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第三十三話

「待たせたな」


「それが貴様の本来の姿というわけか。随分と醜い姿だ」


俺の全身は真っ黒な鱗状の皮膚に覆われていて、頭からは非対称に伸びた角が生えている。瞳は暗闇の中で赤く不気味にゆらゆら浮かび、前傾姿勢で四つ足の獣に近い。まるでサナギの中から不完全なままで出てきた、溶けた獣じみた姿だ。


散々な言われようだが、お互い様ではないだろうか。どっちがより気持ち悪いかなんて競っても仕方がないけど。


「さて、無駄話はもういいよ。とっとと決着にしようぜ」


俺はそう言い放つのと同時に地面がえぐれるほどの踏み込みでニルガルの懐へ潜り込み、鎌のように鋭い爪で奴の身体を引き裂いた。


瞬間に、真緑色の体液がニルガルの身体から吹き上がり仰け反る。


「なんだその力は……貴様、不死身なだけではなかったのか?」


「たしかに俺の力はただ死なないだけだよ。だから、それを最大限に活用している。ここには人間の肉体では到底耐えられないような膨大な魔力が満ちているだろ。限界を超えてそれを吸収してるってわけだ」


ダンジョンコアの影響か、最下層のこの場には通常ではあり得ない程の濃度で魔力が溢れている。


人体は魔力を吸収し、代謝して自己強化や魔術を放っているとされる。しかし、魔力には許容限界があり、それを超えると魔力酔いや中毒などを起こし果てには死んでしまう。


それが強さの限界点でもあり、いわゆる冒険者の【レベルアップ】という概念はダンジョン探索をしているうちにこの魔力容量の最大値が少しずつ上がることを差していると言われている。


俺は不死の力を使って、一時的にその限界を無視し魔力をエネルギーに変換し続けている。それは、例えるならゲームで強引にレベルをカンストさせているようなものだ。


「馬鹿な、そんなことをして耐えられるわけがないだろう」


「だから、こうしてる間にも俺はいるんだよ」


当然、そんなのはまともなやり方ではない。


身体を形作る細胞は常に過剰な魔力で破壊され激痛が走っている。数十秒に一度くらい、急激な眠気が襲うように意識が飛び……死ぬ。


しかし、死を迎えると強制的に不死の力が発動し蘇生される。その繰り返しで、醜い溶けかけの姿をどうにか保っているわけだ。


そして、古い細胞が破壊され、新しい細胞に置き換わるサイクルが物凄い速度で行われることにより俺自身が書き変わってしまう……まるでテセウスの船のパラドックスのように。


その過程で記憶もなくなってしまうのだろう。


「……そこまでして、私を止めたいのか。正気ではないな」


「そうかもな、だからとっととくたばってくれると助かるよ」


そこからはある種、一方的な暴力だった。


ニルガルが異界の神さまだかなんだかは知らないが、不完全なのはこうして対峙していればわかる。


そもそも恐らく黒服はニルガルの器として適していないのだ。本来、神の器になる為には儀式が必要で、それは黒服ではなくシイナがより適していた。


しかし、その計画も俺とアルカの介入で破綻した。


俺は、何度も何度も死にながら、ニルガルの翼をもぎ、尾を断ち、身体を切り刻む。


引き換えとしてどれだけ不浄の力に蝕まれようと、止まることなく徹底的に。


「不死の刻印とは、これほどまでに強大か」


見る影もなくなったニルガルは最後の力を振り絞り、不浄の塊とでも呼べそうな禍々しい球状の渦を作り上げた。


それは人々の怨嗟が質量を持ったような姿をしている。


「だが、不浄は負けん。貴様に神がどのようにこの世へ顕現するか教えてやる。それは人々の想像力だ。人間の持つ憎悪や穢れこそがこのニルガルを生み出しているのだ。貴様の前に立っているのは、この世の不浄そのものだよ」


息も絶え絶えといった様子でニルガルは俺にそう告げた。


あいつを作り上げているのは、間違いなく踏み躙られたものたちの負の感情らしい。それはニルガルの作り出した渦からも伝わってくる。


しかし、そんなものは俺だって同じだ。俺も精神的な意味でいえば、たった一人でニルガルに立ち向かっている訳ではない。


アルカや、刑事さんやシイナ……色んな人間の思いが俺を逃げずに立ち向かわせたんだから。


もし、この世に人を殺してしまうほどの激しい憎悪があるのなら、それに立ち向かおうとする祈りだってあるのだ。


「世界が汚れてるからなんだってんだよ。そんなもん俺がまるごと喰らい尽くしてやる」


「この世の不浄をたった一人で受け止められるわけがないだろう」


同じ空間で静かに眠っているアルカを巻き込まないように、その渦を真っ向から受け止める。


襲いくる激しい不浄の蝕みを、それを上回る魔力の代謝で相殺し続けた。それは、毒と解毒剤を何度も何度も交互に飲み続けているようなものだろうか。


当然、そんな行為に肉体が耐えられるわけはない。


何千回、いや何万回、もはや数えるのも億劫になるほど死んで戻った感覚がする。


一体この間にどれだけのことを忘れてしまったのだろう。逆か、いま俺は何を覚えている?


「……ごちそうさま。腹一杯だよ、しばらくは何も食いたくないな」


その渦を喰らい尽くして、満身創痍のニルガルの元へと歩いていく。


彼はいまので殆どの力を使い果たしたのか、人の姿に戻り仰向けに倒れて浅い呼吸を繰り返していた。


「貴様はどうして折れない、何がお前をそこまで保たせているんだ」


「勘違いしてるよ。肉体は死に続けてるし、心はもう何度も何度も折れた。俺は俺なんてちっとも保ててないよ」


「……」


ニルガル、いや黒服はそれを聞いてただ口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。


「いまも俺を保っているのは、たぶん俺以外の何かのお陰だ。なぁ、俺たちは小難しいことを考えすぎなんだってさ。百回折られたんなら、百一回立ち上がればいいだけだってに教えてもらったよ」


「それは強者の理屈だろう。そんなこと一度でも深く折られたものに出来るものか」


黒服は俺の言葉に首を横に振って答えた。


「でも、しんどいけど生きるってのはそういうもんらしいんだよ。人間は何度折られても立ち上がらなきゃいけない。でも、別にそれは直ぐにじゃなくていいし、一人じゃなくていい。自分のタイミングで、誰かの助けを借りて起こして貰えば良いんだ」


「そうか、ならば私は妻という支えを失った時にもう終わっていたのだな。私は【黄金卿】の考えに賛同し、全ての弱きものの為にこの世のルールを作り変えたかった。それが、私から妻を奪った不条理に対する唯一の復讐だからだ」


彼は俺でも世界へでもなく、なにか遠くのものへ向けて憤るように叫んだ。


「失ってなんかないさ。だから、お前も復讐を諦められなかったんじゃないか? 俺はもう記憶を無くしてしまったけど、それでもちゃんとまだ温かいんだよ。名前も顔も思い出せないのに、俺はその為に戦ってるってわかるんだ」


「皮肉なものだな。忘れられない私は思い出の冷たさに凍え、忘れてしまったお前が思い出に温められているのか」


彼は胸ポケットからしわしわになった煙草を取り出し、火をつけた。そして、同じところから取り出したペンダントを握りしめる。


「そうだな……お前の言うとおり私は……。いや、それをわざわざ言葉にするまでもないか」


不浄の力をほとんど失った男は付きものが落ちたように微笑んでいた。


「シキシマ、お前の勝ちだ。不浄の神ニルガルはまだ完全にはこの世界に定着していない。ポータルであるコアを砕けば、神は異世界へと還るだろう。それで全てが終わる」


男が自分の身体からコアを掴み取り差し出してくる。それは初めに見た時よりもずっと綺麗な翡翠色をしていた。


言われた通りダンジョンコアを砕くと、衝撃と共に異世界への通路であろうものが再び開くのが見えた。


ニルガルを構築していた群体は逃げるように黒服の身体を離れ、その裂け目へと消えていく。


黒服はそれから力なく目を閉じ、俺はその裂け目をただじっと見つめていた。


……遠くから、誰かの声が聞こえる。


ーー


【アルカ視点】


ものすごい衝撃であたしが目を覚ますと、暗闇に立ち尽くしている一匹の獣が見えた。


その獣はどこかへ繋がる空間の切れ目を悲しげにじっと見つめている。


硬そうでけむくじゃらで赤い目をしていて身がすくむような醜い姿だけど、それがアキラだということは理屈なしですぐにわかった。


「そっちへ行ってはダメ!」


あたしの叫び声に反応にして、獣はくるりとこちらへ振り向く。


「ね、いい子だから。こっちへおいで、怖くないわ」


懸命に呼びかけると、彼は一歩一歩と重たそうに身体を引きずってくる。あたしはそれを迎え入れるように抱きしめた。


その硬い身体はあたしの皮膚を傷つけるけれど、そんなのは別にどうだってよかった。


「えーと、俺は一体何をしてたんだっけ」


そう言ったアキラの赤い瞳は、まるで部屋の隅でも見つめる猫のようにぼんやりとしている。


「あんたは皆を守るために戦ってくれたのよ」


「そうか、それで俺はまた色んなことを忘れちゃったんだな」


彼は何とか今まで戦っていたことを思い出し、そして『戦うと色んなことを忘れてしまう』ということを思い出したようだ。


「ねぇ、あたしのことは覚えてる?」


「……ダメだ、ごめん」


アキラはあたしの問いに数秒くらい必死に考えてから首を横に振る。その申し訳なさそうな表情は、むしろこちらの胸が痛むくらいだった。


「それなら、また覚えてくれればいいの。あたしはアルカ、アカガネ アルカよ」


「アルカさんね、初めまして」


彼はにこりとぎこちない笑顔で片手を差し出してくるので、あたしは縋るようにその手を握る。


覚悟はしていた筈なのに、他人事のようなアキラの挨拶を聞いてつい涙を堪えられなかった。


「……あの、傷つけてごめんなさい。アルカさんは、俺の大切な人だったんですか?」


「そうなる予定だったのよ」


「ちょっとよくわからないんですけど」


突然泣き出して、上手く喋れないあたしの姿にアキラは動揺しているようだった。


そりゃそうよね、あんたは何にも覚えてないんだもの。


「あんたに告白されて、あたしがその返事をする前に全部忘れちゃったのよ」


「ほんとにごめんなさい」


「いいわ。いいのよ、別に。ほんとうに大丈夫だから……気にしないで」


弱々しいその返答にアキラはあたしをぎゅっと抱きしめて、耳元で囁くように口を開いた。


「勝手で悪いんだけどさ、めちゃくちゃ眠くてもう気絶しそうなんだ」


「ゆっくり寝なさい。バカ」


一瞬、慰めてくれるのかと思ったけど期待したあたしが悪かった。


「子供みたいな寝顔しちゃって」


アキラがあたしの胸の中で眠りにつくのと殆ど同時に、空からキラキラした粒子のようなものが降り注いでくる。


そして、目の前にゲームのウィンドウのようなものが現れた。


『アカガネ アルカさん【崩壊都市シッパル】ダンジョンクリア!おめでとう!』


キラキラしていてアホみたいなフォントの文字と共に、ダンジョンの夜空へ花火が打ち上がりファンファーレが鳴り響く。


ひとしきりのベタな演出が終わると、転送の罠にかかった時のように身体が少しずつ薄れていきつつある。


きっとこのままダンジョンの外にでも追い出されるのだろう。


あたしはその前にアキラへと伝えておきたいことがあった。


「おかえりなさい、アキラ。あたしもあんたが大好きよ」


砂鉄が固まったような黒い鱗を掻き分けて、アキラの頬にあたしは優しくキスをする。


いいわ。あんたが言い逃げするつもりなら、あたしも『好き』とは言ってあげないから。


でも、きっとあたしはこの気持ちを百万年経っても忘れることはないんだろうと思う。


それだけは確かだ。

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