「ユグレナ・グリンスティン」
「はい、王太子殿下」
「お前との婚約を今日限り破棄する!」
その時の私は目の前が真っ暗になった。
何を言われているのか判らなかった。
だが、当時の王太子ラルモカナーンの後からにじりよる様に近づく女、サフィン・ラカスティーン男爵令嬢の姿を見た時、全てを理解した。
その頃私は、何かと王太子の側近候補からずけずけとした口調で問い詰められることが多かった。
例えば。
サフィン嬢のダンス授業時のスカートが破られていた。
ペン道具一式が無くなった。
ノートが破られていた。
校庭の真ん中の噴水池に突き落とされた。
呼び出して脅した。
等々。
全く心当たりが無かった。
そもそもこのサフィン嬢に私は興味も関心も無かった。
*
当時、何故か男女が共に学ぶという不思議な学校に私達貴族の子弟は三年間在籍しなくてはならない、という決まりがあった。
それまで男女交際は親の監督の下に、と言われ、それぞれの使用人の目の光っている中でしか遊ぶことができなかったというのに、唐突に男女混合の教室に入らされ、同じ勉学を強要される。
その時代を謳歌する者も居たが、私は懐疑的だった。
領地経営に精一杯で子弟を外で勉強させるというのが難しい家もある。
名ばかりの貴族もある。
一方で王太子やその側近という最上級の地位の集団も居る。
まあ私も婚約者ということになっていたから、当時は最上級の集団の一人だった。
だからこそ見えるものもある。
特にこの当時は「ともかく交流が必要だ」ということで、同じ授業を受けることが大切だ、と一斉に同レベルの学問を強要された。
これは基礎ができていない名ばかり貴族にとっては恐ろしいことだった。
それこそ庶民学校で基礎を学んできたという者も居た。
そう――このサフィン嬢もその一人だった。
それでいて、学校側の求めるものと言えば、国史であり地理であり、読み書きにしても文学について語り、詩を作り、時と場合に応じた手紙をしたためたり、公文書の読み取りをする……等々。
その他会話術やマナーやダンスや、時には楽器演奏も入ってくる。
そうなると、よほど上昇志向が無い限り、「こんなのやってられない!」となるのは仕方がない。
だが学校側は「そういう決まりですので」とそのカリキュラムを見直す気も当時はなかった。
そしてその授業にしても、席は男女混合、自由に場所を選ぶことになっていた。
無論それはそれで、一つの社会的対応を学ぶということかもしれなかったが、箱入り令嬢の中には、ともかくこの成長期の男子のむくつけき姿やにおい自体に閉口して近寄りたくない、と思っていた者も多かった。
男子は男子で、女子が集団となって小声で話をする姿を見て、冷やかす者も居れば、怖がって逃げる者も居た。
中にはそんな中に空気も読まず入って行く者、上手く読んでするりと溶け込む者も居たが、そんな者は滅多に居ない。
私達、上位貴族は屋敷という守られた中から、庶民すれすれの下位貴族は訳のわからない世界にいきなり放り込まれる様なものだった。
きょうだいが居る者はそれでもまだいい。
多少なりともこんな場所だ、という話を聞けるからだ。
だが皆そうとは限らない。
特に長男長女と言った者は本当に訳のわからない場所に飛び込まされる様なものだ。