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第2話 おっさん底辺回復術師、若人から穏やかに優しく追放される 其の二

 五月の上旬だというのにギラギラと照らしつける陽の光は真夏を彷彿させた。本州ならばともかく、ここは北海道。先週まで道端には小さな雪塊が冬の名残りとして残っていたというのに、それらは春を通り越して現れた初夏の陽気の為に全て消えてなくなっていた。


 このままこの暑さが続けば問題は無いのだが、来週にはまた三月中旬並みの気温に戻り、北海道各地の峠ではスノータイヤが必須になるほどの降雪が予想されるのは毎度のことだ。国道を走る車の内、乗用車はノーマルタイヤを履いているのに対し、トラックなどが未だにタイヤ交換に至らないのはそれが一番の理由だ。トラックは商品運搬の為に道内各地の峠を越える必要がある。運送トラックが夏タイヤに履き替えるには六月を迎えねばならないだろう。その頃には北海道と言えども暑さが身に染みる地域も出てくる頃合いだった。


 季節が前後に行ったり来たりする不安定な北海道の気象は、まるでオレたちの職場みたいだな、と内心苦笑してしまった。頭に浮かぶのは現在攻略中の魔王門ゲート内部にあるダンジョン。そこも奥に進むにつれ気温の寒暖の差が著しいものとなっていくのだ。ダンジョンに入ると、まずはひんやりとした空気が侵入者たちを出迎える。しかし、一階層下がるだけで、そこが溶岩が噴き出す灼熱エリアなんてこともざら。逆に灼熱エリアから下の階層に向かうと、その真逆の極寒エリアなんてこともあるのだ。その気温の寒暖の差がハンターを苦しめる一因にもなっている。ある意味、凶悪なモンスターや各所に張り巡らされた罠以上の脅威なのかもしれない。


 気温の寒暖の差もそうだが、それ以外にもハンターを苦しめる事情がダンジョン内には存在している。先に進むにつれ、そこに巣食うモンスターたちが放つ瘴気によってダンジョン内の空気が淀み始めていることに気付く。そんな中でハンターパーティは凶悪なモンスターたちと戦い始めることになるのだが、戦闘後には元々瘴気で淀んだ空気の中に倒した獲物の血の匂いが混ざり合ってしまうのだから、その悪臭は限界を超えてしまうのだ。ダンジョンから出てくる頃には、皆、巨大な下水道から這いずり出て来たかのような悪臭を全身に纏うことになるのだ。


 その為、ゲートの出入り口横にはハンター協会が管理するシャワー設備が必ず設置されていた。ゲートに入る時はハンターライセンスを協会員に提示することが義務付けられているが、出る時はシャワーを浴びて悪臭を取ることが義務付けられているのだ。


 シャワーを浴びないで街に出ることは法律で禁止されていた。それは街を悪臭塗れにしないことも理由の一つにあったが、ダンジョン内にいる極小の虫型モンスターを外に出さないことが最大の理由であった。以前に一度、極小サイズの昆虫型モンスターに寄生されたハンターがそのまま野に放たれ、大惨事を引き起こした事例があった。ここで浴びるシャワーは聖水を使用していて、昆虫型のモンスターが浴びれば一瞬で浄化されるのだ。あと、中にはハンターに憑りついて外に出ようとする霊体型のモンスターも存在しているが、聖水シャワーの前には消滅するより術はない。


 未だに、オレ達人類は十年前の地獄を忘れられずにいた。だから、シャワーに関しても必要以上に神経質になってしまうのだ。


 駅に向かう道すがら、オレの脳裏に『覚醒戦争』の文字が浮かぶ。オレはその情報が開封されないようにと、必死に頭を振った。


 突発的に過去の悪夢を思い出してしまうのが自分の悪い癖だ。中でも特に覚醒戦争についての記憶だけは断片たりとも思い出したくはない。一欠けらでも思い出せば、まるでダムが決壊するかのように悪夢が奔流となって心の裡に氾濫してしまうだろう。そうなると、人目もはばからず叫び暴れ回りたくなる衝動にかられてしまうのだ。こういう時は深呼吸するに限る。歩きながら息を整えていると、目的地の駅が見えて来た。


 オレはすぐさま目的地の駅、にではなく、その側にあるコンビニに向かった。電車の時間までに買い物を済ませなくてならず、少し気が焦り小走りでコンビニ内に飛び込んで行った。

 中に入ると、若い男性店員の笑顔と元気いっぱいの「おはようございます、いらっしゃいませ!」という挨拶が出迎えた。

 オレは店員に軽く会釈すると、すぐにレジ横にある栄養ドリンクのコーナーに向かった。


「お! 今日はポーションの特売日だったんだ」ポーションの瓶に張り付けられた三割引きのシールを見て、思わず破顔する。


「お兄さん、ハンターっすか? ハンターライセンスを提示してくれれば、全部で半額になるっすよ?」茶髪で色黒な若い男性店員がレジから顔を覗かせると、目を細めながら話しかけて来た。


「まじ!? そりゃ、助かる。それじゃ、毒消しと麻痺のポーションを十本ずつ貰うかな?」買い物かごにポーションを放り込む。


「回復ポーションはいらないんすか?」不思議そうに首を傾げながら店員は言う。


「あ、自分、ヒーラーなんで、回復ポーションは必要ないんすよ」はい、と、オレは店員にハンターライセンスを提示した。


「お兄さんってばヒーラーさんなんすか? なら、回復魔法使えるのに、尚更ポーションなんていらないっしょ? あ、タンカーの人たちに念のために配る、とか?」なるほど、と唸ると「そういう用心深いところ、流石っしょ」男性店員は無邪気に微笑みながらオレに尊敬のまなざしを向けて来た。


 チクリ、胸が痛んだ。心の裡で顔を歪めながら、表面では笑顔を保つことに専念する。


「ま、まあ、そんなところだね。ダンジョンでは何が起きるか分からないから、不測の事態に備えるのは基本でね」もっともらしい言葉を並び立てて、オレは必死に自分の嘘を誤魔化した。


 目的のポーションを全て買い物かごに入れると、レジの前に差し出す。一本ずつレジを通すたびに五千円の値段が半額に割り引かれるのをしっかりと目視する。預金残高を思い出し、辛うじてリボ払いを避けられたことに安堵の息を洩らした。


「全部で五万円になります」


「支払いは、カードでお願いします」目は笑いながらも、深く嘆息しながらクレジットカードを端末に差し込んだ。


 痛い出費だが、これもダンジョンに潜る為の必要経費だと自分に言い聞かせ、カード残高がゼロに近づいていくストレスを必死に堪えた。


「あ、お兄さん、その魔法の杖、そろそろ交換どきっしょ? どうっすか? うちのコンビニでも魔石交換してますけれども?」そう言って若い店員はレジの奥にあるタバコケース、ではなく、その隣に厳重に保管されている魔石ケースを顎で示した。その下には各魔石の値札が張り付いていて、どれもが軽く十万円を超えるものだった。中には桁が二つも違うものすら紛れ込んでいた。


「今日は結構です。使い慣れた相棒じゃないと、今日潜るダンジョンでは生き残れない気がするんでね」にやり、とオレは不敵にほくそ笑んでみた。本当はお金が無いから無理なんです! と心の裡で叫んでいるのだが。


 若い男性店員は輝かせた瞳でオレを凝視した。今はその羨望の眼差しがオレの心に多大なダメージを与えて来た。


「まじかっけえ、っぱねえっす。やっぱハンターっていけてますね! 実は、オレも来月からハンターになる予定でして。もし自分を見かけたら色々と教えてください!」若い男性店員は憧れの有名人を見るかのように頬を染め、瞳を輝かせながらオレに深々と頭を下げた。


「その時はオレのヒールでお兄さんを守ることにしよう。次に会うのはダンジョンだな」またな、と呟き、オレは店を後にした。しかし、ポーションを忘れたことに気付き、すぐに店内に引き返した時は、ほんの少し気まずい空気が流れたのは言うまでも無かった。

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