急いで階段を駆け上がると、志真の部屋が木っ端微塵に吹き飛ばされていた。
というか、えぐられていた。
「なんで!」
日差しがよく入る大きな窓は割られ、物は散乱。窓の反対側にあったドアは面影すらなく、ただの大穴となっていた。
そして、その大穴から廊下をはさんで反対側にある客間のドアは、稼働方向とは逆に破られている。
恐らく何かが窓から入ってきて、志真のドアと客間のドアを突き破ったのだとは思うが、これは、だめだ……。
「怒られる……」
研究者だった志真の父が家で似たような爆発を起こすたび、母が激怒していたことを思い出す。
謝る父と、怒り狂う母。当時幼かった志真はその様をただ見ていたわけだが、自分がまさか父側の立場になるだなんて思っていなかった。
この惨状は自分がやらかしたものではないが、その言い訳が母に通じるのかどうか……。
志真は頭を抱えたくなる。
「うわぁ~……」
「志真様、これは……?」
志真のあとを追って来たウルとテンマが惨状に引いている。
志真も二人のように引いていたいが、そうも言っていられない。
一体どこのどいつがこんなひどいことをやったのか。絶対に許さん。……と、壊された客間に入ると、見慣れたバイクが横たわっていた。
メビウスのバイクは黒と金色のカラーリングだ。志真のバイクも基本的には同じデザインをしている。
ライダーは一目でわかるように、バイクやヘルメットをチームカラーにすることが多い。
それが転がっているということは、メビウスのライダーで間違いない。
「ユウキ!?」
そうして、黒と金のバイクには、プラスでオレンジのカラーが入っていた。
オレンジはライダーカラーで、各々ライダーに割り振られた色となる。
メビウスのオレンジはユウキという青年のものだ。
つまり、ユウキが志真の家に突撃し、部屋をぶっ壊したことになる。
「ユウキ! 大丈夫!? 何があった!? っていうか、生きてる!?」
横たわったバイクから少し離れて、小柄なライダーが倒れていた。
ヘルメットは脱げていないので、最悪の状態は免れたのだと思いたい。
危険な競技ゆえ、ヘルメットやライダースーツにはかなりのショック吸収素材を使ってはいるものの、それでも怪我はする。
ヘルメットを脱がせると、オレンジ色のふわふわとした髪が現れた。頬を軽く叩く。
ユウキは眉間にしわを寄せ、ぐったりとしている。どこか怪我をしているのかもしれない。
救急車、と考えたところで、どこからともなく青白い光が現れた。その光はみるみるユウキを包み込み、溶けていった。
するとどうだろう。苦しそうだったユウキの顔が、とても穏やかになった。もちろん呼吸はしているし、血色もいい。
「出血と骨折、打撲や切り傷が見つかりましたので、治療をしたのです」
ウルは冷静に、そう言った。
医療用のSLPなら、そして志真の目を治したのなら、このような治療はおそらく、簡単に出来る。
ライダースーツの前を開けて楽にさせると、ユウキはすぐに目を覚ました。人形のような大きな瞳が、パチパチと瞬きをする。
よかった。痛いところはないだろうか。あるのならすぐにウルに治してもらおう。
ホッと息を吐くのに対し、人形のような目は鋭く志真を睨んだ。
そしていきなり胸倉をつかみ「見えてるじゃん!」と言って、泣いた。
志真はテンマと顔を合わせ、首を傾げる。
「ユウキ、なんか食べる?」
「甘いものありますよ。ゲンさんの作った変なデザートも。水が欲しけりゃ言ってくれれば――」
メビウス最年少、十五歳のユウキはすぐに泣く。
試合で負けると必ず泣くし、カレーが辛くてもうどんが熱くても泣く。
志真が視力を失ったレースでは、一週間泣き続けた、らしい。
「スカイバイクバカのくせに人間らしい生活送らないでよ、バカ!!」
そして時々、理不尽にキレる。
今回もまた解せないことを言っているなぁ、と思いつつ、志真はどうどう、と背中をさすってあやすのだった。
「何言ってるんすか。シーマさんが人間らしい生活送れてるわけないじゃないすか」
「そうなのです。お部屋だけじゃなく家中がぐちゃぐちゃなのです。人間が住める家じゃないのです」
お前らあとでわかってるだろうな。
ウルとテンマが口をはさんで邪魔をするので、睨んで黙らせた。
ユウキは志真の肩口に顔をうずめてギャンギャン泣き出す。この状態で変に慰めると更に泣くのは経験上わかっている。
頭をポンポンと叩きながら、「はいはいごめんね」と謝った。人間らしい生活を送っていてごめん。そんな生活、送ったつもりはないのだけれど。
何故だか知らないが、スカイバイクバカはとても罪深いことをしてしまったらしい。
「今日のお祭りで新コースお披露目っていうから! 新コースはスピードレーサー向きだっていうから! 見てもらおうと、思って……見れなくても、音だけでもっで、思っでっ……ぼくはっ……うわああん!」
ユウキは何を言っているのだろうか。
そう、思っていると、テンマがフォローをする。
「ユウキは、シーマさんが家に引きこもってるって聞いて、少しでも元気づけたいって色々考えてたんすよ」
「う、ぐずっ……今の、引きこもり状態ならっ、闇落ちしてヤバいやつと、関わっででも、……おかじぐない、てっ……! テンマがぁ~……!」
お前か。
再びテンマを見ると、あからさまに目をそらして口笛を吹いた。
「デマを流すな」
「いや、気落ちしてまともな生活送ってなかったのは事実でしょう? それに目のこともあって不自由でしょうし。そういうやつは自暴自棄になってヤバいことに手を出すかもって思っただけっす。あと俺は”そうなるかもしれない”、って言っただけで、”そうなってる”とは言ってないす」
「でもお前は、僕が気落ちしたらヤバいやつと関わりそうな人間だと思ってたわけだ」
「何かに特化した人間は、それを奪われたら人類最弱なんすよ」
「ふざけるな。僕は変なやつと変なことするくらいなら、スカイバイクと心中するね。それが僕にとっての両想いハッピーエンドだ」
「スカイバイクさんの気持ちも考えて……いや、なんでもないっす」
気落ちしすぎて人のことを考えていなかったが、改めて、自身が引きこもりすぎていたことに気が付く。
未だ仲間が自分のことを思ってくれていたことに気が付かなかった。それに関しては、申し訳なく思う。
「ユウキ。ライダー姿ってことは、もうレース始まってるんすか?」
「うん。今日は福祭りだから昼からやるんだって。立体光は夜の方が綺麗だけど、お祭りのピークが夜だから避けるって言ってた……」
目と鼻の頭を赤くしながら、すんすんと鼻をすすりつつユウキは言った。
祭りの日などの大きなイベントの日は、事故を避けるために時間をずらすことが多かった。
福祭りは綺真島の一番大きな祭りだ。なので島民のほとんどが外に出る。
そうなると、ただでさえ混みあう街中に、スカイバイクレース目的の観客が更に道に集まることになり、色々と危ない。
それにスカイバイクレーサーも綺真島の島民だ。
プライベートでゆっくり祭りを楽しみたいというレーサーも多いので、基本的に祭りの日を避けるか時間をずらすかのどちらかの対応がされている。
「新コースのお披露目でしょ? わざわざ今日にぶつけなくてもよくない? コースの話題が祭りの話題で潰されるし、祭り優先する人も多いだろ」
「うん。運営も最初はぶつけるつもりなかったみたい。でも、プログラムの不具合かなんかで今日、対戦が組まれてたみたいで。観客も集まり初めてたから、結局やることになったんだって」
スカイバイクレース自体もバグが多くて不安定だが、それを企画する運営チームもまだまだ未熟だ。
スケジュール調整などのミス・ブッキングもたまに起こる。もちろん、プログラムの不具合なんて日常茶飯事だ。
「だから、スケジュール調整してなんとかレースに出てたのにさ……。なんで……なんで……」
あ、これはまた泣くぞ。
誰もがそう思ったわけだが、
「なんでコースから人が出てくるわけ!? わけわかんない!」
ユウキの言葉に耳を疑った。
立体光のコースから、人が出てくる、だって……?
「こっちはスピード出てるのに止まれるわけないじゃん! 信じらんない! 障害物レースならテクニックレーサーでしょ!?」
ユウキは志真の服を掴んでゆさゆさと揺さぶって怒っているが……。
はて、何を言っているのだ。
テンマが志真の部屋に行き、割れた窓から外を見る。そして、息をのんだ。
「人だ」
志真とウルも急いで外を見る。
上空には陽の光に当てられて半透明のスカイバイクコースがかかっていた。直線が多く、スピードが出しやすそうだ。
夜になったらどんな鮮やかな光になるのだろう、と、思わずわくわくしてしまう。
「スカイバイクだ……コースだ……」
話の流れを折ってしまうのだが、志真はそう思わずにはいられなかった。
数か月ぶりに見た、愛してやまないスカイバイクのコース。
志真はコースを再び見ることが出来た喜びで、上手く言葉を出せない。
「ね? 人、いるでしょ?」
ユウキが窓に近づき、言う。
「シマ君が知ってる立体光コースの形じゃないでしょ?」
どんなコースでも、この目で見られて満足です。と言いたいところではあったが、異常はわかる。
空に出現した立体光コース上を、人の形をした何かが動き回っているではないか。
その人型は、生身の人間ではない。コースと同じ色で発光している。つまりコースの一部で、立体光だ。
そして、人型の出現するタイミングでまっすぐな立体光コースがぐにゃりぐにゃりと曲がっていた。
「あの人型もコースの一部なんじゃないの?」
何でもアリのスカイバイクレースは、たまにトンチキなコースを出す。というか、結構出す。
スピードコースだと言って、障害物盛りだくさんのコースを出したとても、さほど驚かない。……苦情は出るだろうが。
「違う! そんな情報貰ってないよ。レーサーに共有された設計図には書かれてなかったもん」
ふむ。
運営がレーサーに共有する資料に記載がないのなら、コースではないのだろう。
運営が意図的に嘘情報を流すとは思えなかった。だが今まで通り、運営のミスという可能性も、なくはない。
運営とは言っているが、レーサー同様、素人の集まりだ。
立体光コースを管理・運営するアマチュア団体がいて、レースの指揮もその運営が取っている。コースを設計するのは運営内のエンジニアだ。
素人集団なので、完全に統制が取れているとは言い難い。過去には設計ミスのコースを出してしまうなどのトラブルもあった。
最近は初期に比べて随分とマシになってきてはいるが、それでもミスはある。
なんにせよ、今は何かを判断できる状態ではない。
志真はそう結論付けた。
「まぁ、素人軍団だけど、原因は調べてくれる。それを待つしかないね」
志真がそう言うと、ユウキが志真ををじっと見つめる。
どうしたのか、と聞こうとした志真だったが――
「ねぇ。シマ君。僕の代わりに、レース出てくれない?」
という発言に、ユウキを見る。
「なんだって?」
「僕が戻るより、シマ君が戻ったほうがずっといいよ」
「ちょっと待ってください、シーマさん。これは無効試合だと思いますよ。走るだけ無駄ってやつです」
ユウキの提案に、テンマが反論した。
想定外の動きをしているのなら試合にはなりはしないだろう、というのがテンマの主張だ。
スカイバイクレーサーは、トンチキ運営だからこそ、今まで散々勉強させられてきている。
長年やってきているレーサーは肌感覚でわかる。そして、観客も。
つまり、今のところ「走っても無駄」「頑張っても無駄」のゴミレースだ、というのがテンマの意見だった。
過去の設計ミスのコースも、結局全部、無効試合になっている。
テンマはそのデータをすらすらと並べ立て、走らないほうがいい、と言う。
だが、
「走るよ」
「え」
志真は、自分でも驚くほどすぐに答えを出した。
驚くテンマの後ろで、ユウキが大喜びしている。
「待って。シーマさん、本気っすか」
「もちろん。この部屋、誰も使ってない客間なんだ。二人はここでゆっくりしてなよ。ウルはユウキの介抱してあげて。怪我の痛みが後から来たら大変だし」
ウルとテンマに指示を出してから、志真はちらりとユウキのヘルメットを見た。
今、チームとインカム接続できているのはユウキのものだけだ。
そのヘルメットを無言で持つと、テンマは何か言いたげにこちらを見る。
「なんだよ」
「いや、別に。必死になって止めるべきか、見なかったことにすべきか迷ったっていうか。シーマさんだって目、治ったばかりでしょう?」
「そうだよ。だからこそ、天下のシーマ様を応援すべきだ。必死でね」
「途中で目がまた見えなくなったらどうするんですか?」
「知らない。今は走れればそれでいい」
テンマの深いため息が聞こえた。
志真はユウキのヘルメットをかぶり、
「これはお披露目さ。”シーマ”が復活したってことを、みんなに知ってもらわないとね」
と言った。
走って車庫へ行く。
車庫の中で眠っていたのはもちろん、志真の愛車だ。カバーを外すと車体がピカピカ輝いている。
目の調子がいいときに出来る限りのメンテナンスはしていた。もう乗れないとわかっていながらも、バイクを触ることをやめなかった。
よかった。心の底で、まだ諦めていなくて。
「はぁ……僕もう、死んでもいいや……」
再びバイクに乗れるなんて。
ライダーとして、立体光コースを走れるなんて。
じんわりと目の奥が熱くなった。
「あの、シーマさん? 一応止めますけど、危ないですって。ユウキみたいにあの人型に当たったらぶっ飛ばされますよ」
「そうだね。ぶっ飛ばされてから考えるよ」
「まじすか……。つうか、ここからどうやってコースに乗るんです? トレーラーもないし。乗れそうなビル探してる時間ないっすよ」
「テンマはいちいちうるさいよ! シマ君の邪魔しないで!」
「いや、俺は普通に問題点を話してるだけなんすけど……」
志真を追いかけてきた二人は、それぞれ応援と反論を口にする。
テンマの問いに対して志真は、そういえば何も考えていなかったな、と思う。
走りたい、という気持ちが先行しすぎてしまったようだ。
皇家のぶっ壊れた二階から助走を付けて飛び乗る、ということが出来たらいいのだが、高さや距離的に無理そうだ。
「それなら、お任せくださいなのです!」
そこで名乗り出たのはウルだった。
ウルは自身の体から電磁波のようなものを出す。
ビリビリだかバリバリだかの音が聞こえると、周囲の物がカタカタと揺れ始める。
そのうち車庫の壁という壁が外れる。もちろん天井もだ。車庫はなくなり、車庫の壁だったものは数枚の板になり、その数枚の板は連結し、とても簡易的ではあるが、真っ直ぐの「道」になった。
その「道」は空へ――スカイバイクコースへと向かっている。
「行ってらっしゃいませ。志真様」
驚く志真たちに、ウルはニコニコと笑っている。
車庫を壊すだなんて、確実に母親に殺されるだろうが。だが、もうそれでいい。殺されたってかまわない。
「ありがとう」
志真は愛車のエンジンを入れ、ヘルメットをかぶりなおす。
そうして勢いよく、グリップをまわした。