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第二十三話

「……まだ眠いな」


「シャキッとしなさいよ、だらしないわね」


 結局、明け方まで麻雀をしていたので眠れたのは四時間くらいだった。


 アルカはそれでも元気そうだ、年齢を訊いたことはないけど若いのは確かだしまだまだ体力があるのだろう。


「さて、ちょっと準備をしてくるからアキラはここで待っていてくれる?」


「お、おう」


今居るのは、中央区築地にある大きな病院の談話室だ。アルカの大切な人はここで入院しているらしい。


因みに、やんわりと断ったのだが押し切られる形で金髪オールバックにここまで車で送ってもらってしまった。


「それにしてもだよな」


アルカからは特に何も聞かされずここまで来た訳だが、俺はこれから一体誰に会うのだろう。


まさか、アルカの親御さんとか……?


だとすれば、もうちょっとまともな格好をしてきた方がよかったんじゃないだろうか。


顔を見るなり『お前のような奴に娘はやれん!』みたいなことを言われてしまったらどうしよう。


いや、それは流石にドラマの見過ぎか?


「落ち着かないし、少しぶらつくか」


歩いていて感じるが、病棟全体が近所のクリニックなんかとは比べものにならないような高級感溢れる雰囲気だった。


保険が適用されたとしても、ひと月入院したらどれだけ費用がかかるんだろう。想像しただけでも怖い。


「……」


ふと、その時長い廊下の手すりを使って足の悪そうな女性が一所懸命にリハビリをしている姿が目に入った。


藍色の髪を緩く一つに束ねた、病衣の大人っぽい雰囲気の女性だ。


彼女は険しい表情を浮かべながら五メートルほどだけ進んだところで転んでしまった。


床に這って腕の力で身体を起こそうとするが、足が動かないせいなのか立ち上がれる気配はない。


俺は見ていられなくなって、声をかける。


「あの、大丈夫ですか?」


「このくらい全然平気です……からっ」


女性は浅い呼吸を繰り返しながらそう言ったが、傍目からもそれが強がりであるのはわかりきっていた。


助けられることを拒むような彼女の肩を半ば強引に担いで身体を起こす。お節介なのだろうが、放っておくわけにもいかなかった。


「メイさん、また無茶して……!ダメじゃないですか!」


廊下の奥から慌てたように車椅子を押してきたのは、修道服に身を包んだ背の高いシスターだった。


シスター? なんで病院にシスターがいるんだ? そこは普通ナースさんじゃないのか?


浮かんだ疑問は一旦傍に置いて、彼女をゆっくり車椅子に座らせる。


「無茶でもなんでも、私は絶対に冒険者協会へ戻りますから」


「……しかし、残念ながらその足ではもう」


女性の決意を込めた言葉に、シスターは悲痛そうな表情で首を横に振った。


確かに、足がまともに動かないようでは冒険者なんてとてもじゃないが出来ないだろう。


「私のことは私に決めさせてください」


しかし、女性はそれでも諦めるつもりはないというように車椅子でどこかへと行ってしまった。


なんだかすごく悪い空気だが、病院だとこういうこともあるよな……うん。


「あの、ありがとうございました。本当なら私がちゃんと見張っていなければいけなかったんですが」


取り残されてぽかんとしていると、シスターさんがぺこぺこと頭を下げてくる。


その声と仕草からはどこかおっとりとしていて人の良さそうな感じがした。


「いえいえ、気にしないでください」


俺が顔を上げるように促すと、シスターさんはこちらを見てにこりと笑う。


目が合ってわかったが、彼女は目の覚めるような美人だった。


でも、この人のことを俺はどこかで見たような気がする……どこだったっけな。


「今時、無償で隣人へ親切に出来る人は希少なんですよ?」


シスターは感心したように、俺の手をとってジッと虹彩の色が見えるくらいまで瞳を覗き込んできた。


美人にそんな見られるとすっげぇ緊張するからやめて欲しい……。


「なるほど……これは数奇な運命もあるものですね」


シスターは何かを一人で納得しながら半歩だけ距離を取ると、豊かな胸元からロザリオを取り出して祈りの姿勢をとる。


「お優しい方。あなたの旅路は苦難に満ちているようですが、どうか神のご加護がありますように」


シスターが祈りを残して去っていってしまうと、俺はまるで夢でも見ていたかのような気分で談話室へと戻った。


……半分寝ぼけているんじゃないかと不安になり、途中で自販機のコーヒーを買った。



ーーー


「ごめんね、待った?」


「いや、全然」


しばらくして慌てたようにアルカが戻ってきたので、本棚に雑誌を戻して立ち上がる。


彼女に着いていくと、七一五と書かれた個室の扉まで辿り着く。表札には『アカガネ』とアルカと同じ苗字が書かれていた。


「連れてきたよ、おばあちゃん」


「どうぞお入り」


返事が聞こえてから部屋に入ると、そこはとても立派な病室だった。窓の外には東京湾も見えていて眺めが良い。


「あらあら、素敵な男の人じゃない。この人が彼氏のアキラさん?」


「だから、彼氏とかじゃないんだってば!ただの友達!」


真っ白なベッドの上で半身を起こして微笑んでいるのは、病身からか細すぎるほどの老女だった。


会話の流れからして、アルカのおばあさんなのだろう。


それにしても彼氏って言われるのは気まずいけど、友達とはっきり言われるのも心にくるものがあるな。


……我ながら面倒くさい性格だ。


「最近あんまりお見舞いに来てくれないから、忘れられちゃったのかと思ったわ」


「ごめんね、おばあちゃん。色々と大変なことがあったのよ」


本当にここ最近は大変だった、大変という二文字では済まないくらいだ。


きっとアルカは騒動におばあさんを巻き込まないよう、病院へ来るのを控えていたんだろうな。


「改めて紹介するね、こちらシキシマ アキラくん。あたしの恩人でとにかく色々助けてくれて、すごくお世話になったの」


「初めまして、シキシマです」


俺がたどたどしく一礼すると、おばあさんはにっこりと柔和な笑みを浮かべていた。


「いつも、うちのアルカをありがとうね。この子はおてんばだから大変でしょう?」


「ちょっと、おばあちゃん!?」


「いえいえ、そんなことはないですよ。とても素直でいい子です」


おばあさんの冗談にアルカは慌てていたが、俺は首を振って否定する。


まぁ、ちょっと扱いが難しい面はあるけれど言ったこと自体はちゃんと本音だ。


アルカはとても素直でいい子だと思う。その真っ直ぐさに助けられたことだってあるし。


「ふふふ、そうよね。アルカは私の自慢の孫なのよ。世界一のいい子なの」


「はい、自分もそう思います」


そんな俺たちのやりとりを聞いていたアルカは、いつものように口を挟むことさえせずに顔を赤くして俯いていた。


おばあちゃんの前だとちょっと性格が違うんだな。なんというか、いつもより控えめな気がする。


それから、しばらくは三人で他愛もない雑談をしていた。


ーーー


「ごめんなさいね、アキラさん。そこのお薬とってくださる?」


「これですか?」


俺が棚から薬の入った袋を手渡すと、おばあさんのシワのある両手がぎゅっと包み込んできた。それは、歴史と温もりを感じる小さくも大きなてのひらだった。


「本当は私が面倒を見てあげなきゃいけないんですけど……。これからも、どうかうちのアルカをよろしく頼みますね」


「ま、任せてください」


いきなり、真剣な表情でそんなことを言われて思わず動揺してしまった。


「ふふふ、その言葉を聞いたら安心してあの世にいけそうだわ」


「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。おばあちゃんまでいなくなっちゃったらあたし……」


「そうですよ、おばあさまはまだまだお若いじゃないですか!それに、お綺麗だし……あと二十年は余裕ですよ!」


アルカがおばあさんの冗談に酷く暗い表情をしていたので、とっさに場を和ませようとして自分でも驚くような明るい声が出た。


コミュ障の筈が、いつの間にか環境に揉まれて会話が出来るようになってきているな。


これも少し前までは想像もつかなかった変化だ。


「あらあら、お上手なのね。でも、そろそろお昼の時間だから二人とも今日はお帰りなさいな。よかったら、アキラさんもまた来てくださいね」


「はい」


「次お見舞いにくる時まで、ちゃんと元気でいてね」


アルカは先ほどの冗談をまだ引きずっているのか、不安そうにおばあさんの手を握っていた。


「はいはい、アルカの晴れ姿を見るまでは決して死にませんよ」


「だったら一生結婚なんてしないわ」


「全くこの子ったら」


アルカの子供じみた返しに、おばあさんは呆れたように笑っている。が、その表情はとても幸せそうだ。


「またね」


そうして、病室を出る瞬間までアルカはおばあさんの姿を焼き付けるように見つめていた。


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