カーテンを開ける余裕も、閉じる余裕もない。
目が見えないときは意地でもカーテンを開けていたというのに、目が治った現在は、皮肉にも光が鬱陶しいと感じてしまうのだった。
外の光に頼って作業をしていると、太陽光のムラや、時間経過で暗くなってしまうことに無性に腹が立ってしまうのだ。
今は太陽光よりも、一定の光を確実に与えてくれる室内光のほうがいい。そうしたら、時間の感覚も忘れてしまえるから。
志真はカーテンを閉め切った自宅の客間で、一心にウルのコアを修理していた。
通信端末に何度も通話とメッセージが来ている。
先日行われたレースの事実確認をしたい、という内容なのは把握しているので、あえて無視をしていた。
相手としては志真と連絡が付かず、且つ学校で捕まえることも出来ないため、何とかコンタクトを取ろうとしつこくしているだけなのだが……志真には今、どうでもいいことだった。
「あー……死ぬ……」
頭の中に父親の象形文字が浮かんでは消えていく。
脳の使いすぎで頭が痛くなってきた。この場合、頭痛薬も効きやしない。そのうち頭が爆発してしまうのではないか、とすら思う。
志真は椅子の背もたれに体重をかけたのち、天を仰いで目を瞑った。
「これ、直るの……? もう直さなくていいものかもしれないけど……」
志真の問いに、誰も答えない。永遠に独り言だ。
当然だ。志真の母親は長期で家を空けており、志真の一人暮らしのようなものなのだから。
家に自分以外の誰かの声があるという事や、反応してくれる誰かがいるということ。それらは誰にでも与えられたありふれたものではないのだな、と志真は思った。
寂しくはない。だが、今は声が欲しい。
一人でいることに慣れる前が一番つらい。
志真は大きなため息をつきながら、目をあけた。
少しだけ気分転換が必要だ。頭が上手く動いていないと、いいことが思い浮かばない。
志真は客間を出て、飲み物を取りに階段を降りようとした。
「あ」
言わんこっちゃない。
足が空気を踏む感覚を再び味わうことになってしまった。
盛大な音を出しながら、志真は階段から転がり落ちる。痛みも、体をぶつける感覚もしっかり覚えている。数日前にまったく同じ体験をしたのだから。
とはいえ、目が見えている状態で足を踏み外すまで間抜けではなかったのだが。
志真はもぞもぞと寝返りをうって、天井を見つめる。
「……この後、あいつが現れたんだよな。なんて言って現れたんだっけ」
「はい。”お先真っ暗とは、まさにこのことですか”と言いながら、現れたのです」
そうだ。
あの日は朝だった。志真は寝起きということ、そして暗黒病により目が見えなかったこともあり、階段から落ちてしまった。
そこで聞いたのが、ウルの第一声だった。
「志真様はあの時、ウルのことを不審者だと言ったのです。まったく……失礼なのです!」
「仕方ないだろ。お前のような存在はこの時代にはないんだから。理解なんて出来るわけがない」
「いきなり掃除機のノズルで殴ってくるのもひどいのです」
「殺られる前に殺るのが一番だと思ったんだ。本気で怖かったし。それにさ――あれ?」
志真は一人暮らしの家の中で、会話が出来ていることに驚く。
一人しかいないというのに、誰が志真の言葉に反応してくれているのだろうか。
声のしたほうへ恐る恐る向き直ると――青い球体がふわふわと漂っているではないか。
「……ウル」
目をこすってみる。
志真の目は絶好調だ。ウルが治してくれたおかげで、ハッキリと見ることができている。
二日間共に戦った相棒が、目の前にいる。壊れたコアは修理中で、未だ起動できずにいたというのに。
「なんで?」
「戻ってきましたのです」
「いや。……コア、まだ壊れてるのに」
「そうなのですか? コアが起動したので、ウルはここにいるのですよ?」
にっこり。ウルはデフォルトの可愛らしい表情で笑った。
消える直前までのひとつ目の面影はどこにもない。
未来家系図が消失したから戻ったのか。それとも、嘉に全てを”返品”したことでひとつ目モードが解除されたのか。
起動しなおしたことで初期化されたのか。
「やっぱりまだ、お前のこと全然わからないよ」
志真はウルにつられて、少しだけ笑うのだった。
「無事にコアが起動したので、これでまた志真様と一緒にいられるのです」
「それはどうも――ん?」
ともあれ、戻ってきたということはまた志真と行動を続けるつもりなのだろうか。
志真はあおむけの状態から起き上がり、その場にあぐらをかきつつ聞いた。
「ていうか、嘉の件はもう終わったんだよね? お前は未来に戻らなくていいの? やることとかないの?」
修理しておいて言うのも変だとは思うが、一応聞く。
嘉の件で未来から来ていたのだから、解決したら元の場所に戻るのが普通なのではないか。
志真がそう問おうとした瞬間――
「お邪魔するわね」
突然、羽鳥が現れた。
大きなボストンバッグ数個とキャリーバッグ、というバックパッカーも顔負けな大荷物を持ちながら、玄関ドアを力いっぱい開け放ったのだ。
もちろん、インターホンは鳴らされていない。
「羽鳥!? お前、どうして……?」
先日のレースでは大変世話になったが、あの後勝手に運営の事務所から去っていったようで、まったく連絡が取れなかった。
頬に大きなガーゼがあてられており、スタート地点までの道中でのことが思い出された。
「げ、元気……してた……の?」
「ええ。とっても元気よ」
羽鳥は晴れ晴れとした表情で、にこりと話しかけてくる。
元気なのはよかったが、それにしても唐突になんだ。
「突然で悪いけど、今日からお世話になるわ」
「は?」
「あ、部屋は客間でいいから。この前、あんたがコアの修理してた部屋ね。家具とかは出来れば使わせてほしいけど、嫌ならしょうがないわ。新しく発注するから遠慮なく――」
「待って待って待って」
どうしてそうなる。
世話するつもりなんてこれっぽっちもないというのに、勝手に話を進めないでほしい。
「ウルもそうだけど、お前との関係も終わったはずだよね?」
「関係? 悪いけどそういうつもりないし、そもそも始まってもいないから終わったも何もない」
「いや、そういう色恋の話じゃなくて――」
さも当然かのように泊りに来た羽鳥においては、なんと聞いていいかわからない。
「家があるだろ。帰れよ」
ただでさえ皇家は父親が行方不明だったり、母親が帰って来てなかったり、息子が不登校だったりで諸々ご近所の噂の種になりやすい。
これ以上変な噂が立っても困るのだ。それに、羽鳥家のお嬢様を家に連れ込んでるとなれば悪口どころの騒ぎではない。
学校も、警察も、羽鳥家も動くことになりかねない。
「嫌。絶対に帰らない」
「また未来家系図のことでなんか言われたの? 知らないって言い張りなよ。ブツはもうないんだから」
「未来家系図のことはもういいの。それよりも、妙なことになってきてね」
羽鳥は溜息を吐きながら、嫌そうに言う。
「あんたと行動してるの、諸々探られたの」
「まぁ、うん。そうだろうね。調べるよね、そりゃ……」
「知ってると思うけど、うちの家って、あんたと私の縁談を望んでる」
「そうだね。未来家系図に書いてあったからね。ブツはもうないから確認出来ないけど」
「だから私、考えたの。私の地獄から、私が脱出する方法を」
物凄く嫌な予感がするので、相槌を打つのをためらう。
まぁ、羽鳥のことだ。志真が先を促さなくとも、強引に話を続けるのだろうが。
「私とあんたが一緒に住めば解決する」
「……」
目の前が真っ暗になった。
「あんたの子孫――嘉は私を攻撃出来ないって、前に言ったわよね。羽鳥家もね、あんたのことは攻撃できないのよ。大切な一人娘の”お相手”だから」
「攻撃は前にしてきたじゃん。追いかけられた」
「バカね。あれは私に対してであって、あんたに対してじゃない」
やれやれ、と言わんばかりに羽鳥は肩をすくめた。
理解力のないやつ扱いされて、志真は少々カチンとくる。
「私がここに住めば、私は大嫌いな羽鳥家から逃れることが出来る。羽鳥家からしても、あんたと一緒にいることには異論ないっていうか、むしろ一緒に暮らしてくださいって感じなのよ。それに、これからまた嘉が何かしてきたとしても、私がいればあんたは危険な目には遭わない。あんたにも利がある話だと思うけど。少しの間、同盟を組みましょ」
「嫌だ。お互いに利があるなんて認めない」
「何言ってるの。利害の一致。ありまくりでしょ」
認めないとは言ったものの……確かに利はある。
羽鳥の言いたいこともわかる。羽鳥家との仲はかなり悪そうだし、頼れる人間が志真しかいないというのもわかる。
だが、これは同意していいものなのだろうか。諸々の問題、全て含めて。
「というか、嘉だよ。ウル、嘉はもう僕に攻撃してこないんだよね?」
志真は希望を求めるように、ウルに視線をやった。
嘉がもう襲ってこないとなれば、断る理由になるだろう。
志真はその思いも込めて質問をしたが、ウルは困った表情になった。
「それはわかりません。テンマ様が前に言っていたように、ご主人様はしつこいのです。何度も志真様を襲う可能性はあるのです。なのでウルも心残りで……。はっ! もしかしたらその心残りがコアを起動させたのかもしれません」
「そんないい加減な起動があってたまるか」
どいつもこいつも、全責任を志真に押し付ける。
そして、どれもこれも、まだまだ問題がありそうだ。
志真は頭を抱えた。
終わったと思っていた諸々の件は、まだ終っていないらしい。
「はぁ~……嘘だろ」
大きなため息を吐く。
一旦落ち着こう。冷静に考えられる状態ではない。
そう言う前に、ウルは「お茶を淹れるのです」とダイニングへ行ってしまった。
またどうせ、淹れ終わったらしつこく呼びに来るのだろう。今度は不審者扱いもしないし、掃除機ノズルで攻撃するだなんて馬鹿げたことはしないけれど。
「よろしくね。皇志真」
むしろ羽鳥のほうが不審者に近い。
未だに許可していないというのに、家に住み着く気満々でいるのだから。
志真は頭をガリガリとかいて、
「僕の未来、これでよかったのかな」
と首を傾げた。
決められたレールを走らないと、こういうことが起きる。
予期せぬトラブル、イレギュラーな対応、順応力。生きていくには様々な能力が必要だ。人は常に何かが足りないからこそ転んでしまうし、コースアウトもする。
人々は常に不安な気持ちを抱えている。だから、レールを欲しがる。確実に生きていける道を探そうとする。
「……よかったんだろうな。この未来で」
だが、志真は不思議と、まったく後悔していない。
自分自身でつかみ取った、まばゆい未来だ。
「何ブツブツ独り言言ってるの?」
「なんでもない」
志真は立ち上がる。
おそらくこれは一次的な感情で、先のことなど全く考えていない若造が、根拠のない自信で無責任な発言をするにすぎないのかもしれないが。
「誰でも、どんな敵でも。かかって来いって感じ」
志真はそう言って、リビングのドアを開けた。
窓から立体光コースが見える。今日もどこかのチームが、スカイバイクレースをしている。