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第10話 困りましたね

 困った。まあまあ、困ってる。困った事態だよね、うん。

 私は例のゴージャスな自室で、歴史の教師、モハード先生の熱い語りを聞きながら、困っている。


「つまりですね、そのような誤解がございまして、北から移住してきた民族、通称、放浪の民と呼ばれる人々への差別が今もなお残っている訳です。ああ、罪なき者が、無情な蔑み・屈辱にあうこの残念な現状を、私は心から遺憾に思うのです」


 もう齢60は過ぎていると思うけど、モハード先生は元気なシニアだ。こちらの方にしては珍しく自分のこだわりを持った方だ。私の知ってる範囲内でだけど。

 ちょっと、いやだいぶ演技がかった話し方で、悲劇のヒロイン要素が多分に入っているけれど、偏見をよしとしない中立なものの見方・考え方をしていると思う。


 あの選抜会の日から、2週間。


 公爵夫妻と兄姉に直接何があったのかを報告させられたり、ヨーロピアン国王へ神鳥からの神託について報告書を書かされたり(実際に書いたのはお兄様だけど)、父公爵からライガへ改めて娘の専任剣士として認める儀式があったり、私に歴史、文学、音楽、ダンスの教師がつけられ、毎日日替わりで授業が始まったり、と目まぐるしく過ぎた。


 色々学べる事になったのは有難いし、特にこの先生に会えた事は、本当にラッキーだ。

 彼は、歴史だけでなく、医療や哲学にも造詣ぞうけいが深くて、そしてセリフ回しがなんだか舞台を観ているようで面白い。


「先生、お伺いしてもよろしいですか?」

「どうぞ、レディ・ジェシカ」

「歴史的にみても、放浪の民がヨーロピアン国を侵略しようとした事は、誤解だとわかっているのでしょう? そもそも、どう考えても50人足らずで一国を制するなんて、冗談としか思えません。なのに、なぜ人々は今も誤解したままなのかしら?」

「いいところに気が付かれましたね、レディ。おっしゃる通り。心威力しんいりょくの強い者がメンバーにいたとしても、国を奪うというのはそう簡単ではありません。しかし、人間とは、事実より、自分がみたいと望む景色を、真実だと思いたい生き物なのですよ」

「事実より、みたいと望む景色を真実だと思いたい生き物……」

「さよう、多くの人々は、心威力を持つ放浪の民に劣等感を持っています。また、一方で、額や頭に突き出たコブを持つ彼らを、嫌悪しています。私達とは違う種類の生き物だ、多少特殊能力があっても、コブを持つ醜い種別、ましてや、彼らは昔に祖国を侵略しようとした悪人の子孫だ。彼らは、下賤な民で自分達とは違う、差別されて当然の存在だ、と思いたいのでしょう。罪悪感を抱かず、放浪の民を見下すのには、誤解は誤解のままでないと困るのですよ。良い、言い訳になりますしね」

「そんな……」


(やっぱりどこの世界でも、不条理で人々を分断させる「差別」は存在するのね……)


 モハード先生は、少しの間、天井を見上げた。そして、今度は低く静かな声でこう続けた。


「気をつけなさい、レディ。放浪の民だけでなく、あなたにも同じことは起こり得るのです。突如として、スターになったあなたを快く思わない人々もでてくるでしょう。彼らには、事実は意味を持たない。彼らの好む物語を進めるために、強引な手法を使う輩もあらわれるやもしれません」

「モハード先生……」


 この先生の言葉は信用できると思った。

 10歳の小娘の私に、真剣に人生の教訓を、なるべくトラブルを回避できるようにヒントを与えてくれている。もしかしたら、自身の立場が不利になるかもしれないのに。


「だからと言って、人間は恐い、汚いものだとは思わないで下さい。レディ・ジェシカ、人間は多面な自己を持つ存在です。一面だけをみて彼の人を良い人だ、悪人だとは判断しきれない。また、人の考えや感情は天気のようにかわりうるもので、快青の日もあれば、雨や嵐の日もある。人間とは誠に興味深い。


 学問をなさい、レディ。学問は人生という大海原を航海するあなたの船を、前進させる原動力となり、行先を照らす光となり、あなたの意思で船を停める為の錨となる」


「先生、有難いアドバイス、心より御礼申し上げますわ。私は一生、今いただいた先生のお言葉を胸に刻んでまいります。」


 私は心から感動し、彼に感謝した。


「ですから、これからも私をお導き下さいますよう、宜しくお願いいたします」


 私は立ち上がり、頭を下げた。

 モハード先生も嬉しそうに笑いながら、返礼してくれた。


「レディ、私は久しぶりに楽しみな弟子をとることができたようです。教師として、これ程喜ばしいことはない」

「私も人生の師と巡り会えた事を、とても嬉しく存じます。もう一つお伺いしたいのですが、先生は、私の専任剣士となったライガが放浪の民だと思われますか?」

「そうですね、額のコブから、彼が北の一族の出身者であることは間違いないと思いますよ」

「では、彼も心威力をもっているのかしら」

「それはわかりません。多少の力は持っていたとしても、突出した心威力を持つものはごくわずかだと聞きますから。私の若い時分は、10年に1人の割合で、素晴らしい心威力を持った者が現れたと話題になったものですが、それもここ20年ほどは聞いていませんね」

「そうなのですね。ライガがそうだといいなと思ったもので」

「おや、まだそのあたりは話されていないのですか?」

「……ええ、なかなか機会がなくて……」


 そうなのだ。あの日以降、ライガとは話せていない。

 正確に言うと、同席したり、すれ違ったりする事はあるのだが、2人きりで話せる機会が全くないのだ。


 専任剣士にしたものの、鍛錬どころか、話もできないなんて。

 しかも、お互いに色々話をして打合せをしなくちゃならない事だらけなのに、全然話せなくて、さすがの私も困りきっているのだ。


 と、そこへコンコンとドアを叩く音が聞こえた。


「どなたかな?」

「ジェシカお嬢様の専任剣士、ライガでございます」

「おお、噂をすれば……例の彼ですな」


 私は頷きながら急いで声をかけた


「ライガ、お入りなさい」


(グッドタイミングじゃない! しかも、今一緒なのは、話のわかるモハード先生だし。うまくいけば、2人きりにしてもらえるかもしれない。このチャンス、逃さないわよ!!!)


 私はドアに駆け寄ってライガを引っ張りこみたい気持ちを、精神力で抑え込みながら、穏やかな笑顔をはりつけて、彼の入室を待った。


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