「おい、槍木。一体どうしたんだ!?」
「サナエが……俺と一緒だった女がどっかの馬鹿にさらわれたんだ。返して欲しければ板橋ダンジョンの近くにある廃ビルまで来いって話だが、間違いなく行けば俺は殺される」
槍木の女が何者かにさらわれた? でも、犯人である可能性が高いシーナはいまここに俺といるんだぞ。
じゃあ、槍木を狙ってるのは一体誰なんだ。
槍木は走りながら電話をかけてきたのだろうか、言葉の合間に荒い呼吸が聞こえてくる。
「本当は女なんて見捨てて今にも逃げ出したいところだが、そうもいかねぇんだ。サナエが殺されればどのみち俺はタダじゃすまねえ」
「事情はよくわからないが、こんな事態ならなりふり構わず警察に頼れないのかよ」
「アホか、それが出来るならお前なんかに連絡しねぇだろ。一応、他のツテにも頼ってはいるが数は多い方がいいからな」
頭の中で状況を整理しながら返事をしていると、ある意味で当然のことを言われてしまった。
……まぁ、それはそうだよな。都合の良い時だけ、警察に助けて下さいって訳にもいかないか。
悪い奴らっていうのは何かあっても気軽に公権力を頼れないのは大変そうだ。
「なぁ、お前は俺を哀れに思ったから、わざわざメモに番号を残してくれたんだろ?頼む、協力してくれよ」
「わかった。ただ、今から最速でも二十分はかかるぞ?」
新宿から板橋だと、スムーズに乗り換えが出来たとしてもそのくらいはかかってしまうだろう。
そんな俺の返事を聞いて、槍木は少し安堵したように声を漏らした。
「二十分だな? そのくらいなら、なんとか持ちこたえてみせるさ。これでもCランク冒険者だし、喧嘩だって慣れてるんだ」
「わかった、すぐに行くから待ってろ」
「ありがとな」
感謝の言葉と共に電話が切られると、それまで俯いて会話を聞いていたシイナが顔を上げた。
「どうしたの? すごい慌てようじゃない」
「 ……すまない。もう少し話したかったが急用ができた」
俺が椅子から立ち上がり、その場を去ろうとするとシイナに後ろから声をかけられる。
「待って、最後に一つだけ聞いてもいいかな」
慌てたように呼び止められて振り返ると、シイナは静かに唇を噛み締めている。
それは今にも泣き出してしまいそうな表情にも見えた。
「もし、私が復讐の為にタツオを殺すことに加担していたとしたら……。ねぇ、シキシマくんは復讐って悪いことだと思う? 大切な人を奪われたのに、私にはやり返す権利すらないのかな」
震えながら紡がれたその言葉からはひどく切迫した印象を受けた。
大切な人間を突然奪われる苦しみというのはどれほどに心を歪めてしまうものなのだろう。
もちろん想像が出来ない訳ではないが、どれだけ頭で考えてみた所で結局のところそれは想像の範疇でしかない。
「復讐が良いか悪いかなんて、そんなの俺にはわからない。でもさ、もし俺が臼井の立場だったとしたら……。友達には復讐に限られた人生の時間を使わず、どうにか乗り越えて幸せになってもらいたいと思うよ。例え、それが復讐するより難しいことだとしても」
「……」
俺の言葉を聞いて、シイナはただ黙ったままで店内のどこかをぼうっと見つめていた。
こんな綺麗事みたいなものが当事者に響くわけがないのはわかっている。
でも、だからといって質問されたことに誠心誠意で答えず適当に同調するのも違うだろう。
復讐心に任せて、直接は関係のないアルカにまで危害を加える行いは決して胸を張れることではない。
そんなことをしてしまったら、もはや復讐ですらなくなってしまう。
「ねぇ、君はなんでアルカちゃんの為にこんな危険なことが出来るの? 本当に私が犯人だったなら君のこともターゲットにするかもしれないのに」
真剣に問いかけてくるシイナに対して『仮に命を狙われても俺は死なないから……』などとは口が裂けても言えなかった。
それに、不死の呪いによっていずれ治るとはいえ死に等しいダメージを受けるのは苦しいし、出来ればそんな無茶はしたくない。
じゃあ、どうして俺はこんなことに首を突っ込んだんだろう。
「わからないな。たぶん、俺はただ助けを求めてきた奴をきっぱり見捨てられるほど強くないだけなんだ。別に誰かを救う力が自分にあるなんて思わないけど、だからって何もしないでいるのは居心地が悪いだろ」
納得のいくような説明を必死に絞り出そうとして、結局はそう素直に述べざるを得なかった。
「すごくカッコつけてるけど、アルカちゃんが好きなんじゃなくて?」
「……そういう感情が完全にないといえば嘘になる」
少しの沈黙の後で渋々漏らした正直な言葉を聞いて、シイナは吹き出すように笑った。
「そっか。でも、君はまるで嘘みたいにお人好しなんだね。シキシマくんと、もっと早く再会できてればよかったな」
彼女はそう言うと、一瞬だけ悲しげな表情を見せた後でにっこりと笑う。
「引き止めちゃってごめんね。今度また会えたら、その時はただの同級生としてゆっくりお茶してくれないかな」
「ああ、もちろん」
今度こそ、俺はシイナに別れを告げて速やかにその場を後にした。
ーーー
槍木が電話で話していた廃ビルに辿り着く頃には、辺りは既に暗くなりかけていた。
そのビルは建築途中で放棄されてしまったのか乱雑に資材が積まれていて、周囲からも陰になっており悪事を働くにはおあつらえ向きだった。
これでもだいぶ早く着いた方だとは思うんだがどうにか間に合っただろうか。
狭い階段をかけ登っていくと、やがて壁のないフロア全体がコンクリート打ちっぱなしの空間にたどり着く。
部屋はむせ返るような血の臭いで充満していて、その先には人影が立っているのが見えた。
「槍木! いるのか?」
いやな予感がして大きな声を出すが、返事はない。
警戒しながらゆっくりとその人影へと近づいていくと、血の海の中で既に事切れているのであろう槍木の姿が見える。
その亡き骸は悲惨としかいえないもので、一体どういう殺され方をしたのか身体の至る所が破裂してしまったかのように出血していた。
それでも最後まで抵抗はしたらしい、手にはまだしっかりと槍が握られている。
そして、そこまで歩いてようやくそこにいた人物の姿がはっきりと目に映った。
「……アキラ、遅かったじゃない。槍木のやつならもう死んだわ」
そこで静かに佇んでいたのはアルカだった。彼女はただ呆然としたような表情で死体の状態を見つめている。
「アルカ、お前こんなところで何をしてるんだ?」
「ごめん、少し痛いかもしれないけど。『血の
アルカは俺の質問には答えず、静かにこちらへと手のひらを向けた。
そして、そのまま詠唱するとその瞬間に彼女の腕から吹き出した血液が、渦巻く槍状に変化して真っ直ぐに飛んでくる。
油断していて反応が遅れたのと、その魔術の速度に回避は到底間に合わない。
まずいと思った瞬間には、激痛が身体を貫く感覚だけが身体を支配していた。
「いってぇな……なんなんだよ」
痛みに耐えきれずそのまま仰向けになって地面に転がると、天井がとても遠くに見える。
腹の辺りにぽっかりと穴が空いていて、そこから生温い血液がとめどなく溢れている感覚がした。
なんだ、何が起こってるんだ?
どうして、突然アルカが俺に攻撃を仕掛けてきた?
わからない、痛みと驚きから思考回路がまるで上手く働いてくれなかった。
「アキラ、忠告してる暇がなかったのよ……。でも、あんたならなんとか耐えられるでしょ?」
そう言いながらアルカが指を指す方へと顔を向けると黒い外套を来た男が片膝をついていた。