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ライガに連れられて、フランツは店が建ち並ぶマーケットの通路から前方を眺めた。人がごった返す街なかで、ジェシカの姿を探す。
「わからぬ。本当に彼女がいるのか?」
「はい。頭をターバンで覆い、剣を左側に下げた、一人でこちらに向かってくる少年です」
「……あれが……?」
確かに少年が一人で歩いて来る。
頭は布でしっかりと覆われ、髪の毛は一切みえない。平民が着る綿のブラウスに、薄汚れた大きめの皮のベスト、腰には大きなベルトに剣が下げられ、使い古された男性用のズボンに布地の靴。
どこから見ても、兵士気取りの平民の少年にしか見えない。
あれが、本当にジェシカ嬢なのか?
フランツ王子は、衝撃を受けた。
彼女が剣の練習をしていると、兵士としての鍛錬をしていると、確かに聞いていた。頭ではわかっていたつもりだった。
だが実際に、その姿を見て、彼は自分が動揺した事に動揺した。
手前の右手方向から、子供が2人彼女に向かって駆けていく背中が見えた。と、同時に大人にぶつかり転倒した。
子供達を抱き起こすジェシカ嬢と、悪態をつく、ぶつかられた男達。西側諸国の衣服を身に着けた、強面の大柄な男達は、皆腰に大きな剣を下げている。
彼らの言葉は、ドス黒く、嘲りの
危険だ!
思わず駆け寄ろうとするフランツは、ライガの腕に阻まれた。
「我が主は大丈夫です。どうぞ、若君はこのまま、こちらからご覧下さい」
「しかし、彼女が危険ではないか」
「あの者達に負けるような鍛錬はしておりません」
ライガの表情と声から、焦りは全く感じられない。
フランツはふと、この場にきてから、彼がフランツやジェシカの名前を呼ばず、王子や令嬢といった呼称を使わない事に気がついた。
この男は用心深く、気がまわる、頼りになる人間だ。自身の専任に欲しい人材だと彼は思った。
「ぶつかってきたのは、そいつらだろうが! ほお、額に、角。そのガキらは噂の放浪の民じゃねえか? 下賤な民、罪人がこのブルガ様の体に触れるなど、厚かましいわ! 」
男達が、ジェシカ嬢と子供達を大きな声で罵るのが聞こえた。
何を言っているかは聞こえないが、どうやら彼女が男達に抗議しているようだ。
「謝る? この俺様が、なぜ放浪の民に謝らねえといけないんだ? 俺は剣大会で優勝候補なんだぜ!」
「おいブルガ、このガキも偉そうだよな。ちょっとお仕置きしておくか?」
フランツの心臓がドクンと大きく鼓動を打つ。ライガはフランツの体を腕で制止したまま、微動だにしない。
一人の男がジェシカに殴りかかり、彼女は間一髪でそれをかわす。
「……ライガ……!! 」
「若君、どうぞ、本当の主の姿をご覧ください。決して、ここから動かぬように」
ライガの声は確信と威厳に満ちた色をなし、フランツはその声に支配されたかのように、その場を動けなかった。
「ほら、これもよけてみろよーー!」
男はさらに攻撃を続ける。
ジェシカ嬢は逃げずに、男の凄まじい蹴りを自らの体で受け、子供達を庇った。
ドカッという鈍い音が響いた。
女性が、公爵令嬢が、平民の、しかも北の一族の子供を庇い、自分の体を盾にした。
フランツは自分の目で見た出来事が信じられなかった。
あり得ない。いや、あってはならない事だ。
貴族は守られる存在だ。兵士が貴族を守り、命を失う事はあっても、貴族が平民を庇い傷を負うなどと、想像もできない。
貴族と平民の身分の違い。
それは、覆されることのない、世界を構成する確固とした土台である。
ジェシカ嬢は、この世界の枠組みの内側に収まらない。
ルールを、やすやすと越えていく。
そのような人間が存在するという事実に、またその人物が自分が愛する少女であることに、フランツは恐怖と驚きで身動きが取れなくなった。
茫然とその場を見つめるフランツの目に、立ち上がるジェシカの姿が映る。
ハッキリとした、怒りと挑発と正義に満ちた、彼女の声が聞こえた。
「おい、ブルガ、サンダ、だったな。剣大会で、会おう。オレがあんたらに勝ったら、今日の事を謝ってくれ。オレの名はウエダだ」
「ウハハハハーー! こりゃあ、威勢のいい坊主だな」
「おう、いいぜ。万が一、お前がかったら、地に額をつけて謝ってやるよ」
「おい、小僧! 逃げるんじゃねえぞ。こりゃあ大会の楽しみが増えたな。その減らず口がきけねえくらい、ボコボコにしてやるよ」
男達は大笑いしながら去っていく。
ジェシカ嬢は、無言でその男達の後姿を見つめる。
「……若君、大丈夫ですか? 私は主の元に参ります。若君は、お一人でお家に帰れますか?」
王城の近くの城壁門までは1分とかからない。
フランツは放心状態で、ただフランツの言葉に頷いた。
「……では、私はここで失礼致します。本日はお時間を頂き、この場にお付き合い下さり誠にありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰り下さいませ」
「……ああ……」
あまりの衝撃に、それ以上の言葉は出てこない。
ライガがジェシカと子供達を連れて去っていく。
フランツ王子はその後もしばらくの間、その場に立ち尽くした。