「夜分にすみません。警視庁ダンジョン課のシッコウです。シキシマさん、まだ起きていましたでしょうか」
スマートフォンのバイブレーションに反応しパッと目が覚めると夜中の十一時頃だった。
「寝てましたけど……。あの、こんな時間にどうかしたんですか?」
「迷惑はご承知の上でこうする以外に方法がなくてですね。今少し外出られますか?」
「いいですけど」
隣では暑かったのか、薄い毛布を蹴飛ばしてアルカがぐっすりと眠っている。それにしても、芸術的な寝相だな。
彼女を起こさないようにそっと着替えてアパートの外へ出ると、道路わきに止まっていた車から私服姿のシッコウさんが下りてくる。
「あの、なんで俺の自宅を……?」
「ははは、これでも刑事ですからね」
爽やかスマイルでそう言ってのけたシッコウさんだが、それは流石に怖くないか? 公権力恐るべし。
「いやね、シイナさんからあなたへこれを届けて欲しいとのことで」
「シイナから俺に?」
手渡された封筒から出てきたのは、表紙が少し日に焼けている文庫本だった。
それと、本へと挟むように手紙が畳まれている。開いてみると、丸文字でどこか可愛らしい筆跡の手紙だった。
『シキシマくんへ。
あれから、お元気でしたか?
……今時、手紙なんてしたためる機会が中々ないのでどう書き始めたらいいのかわかりませんね。
そういえば、この間はまた会う約束をしたのに連絡先を交換するのを忘れていました。そのせいで少し周りくどいことになってしまい、ごめんなさい。
あの日の帰り道、少し思い出したことがありました。学生の頃に君から借りたままになっていた本のことです。卒業してから特にきっかけもなくて結局十年くらいは借りっぱなしでした。
この本のことを、シキシマくんは覚えているでしょうか?
私たちはよく委員会で生徒のいない放課後の図書室で番をしていましたね。私の方は、サチちゃんの居ない新しいクラスに上手く馴染めず保健室登校をしていました。
君はいつも、まるで私なんていないかのようにその本を読んでいましたね。その無関心さが、その頃の私にとっては一つの安らぎでした。
ある時、私は勇気を持って君に「その本って面白い?」と話しかけてみました。突然話しかけてきた私に、君は驚いたような顔をして「面白いかどうかなんて俺にはわからないけど……。よかったら、読む?」と半ば押し付けるようにしてその本を貸してくれました。
それはある有名な小説家の短編集で、君が何度も読んでいたのだろうお話しのページに青い栞紐が挟んであったのを覚えています。
……一羽の鳥が自らの命と引き換えに友達を幸福へと導く短いお話。決して明るいものとは言えませんが、人生の教訓となるようなものでした。
君が一体どんな気持ちでそれを読んでいたのかはわかりませんが、私はその物語をどこかお守りのようにして学校生活を送っていたんですよ。
その後、君が私と入れ替わるようにあまり学校へと来なくなってしまったので、その本は未だに私の手元へ残っていたわけです。
この機会に本をお返ししますね。もしそのことを忘れていたら、一瞬でもいいので開いてみて下さい。何か思い出せるかもしれませんから。
変な昔話をしてしまいましたね。
でも、君はもう覚えていないような出来事も、私にとっては大切な思い出だったんです。
さて、前置きが長くなりました。
私は、この復讐を終わらせる為に再び多摩東ダンジョンへと行くつもりです。
……君にだから全てをお話ししますね。
サチが自殺する原因を作ったサークルのリーダーはタツオではありませんでした。真の主犯は冒険者協会役員の子息である為、捜査資料に名前さえ残っていませんでしたが、協力者のおかげで私はその人物を知ることが出来ました。
その男は【ヨルクラ イマ】という名前で冒険者になり、今は配信もしています。ひょっとしたら君も知っているかもしれませんね。
彼は、近いうちに多摩東ダンジョンでタツオを弔う為の配信をすると宣言していました。タツオの死を事故だと考えているのか、自らの実力を過信しているのかはわかりませんが……とても愚かな判断です。
私は、そこで長きに渡るこの復讐を終わらせるつもりでいます。
本当は、私のしてきたことが間違っているのはわかっていました。しかし、私の人生をなんとか今日まで動かしてきた原動力は、憎しみという負の感情です。
確かに君の言うとおり、サチちゃんが今の私を見ていたら悲しむ……怒るだろうなと思います。彼女はとても優しい子でしたから、こんな私のことは殴ってでも止めてくれる筈です。
そんなの私が一番わかっているんですよ?
だからこそ、そんな優しいサチを無惨に奪い去ったこの世界そのものが憎かったんです。
私だって出来ることならば友達の為に命を落とせるような気高い一羽の鳥でありたかった。そんなの今更、虫のいい話しですね。
シキシマくん。いや、不死身さんと呼んだ方がいいかな。君のことは協力者から聞きました。
君に、この矛盾した気持ちが理解できますか?
……きっと、君みたいな優しい人間には無理だと思います。それでいいんです。
暑い日も続きますが、季節はゆっくりと秋に移ろっていますね。昨日、窓の外からキンモクセイの香りが漂ってきました。
シキシマくん。どうか、身体に気をつけていつまでも元気で暮らして下さい。
さようなら』
それを読み終わった時、俺は思わずその手紙を握りしめていた。
何が「さようなら」だ、どいつもこいつも勝手なことばかり言いやがって。
それは、手紙というよりは独白のようなものだった。シイナの苦しみが込められた長い独白だ。
「読み終わりましたか?」
「はい」
「……実は、私もこっそり読んでしまったんですよ。プライバシーの侵害にあたりますが緊急だったもので、ご容赦ください」
「まぁ、仕方ないですね」
シッコウさんの言うことは殆ど上の空のままで返事をしていた。
やるべきことは既に自分の中で決まっていたからだ。
「ヨルクラの配信って、もう始まってますよね? 俺は今からでも多摩東ダンジョンへ向かおうと思います」
「シキシマさんが、彼女を止めてくれると?」
彼のその言葉に、俺は半分だけ同意する。
手紙に書かれていたエピソードは残念ながら全く思い出せなかったが、本の栞が挟んであった部分を読んで感じるものがあった。
「……いや。たぶん、シイナにはもう復讐を続ける気はないんじゃないかなと思います」
「というと?」
「恐らく彼女は命がけで協力者を止めるつもりなんじゃないかなと、この本はそういう内容ですからね。だから俺はシイナを助けに行きます」
シッコウさんは、そこまで俺の話を聞くと静かに口を開いた。
「率直に聞きます。シキシマさんは【不死身】なんですね?」
「……」
「ああ、心配しないで下さい。捜査中に得た情報を誰かに漏らすことはありませんから」
俺がどう返事をしようか考えていると、彼は爽やかに笑いながら話を続けた。
「実は喫茶店でお二人に会った直後、槍木を尾行していたんです。被疑者の中で最も怪しいと考えていたのは、あの男でしたから」
どうやらシッコウさんは独自のルートで槍木の居場所を突き止めていたらしい。
しかし、彼はそこで力なく肩を落とした。
「あの日、私は槍木が廃ビルで殺されるのも、あなたたちが戦っているのも、その一部始終を見ていたんですよ。その頃にはもう既に捜査は打ち切りでしたから、何も出来ませんでしたがね。……証拠は暴力団員たちが血痕の一滴まで綺麗さっぱり消してしまいましたし」
「なるほど、それとこの手紙で俺が不死身だと確信したということですか」
シッコウさんはその質問に頷くと、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「こんなことを民間人のあなたにお願いするのは間違ってるとわかっています。しかし、不死身のシキシマさん……もはや、この事件を止められるのはあなたしかいません」
「わかりました、俺が何とかしてみます」
俺の返答に彼は深く頭を下げると、車のドアを開ける。
「黙って聞いてれば、ちょっと待ちなさいよ」
発車しようとする車に乗りこんで来たのは、眠っていた筈のアルカだった。