……お嬢さま……
(……んー、これは誰の声だったっけ?)
「ジェシカお嬢様、私の声が聞こえますか?」
(私、なんの夢みてるんだろう? お嬢様かあ。実はちょっと憧れてるのよね)
「これで丸3日間、寝込まれているわ……。大丈夫かしら…?」
だんだん声が鮮明になり、誰かが遠慮気味に私の肩を優しくなでた。
(え? 今私、仮眠中だよね。誰かが部屋に入ってきたって事?!)
驚いてカッと目を見開くと、私の顔を覗き込んでいた女性と目があった。
「ヒ……ッ……!!」
私が急に眼を開いたので、相手も驚いて後ずさった。
私はゆっくりと体を起こす。
(あーー、なんか体がダル痛い……。しかも、汗だくだし。服が肌に張りついて、気持ち悪い……っていうか……。ここ、はいったい……?)
周りを見渡すと、部屋のなかには3人の人間がいた。
どうも危険な気配はなさそうだ。
皆、心配そうに私を見ている。
一番近くに、私に声をかけていていたらしき30歳代の落ち着いたほっそり女性が。その後ろに、まだ二十歳そこそこの若いふくよかな女の子。そして、遠くのドアの近くに60歳位の、穏やかで仕事できそうなロマンスグレーの紳士が立っている。
「え……なにこれ? まだ夢のなか……?」
思わずつぶやいた。
まず、部屋が広い。なにしろ、広い。
そして、見たことないくらいゴージャス。
都心の一流ホテルのスウィートでもここまで豪華じゃない。
今寝ているクイーンサイズのベッド、天蓋付き。
床に敷かれた高級絨毯と大理石、いくらかかるのか見当もつかない。
高い天井には勿論のシャンデリア、そして白を金を基調とした豪華絢爛な内装。
いわゆる、テンプレートな中世ヨーロッパの王侯貴族のお屋敷だ。
「ジェシカお嬢様、お体の具合はいかがでいらっしゃいますか?」
一番近くにいた女性が、私を気遣って水の入ったグラスを差し出してくれた。
私はその繊細でキラキラ光るグラスを受けとり、一気に水を飲みほした。
ここがどこで、彼らは誰で、何の因果で私はここにいるのか。
全く訳がかわらない。
正直、めちゃくちゃ焦ってる。
私は両手で頭を抱えて目を閉じた。
だが、しかし。
こういう時は、まず落ち着いて全体を把握すること。
トラブル時には俯瞰力が肝心だ。
だてに、ずっとサービス業に従事してきたわけじゃない。
過去、様々なトラブルに対応してきた。
支配人まで経験している私だもの、腕のみせどころじゃない?
(とりあえず、まだ夢のなかかもしれないし……。落ち着いて、まずは現状把握よ)
私は大きく深呼吸をした。
「お、お嬢様……?」
「大丈夫ですか?」
「熱は下がられたのか、確認が必要ではないか?」
3人は私の様子に不安を感じ、それぞれ声を上げた。
私は、この人たちに心配される身だということはわかった。
そして、言葉が通じることも。
(それならば…)
「今、私、頭がクラクラします。記憶、混乱します。あなた達は誰ですか?」
と、話しかけてみた。外国の人みたいにカタコト気味ではあったたけど。
正直、自分の声のあまりのか細さに驚いた。
彼らは私の不自然な話し方に戸惑い、お互いに顔を見合わせながら、それでも自己紹介をしてくれた。
「あの、私はお嬢様付き侍女頭のマリーでございます。お嬢様がお生まれになった時より御側に仕えております」
「私もお嬢様付きのサリューです。主に清掃担当です」
「私はこのナルニエント公爵家、老執事のエバンズでございます」
はいはい、なるほど。ナルニエント公爵家、ね。
ということは。
「では、私は?」
「お嬢様!!」
3人が同時に叫んだ。
「落ちついて。大丈夫よ。確認したいだけだから」
私はゆっくりと、彼らをなだめるように話しかけた。
「私の名前と、年齢、家族について説明して」
「お、お嬢様は、ジェシカ・デイム・ドゥズィエム・ナルニエント様です。先日、10歳のお誕生日を迎えられました」
「お兄様のアーシヤ様は御年18歳、お姉様のジュリエット様は15歳であらせられます」
「ナルニエント公国は、キエフル公国と共に、このヨーロピアン国の両輪と呼ばれております。ジェシカ様のお母様であり公爵夫人のテイラー様は、現国王マクシミリヨン王の伯母上にあたられます」
3人の説明で、一気に色んな情報が頭になだれ込んでくる。
それと同時に、この体の持ち主、ジェシカの記憶が溢れ出してきた。
頭の中に、走馬灯のように彼女の10年間が映し出される。
そして。
私は理解した。
この体の元・の持ち主、オリジナルのジェシカは亡くなってしまった事を。
彼女の意識は、もうどこにも感じられない。
彼女は天に召され、そして、何故かわからないけれど、上田知花の精神がこの体に入った。
私は茫然として、自分の手を眺める。
小さく、白い手を。
美しく、か細く、力のない手を。
(って、え~? 10歳の少女なの、私? いや、それより、これ夢よね? 夢じゃないと困るんだけど)
「あの、お嬢様、大丈夫ですか?もっと何か説明が必要ですか?」
マリーの心配そうな声に、私は顔を上げた。
マリー、サリュー、エバンズ。
初対面なのに、懐かしい。
まるで、お気に入りの映画の登場人物のような彼ら。
私は、彼らを知ってしまった。
私は、ナルニエント公国を、ヨーロピアン国を、この世界を。
上田知花のいる世界とは異なる、こちらの世界を知ってしまったのだ。
ついさっきまで、初めて見るように感じたこの部屋。
今は、当たり前の空間に感じる自分がいる。
私は、ここで生きている。
そう思ったとたん、ゾッとした。
(いや、いやいやいや、ちょっと待って! ここで生きてないし! 私は上田知花だし)
「私……、頭が痛いので寝ます!」
そう切れ気味に叫んで、私はベッドに突っ伏した。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「医師を呼びましょうか!」
「いいの、誰も呼ばないで! ……お願いだから静かに寝かせて……」
(とりあえず、もう一度寝なくっちゃ。次に起きたら、きっと仮眠してる客室に戻ってるはず)
3人が何か言っているのが聞こえたが、私の耳には届かない。
私は枕に顔を埋め、恐怖に震えながらひたすら願った。
(あーーもうやだ……。早くこの夢から覚めたい! 目を開けたら、いつもの客室にいますように!!)
……だけど、残念なことに。
私の願いが叶うことはなかった。