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第28話 魔王因子

 そこは、先程オレ達が攻略したブラックゲートと似たような構造になっていた。

 大理石の床に壁側には何かの像が立ち並んでいた。魔鉱石の青白い光が周囲を照らし、一見すると厳かな空気が流れているが、床に散乱する肉片が禍々しさを浮き立たせていた。そして、共通するのが一本道ということ。この先にボスの間がある。つまり、千呪同様の黒き魔人とやらがこの先の大広間に控えているんだろう。


 肉片はまるで道標のように先に続いていた。いや、恐らくはこの先から逃げ出したハンター達が次々と追いつかれ、そこで食い殺された痕なのだろう。見た感じ、恐怖のあまりなりふり構わず出口に向かって殺到したのだろう。だが、逃げ延びたのは先程、オレ達に敗北を伝えた後、絶命したB級ハンターただ一人。それ以外は出口に到達するまでもなく、敵によって捕食されてしまったのだろう。


 魔王門〈ゲート〉に突入したハンターはB級とC級を合わせて50名程度。この戦力ならば、災害級〈ドラゴン〉の魔王門〈ゲート〉でもここまで蹂躙されることはないだろう。いったん退却して態勢を立て直すことくらいは出来たはずだ。


 となると、ブラックゲートの攻略難度は災害級を遥かに超えていることになる。ならば、最低でもA級、いや、S級ハンターを5名も抱えている国内最強の『神威ギルド』くらいしかブラックゲートに対抗することは不可能だろう。


 そんな戦力計算をしているのに、オレは先程、レラを置いて一人でブラックゲートを攻略するなんて大言壮語を吐いてしまった。最弱最底辺のハンターを自覚しているオレがである。

 本当に情けないことだが、幼い愛弟子がついてきてくれて本当に良かった。


「何の気配もしませんね。逆にそれが不気味というか」


 レラは周囲を警戒しながら、注意を前方に向けて先を進んでいた。


「千呪、ここのブラックゲートにいる黒き魔人が誰なのか心当たりはあるか?」


「残念ながら分からない……と言いたいところでしたけれども、この下品な食事の痕で一目で分かりましたわ」


 オレの一歩前を歩く千呪はふう、と呆れたように嘆息する。


「何か情報があれば教えてくれないか?」


 また機密事項がどうとか言い出さないだろうな? お願いだからそれくらい教えてくれ。


「悪食王の二つ名を持つ餓鬼の亜種ですわ。魔力と知恵を得た餓鬼が魔人に存在。もし間違っても外の世界に出ようものなら、人類は一週間とかからず奴の餌食になってしまうでしょうね」


 千呪は振り向くと引きつった笑みを口元に浮かべながらそう言った。


「千呪より質が悪いな。いや、同じくらいか」


「ちょっと主様! それは聞き捨てなりませんわね。私の呪いは何も相手を苦しめて殺すばかりではなく、快楽を与えて呪い殺すものもございますのよ。私のモットーは幸せに呪い殺す、ですからね。あんな下品な輩と一緒にしないでくださいましな」


 千呪は頬を膨らませると、不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 オレからしてみればどっちも最悪な殺され方ではあるが、もしかしたら千呪の奴、むくれてしまったのかな?


「まあ、食い殺されるのと呪い殺されるのとだったら、オレなら呪い殺される方を選ぶかな?」


「そうでしょう⁉ 流石は主様、分かってらっしゃるわね」


 千呪は青白い顔をうっすらと紅潮させながら、嬉しそうに言った。

 あ、千呪も笑うんだな。ちょっと意外だった。


「二人とも、大広間が見えて来ましたよ⁉」


 オレは気を引き締め、前を向いた。


「主様、少々お待ちを」


 千呪は立ち止まり、オレに振り返ると片膝をつき頭を垂れた。


「どうしたんだ?」


「どうか黒き魔人との戦いの前に魂食いのスキルを使い、ダンジョン内に漂うハンター達の魂を摂取なさってくださいませ」


 千呪にそう言われ、オレは驚きに身体を硬直させた。


「いや、それは拒否したはずだぞ? オレは絶対にそんな外道な真似はしたくない」


 もしそれをしてしまえば、オレは人間ではなくなる。要は人肉か魂かの違いであって、魂を食ってしまえばオレは人食いになってしまう。どうあってもそれだけは受け入れるわけにはいかなかった。


「普通の人間の魂とは違い、ハンターの魂魄は効率よく摂取することが可能ですわ。一般人の魂魄を1とするなら、C級ハンターならば20倍。B級ハンターならば50倍にはなるでしょうか。それだけあれば、私の支配レベルを大幅に上げることも可能。もはや誰も主様に抗える者は存在しなくなります。現時点では、ですけれども」


 色々と気になる情報があったが、オレは誰の魂も食らうつもりはない。オレは誰かを助けたり救いたいとは思っても、誰かを犠牲にして自分が助かりたいとは思わない。レラならオレがどうなっても自分の力でこの場から逃げることも可能だろう。なので、今のところ一番大事な愛弟子の心配だけはしていなかった。

 それに、黒き魔人とやらが外に出たら人類が滅亡するという話にも何の確証も無い。あの覚醒戦争に勝利した人類が、こんなちっぽけな魔王門〈ゲート〉一つ崩壊しただけで滅亡するとは到底思えなかった。

 故に、今のところ、オレはこれ以上の力を欲してはいなかった。


「くどい。とにかく今の戦力だけでその悪食王とかいう黒き魔人を倒す。この方針に変更はないからな」


 すると、千呪は何かを言いかけるもグッとそれを喉の奥に飲み込んだ。そして、にっこりと笑みを浮かべながら「承知いたしました、我が主様」と呟き立ち上がった。


「なれば、この千呪、死力を尽くして主様をお守りいたしますわ」


「わがままを言って済まない、千呪」


 オレは千呪の物言いに何か引っかかるものを感じつつも大広間に足を踏み入れた。

 そして、オレは更なる凄惨な光景を目の当たりにした。

 真紅に彩られた場所だった。床や壁、周囲に立ち並ぶ石像の全てが真っ赤に染まっていた。いや、それら全てが餌食となったハンター達の血液で色付けされたと理解するのに一秒とかからなかった。

 床にはハンター達の身体のパーツが散乱し、広間の中央で旺盛な食欲を隠すことなく食事に夢中になっている人影があった。奴はまるで中華まんでも貪りつくすかのようにハンターの頭部に貪り付いていた。じゅるじゅると何かを美味しそうに吸い尽くすような音が聞こえてくるが、それが何なのか推測することすらオレの本能が拒絶した。


「主様、あれが悪食王ですわ」


 千呪は忌々し気に呟きながら艶やかな青白い指先で指し示した。

 そこにいたのは小柄な少年だった。しかし、一目で人間ではないことが分かった。何故なら、彼の全身には剣山のような鋭い牙を生やした口が至る所に剥き出しになっていたからだ。それ以外にも彼の異様は際立っていた。青黒い肌に六本の長い腕。腕はそれぞれ肉塊を掴み取り、身体の到る場所にある口に放り投げている。肉塊を放り込まれた口は美味そうに咀嚼し飲み込むと、涎を垂らしながら次の食事を貪欲に要求しているかのようであった。


 やばい! 本能が告げている。逃げろ、と。というか、あんな恐ろしい奴を前にして恐怖しない人間は皆無だろう。下手なホラー映画に出て来る怪異や怪物よりも禍々しいオーラを放出していた。


「レラ、今からでも逃げていいんだぞ?」


 オレは一応、レラにそう訊ねてみた。可能なら置いて行かないで! と叫びたい衝動にかられた。


「うーん、確かにちょっと不気味な感じはするけれど、そんなに怖くないっすよ、師匠? 昔、お腹の膨れたおばさんの怪物に、坊や坊やって言われながら食べられそうになった時よりかは全然平気だよ」


「なにそれ、すんごく怖い!」


 レラさんってば、どんだけ修羅場を潜っていらっしゃったのかしら⁉ っていうか、オレだったら遭遇した時点で卒倒して食い殺されていただろう。あいつみたいに人の形をしているだけで相当マシなのかもしれないな。


「でも、あいつからはとてつもない何かを感じます。それが何なのかは分かりませんけど」


 レラでさえ相手の力量を計れずにいるのか。やはり、黒き魔人はとてつもない力を秘めているのだろうな。なら、ここは慎重に行動しなくては。まずは千呪に頼んで呪い魔法で遠距離攻撃でもしてもらおうか。

 オレがそんなことを考えていると、突然、オレの横にいた千呪が「あっ」と唖然とした声で呟いた。その目は大きく見開き、何やらオレの下半身を凝視していた。

 おいおい、何をそんなに驚いているんだ?

 などと思った瞬間、オレは体勢を崩し、何故かその場に膝をついてしまった。


「あれ? 何でオレは転んでいるんだ?」


 慌てて起き上がろうとするも、何故か上手く足に力が入らない。


「すまない、すぐに立ち上がるから」


 その時、オレを見るレラの顔が酷く強張っているのが見えた。顔を蒼白させ、ガクガクを身体を震わせ酷く狼狽しているように思えた。


「し、師匠! 足、足があああああ⁉」


 レラの悲鳴にも似た叫びが木霊する。

 オレの足がどうしたってんだ? と、ふと足元に視線を向けた。


「あれ? オレの右足が無いぞ?」


 理解が追い付かなかった。何故、オレの右足の膝から下が無くなっているんだ? 血がドバドバと出ていて意識が朦朧となる。そして、オレは、悪食王がいつの間にか手にしていた誰かの右足をバリバリムシャムシャと噛り付いている姿を垣間見た。


「ヒールレベル1!」


 オレは理解よりも先に右足の傷口にヒールをかけた。ダメだ。オレごときのヒールではとても回復出来そうにない。出血を止めることは出来なかった。


「レラ! オレの傷口にお前のヒールをかけてくれ! それで止血出来るかもしれん!」


 動揺しているレラに、オレは叫びそう懇願した。

 オレの声に反応したレラは顔を蒼白させ唇を震わせるも、右手をかざし魔力を集中し始めた。その手は震えていたが、ヒールレベル1という名の消滅魔法はいつも通りちゃんと発動した。レーザー光線のような光がオレの傷口に降り注がれる。

 たちまち激痛がオレの全身を駆け巡る。傷口はしっかりと塞がれ止血は出来たが、オレは魔法衣を破り、それを紐代わりにして右足の付け根を縛り上げる。これですぐに出血死することは避けられただろう。

 止血は出来たが痛みは治まらない。意識が飛ばないように、オレは脂汗を垂らしながら必死に悪食王を睨みつけた。ちょうど手にしていた足を食べ終わった直後だった。


「おーい、そこにいんのは千呪じゃねえか? 久しぶりだな、おい」


 悪食王は目を細めると、剣山の様な牙を剥き出しにして微笑んだ。それこそケラケラと陽気に、まるで道端で出くわした友人に声をかけるような気軽さだった。周囲の光景とのギャップがあり過ぎて怒りすら湧いてこなかった。


「お久しぶりね、悪食王。いえ、グラトニーと呼んだ方が良かったかしら?」


「どっちでもいいぜぇ。オレとお前の仲だ。どう呼ぼうとも構いやしねえぜ」


 すると、悪食王はつかつかとオレ達の方に歩いてきた。完全に無防備で隙だらけのように見えるが、レラと千呪は攻撃を仕掛ける素振りすら見せなかった。オレの足を切り取ったのが悪食王であると仮定するならば、ここで迂闊な真似は出来ないと判断してのことだろう。奴には何か秘密があるのは間違いなかった。


「そんで、千呪よ。どっちがお前の主様なんだ?」


 悪食王は十メートル手前で立ち止まると、オレを一瞥する。


「ああ、こっちのおっさんがお前の主様か。どうりで美味い足をしていたわけだぜ」


 やはりこいつがオレの足を⁉ 


 悪食王は涎を垂れ流しながらオレを凝視する。

 すると、千呪とレラが悪食王の視線を遮る様にオレの前に出る。


「それで、お前の主は何処にいるのかしら?」


 そう言って千呪は周囲を見回す。オレもそれにつられて周囲を見回すも、何処にも生きている者どころか人間の形をしているものはオレ達以外に存在していなかった。


「ああ、さっき食っちまったよ。馬鹿な女魔導士だったぜ。せっかくオレが弱点を教えてやったのに、それを信じねえであべこべな攻撃ばっかしやがって。炎が弱点だから、さっさとオレを倒して従魔にしやがれっつったのに、信じないで水魔法や雷魔法、挙句の果てに闇魔法なんざ使ってきやがったもんだから、面倒くさくなっちまってよ。腸食い破ってやったぜ」


 悪食王は目を閉じると、その時の光景を思い出しているのか、口から大量の涎を垂れ流した。


「やっぱり禁術師様の血肉は極上のご馳走だぜぇ。千呪も従魔なんか辞めてよ、一緒に人間共を蹂躙しに行こうぜ。それがお前の望みでもあるんだろう?」


「残念ですけれども、主様に仕えるのも私の望み。人間を滅ぼすのはその後で十分だから」


 そう言って千呪は苛立ちを露わに鋭い眼光を放った。

 人間を滅ぼすこととオレに仕えることが望みだって? それはどういうことだろうか?

 ダメだ。足の痛みのせいでまともに考えることも出来ない。今はとにかくこいつを倒すことを優先しなければ。


「千呪! 頼む、悪食王を倒してくれ!」


 結局、オレは誰かに頼らなくては何も出来ないのか、と唇を嚙みしめた。


「承知致しましたわ、主様」


 千呪はそう答えると、右手を前にかざし瘴気を集め始めた。


「全て吞み込まれておしまいなさい。『呪海』!」


 千呪が呟くと、悪食王の足元に千呪が放った呪いの渦が現れ、たちまち悪食王を呑み込んだ。

 オレもあれに吞み込まれたが、レラの竜闘気で呪いを無効化してくれたんで何とか脱出できたのだっけ。

 悪食王は抵抗する様子も見せず、呪いの渦巻きの中に消えて行った。

 これで終わってくれれば御の字なのだが、そんな簡単には話は進まないだろうな。

 次の瞬間、消滅しかけた呪いの渦は大爆発を起こしたかのように破裂した。呪いが飛散し、次々瘴気と化して千呪の身体に戻っていった。

 そこには首の骨をコキコキと鳴らしながら悠然と佇む悪食王の姿があった。


「千呪、お前、支配レベルは幾つだ? まさかまだ1とか言わねえよな」


「それを敵であるお前に言う義理は無いわね」


「大ありだ! もしそうなら、オレがそこのおっさんを食い殺してやる。たったの支配レベル1で黒き魔人が一柱である悪食王様と戦わせるなんざ、無茶無謀にも程があるぜ。それこそ、さっきオレが食い殺してやった主候補並みの大馬鹿だ。いや、それ以上かもな。お前を従魔にしておいてこの様はねえぜ」


 ギロリ、悪食王は殺気と怒気に塗れた鋭い眼光をオレに放っていた。どちらかと言えば殺気の方が強いように思えた。


「なあ、千呪、オレと一緒に来い。他の禁術師どもを皆殺しにして、オレとお前が魔王になればいい。なあ、そうしよう、そうするべきだ。こんな馬鹿に首を垂れる必要なんざねえぜ。オレとお前が組めば人間共を根絶やしにしなくてもきっと魔王になれる。その後でゆっくりとお前の望みを果たせばいいさ」


 魔王になる? それはどういう意味だ? もしかして、黒き魔人とやらの目的は魔王になること? でも、それなら何故、仕える主が必要になるんだ? それに、人間を滅ぼすことは目的ではなく、まるで手段のように聞こえてきたぞ。

 分からないことだらけだ。一つ分かっていることは、千呪はいつでもオレを裏切ることが出来るということ。もし不可能なら、悪食王はそんなことを言うはずがないのだ。


 すると、千呪は微笑みながらオレに振り返った。


「主様、まだ魂食いのスキルを使うおつもりはございませんか?」


「さっきも言ったが、オレは外道になるつもりはない。レラと千呪がいれば、きっと悪食王だって倒せるさ。だから、お願いだ。オレに力を貸してくれ」


 その時、千呪は悲し気な双眸で俯いた後、寂し気に微笑んだ。


「なら、お話はこれまでですわね」


 千呪は呟き、青白い指先をオレに向けた。


「千呪……? お前、何を……」


 その瞬間、千呪の青白い指先から黒い閃光のようなものが迸った。

 オレは何が起きたのか分からず、数秒ほど呆けてしまった。

 だが、何が起きたのかすぐに理解する。バタリ、と横で何かが倒れる音がしたのだ。

 見ると、口から血泡を吹きながら床に倒れるレラの姿があった。


「レラ……? お前、何で倒れているんだよ……?」


 オレがレラに手を伸ばそうとした瞬間、目の前に千呪の青白くて美しい顔が迫って来た。

 千呪は何も言わず、ただ黙ってその右手を黒い刃と化して、そのままオレの心臓を貫いた。

 痛みは無かった。だが、突き刺された胸の中で心臓を鷲掴みにされるような感覚を味わった。


「主様、これは私からのプレゼントですわ」


 千呪はオレの耳元に艶めかしい唇を近づけると、そっと耳打ちした。

 その瞬間、オレの鼓動は激しく弾けた。目の前に真っ赤なメッセージ画面が現れる。


『おめでとうございます。貴方は黒き魔人の一柱に認められ『魔王因子』のスキルを贈与されました』


 何がおめでとうございますだ。これから死にゆく者に対し、スキルが何だというのか。

 真っ赤なウインドウ画面は更にメッセージを送り続けて来る。


『残念ながらブラックゲート攻略に失敗した為、赤い月の出現が確認されました。これより世界は破滅ルートに移行いたします』


 こいつ、何を言っているんだ。

 そんなことを思っていると、突然、目の前の視界が変化した。

 仰向けに倒れていたオレの視界に、何処から現れたのか分からない赤い満月の姿が見えた。

 オレは最期の力を振り絞り、周囲の景色を見回す。そこは魔王門〈ゲート〉内部のゲートダンジョンではなく、何処かの荒野だった。何もない荒野に、12本の磔が静かに佇んでいた。

 見ると、その内の一本に豪華な魔法衣を身に纏った女性の死体が磔にされているのが見えた。何故死体だと分かったかと言われれば、彼女の腹部が大きく抉られていて、とても生きている状態には思えなかったからだ。


 すると、仰向けに倒れているオレに、千呪がやってきて静かにオレを見下ろしていた。その表情は何故か寂し気だった。何故、殺した相手にそんな憐れんだ目を向けることが出来るのか。

 オレは何か千呪に吐き捨ててやろうかと思ったが、今のオレには最期のあがきすら許されなかった。徐々に体から力が抜け落ち、視界もぼやけて来た。これが死なのか、と何故か穏やかな気分になった。


「主様、覚悟をよろしくお願い致します」


 ああ、やれよ。何もしなくってもオレはどうせ死ぬ。なんせ心臓を突き刺され握りつぶされたんだからな。こうしてまだ意識を保っているだけでも奇跡だろう。


「覚悟がなければ誰も救えません。それこそ愛くるしい愛弟子ですら」


 次の瞬間、オレの目の前に再び真っ赤なウインドウ画面が現れた。


『魔王因子を受け入れますか?』


 死の間際に出現した魔王因子とかいうこのスキル。多分、もうオレには何の意味も為さないだろう。

 だが、それしか出来ないのであれば、オレは最期のあがきとしてせめてこのスキルを受け入れてやる。


「受け入れる……」


 そう呟いた直後、オレの目の前は漆黒の闇に包まれた。

 もう何も感じなかった。

 あるのは無限に広がる闇と虚無の世界だった。

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