの、間違いなら今から正せばよいのではないでしょうか?」

「……そうだな……正せるものならば……」


 アーシヤはそう言って唇を噛んだ。私の手と腰にある彼の手に、ギュッと力が入るのがわかった。


「最後の質問です。アーシヤお兄様は、私達家族を、ナルニエントを、ヨーロピアン国を愛してらっしゃる?」


 彼の目が大きく見開かれた。顔色が瞬時に白くなり、手が震えだした。


「……なぜ……そんな質問を……?」

「ただ、なんとなく聞いてみたくて。お兄様、お兄様はお父様やお母様やお姉さまを愛してらっしゃる? ナルニエント公国を、ヨーロピアンを、大切に思ってらっしゃる?」


「……っつ……!」


 アーシヤは突然私を強く抱きしめた。震える彼の背中を私は優しくなでた。周りの人達に、にっこり笑顔をおくりながら、私達はホールの端へと移動した。


「大丈夫よ、お兄様。大丈夫だから……」


 私はアーシヤの背中を押しながらベランダへでた。かすかに波の音が聞こえる。

 アーシヤは嗚咽をもらしながらベンチに座りこんだ。


「す、すまない……ジェシカ……。……父上……母上……」


 ライガがすっとベランダにやってきて、ドアを閉めた。

 私は座っているアーシヤの傍に立ち、もう一度質問した。


「お兄様、まだ質問に答えてもらっていません。お兄様は、私達ナルニエントを、ヨーロピアンを愛してらっしゃる?」


「……勿論だ! ……愛している……私は皆を愛している……なのに、私は……」

「それが聞ければ、じゅうぶんです」


(決めた!! 逃がそう!)


 私は右手の指を1本立てて、アーシヤの目の前に差し出した。


「……ジェシカ……?」

「アーシヤお兄様、この指をじっと見て下さい。目をそらさないで。私が今から5まで数えたらお兄様は眠りに落ちます」

「それは、どういう……?」

「この指をみて! 目をそらさないで。じっと指だけを見るの。そう、アーシヤはいい子ね。今から、数を数えるわ。数字の5を聞いたら、アーシヤは眠りに落ちる。じっと、指を見て。いーち、にー、さん、しー、ごー……」


 私が五と言うと同時に、アーヤアの身体から力が抜け、ぐらっと揺れた。即座にライガが彼を後ろから抱きかかえた。


 私は無言で、自分のショールをアーシヤの額と目の周りにぐるぐる巻きにして、目隠しした。


(暗示が上手くかかってよかった。無理に失神させるのって、脳に後遺症が残りそうでリスク高いし、やりたくなかったのよね)


「それで、これからどうする?」

「ライガ、ここからアーシヤをこっそり運びだせる?」

「できないことはないが……そうするとチカを守れない」

「私は大丈夫。一応ドレスの下に、短剣と、細身の鞭を仕込んできたから」

「しかし……」

「お願い! これはライガにしか頼めない。彼を他国に運ぶよう手配して。できれば、ビー達に内緒で。安全な場所までアーシヤを護衛して、帰り道に彼の服と靴を、見つかりりやすいように海辺にでも置いてきて。私は、アーシヤを逃がしたいの」


 私は一気に、しかし小声でライガへ指示を出した。彼のポケットに、用意してきた小銭と小さな宝石類を押し込んだ。逃走の軍資金だ。


 ライガは、諦めたようにため息をついた。


「本当に、とんでもなく面倒な事を押しつけてくるな」

「悪いとは思ってるわ。まあ、お嬢様はわがままだと相場が決まっているものよ。帰ったら、ご褒美あげるからさ。それと、オールノット公爵はどうだった?」


 ライガはいったんアーシヤをベンチに寝かし、取り出した覆面マスクで顔を覆った。剣にも薄汚れた布カバーをかけ、上着を裏返しにして、着なおした。

 剣大会に出場した、剣士くずれに見えなくもない。さすが、ライガは用意周到だ。


「オールノット公爵は、謀反に関しては白だ。むしろ、反王国派の異分子をあぶりだす為に、今回の罠を仕掛けたような気もする。彼は思考が読みにくいタイプの、手ごわい人物だが、ヨーロピアン国への愛国心、王への忠誠心は確かなものだ。だが、トウゾウ国からの密使とされるロバート・ヤン。そいつには気をつけろ」

「ねえ、ってことはシャムスヌール国のボンボンの戦争のシナリオも、ガセネタなの?」

「それはわからない。ビーやコフィナ達も嘘の情報に惑わされている可能性もある。とにかく、さっきロバートとすれ違った時に、いよいよ明日だ、と考えていたのを聞いた」

「いよいよ、明日だ……ね」


 ライガはアーシヤを右肩に担いだ。


「ライガ、頼むわね。気をつけて」

「チカこそ。俺がいない時に無茶するなよ」

「わかってるわ」


 私はライガに担がれ、眠っているアーシヤの頭を撫でた。


「急な展開ですが、ここでいったんお別れです。アーシヤお兄様、お気をつけて」


 ライガの背中をポンと叩く。

 ザザッという音がして、彼らが視界から消えた。


「さて、と」


(わかってる事を整理したいところだけど。とりあえずホールに戻って、ロバート・ヤンに会ってみるか)


 私は、潮風を吸い込み、大きく深呼吸してから、一人で大広間へと向かった。


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