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第2話 まあまあ、楽しく生活してます

ーー…お嬢さま……ジェシカお嬢様……


 遠くから声が聞こえる。


 でも、私のことじゃない。

 私はジェシカでもお嬢様でもない。


 私は上田知花。

 知る花と書いて、ちかと読む、日本のアラフォー女性だ。

 結婚はしていないけど、それなりに仕事に恵まれ、趣味に打ち込み、楽しく暮らしている。


 自分で言うのもなんだけど、黙っていれば清楚系の淑やかな女性にみえないこともない。


 いわゆる平凡な幸せから遠のいてる原因は、気の強さと、体の強さだと思う。


 私は、格闘技オタクだ。


 子供の頃に通った剣道教室をはじめに、大学で入った合気道サークル、最初の職場の時に通った中国武道教室、そして今のボクシングジムと、なんだかんだトータル18年程「武」を嗜んでしまっている。


 ジャッキーチェンのカンフー映画が好きだったから。

 スケバン刑事のサキさんやケンシロウや刃牙といった漫画のファンだから。


 動画の格闘技チャンネルにはまったから。

理由は色々あるけれど、とにかく「強くなりたい!女だからってバカにされるのはたくさん!!」という気持ちが人の何十倍もあるのは確かだと思う。


 過去にいた彼氏には5人ともにフラれた。

 みんな、いい人達だった。ただ、私は彼らには、どうにもアクが強すぎたようだ。


 全員が、私と別れた後に、可愛い愛され系女性とつき合ったのを知っている。 


 後悔が一切ないと言えば嘘になるが、まあこういう性格なのだから仕方ない。


 かといって、結婚を諦めている訳でもない。


 次に彼氏ができたら、今までやったことのない、甘々なラブラブ生活をおくりたいという願望はある。


「支配人、甘い。そんなの甘すぎっすよ~」

「ちょっと、岡田君。人の夢を勝手に打ち砕かないでよ」


 職場で最後のチェックイン予定のお客様を待ちながら、アルバイトの大学生男子にダメ出しをされる。


 私の今の仕事は、ビジネスホテルの支配人。

 100室ほどの小規模ながら、なかなかに人気のホテルなのだ。


 現ホテルチェーンに転職してはや7年。ここは3つ目の職場だ。


 通常、夜の勤務は防犯の面から男性スタッフ2名でまわしているが、支配人である私は月に一度はチェックの為に夜勤に入る。

 今日は残念ながら最後の予約客が23時になってもまだ現れず、こうしてフロントで待っているところだ。


「いや、マジで申し訳ないっすけど、支配人もう40歳ですよね。ワンチャン、彼氏ができたとしても結婚までいくのって無理くないですか? 」

「大きなお世話よ。どこでどう転ぶか、人生なんてわかんないもんでしょ。私だってこれから大恋愛する可能性はあるわよ」

「や、正直ちょっと考えられないっす」

「ほんまに失礼ね。よそでそんな事言わんよう気をつけなさいよ」

「支配人以外とこんな話しませんよ。だいたい、おばさ……、じゃなくて、俺の周りにいる大人の女性は、お袋か支配人位っすから」


(……お袋か、私か……)


「岡田君……いくつだったっけ? 」

「20歳です」


(20歳……。さやかの息子と同い年か…。私も若く子供産んでたら、岡田君みたいな息子がいたかもしれないのよね~)


 そう思いながら、小さくため息をついた。


「岡田君、もしかしたら私の息子だったかもしれないよね」

「なに怖いこと言ってるんすか? マジでカンベンして…あ、いらっしゃいませ」


 待ち人来る。


チェックイン手続きを済まし、最後のお客様が客室へ向かわれると、私たちは現金チェックと締め処理を開始した。


 今日は稼働率80%と、閑散期にしては悪くない。

 全ての作業をすませると既に1時をまわっていた。


「じゃあ、先に仮眠もらうわね。3時になって私が起きて来なかったら、内線鳴らしてね」

「了解っす。お疲れ様です」

「お疲れ様」


 仮眠をとるために、使われていない客室へと向かう。

 制服をハンガーにかけ、歯を磨き、スリップ姿でベッドにもぐりこんだ。


(はー、今日も良く働いた~。でも特にトラブルもなく、売上も悪くないし、いい1日だったわ)


 心地よい疲れに包まれ、すぐに意識が薄れてくる。


(1時間半、ぐっと眠ったら、またがんばらなきゃ…)


 いつもの、客室。

 いつもの、仮眠時間。


 異動してきてから4年間働いた、私が支配人を勤めるホテル。


 部下とも、アルバイトスタッフとも、清掃スタッフさんとも、それなりに上手くやってきた。

 馴染みのビジネス客や近隣の商店との付き合いも、増えてきた。

 次の転勤では、大きいホテルを任せると専務に打診もされていた。

 プライベートで通っているボクシングジムでは、アマチュアの試合にでる為のトレーニングも開始したところだ。


 私は、自分の環境に、満足していた。

 まあまあ、幸せだったのだ。


 仮眠を終えて、起きるまでは。



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