「ていうか、シーマさんは次からレースに出てくれるんですよね?」
テンマに話を振られて、志真は食い気味に返した。
「出ないって選択肢ある?」
「そうっすよね。よかった~。これからメビウス、なんとしても挽回したいところだったんで、シーマさんが復帰してくれるの本当にありがたいっす」
「……ああ、今年の成績、悪いもんね」
そう言うと、全員が深く頷いた。
スカイバイクは単体で勝敗が決まるが、一年間のシーズンでランキングが出る。
単体レースで応援するもよし、シーズンを通して応援するもよし。各々好きに盛り上がっている。
メビウスの成績は基本的にいい……のだが、今年はなんというか、驚くほどよくなかった。
「誰かが致命的な走りするから……」
羽鳥がぼそりという。
なんだと。
羽鳥の発言にムッとしながらも、志真は黙って睨むに留めた。
確かにあの日――志真が事故を起こした試合は、何事もなければ勝てた。試合内容自体はとてもよかったのだから。
「おい羽鳥。やめろよ。シーズン通しての成績はシーマさんのせいじゃねえよ」
「ええ、そうね。でも観客視点ではそう見えるって言いたかっただけ。シーマがきっかけで、その後の成績はボロボロ。どう考えてもあの日のシーマがチームの成績を落とす原因になった。そう思われてもおかしくはないわ」
テンマが庇ってくれるが、羽鳥の意見は一理ある。ファンからは本当にそう思われているかもしれない。
というか、先程の会話で少々素を出し過ぎてしまったせいか、羽鳥の機嫌が若干悪くなってしまっている。
「チームへの復帰は良いとして、成績を落とした”きっかけ”が頑張ってくれないとね。メビウスのヒーローなんだから」
うむ……気のせいではない。確実に機嫌が悪いな。
自分で発言した内容とはいえ、少々言いすぎたかもしれない、と志真は思う。
「成績は責任もって上げるよ。復帰したからには何とかする。落とした成績以上の貢献をしてみせる」
羽鳥のいう通り、きっかけは志真にある、とは志真自身も思っている。
今後のチーム全体に関わる問題だ。志真がチームに宣言すると、ほんの少しだけ、空気が和らいだ。
そこに、大きな音が数回鳴る。福祭恒例の、大花火の音だ。
「まぁ、なんにせよ次のレースを待つしかない。それまでは気楽にいこう。それより、今は祭りだ。ちゃんと楽しんで来いよ」
ゲンの号令により、メビウスの緊急ミーティングはお開きとなった。
なんだかんだ言って志真はメビウスに戻れるようだし、これからのレースにも出場させてもらえるようだ。本当によかった。
人生は意外に上手いことできているのかもしれない。そんなことを思いつつドアへ足を向けると、ゲンに呼び止められる。
「その子、送って行ってやれよ。知り合いなんだろ?」
「げっ……」
前言撤回。人生なんて上手くいかない。
レーサーに復帰できたところまでは、本当についていると思ったのに。
◆◆◆
「あのさ、警察行かなくて良かったの? 仮にも攫われかけたんでしょ」
「いい。どうせ相手にしてくれないし、家がもみ消すと思うから」
福祭の喧騒を遠くに聞きながら、二人は羽鳥の家を目指して歩いていた。
羽鳥家のお嬢様ともなれば、呼べば車を出してもらえるだろうに……、と思うが、羽鳥はそうしようとしない。
頑なに歩いて帰ると言い張るので、仕方なく付き合う羽目になった。
「もみ消すって……羽鳥家って変な家だな」
「本当にね」
そんな変な家の変なお嬢様にもかかわりたくないのだが、ゲンに頼まれているので放って帰るわけにはいかない。
福祭で混みやすい道を避けつつ、そして人がまったくいない道も避けつつ、羽鳥家まで歩く。
夕日は少しずつ群青に変わりつつあった。ぽつぽつと家の光が目立ち始めている。もうすぐ、夜になる。
志真は少しずつ、寒さを感じ始めていた。
昼間はスカイバイクが出来るという思いだけで部屋着同然でコースに乗ってしまったのだが、その状態で家まで帰ることを考えていなかった。
「寒……」
指先が特に冷える。
寒さで鈍くなりかけた指を使い、通信端末機を操作する。
「……歩きながら端末使うの、よくないわ」
「うるさいな。……今回、無効になったレースが明日開催しなおすって連絡が入った。そういう情報はさっさと知りたいだろ」
「スカイバイクのことばっかりなのね」
「だってそれ以外に楽しいことなんかないだろ」
――人生において。
そこまで言おうとしたが、やめておいた。
いちスカイバイクバカとしては、そう思っている、というだけだ。人には人の好きなことがある。否定するつもりはない。
羽鳥はまっすぐ前を向いて、「ふぅん」と言った。
「ま、勝てるといいわね」
「勝つさ。僕が出るなら、必ずね」
勝つ、と簡単に言ったつもりはない。
今回の自身の走りと、立体光コースを走った感覚で、いけると判断した。
数か月もバイクに乗っていなければ感覚を取り戻すのに時間がかかるかと思っていた。
だが今回走ってみて、現役並みに走ることが出来たと思っている。まだ、志真はスカイバイクという競技において”使い物になる”――そう思ったのだ。
「明日、家の窓からメビウスの走りを見なよ。最高の試合が見れるはずだから」
羽鳥は志真の言葉に数秒間を取ってから、
「そうね」
と言った。肯定か否定かはわからなかった。
そこに、複数の足音が聞こえてくる。
祭りに向かう人の足音かと思ったが、違う。こちらに向かって走って来ている。
――危ないかもしれない。
そう思ったときにはもう遅く、志真と羽鳥は囲まれてしまうのだった。
ぴしっとスーツがきまっている男たちが数名。その背後には、品の悪そうな若者たち。どうにもミスマッチで判断が鈍る。
この男たちは一体何者なんだ?
志真が疑問に思っていると、羽鳥が一歩前へ出た。
「見つかったの? 未来家系図」
「いえ……」
「何その目。まだ私が盗ったって言い張りたいの? 証拠はどこよ。そんなに私のせいにしたいならすれば? それでさっさと殺せばいいじゃない!」
なんだって?
物騒な話になってきた。
先程までの羽鳥はそこそこ冷静だった。志真に対しても、メビウスのメンバーに対しても。
だが、今の羽鳥は感情むき出しで話している。
何かがあったのだろうか。それとも、男たちとの関係性によるものだろうか。
羽鳥と男たち。お互いに顔見知りのように見えるため、どう動いていいのかわからない。羽鳥と男たちとのやり取りを眺めていると、急に羽鳥が志真の腕をつかんだ。
「おい」
「行くわよ」
ていうか、握力強くない? 痛いのだが。
文句を言おうとしたが、力強くどんどん進んでいく羽鳥に引っ張られて何も言えない。
そのうち走り出すものだから、志真はさらに何も言えなくなってしまった。
「ちょっと、止まれって」
「あいつらが追ってくるんだもん! 逃げるしかないでしょ」
「逃げるならお前だけ逃げろよ……」
そう呟くと、ギロリと睨まれてしまった。怖い。
後ろを見ると、男たちが物凄い形相で追って来ている。
穏便に話ができる状況ではない、というのは志真でもわかった。そして、無理矢理巻き込まれてしまったことも。
「あーもう。くそ、仕方ないな」
今はとにかく、男たちをどうにかしたほうがいいだろう。
志真は羽鳥の腕を掴み、細い路地へと逃げ込んだ。
元々人通りの少ない路地だ。今日は祭りがあるせいか、通行人はまったくいなかった。
……非常に、やりやすい。
「ウル!」
「はいなのです!」
元気に姿を現したウルは、志真たちと男たちとを分断するように間に入った。
そして――
「電撃ごめんなのです!」
バチバチと派手な電撃を放ち、男たちを気絶させた。
「……え」
もうちょっとマイルドな方法、なかったか?
男たちが起きた暁にチクられでもすれば、志真の命が危うくなるではないか。
「大丈夫なのです! ”立体光”が自分の意思で電撃を放っただなんて、誰も信じないのです」
うむ。確かに。考えてみれば、それはそう。
時折ぴくぴくと痙攣している男たちを放置し、志真と羽鳥とウルは別の安全そうな場所へ向かった。
◆◆◆
とはいえ、綺真島で行けるところは限られている。
街から少しはずれたところにある公園に着いた頃には、空には星が見え始めていた。
「……あいつら、何?」
「羽鳥家の連中よ」
……マジか。
羽鳥がしれっと言い放つのに内心腹を立てながら、志真は質問を続けた。
「何でお前が羽鳥の人たちから逃げてるの。身内なのに」
「私が羽鳥家の宝物を盗んだって疑いをかけられたから。違うって言っても信じてくれないの。本当に誰も信じてくれなかった」
家の宝を盗んだことで、羽鳥家総出で一人娘を捕まえようとしている、らしい。
それだけを聞けば、結構ひどい話だと思う。
なんて言葉をかけようか、そう考えていると、更に疑問が浮かんだ。
「僕はレース中にお前を助けたけど、あの男たちって……」
「うちの使用人よ」
羽鳥はけろりとして言いのけた。
ああなるほど。どうりで警察を呼びたがらないし、家がもみ消すなどと言っていたわけだ。
合点が言った志真は、額を押さえて深い溜息を吐いた。
「助けなきゃよかった」
打算だけで行動するものではない。とんでもないことになるようだ。
「あの時、私は一人で買い物をしていたんだけど、途中であいつらに見つかって車に戻されたの。車の中で盗った盗ってないの言い合いになって、腹が立ったから運転手を後ろから殴って気絶させたから――」
「そりゃ縛られるし、車内から引きずり出されるね」
よく事故らず停車出来たものだ。
「あ、言っておくけど。あなたに被害は行かないから安心して。あの場面だけ見ると完全に誘拐だから、勘違いされて当然よ。それに羽鳥家は皇博士を尊敬してるの。博士の息子とトラブルになりたくない」
「それはどうも。マジでもう僕と関わらないで。本当に」
頭をガシガシとかいて、志真はうなだれた。
羽鳥家という大きな存在に睨まれれば、志真のスカイバイクライフはいとも簡単に壊されてしまう。
羽鳥の言うようにポジティブ解釈してくれて「お咎めなし」といきたいところだが、果たしてどうなのか。
志真の知るところではないし、志真がどうにか出来ることでもない。
「……で、その羽鳥家の宝とやらは、どこに行ったの? 手掛かりもつかめてない感じ?」
羽鳥家のご機嫌取り、というわけではないが、その宝とやらを取り戻す手助けでもすれば許されるだろうか。
志真が聞くと、羽鳥はポケットから折りたたんだ紙を取り出し、
「ここにあるわ」
と言った。
「は?」
「私、何年もかけて盗み出す計画を立ててたの。今こうやって、無事に盗めて、本当に嬉しい」
「盗ってないって言ったじゃん」
「あいつらにはそう言ったってだけ。証言と事実は違うのよ」
落ち着け。落ち着くんだ皇志真。
混乱した頭を沈めて、端的な言葉をつむぎ出せ。そこに感情はいらない。
「つまり僕は、お前の盗みの片棒を担いだってこと?」
「そういうことになるわね」
こいつ……こいつ……!
なんとも腹が立つ話だが、羽鳥は
「でも、打算で私を助けた人が怒ることないわよね」
と言った。
それはそう。その通り。ぐうの音も出ない。
「さっさと死ねばいいのに」
悔しまぎれの恨み言は、羽鳥には効かなかった。でしょうね。
羽鳥は宝――折りたたんだ紙を志真に渡した。
宝に触れていいものかと迷ったが、羽鳥は気にしていないようなので紙を開いてゆく。
「これ、未来家系図って言うんだって。……羽鳥家はこのとおりに子孫を残して、家を次に繋げてる」
紙には人の名前がびっしりと書かれていた。
羽鳥の名前も載っており、両親らしき人の名前も当然そこに書かれている。
「未来家系図……。聞いたことない」
「大きな家しか持ってないもの」
「すいませんね、うちは庶民なもんで」
コースアウトしたスカイバイクレーサーに突っ込まれて破壊される程度の家にしか住んでませんよ。
志真は家系図に視線を戻す。
「これのとおりにしなかったらなにが起こるの?」
「家が繋がらない。子孫が生まれなかったり、財産を失って没落したり。……だから、結構この家系図は大事で、みんな家系図通りにしようと必死になる」
「あー……。じゃあお前は、そんな決められた人生が嫌だってことで盗んだわけか」
「そう。私は私。羽鳥家のために生きてるわけじゃないから。羽鳥家の決めたレールの上を黙って歩いて死ぬなんて、まっぴらゴメンだわ」
人生を決められたくない、という気持ちは痛いほどわかる。
何不自由なく生きているお嬢様でもそういうことを思うのか、と新鮮ではあったが、よく考えてみれば同じ人間でそれぞれ意思があり、当然やりたいことがある。
自分の大切な人生のために、邪魔な家系図を盗んで消してしまおうと思う気持ちは理解できた。
……仕方ない。少しだけ、協力してやろう。
「家系図がいらないっていうなら、処分するの手伝ってやろうか」
本来ならこんなこと、絶対に言わない。
志真はスカイバイクに人生を捧げている。無駄なことに首を突っ込んだことで、レーサーでいられなくなるかもしれないと怖くなるタイプなので、基本的に人に関わらないように生きている。
だが、今回に限っては、すんなりと「羽鳥に協力する」という選択肢を取った。
羽鳥の気持ちがわかってしまったからなのかもしれない。人の気持ちは難しい。
「さっさと燃やして終わりにしよう」
「燃えなかったのよ。何故か」
「じゃあ細かく破いて捨てれば?」
「破けないのよ」
志真が家系図を破こうとすると、不思議なことに、まったく破れなかった。
思い切り力を込めても、破れない。
不思議に思って紙を凝視し、そこでまた驚く。
羽鳥によって小さく折りたたまれていたというのに、折り目ひとつついていないではないか。
「私が今の今まで持っていたのはそのせい。処分できなかったの」
「……埋めれば?」
「ええ、そのつもりだったわ。学校サボって埋める道具を買いに行ったら、あいつらに捕まったの」
なるほど。やっと話が繋がった。
「ねぇ。この家系図、あなたが預かっててくれない?」
「なんで」
「もうこんな時間でしょ。私はもう家に帰らなきゃいけない。……持ってたら、まずいのよ」
羽鳥は志真の目を見て言う。
「持って帰ったら、私が犯人だってわかってしまう。確実に殺されるわ」
「いや、大事な一人娘を殺すわけないだろ。説教はされるだろうけど……」
「バカね。羽鳥家なら、やるの」
強い口調に何も言えなくなってしまう。
殺される、という発言が本当の意味かはわからない。
だが、未来家系図通りに物事を進めたくて必死になる家だ。羽鳥が思わず「殺される」と思う程度には、厳しい罰が待っているのかもしれない。
志真が想像出来ない何かがあるのだろう。
「マジで面倒くさいんだけど」
羽鳥も。断り切れない自分にも。
やけくそで頷くと、羽鳥は深く息を吐いた。ほっとしたようだ。
「言っとくけど、預かるだけだから」
「ええ、それでいいわ。出来るだけ早くそれを処分する」
「そうしてくれ。僕も暇じゃない」
羽鳥と約束し、家系図を折りたたもうとする。
――そこで、志真は初めて、羽鳥以外の人間の名前をよく見るのだった。
とても見覚えのある名前が書かれており、めまいがした。……そして目がチカチカした。レース中に感じた闇の臭いが、微かに蘇る。
「……あのさ」
「なに?」
「……お前の横に書かれてる名前って、お前の未来の結婚相手ってこと、だよね?」
「そうね」
「どうして僕の名前なの」
そこで、志真はウルの言葉を思い出す。
『志真様のこれからの人生はですね。原因不明の目の病気でスカイバイクを引退し、生き甲斐をなくして腑抜けになったタイミングで来た縁談に流されるまま乗ってしまい、好きでもない相手と結婚したはいいものの、スカイバイクが忘れられずに精神を病んで死ぬ、といったものなのです』
……確かにウルは、そう言った。
と、いうことは――
「僕の縁談相手って、お前……?」
羽鳥はよくわからない、といった具合に、首を傾げた。