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第31話 フランツ王子の事情その④ フランツ王子はジェシカ嬢の本質をみる

若君わかぎみ、左手の奥から、私のあるじがこちらに向かってきます。おわかりになりますか?」


 ライガに連れられて、フランツは店が建ち並ぶマーケットの通路から前方を眺めた。人がごった返す街なかで、ジェシカの姿を探す。


「わからぬ。本当に彼女がいるのか?」


「はい。頭をターバンで覆い、剣を左側に下げた、一人でこちらに向かってくる少年です」


「……あれが……?」


 確かに少年が一人で歩いて来る。

 頭は布でしっかりと覆われ、髪の毛は一切みえない。平民が着る綿のブラウスに、薄汚れた大きめの皮のベスト、腰には大きなベルトに剣が下げられ、使い古された男性用のズボンに布地の靴。


 どこから見ても、兵士気取りの平民の少年にしか見えない。


 あれが、本当にジェシカ嬢なのか?


 フランツ王子は、衝撃を受けた。

 彼女が剣の練習をしていると、兵士としての鍛錬をしていると、確かに聞いていた。頭ではわかっていたつもりだった。

 だが実際に、その姿を見て、彼は自分が動揺した事に動揺した。


 手前の右手方向から、子供が2人彼女に向かって駆けていく背中が見えた。と、同時に大人にぶつかり転倒した。


 子供達を抱き起こすジェシカ嬢と、悪態をつく、ぶつかられた男達。西側諸国の衣服を身に着けた、強面の大柄な男達は、皆腰に大きな剣を下げている。


 彼らの言葉は、ドス黒く、嘲りの


 危険だ!


 思わず駆け寄ろうとするフランツは、ライガの腕に阻まれた。


「我が主は大丈夫です。どうぞ、若君はこのまま、こちらからご覧下さい」


「しかし、彼女が危険ではないか」


「あの者達に負けるような鍛錬はしておりません」


 ライガの表情と声から、焦りは全く感じられない。


 フランツはふと、この場にきてから、彼がフランツやジェシカの名前を呼ばず、王子や令嬢といった呼称を使わない事に気がついた。


 この男は用心深く、気がまわる、頼りになる人間だ。自身の専任に欲しい人材だと彼は思った。


「ぶつかってきたのは、そいつらだろうが! ほお、額に、角。そのガキらは噂の放浪の民じゃねえか? 下賤な民、罪人がこのブルガ様の体に触れるなど、厚かましいわ! 」


男達が、ジェシカ嬢と子供達を大きな声で罵るのが聞こえた。

 何を言っているかは聞こえないが、どうやら彼女が男達に抗議しているようだ。


「謝る? この俺様が、なぜ放浪の民に謝らねえといけないんだ? 俺は剣大会で優勝候補なんだぜ!」

「おいブルガ、このガキも偉そうだよな。ちょっとお仕置きしておくか?」


 フランツの心臓がドクンと大きく鼓動を打つ。ライガはフランツの体を腕で制止したまま、微動だにしない。


 一人の男がジェシカに殴りかかり、彼女は間一髪でそれをかわす。


「……ライガ……!! 」


「若君、どうぞ、本当の主の姿をご覧ください。決して、ここから動かぬように」


 ライガの声は確信と威厳に満ちた色をなし、フランツはその声に支配されたかのように、その場を動けなかった。


「ほら、これもよけてみろよーー!」


 男はさらに攻撃を続ける。

 ジェシカ嬢は逃げずに、男の凄まじい蹴りを自らの体で受け、子供達を庇った。


 ドカッという鈍い音が響いた。


 女性が、公爵令嬢が、平民の、しかも北の一族の子供を庇い、自分の体を盾にした。


 フランツは自分の目で見た出来事が信じられなかった。


 あり得ない。いや、あってはならない事だ。


 貴族は守られる存在だ。兵士が貴族を守り、命を失う事はあっても、貴族が平民を庇い傷を負うなどと、想像もできない。


 貴族と平民の身分の違い。

 それは、覆されることのない、世界を構成する確固とした土台である。


 ジェシカ嬢は、この世界の枠組みの内側に収まらない。

 ルールを、やすやすと越えていく。


 そのような人間が存在するという事実に、またその人物が自分が愛する少女であることに、フランツは恐怖と驚きで身動きが取れなくなった。


 茫然とその場を見つめるフランツの目に、立ち上がるジェシカの姿が映る。

 ハッキリとした、怒りと挑発と正義に満ちた、彼女の声が聞こえた。


「おい、ブルガ、サンダ、だったな。剣大会で、会おう。オレがあんたらに勝ったら、今日の事を謝ってくれ。オレの名はウエダだ」


「ウハハハハーー! こりゃあ、威勢のいい坊主だな」

「おう、いいぜ。万が一、お前がかったら、地に額をつけて謝ってやるよ」

「おい、小僧! 逃げるんじゃねえぞ。こりゃあ大会の楽しみが増えたな。その減らず口がきけねえくらい、ボコボコにしてやるよ」


 男達は大笑いしながら去っていく。

 ジェシカ嬢は、無言でその男達の後姿を見つめる。


「……若君、大丈夫ですか? 私は主の元に参ります。若君は、お一人でお家に帰れますか?」


 王城の近くの城壁門までは1分とかからない。

 フランツは放心状態で、ただフランツの言葉に頷いた。


「……では、私はここで失礼致します。本日はお時間を頂き、この場にお付き合い下さり誠にありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰り下さいませ」


「……ああ……」


 あまりの衝撃に、それ以上の言葉は出てこない。


 ライガがジェシカと子供達を連れて去っていく。

 フランツ王子はその後もしばらくの間、その場に立ち尽くした。

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