「アルカ、あんまり先に行くなって。ずいぶんイライラしてるのはわかるけどさ」
「あぁ、ごめんなさいね。でも、そりゃイライラもするでしょ? 槍木のやつみたいに顔が良いからって何しても許されてきたようなのって嫌いなのよ」
アルカはこんな感じで、槍木のアパートを出た後もしばらくは不機嫌そうだった。
彼女の性格的に生きる為ならどんな汚いこともいとわないような印象だったが、それにも限度というものはあるらしい。
まぁ、確かにタツオと槍木がしてきたことは、仮にやむを得ないような理由があったとして受け入れられるような事ではないのはわかるけれど。
「なんか、そういう自分はどうなんだって言いたい顔してるわね?」
「してないが??」
そこまで早歩きだったアルカは急に立ち止まり、俺の顔を下から覗き込むようにして口をとがらせている。
まぁ、確かに初めのうちはアルカのことをある意味で槍木の同族というか、自分の魅力で周囲を振り回すタイプだとは思っていた。
可愛い配信者なんて多かれ少なかれ、お姫様気質だろうし。……るりてんちゃんは天使だから絶対違うけど。
でも、アルカは自信過剰に見える面もあるが、調子に乗って天狗になるタイプではなさそうだ。ああ見えて、けっこう義理硬い面もあるしな。
そういうのが一緒に暮らしているうちにわかってきたから、今のアルカにマイナスのイメージを持ってはいない。
「まぁ、あたしは可愛いわ。配信でもビジュアルで数字を取ってる部分が大きいから、リスナーたちの夢を壊さないように可愛くいる努力をしてるもの」
「それは、立派な心がけだな」
確かに、アルカの側で生活していると彼女が普段から可愛くある為にかなり工夫しているのはわかる。
料理を作ってくれているのに、本人はカロリー計算をして一定量を食べると後は手をつけないし、夜は肌の為といって十一時前には大抵寝ていた。
風呂のあとは長い時間をかけてストレッチや、スキンケアも欠かさないしな。
まぁ、女性として当然の努力といえばそうなのかもしれないけど、男の俺から見るとかなりマメに頑張っているように見える。
「……そりゃあ、多少ワガママな自覚はあるわよ。性格が良いとはお世辞にも言えない、あんたにもこうして迷惑ばっかりかけてるし。それでも、限度はわきまえてるつもりなのよ?」
「だから、別に責めてないっての」
アルカは何かへと必死に言い訳をするように、心配そうな顔つきでそう語っていた。
正直、関わっていて面倒な性格だなと思うような瞬間はあるが、でもそんなものは人間として仕方ない気もする。
平均の女の子というものがよくわからないから、その辺りは何とも言えないが。
「そう? ならいいけど。じゃあ、自販機で飲み物でも買ってこれからの作戦会議と行きましょ」
そのやりとりでイライラが収まってきたのか、アルカは住宅街の隙間にある小さな公園を指差しながらそう言った。
ーーー
「つまり、シーナはなんらかの復讐目的でタツオを罠にはめて殺したってことよね。そして今は槍木の命を狙っている。無関係のあたしまで巻き込みながら……」
俺たちは小さな公園にあるブランコに並んで座りながら飲み物を口にしていた。
平日の昼間だからか、ひとっこ一人いない公園を独占している。
それにしても、なんだかひどく不思議な感覚だな。
公園で女の子とこうしてのんびり過ごす未来があるなんて、これまでの人生からは想像もつかなかった。
状況が違えば、なんだか青春って感じがしないでもない。
「なによ? そんなにジロジロみて? もしかしてこの服似合ってない?」
「いや、別に」
今日のアルカは変装しているのか、いつものようにピンクと黒の可愛らしい衣服ではなかった。
丈の短いヘソだしシャツにデニムスキニーといったスポーティな雰囲気で、サングラスにキャップも被っている。
露出も多いし、スタイルの良さが引き立っていて、正直に言えば目のやり場には困った。
変装にしては逆に目立ちそうではあるが、ここまで纏う印象が変わるとたぶん知り合いでも気づかないだろう。
嘘をつく時ほど堂々としろ、とかいうしな。……ちょっと違うか。
「シーナが犯人かどうかは、俺が直接会って確かめてくるよ」
一度余計な考えを振り払い、缶コーヒーをあおると俺はブランコを漕ぐ速度を上げる。
すると、今度は彼女の方がジッとこちらを見つめていた。
「直接会うって一体どうするつもりよ?何かツテでもあるわけ? 言っておくけど、シーナなら今ネットには姿を見せてないし、あたしにも連絡を取る手段なんてないわよ」
アルカはやけにきっぱりと言い放った俺の言葉の根拠が気になるのか、幾つかの質問を投げかけてきた。
それから、まるで競うようにしてブランコを揺らし始める。
「シーナと取り次いでくれるかもしれない人を思い出したんだ。そう、上手くいくかはわからないけどな」
「ふーん、それは信頼できる人なの?」
キコキコと錆びついた金属が悲鳴を上げる音をかき消すように、互いに少しずつ声が大きくなる。
「前に話したダンジョン捜査課の刑事だよ。情報提供者のフリをすれば、なんとかシーナと接触できるかもしれない」
「刑事? そんなに上手くいくかしら」
次第に足が地面から離れていき、身体が独特な浮遊感のようなものを感じだしていく。
「その刑事はシーナと既に連絡が取れているような口ぶりだった。こうなったら、思いついたことは全部試してみるしかないだろ?」
「それもそうね」
最初はちぐはぐに揺れていた二つのブランコが、やがて振り子のようにゆっくりと時間をかけて重なり合う。
「でも、刑事は恐らくアルカのことも疑っているようだった。無実だとしてもこの状況を考えると尻尾を出すようなことは避けた方が賢明だろうな」
そして、揺れていたブランコは元の場所に収まるようにしてついに動きを止めた。
足が地面について、俺はその次を紡ぐ為に息を深く吸う。
「だから、シーナとは俺が一人で会った方がいいと思う」
俺がその言葉を発してしばらくの間は辺りを沈黙が包み込み、そよぐ風の音だけが響いていた。
閑静な住宅街とはいえ、まるで時が止まったようにあらゆる物音がぴたりと静まる。
「……わかった、あんたを信じるわ。簡単にはやられたりしないのもこの目で確かめたことだし」
少し間が空いてから、アルカが納得したように何度も頷きながら返事をした。
「シーナについては俺に任せてくれ」
「うん、そうする」
てっきりもう少し反対されるかと思いきや、アルカはあっさりと俺の提案をのんでくれた。
それはもちろん合理的な選択だからというのはあるだろうが、なんだか信頼して貰えているような反応にも思えた。
俺がこの期間に少しずつアルカへの評価を改めたように、アルカも俺のことを信じ初めているのかもしれない。
もしそうだとしたら、なんだか清々しいような良い気分だった。
「でも! もしも、何かトラブったりすることがあれば、すぐにあたしのことも頼りなさいよ?」
アルカはそう強く言い放ちながら、照れ隠しのように突然ブランコの立ち漕ぎを初める。
やがてブランコの角度はどんどん大きくなり、そのままアルカは大きく跳躍して綺麗に両足で地面に着地した。
小学生の頃に同級生とどこまで遠くへ飛べるかを競った記憶がふわりと蘇る。
それはとても懐かしい感覚だった。
「あたしだって、助けて貰ってばかりじゃなくて少しはあんたの役に立ちたいのよ」
「わかった」
その返事を聞いて、アルカは振り返り際に満足気ににっこりと笑う。
公園の芝生と青い空とアルカのその笑顔が、まるで一枚の絵画のようにやけに頭から離れなかった。
絶対に何事もなくこの事件を解決しなくちゃいけないな。