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第5話、失われた家

 強襲


 咳き込む声がした。

 女の声だ。

 五人の武装した男が扉の前にいた。咳き込む女の声は扉の中から聞こえた。緊張が走る。

 三階建ての建物、最上階の角部屋、残された部屋はここだけだ。扉の前に鏡を設置し、光が扉に当たるように入念に調整した。 

 部隊長のジム・ハモンドは指を五本のばした。部下が破城槌を構えている。指を一本ずつ折りたたんでいく。二本折りたたんだところで、少し下がる。部下に持たせた破城槌がドアにぶつかる。破城槌の打撃に耐えきれず鍵がかかっていたドアノブが吹き飛ぶ。

「突入!」

 ドアを蹴破り、ジム・ハモンドを先頭に部屋の中になだれ込む。鏡を使って反射させた光も同時に入り込む。ベットが一つに、壁に洋服ダンスがあった。南西の窓は木の板で打ち付けられている。

 部屋の隅の暗闇で、体を縮込ませた見た目が十代の少女がいた。銃口を向ける。

「ポーラ・リドゲードか」

 ジム・ハモンドは問いかけた。

 少女は怯えたような顔でジム・ハモンドを見た。少女の口元は、赤くただれ息苦しそうだった。

 ジム・ハモンドは眉をひそめた。付近を警戒させる。洋服ダンスをちらりと見た。この子ではないとしたら、どこかに隠れている可能性もあると考えた。

 ジム・ハモンドは胸ポケットから手鏡を取り出した。それを室内の入り口に入り込んでいる光に当てた。手鏡の角度を調節する。光が、部屋の隅にいる少女に向かっていく。

 手鏡の丸い光が、床を這い、少女の体に当たる。

「ひぃいいいい」

 少女は叫び背を向けた。光が当たった部分から白い煙が上がっている。

「撃て! 吸血鬼だ!」

 引き金を引いた。

 部屋の片隅の少女目がけ、五つの銃口が火を吹く。のりのように粘度の高い血液が飛び散る。

 弾倉を交換し、ひたすら撃ち続ける。

「やめろ」

 ジム・ハモンドが手を上げ止めた。

 肉が焦げた匂いと硝煙が部屋の中に満ちる。

 部屋の片隅には、服の切れ端と、ちぎれた手足と肉があった。かすかに動いている。

「窓を壊し光を入れろ」

 窓に貼られた板を剥がすよう部下に命じた。窓に張り付けられた板を鉄梃で剥がそうとした。一人がうずくまった。

「どうした」

 部下の一人が口から泡を吐きながら倒れた。

 他の部下も次々と倒れた。ジム・ハモンドも喉が焼けるような痛みを感じた。

「毒、か」

 膝をつく。全身がしびれめまいがする。

 ジム・ハモンドは、無線のスイッチを入れ、外にいる仲間に、それを知らせた。

 倒れ込み、口から泡を吹きながら、少女の口がただれていたことを思い出した。

 ジム・ハモンドは、意識を失った。

 部屋の片隅の暗闇、肉片がゆっくりと集まり始めた。




 吸血鬼対策課第九分室


「戦術班四名と、第七分室の職員三名が死亡した」

 吸血鬼対策課第九分室課長ブライアン・フロストが言った。第九分室の会議室、朝のことである。

「まじですか」

 エドワード・ノックスは驚いた顔をした。

「ああ、本当だ」

「なにがあったの」

 分析係のシャロン・ザヤットが言った。 

「戦術班が、吸血鬼の住処を襲撃、逆襲に遭った。毒ガスが使われたようだ。戦術班五名のうち、四名が殉職、一名は重傷、入院中だそうだ。その後、第七分室の入り口付近の、ゴミ箱に、時限式の噴霧装置が設置されており、昼前に毒ガスが吹き出し、部屋の中にいた三名が死亡、分室周辺で多数の重軽傷者が出た。おそらく、その吸血鬼の仕業だ」

 ブライアン・フロストは顔をしかめた。人ごとではない。失敗すれば、ここ、第九分室の人間もこうなる。

「追っていた吸血鬼はどんな奴なんだ」

 イーサン・クロムウェルがいった。

「名前は、ポーラ・リドゲード、見た目は十代後半から二十代前半の女性、年齢は不明、ケネステック通りのマンションに、五十年以上住んでいるにもかかわらず、全く年をとっていない女がいることに気がついた近所の老婦人が通報して発覚した。その老婦人の話をもとに描かれた似顔絵がある」

 ブライアン・フロストはイーサン・クロムウェルに似顔絵が描かれた紙を渡した。少し茶色が入った黒色の長髪の女が描かれていた。

「見覚えはないな」

 イーサン・クロムウェルは九百年吸血鬼として生きてきた、元吸血鬼である。

「まだ、若い吸血鬼ってことなのか」

「さぁな、私もすべての吸血鬼を知っているわけではないのでね」

 イーサンは肩をすくめた。

「通報を受け第四分室の捜査班が調査を行った。およそ七十年ほど前に立てられた建物で、現在は、貿易商のアーチボルド・リドゲードなる人物が所有していることになっているが、そのような人間は居ない。ポーラ・リドゲードは、その娘という設定になっている。マンションの一階と二階には普通に住人が住んでいたが、三階はポーラ・リドゲードが一人で住んでいた。住人には軽い暗示がかかっており、ポーラ・リドゲードのことをはっきりと覚えている住人はいなかった。近所の老婦人までは手が回らなかったようだがね。戦術班が、一、二階の住人を避難させ、三階に住むポーラ・リドゲードを退治しにいった」

「捜査していたのは第七分室の人間ではないのかね」

「ああ、捜査してたのは第四分室の人間だ。だが、攻撃されたのは第七分室だ。なぜ捜査していない第七分室が狙われたのか、なぜ、第七分室の場所をポーラ・リドゲードが知っていたのか。わかっていない」

「自分たちは捜査していなかったから、第七分室の人たちは逃げていなかったのね」

 シャロン・ザヤットはいった。

 捜査中の吸血鬼に身元がばれた場合、その分室の職員は、分室を捨てる。捜査員は、分室に戻らぬまま、夜間は身を隠し、日のあるうちは吸血鬼を追い続ける。

「その通りだ。第四分室は事件後破棄された。第四分室の捜査員は全員無事だ」

「捜査に関係がない第七分室が攻撃されたってことは、俺たちも危ないってわけか」

 分室は国内にいくつかある。吸血鬼対策のため、どこに分室があるのか、いくつあるのか、それぞれの分室の職員は、把握していない。

「そうなる」

「めんどくせぇなぁ」

 エドワードは頭をかいた。

「めんどくさいが、しばらくは、我々も、この分室を捨てる。その上で、ポーラ・リドゲードの捜査をしてもらう」

 複写機で印刷された資料をそれぞれ渡した。

「日のあるうちに、捜査中の資料を持って、所定の拠点に移動してくれ、健闘を祈る」

 捜査員達は、それぞれの机に戻り資料を鞄に詰め始めた。

 エドワードが、鞄に捜査中の資料を鞄に詰め込んでいると、ブライアン・フロストが小声で話しかけてきた。

「イーサンのことなのだが」

「なんです」

 エドワードは手を止め辺りを見渡した。イーサンは席を外している。

「奴の動向に気をつけてくれ」

「えっ」

「奴が吸血鬼に情報を売った可能性がある」

「そんな、あいつがポーラ・リドゲードと繋がっているっていうんですか」

「そういう疑いをもたれている」

「しかしなぜ」

「捜査に関係ある第四分室ではなく、第七分室が狙われた。そこに何かあるんじゃないかと、上層部は考えている。あくまでも、可能性の話だ」

「あいつは、七分室の場所を知っていたんですか」

「いや、知らないはずだ。だが、奴はそれなりに長いこと勤めている。横のつながりもある。何らかの理由で知っていてもおかしくはない」

「そう、ですか」

「迷うなよ」

 ブライアン・フロストはエドワードの肩を軽く叩いた。

 エドワードはズボンの右ポケットに入っている円筒状の金属製のキーホルダーを触った。イーサン・クロムウェルが首にはめている首輪の起爆スイッチである。

「無茶言うぜ」

 苦笑いした。




 吸血鬼


「また家が無くなっちゃった」

 ポーラは、暗闇の中つぶやいた。

 隠れ住むなら、階下に人が住んでいるようなマンションではなく、山奥の一軒家の方が、見つかりにくかっただろう。だが、近くで人が暮らしている、そういうところで、暮らしていたかった。

「安らかな生活なんてのは、死んだ後だけよ」

 生前働きづめだった母親が、昔言った言葉だ。

 吸血鬼になり、死から遠ざかっても、安らかな生活を営んでいるとは言えなかった。力がある。魔法も使える。年も取らない。それでも追われる。太陽の光に怯え、人に怯え、その上、定期的に血を吸わなければならない。

 人であったころも怯えていた。

 二百年ほど前のことである。


 夜、町は燃えていた。

 ポーラは空き地の木陰に隠れていた。まだ小さな子供だった。

 武器を持った男達がうろついていた。見つかれば何をされるかわからなかった。

 朝から戦いの音が鳴り響き、昼頃には、町に兵隊がなだれ込んできた。町が荒らされ、家が燃やされた。一緒に逃げていた母親は矢で殺された。火と血の臭い、どこへ行って良いのかもわからず、走り疲れ空き地の木陰に逃げ込んだ。

 辺りの様子をうかがった。

 複数の金属音が丘の斜面から聞こえた。

 兵隊がいるのだ。

 ポーラは身を縮めた。

 しばらくそうしていると、人が歩く音が聞こえた。

 おそるおそるのぞいてみる。

 スーツを着た男が一人、歩いてた。ずいぶんと、のんきに見えた。

 丘の斜面に弓矢を構えた兵士が見えた。母親が殺された時の情景が浮かんだ。

「危ない!」

 ポーラはとっさに叫んでいた。

 スーツを着た男は立ち止まり、不思議そうな顔で、ポーラの方を見た。

 矢が数本放たれ、男の頭と肩に刺さった。男はあまり気にした様子も見せず。

「あ、こっちのことか」

 スーツの男は丘の斜面を見て、そちらに向かって歩き出した。

 矢が次々と放たれ男に突き刺さる。男は特に気にした様子もなく、前に進む。弓を持つ兵士におびえが走った。スーツの男は浮き上がるように飛び、丘の上へ、兵士達の前に降り立った。それから、素手で兵士達を殺した。

 男は体に突き刺さった矢を無造作に引き抜きながら斜面を降りてきた。

 近づいてくる。

 人ではない。ポーラは悟った。

 恐怖よりも、その男が持つ不思議な力に興味が湧いた。

「やあ、さっきは、ありがとう、なんか、その、あんまりあれだったけど、うん、なんか助かったよ」

 男は、ぎこちない笑みを浮かべた。

「痛くないの」

 服に穴が空いていたが、血もほとんど出ていないようだった。こめかみに矢が刺さっていたはずだが、その跡もなかった。

「ああ、丈夫だよ」

「兵隊やっつけた」

「うん、矢を射ってきたからね。君、一人かい? ご家族はどうしたんだい?」

 男は辺りを見渡した。

「みんな死んじゃった」

 ポーラは首を振った。

「そう、家はどうしたんだい?」

 ポーラは首を振り、燃やされたと答えた。

「僕の家もだよ」

 男は困ったような顔で答えた。

 ポーラとブレア・モリンズとの出会いである。



 捜査


「普通のマンションだな」

 エドワード・ノールズとイーサン・クロムウェルは、ケネステック通りのマンションに来ていた。逃げた吸血鬼、ポーラ・リドゲードが住んでいたマンションである。

「そうだな」

 石造りのマンションで、周囲に古い建物が多く、なじんでいた。

「良く今までばれなかったよな。マンションの管理とかどうしてたんだ」

「第四室の捜査資料によると、マンションの管理自体は管理会社に丸投げしていたみたいだ。契約更新の際に、アーチボルド・リドゲードと名乗る高齢の老人が現れていたそうだ」

「そいつは誰なんだ」

「マンションの持ち主らしいが、調べてもよくわからなかったそうだ。カネで雇われた代理人かもしれないし、魔術で老人に化けたポーラ・リドゲード本人の可能性もある」

「そんなことできるのか」

「吸血鬼なら、そう難しくはない。管理会社の人間も、老人の顔を良く覚えていなかったそうだ。幻覚と暗示を組み合わせれば容易だ」

「へぇ、あんたもそういうことできるのか?」

「今は無理だよ。姿を変えるとなると、人間の身では扱えない魔術だ。とてもじゃないが魔力が足りない」

 二人は、マンションの階段を上った。一、二階に住んでいた人間は全員退避しており、ここにはいない。

「三階の階段に、検知系の魔術と精神に作用する魔術が仕掛けられているな」

 三階に至る階段をのぼりながらいった。薄暗く重々しい。

「それでか、さっきから、やけに体が重く感じたのは、それが原因か」

「住民を三階に来させないためだろうね」

 ポーラ・リドゲードは三階で一人住んでいた。

「そんな手間をかけずに、マンションを買えるぐらいの金があるなら郊外の一軒家にでも住めば良かったのにな」

「一人でいたくなかったのかもしれないな」

「なんだそれ」

「いろいろいるんだよ。人も吸血鬼も」

 三階の階段を上り、奥の部屋へ進む。真ん中に廊下があり、その両脇に部屋があった。

「廊下を真ん中に、両側に部屋を配置して、光が入らないような構造にしているんだな。吸血鬼が住んでる場所ってのは、どこも通気性が悪いぜ」

「その代わり、太めの通気管がマンション内に張り巡らされている。女性が一人、通れそうなぐらいの太さのものがね」

 マンション内には不自然なほど通気管が張り巡らされていた。

「いざって時は、そこから、地下室まで脱出しようと考えていたんだな」

「当然ながら、戦術班は地下室にある通気口を塞ぎ、地下室の下水道への穴も塞ぎ、そのうえ、鏡を使って光を、マンション内と地下室内にも取り入れていた」

「ちゃんとやることやってたんだな」

「その通りだ」

 ポーラ・リドゲードが居た部屋の前に来た。ドアは壊れたままだった。室内に入る。かすかな血の臭いと硝煙の匂いがした。イーサン・クロムウェルは唇を舐めた。

「ずいぶん、派手にやったな」

 部屋の隅、壁や床に無数の銃弾の跡があり、へしゃげた銃弾がめり込んでいた。耐吸血鬼用に貫通力よりも、体内でつぶれ、より多く体を傷つけることができるような弾頭を使っている。

「起きている吸血鬼には、太陽の光を浴びせるか、銃弾を浴びせろ。正しい対処方法だよ」

「けどやられた。毒ガスか。これからは、寝ている吸血鬼を見つけたら息を止めて銃を撃たなきゃだめだな」

 エドワードは頬を膨らませ息を止め、銃を構えるポーズをとった。

「何らかの対策は必要だろうね。鉱山用のガスマスクか、消防で使われているチューブ付きのマスク使うとか」

 火災現場などで使われているマスクで、顔を覆う密閉されたマスクに長いチューブを二本通し、外の空気が吸えるようにしているものがある。

「へぇ、そんなのがあるのか。しかし、毒ガスっていってもいろいろあるだろ。どういうたぐいの毒ガスだったんだ」

 エドワードはイーサンに聞いた。

「少しは資料を読んだらどうだね。なんだか私は君に事件の説明をするために雇われているような気がするよ」

「最後の方は読んだぜ」

「できれば全部読んで欲しいところだね。毒ガスの種類はまだわかっていないが、肺に作用するガスだ。短時間で肺にダメージを与え、呼吸ができなくなる」

「そりゃあ、怖いな」

「ああ、かなりやっかいだよ。基本吸血鬼は日の当たらない密閉された場所にいるからね。そんな物が仕掛けられているとなると、昼間こっそり忍び込んで、日光で焼き殺すなんてまねができなくなる」

「毒ガス対策は何とかするとして、焼き殺すためには、どこに行ったか見つけないとな」

 部屋の窓を見ると、外の様子がよく見えた。窓を覆っていた板は剥がされ、窓は窓枠ごと無かった。

「風通しに関してはずいぶん改善されたようだね。外で待機していた別部隊によれば、毒ガスの報告があった後、十分ほどしてから、室内で動きがあったそうだ。昼間、これだけ銃弾を浴びせられ、十分で動けるようになるとすると、再生力の高い血筋かもしれないな」

「洋服ダンスを持ち上げて、煙幕を撒きながら洋服ダンスと共に窓から外へダイブ。洋服ダンスと煙幕で日光を遮りながら、道路の側溝のふたを上げ側溝の溝に潜り込んで、這いずり回り地下へ逃げた。なんかすげぇな」

 エドワードは感心したようにうなずいた。

「その部分だけ読んだんだね」

「ああ、どうやって逃げたのか気になってな」

「割と綱渡りだったのではないかな。洋服ダンスが側溝の近くに落ちなければアウトだったろうし、洋服ダンスが壊れる可能性もあった。煙幕と洋服ダンスで日光を防いでいたとはいえ、地面からの反射光は入ってくる。側溝の中も快適とは言いがたい、所々光が入ってくるはずだ。体を焼かれながら溝の中を進んだんだろう」

 側溝の中には、焼け焦げた皮膚がへばりついていた。

「落ちてきた洋服ダンスごと銃で攻撃すれば何とかなったかもしれねぇな」

 外に待機していた部隊があった。銃弾と日光、同時に浴びればさすがに動けなくなる。

「かもしれないが、外にいた部隊は毒ガスが使われたと報告を受けている。煙幕を毒ガスと判断して退避するのは無理からぬことだ」

 外にいた部隊の指揮官は、落ちてきた洋服ダンスと煙幕を見て、即座に退避を命じた。洋服ダンスの中に、毒ガスが詰め込まれている。そう思ったそうだ。

「それも計算していたってわけか」

「さぁ、そこまでは、わからないね」

 イーサンは肩をすくめた。




 吸血鬼


「まだ残っているわ」

 ポーラは、鏡の前でナイフで脇腹を刺した。横に引き、傷口に手を入れ、体の中に残っていた、つぶれた弾丸を取り出した。夜である。傷口から血はほとんど出ていない。粘度の高い血液は垂れずに吸収され、ナイフで裂いた傷口もすぐに閉じた。

(しかし、良くあの状況で生き残れたわね) 

 一週間ほど前、住んでいたマンションでの脱出劇を思い出した。


 昼前、警告音に目を覚ました。二階から三階に上がる階段に警報音が鳴る術式を組み込んである。ベットから起き、耳を澄ます。階段を慎重に上る複数の人間の足音が聞こえた。一、二階に住む住人の気配はいつの間にかなくなっていた。

「誰か私を殺しに来たのね」 

 服を着替え、通気管の覆いを剥がす。この部屋の通気管は地下室まで一直線に繋がっている。中に入ろうとしたとき、通気管の奥から人の声が聞こえた。

 ポーラは、使い魔を呼び出し通気管に放った。小さなネズミ型の使い魔だ。視野を共有し、通気管を滑り落ちる。

 地下室の通気管にたどり着く。そこから地下室へ入り込めるはずが、鉄板のようなもので塞がれており、地下室に入ることはできなかった。

 やられた。どうやら逃げ道を塞がれたようだ。

 建物内から何かを壊す音がした。

 木やガラスを破壊する音、ドアや窓を壊しながら、こちらに近づいている。入念に準備された襲撃であることを、ポーラは理解した。

 ここで迎え撃つしかない。

 棚の中からいくつか薬品を取り出し、混ぜ合わせ、魔術で気化させた。ガスが発生する。吸った人間は肺がただれ死に至る。昔、人間に追い詰められたら、これを使えと、ブレア・モリンズに作り方を教わった薬だ。 

 室内を毒ガスが満たしていく。無色透明、匂いは少しあるが、人間が強く感じ取れるような匂いではない。

 ポーラは焼け付くような肺の痛みを感じた。吸血鬼が滅ぶような強いガスではないが、再生能力が落ちている昼間では、少しつらい。喉や口の中が腫れ、咳きがでる。

 部屋のドアの前に人間が来る気配がした。

 ドアノブが吹き飛き、ドアが蹴破られる。銃を持った五人の男がうすい光と共に入ってきた。鏡を使って太陽の光を部屋まで運んできたようだ。人の家で、やっかいなことをしてくれるわね。ポーラは部屋の隅で縮こまった。

 銃を持った男が、ポーラの名前を聞いた。答えるわけにもいかず、黙っていると、男は困ったような顔をした。まだ、毒ガスは効いていないようだ。男は手鏡を取り出した。男は、廊下から、部屋の中に入ってきている光を手鏡に反射させ、ポーラに向けた。

 丸い、手鏡の光が、床を舐めるようにポーラに向かってくる。当たる。

「ひぃいいいい」

 体が焼ける。熱い、痛い。ポーラは叫び声を上げた。

「撃て! 吸血鬼だ!」

 男達は引き金を引いた。銃弾が撃ち込まれる。痛いが、太陽の光に比べれば、それほどではない。銃弾が肉体を破壊していく。脳が破壊されても、意識が残っていることが不思議だった。考えることだってできる。これだけ体が壊れると肉体を動かすのは、さすがに無理そうだった。頭が破壊されているため、辺りの様子はわからない。ただ肉体に残された神経が、ポーラに小さな痛みを伝え続けていた。

 銃撃がやむ。

 目も耳も鼻も使えないため、部屋の様子はわからない。

 破壊され尽くした肉体の再生が始まっていくのを感じた。

 少しずつ音が入ってくる。苦しそうな呼吸音が聞こえた。自分のものではない。

 毒ガスが効いたのだろうか。

 目が再生される。

 倒れている男達が見えた。口から泡を吹いて苦しそうにしている。

 毒ガスが効いてくれたようだ。安堵する。

 辺りに散らばった肉片をかき集める。再生能力が高い血筋であるため、治りは早い。

 徐々に人の形を取り戻す。洋服ダンスから新しい服を出し着る。

 ここから逃げる方法を考えなければならなかった。

 逃げるとしたら、下水道しかない。だが、この建物から下水道へ行く道筋は、おそらくすべて抑えられている。

 地下室以外から下水道へ出る方法を考えなければならなかった。毒ガスはもう無いため、地下室にいる人間を毒ガスで一掃する方法は採れない。

 部屋の外のマンションの廊下は鏡により光に満たされている。行けるとしたら通気管だが、通気管を這い回っているところを人間に見つかれば、銃で撃たれ太陽の光で燃やされることになるだろう。それは避けたい。

 銃で撃たれず、外に、下水道に行く方法はないものかと。ポーラは爪を噛み考えた。

 窓を見る。光が入らないように、窓枠に木の板を打ちつけている。それを男達が鉄梃でこじ開けようとした形跡があった。

 側溝ならどうだろうか。

 外へ飛び降り、側溝のコンクリートのふたを開け中へ潜り込む。側溝にたどり着くまでの日差しは、洋服ダンスを背負って防げば何とかなるかもしれない。東に二十メートルも行けば、建物と建物の間にマンホールがあるはずだ。側溝の中を這い、その近くまでいき、側溝から出て、マンホールのふたを開け下水道に潜り込む。

 できるだろうか。マンホールのある場所は、建物と建物の間だ。おそらく日陰になっていると思うが、それでも、すさまじい痛みを味わうことになるだろう。この時間帯、ビルとビルの間が、日陰になっているのかもわからない。

 吸血鬼が、日中、外でまともに動けるのは、直射日光下で五秒から八秒、建物などの半日陰で、十五秒から二十五秒、といわれている。側溝からマンホールのふたまで、距離があればアウトだ。近くても、日陰になっておらず、日差しが降り注いでいたら、かなり難しくなる。ここから飛び降りて、うまく側溝の近くに落ちるのだって難しい。

 かといってここに居ても、再び人間が乗り込んできたら、ポーラに抗うすべはない。銃が落ちていたが、使ったこともないし、使ったところで夜まで、この部屋で立てこもるのは不可能だ。

 ポーラは覚悟を決めた。

 縦長の洋服ダンスのとびらを壊し中を空にする。いざというとき、日の光を和らげる目的で、常備していた発煙筒に火を付ける。煙が吹きでて、部屋に煙が充満する。

 両手に手袋をはめ、頭から厚手のカーテンをかぶった。手で、窓にはめてある木の板を外す。吸血鬼の力だ。板は簡単に剥がれた。それと共に光が入ってくる。手袋越しに、くるまっているカーテン越しに、太陽の光が、ナイフのように突き刺さる。

 痛みに耐えながら、窓の木の板をすべて剥がす。窓の真ん中部分を吸血鬼の力で力一杯押した。窓が割れ、窓が枠ごと外に落ちる。

 太陽が部屋の中に降り注ぐ。あまりの苦痛に、日の当たらない場所に避難した。

 右手の手袋の中から煙が吹きだしている。指先の感覚が無い。手袋を外すと、灰化した指先が砂のように落ちた。灰化した部分を叩いて落とす。ピンク色の筋繊維がゆっくりと、盛り上がる。

 普通の怪我とは違い、太陽に焼かれた傷の治りは遅い。再生を待っている暇はないので、かけた指のまま手袋をはめ、カーテンを体に巻き付ける。とびらを外した縦長の洋服ダンスを頭からかぶる。残りの発煙筒に火を付ける。

「よし」

 側溝の位置を頭に思い浮かべながら、洋服ダンスと共に外へ飛び出した。

 洋服ダンスで、できるだけ体を隠しながら、気が狂いそうな痛みと熱さの中、落下する。

 着地の瞬間、足を出す。

 石畳の歩道に着地する。足首の骨が折れ、腰骨が割れる。吸血鬼だからといって、骨が丈夫になるわけではない。筋肉で吸収できない分は骨に来る。洋服ダンスが地面にぶつかり一瞬跳ね上がる。

 直射日光は、洋服ダンスで防いでいるが、日差しが足元から入ってくる。足の皮膚が焼け、めくれ、筋肉が引きつる。

 発煙筒をばらまく。発煙筒の煙が辺りに広がり、日光の痛みが少しやわらぐ。

 毒ガスだ! 逃げろ! という声が聞こえた。発煙筒を毒ガスだと勘違いしているのだと、ポーラは理解した。これで少しは時間が稼げる。

 手袋をした手で道路を触りながら側溝のふたを探した。目は、ほとんど見えない。窓から飛び降りた際、地面から反射する光が目に入り、脳の奥まで焼き切れていた。

 細い直線の溝があった。それをたどっていく。ふたを開けるための穴があった。穴に指を入れ、持ち上げ、側溝の中に潜り込んだ。

 狭いが、小柄なポーラにとっては、中を移動するには、それほど苦ではなかった。腕を使い芋虫のように這い進んだ。落ち葉や土があったが、乾燥していたため、思ったより不快感はなかった。コンクリート製のふたには、ふたを持ち上げるための穴があいているため、そこから入る日光は、厚手のカーテンをかぶっていても、ポーラの頭から尻までを順に焼いた。

 しばらく進んだ後、小さなネズミ型の使い魔を召喚した。それを側溝のふたの穴から外へ押し出す。視野を共有し、外からマンホールを探す。

 五メートルほど行った先の右手に、建物と建物の隙間が見えた。そこにマンホールがあるはずだ。

 ポーラはネズミ型の使い魔と併走する形で、急いで前へ進んだ。右に曲がると使い魔の視野からマンホールのふたが見えた。マンホールの近くまで側溝の中を進んだ。

(まずいわ)

 建物と建物の間、マンホールのふた周辺に、日差しが入り込んでいた。マンホールの中に入るためには日差しの中を移動しなくてはならない。

 他に、マンホールはないのかと、ネズミ型の使い魔を走らせた。

 銃撃音がした。おそらく、ポーラと共に落ちた洋服ダンスに銃弾を撃ち込んでいるのだろう。このままだと、ポーラが側溝の中にいることがすぐにわかってしまう。

 時間が無い。 

 使い魔を呼び戻した。

 側溝からマンホールまで、二メートル程度だ。ポーラは覚悟を決めた。

 厚手のカーテンを体に巻き付け、側溝のふたを跳ね上げた。

 太陽の光が、カーテン生地を突き抜けてくる。全身の皮膚が蒸発して、肉が焼け引きつる。

 太陽の光の下に居ると言うだけで、いくら着込んでいても、だめなのだ。

「きひぃいいいい」

 痛い。

 頭皮がずるりとむけて、毛髪が灰になってずれ落ちる。

 唇がめくり上がり、口中がひからび、舌が砂のようになって落ちた。

 左の耳がつまったように聞こえなくなり、右の耳も聞こえなくなった。

 勘を頼りに、マンホールへ向かう。

 左足が動かなくなり倒れる。足の灰化が進み動かない。這うように進む。手に何かが触れた。かたい、少し丸みを帯びている。ふただ。ここにマンホールのふたがある。

 手で探る。指は、ほとんど残っていない。へこみがあった。マンホールのふたを開ける専用の工具を差し入れるための穴を見つけた。そこに、右手の親指の、根元の骨をねじ込む。他の指は、もう崩れ落ちていた。通常は専用の工具がなければ、ふたを開けることはできないが、吸血鬼の筋力で無理矢理ふたを持ち上げ転がした。その際、親指が手首の辺りまで裂けた。

 もう、どれだけ体が残っているのかわからない。

 マンホールの中に、手を入れる。暗闇が感じられた。マンホールの穴の中に、頭から滑り落ちる。

 暗闇へ。

 太陽のない世界へ。

 そのまま頭から落ち、下水道の中を這うように逃げた。




 捜査


 イーサンとエドワードは、一通りポーラ・リドゲードが潜伏していたマンションとその周辺を調べた後、ポーラ・リドゲードを通報した向かいのマンションに住んでいた老婦人の元を尋ねていた。

「夜、堂々と歩いていたのよ」

 イーサンとエドワードは、カーター夫人と向かい合って座っていた。テーブルには白い陶磁器に入った紅茶とクッキーがあった。

「お知り合いだったんですか」

「いいえ、会って話したことはなかったわ。窓から見ていただけよ。ときどき、ガス灯の明かりの中を、ふふっ、今思い返せば、ずいぶんと歩くのが速かった気がするわね。あの時代、夜中に女性が一人で出歩くなんて、とんでもないことだったのよ」

 声を潜めた。

「そういう時代もありましたね」

 イーサンはいった。

「ええ、しかも、私と同じぐらいの年頃の、当時のね。私が女学生だった頃の話よ。十代の女の子に見えたわ。月に、二、三度ぐらいかしら、毎晩外を眺めていたわけじゃないから、わからないけど、やっぱりあれかしら、血を吸いにいってたのかしら」

「吸血鬼は、一月に一度、血を吸えば事足りますから、他の用事もあったのかもしれませんね」

「あら、そんなに少ないの、私なんか毎日三食いただいてますのに、小食なのね」

「そう、考えることもできますね」

「結婚して実家を出て、夫が亡くなって、またこの家に戻ってきたの、最後は、ここで過ごしたかったの」

 カーター夫人は部屋を見渡した。古いダイニングテーブル、食器棚に写真立てがいくつか飾ってあった。古いが整えられていた。

「五十年ぶりに帰ってきたら、姿、見た目が変わらない女が夜に歩いていたということですね」

「ええ、驚いたわ。最初は、お孫さんかしらと思ったけど、歩いている姿まであの頃とおんなじ」

 カーター夫人は驚いたような顔をした。

「それで警察に知らせたと」

「ええ、すぐにというわけにはいかなかったわ。五十年前から同じ姿で、夜にしか現れない女の子なんて、私の記憶違いかもしれないしね。警察に話すまで、二、三ヶ月はかかったわ」

 目をそらした。二、三ヶ月、月に一人ほど、吸血鬼は血を吸う。

「お気になさらないでください。それよりも、せっかく知らせていただいたのに、逃がしてしまい。申し訳ありません」

 イーサンとエドワードは頭を下げた。

「私に頭を下げる必要は無いわ。それより、大勢の人が亡くなられたんでしょう。残念だわ」

「ええ、とても」

「なんだか不思議な話ね。五十年以上も、吸血鬼が居たなんて、あの人、人の命を奪うようには見えなかった」

「吸血鬼とはそういうものです。月に一度ほどの腹を満たすための行為、重いものではありません」

「そうね。食事だものね」

「ええ、その通りです」

 お互い少し笑う。

「でも、どこに逃げたのかしら、洋服ダンスの中にいたんでしょ」

 カーター夫人は、何度も避難を呼びかけたが、それに応じず。マンション二階の自室にて、戦術班の突入から、ポーラ・リドゲードの逃走まで見続けていた。

「それが、まだわからないのです。地下に潜り込んだことは、わかったのですが、そこから先は捜査中です」

「そう、大変ね」

「それよりも、ここを避難なさった方がよろしいのでは、万が一と言うこともありますので」

 警察に通報した報復に、襲われかねない。

「いやよ。ここは私の家、逃げる必要性なんか無いわ。なんだったら一度会って話をしてみたいぐらいよ」

「会って、どんな話をなさるのです」

「そうね。美容の秘訣かしら」

 笑った。




 吸血鬼、過去


 戦争により住んでいた家を失ったブレアとポーラは、町から遠く離れた山の中腹にあるブレア所有の家で暮らしていた。ブレアに「家にくるかい」といわれ、他に行くところが思いつかないポーラは「うん」と答えた。

 ブレアは昼間は寝ていて、夜になると起きた。暗くなると眠くなるポーラは、眠い目をこすりながら。

「どうして、いつもお昼は寝ているの?」

 と、尋ねた。

「吸血鬼だから、太陽の光に当たると死んじゃうんだよ」

 ブレアは正直に答えた。

「大変だね」

「そうだよ。大変だよ」

 笑った。


 一年ほど時が経った。

 ポーラの住んでいた国の名前が変わった。それに不満を持った人達が、小さな反乱を起こし、また別の国が関わり、戦渦は広がっていった。

 ポーラは、夕方に目を覚ます。家の中の魔灯に灯をともし、家の掃除をする。しばらくすると、ブレアが起きてくる。おはようと挨拶をする。ブレアはソファに座り、本を読む。ポーラは、食事の支度をし、一人で食べる。食事を終えてかたづけた後、ブレアの横に座り一緒に本を読む。わからない単語を教えてもらいながら、いろんな話をした。ブレアは五百年以上生きている。様々な国やその国の歴史を知っていた。それを教わるのが楽しみだった。

 必要な物があるときは、ブレアが買い出しに出たが、二人で買い出しに行くこともあった。山から離れた町まで、ブレアはポーラを抱えて夜の空を飛んだ。月明かりに山の木々が流れていく、ポーラの小さな足で歩いたら何日もかかるような距離を、あっという間に飛び越えた。

 町の、人気のない場所に着陸する。ブレアとポーラを包んでいた黒いもやのようなものが、薄くなり、剥がれるように消える。人の目に見ないように、ブレアがかけていた魔法だ。店はぽつぽつと開いていた。ブレアと手をつなぎ、買い物を楽しむ。戦時中ということもあり、物の値段は上がっていたが、ブレアはあまり気にしていないようだった。さすが五百歳だ。ポーラは感心した。


 共に暮らすようになって七年ほど経った。

 戦争は終わり、遠くの方へ流れていった。ポーラは背が伸び大人になっていた。ブレアとの生活はあまり変わらず、穏やかに暮らしていた。

 十八になったとき、ポーラは、ブレアに、自分を吸血鬼にしてくれと頼んだ。

「いいよ」

 とブレアはいつもと変わらない様子で答えた。


 ブレアの血が、ポーラに流れ込む。立っていられなくなり膝をつく。体の奥で、熱がほどけ拡散していく。しばらくじっとしていると、熱が収まり体が冷えた。立ち上がると、体が浮くような感覚がした。

「気分はどうだい」

 ブレアは疲れた様子で言った。

「とても、良い気分、すごく体が軽い。何だってできそうよ」

 軽くジャンプすると、天井まで頭がつきそうになった。鏡を見た。鏡に映る姿は、人間の頃とまるで変わらなかった。

「そばかすは、治らないのね」

 ポーラが鏡に顔を近づけ、残念そうに言うと、ブレアは笑った。




 捜査


 市内の喫茶店で、イーサンとエドワード、ブライアン・フロストとシャロン・ザヤットの計四人が集まっていた。

「何か進展はあったか」

 ブライアン・フロストがいった。第九分室が使えないため、定期的に場所を変え報告を受けている。

「今のところ何もない。現場の状況と目撃者の話を聞いただけで、ポーラ・リドゲードが潜伏している場所を特定できるだけの情報は無い」

 イーサンが答えた。

「そうか。シャロンは何かわかったか」

「現場に残されていたポーラ・リドゲードの肉片を調べてみたんだけど、再生力が強い血筋のようね」

 吸血鬼には、身体能力が高い血筋や、魔力が強い血筋など、いくつかの血筋がある。

「それで逃げられたんだな」

「年齢はどうなんだ」

「魔力計で計ってみたけど、百五十年から二百五十年ってとこね」

「手ごわい年齢だな」

 吸血鬼の力は年を取るごとに強くなっていく。

「むつかしい、お年頃ってわけね」

「他班はどうしているんですか」

 他の捜査員も、ポーラ・リドゲードの捜査にかり出されている。

「第四分室が下水道内を捜索したようだが、デリヌ通り周辺の下水で痕跡が途絶えたそうだ。第七分室は、不動産関係を調べている。今のところ、ポーラ・リドゲードが関わっている怪しい建物は出てきていない」

「下水道は、何とかならないものなんですかね。吸血鬼がしょっちゅう、あそこに逃げ込んでいますよ」

「ならないよ。吸血鬼より疫病の方が恐いからね」

 ブライアン・フロストがいった。

 吸血鬼一人につき、年間の吸血犠牲者は二十人程度、疫病が流行ると万単位の人間が死ぬ。

「昔の都市部では、糞尿は道に投げ捨てられていた。とにかく臭かったよ」

 イーサンは顔をしかめた。

「いつの時代の話だ」

「二百年ほど前かな、この辺りの、下水道工事には、私も影ながら尽力した」

「どうりで、下水管が広めに作られているわけね」

「直接川に流さず、汚水処理して流すように働きかけたのも私だ。そうしないと今度は川が汚染されてしまう」

「ありがたいような、ありがたくないような話だな」

 顔をしかめた。

「今更、昔には戻れないさ。せいぜい時々マンホールのふたを開けて、太陽の光を当てながら、下水道のチェックをするぐらいしかできることはないね」

「ままならんもんですね」

「そうだな、地道に、がんばっていくしかないよ」

「それで、あれから、他に襲撃された分室はないのかね」

「無い。なぜ第七室が攻撃されたのか未だにわからない」

「ジム・ハモンドに会えないか」

 イーサンがいった。

 ジム・ハモンドはマンションに突入した戦術班で唯一生き残った人間である。

「会ってどうする」

 ブライアン・フロストは警戒した様子を見せた。

「確かめたいことがある。意識はあるのか」

「意識は回復したそうだ。それで何を聞きたいんだ」

「聞きたいというか、確かめたいことがあってね。第七分室の人間が彼の病室に行ったかどうか知りたいんだ」

「彼が、ジム・ハモンドが第七分室の情報を漏らしたと疑っているのか」

 ブライアン・フロストは眉をひそめた。

「いや、彼というより、彼に付いているかもしれない何かかな」

「何か? どういうことだ」

「ポーラ・リドゲードの部屋に魔術関係の本がたくさんあった。一番多かったのが、使い魔に関する本だ」

「それが、どうした」

「使い魔を、生き残ったジム・ハモンドに取り付かせた可能性がある」

「そんなことができるのか」

「可能だ」

「そうなのか」

 ブライアン・フロストは、シャロン・ザヤットの方を見た。

「使い魔に関して私は詳しくないけど、少なくても人間にそんな芸当はできないわ。使い魔なんて、召喚するだけで、ひと苦労だし、操れても短時間だけよ。でも、吸血鬼の場合は、持ってる魔力の量が違うから、長時間維持できるかもしれないわね」

 人間の尺度ではわからないわ。シャロン・ザヤットは付け加えた。

「感覚共有という魔術で、使い魔の五感を術者が共有することができる。入院中のジム・ハモンドの部屋に、小型の使い魔を潜ませておけば、様々な情報を収集することができる。たとえば、第七分室所属のジム・ハモンドの知り合いが、見舞いに来た可能性も考えられる」

「その時に、第七分室の情報が漏れたのではと考えているんだな」

「ああ、毒ガスが蔓延した部屋で、ジム・ハモンドのみ、生き残ったことも引っかかる。使い魔をジム・ハモンドに潜ませておけば、ジム・ハモンドの行方を知ることができる。使い魔の位置を知るのは、感覚共有より、もっと簡単だ」

「わざと、生き残らせて、使い魔を取り付かせておいて、居場所を特定し、別の使い魔に、感覚共有だったか、情報収集をさせていたということか。なるほど、それについてはこちらで調べておこう」

「私が調べた方が早いと思うがね」

「そういうわけには、いかないよ。第七分室が襲われた件で皆ぴりぴりしている。わかっているだろ」

 ブライアン・フロストはイーサンの首元を指さした。イーサンの首には銀色の首輪がかけられている。

「そういうことなら仕方ない。だが、急いだ方がいい。場所を特定するぐらいなら、多少距離が離れていても可能だが、使い魔と感覚共有するには、ある程度距離が近くなければできない。もし、私の推察通り、使い魔をジム・ハモンドに張り付かせているとしたら、ポーラ・リドゲードは、ジム・ハモンドの付近に潜んでいる可能性がある」

「それも、伝えておこう」

 ブライアン・フロストは苦々しい表情を見せた。


 ジム・ハモンドの病室を捜査したところ、微細な魔力反応が残っていた。付近を捜査すると、病院から北へ五百メートルほど離れた空き家で、ポーラ・リドゲードが潜伏していた痕跡が発見された。

 空き家の床下に三メートル四方の穴を掘り、そこに布団や雑誌などを持ち込んでいた。逃走用に、近くの下水道に続く穴まで掘っていた。所有者を調べたが、ポーラ・リドゲードとは無関係だった。

 ジム・ハモンドは、すぐに別の病院へうつされた。

「七分室に毒ガスを仕掛けた後、すぐここを捨てたのだろう」

 イーサン・クロムウェルは床下につくられた居住スペースを見ながらいった。イーサンとエドモンドの二人は、ポーラ・リドゲードがしばらく潜伏していた病院近くの空き家に来ていた。

「昼間は、ここで、ジム・ハモンドの監視をしていたってわけか」

 第七分室に所属していたジム・ハモンドのかつての上司が、ジム・ハモンドの病室に見舞いに来ていた。その時に、追跡用の使い魔を、その上司に張り付かせていたのではと推測されている。その上司は、第七分室で発生した毒ガスで命を失っていたため、事実を正確に確認することは難しかった。

「二百歳前後になると、昼間でも、がんばれば目を覚ましていられるようになるからね」

「若いと起きていられないのか」

「むつかしいね。短時間なら問題ないが、眠気が強すぎて、昼間は長時間活動できない」

「おこちゃまってわけか」

「昼夜逆転してるがね」

「しかし、ここまでするもんかね。泥臭いっていうかなんていうか、こんなところに潜んでよ。よっぽど根に持っていたんだな」

「自宅を襲撃されたら、どの吸血鬼でもそれなりに怒るよ。君だって寝ているところを急に起こされたら、それなりに怒るだろ。それと一緒だよ。ようは、どれだけやるか、いつまでやるか、そういう問題だね」

「ポーラ・リドゲードは報復を、続ける気なのか」

「いくら報復したところで、人の数は多いし、自分が見つかるリスクが増えるだけだ。報復は、あまり意味がないということに、いずれは気づくだろう。でもまぁ、話し合う機会なんて、たぶん訪れないだろうから、考えても無駄だろうね。その辺は個性の問題だね。我々としては、いつもの仕事をするだけだよ」

「地道な捜査か。だがよ、なにも手がかりがないぞ」

 エドワードは顎髭をなでた。

「北東にいる可能性が高い」

「北東?」

「ポーラ・リドゲードは、昼間は、ここで、ジム・ハモンドの病室の監視をし、夜に、別の隠れ家に帰っていた形跡がある。ここと、隠れ家を、いったりきたりしていたようだ」

「ずっとここにいなかったのか」

「おそらくな、長時間居るには、居心地が良いとは言えない」

 床下を指さした。快適とは言えない。

「なんで、北東から来たとわかったんだ」

「庭に女性物の靴跡がいくつかあった。足先はすべて南西を向いている。つまり北東から来たというわけだ」

「庭? 何で庭なんだ。門とは逆方向だよな。門を通らず庭から入ったってことか」

 敷地内の構造を思い浮かべた。わざわざ堀を飛び越えて庭から入る理由が、エドワードには思いつかなかった。

「ポーラ・リドゲードは北東から空を飛んできて、庭に着地していた。門を通る理由はない」

「空を、まじか」

 驚いた表情を見せた。

「踏まれた雑草や、折れた木の枝、わざと間違った痕跡を残したのでなければ、北東から飛んできたと考えるのが妥当だろう」

 二人は庭に移動した。

 庭の草むらの足跡らしきくぼみをイーサンは指さした。塀の向こうには、別の家がある。

「そういやぁ、吸血鬼は空を飛べるとかいっていたな」

「ああ、練習すればな」

「空なんか飛ばれたら、ますます探しにくくなっちまうな」

 ため息をついた。

「そうだな。徒歩より移動範囲が広がるからね」

「しかしよ、夜とはいえ、空なんか飛んでいたら目立つんじゃねぇか」

「見えにくくする方法はいくらでもある」

「どうやってここを、潜伏先として見つけたんだ。上から見たって空き家かどうかなんてわからないだろう」

「近くの不動産屋が所有している物件だから、店舗に貼り付けてあるチラシを見れば、この空き家の情報を簡単に手に入れることができる。普通に歩いて探したんだろう。土地勘があって、たまたま知っていた可能性もあるが、そこから何かをたぐり寄せるのは、望み薄だね」

「また、ここに戻ってくるなんてことは無いよな」

「捜査員がここに来ていたことは、すぐわかるし、ジム・ハモンドもいない。昼間に再び床下に寝っ転がってくれるなんて奇跡は起きないだろうね」

「なんとかならないのか。命を狙われているんじゃないかって考えるとよ、落ち着かないぜ」

 エドワードは顔をしかめた。

「北東方面を重点的に調べるしかないだろうね。隠蔽する方法があるとはいえ、もし魔術が未熟なら、なにかを目撃されている可能性はある。できるだけ早く見つける。解決方法はそれだけだよ」

「たまたま夜中、空を見上げていた人間を探せって言うのか」

「他に手がかりがなければ、仕方が無いね」

「めんどくせぇなぁ」

 頭をかいた。




 吸血鬼


 ポーラは、ブレアと共に過ごした山の中腹にある家で暮らしていた。ブレアとは、百二十年ほど、この屋敷で過ごした。

 壁に一枚の肖像画が飾ってあった。ブレアとポーラが並んで描かれている。ブレアが、絵を描くのを趣味としている吸血鬼に描いてもらったものだ。人の姿をしているが、人ではないなにか。それを感じさせてくれるような絵だった。

「一人ではやっぱり広すぎるわね」

 屋敷の周りには結界が張ってあるため獣すら近づかない。虫の音と風の音、聴覚が優れた吸血鬼でも、静かに感じた。


 およそ八十年前、ブレアは滅んだ。

 その日は、夜から激しい風が吹いていた。 

 ポーラは昼、不快な音に目を覚ました。

 眠気とだるさにぼんやりとしながら、何の音だろうと、辺りを見渡した。寝室である。

 警報音であることを思い出し、跳ね起きた。

 屋敷内に異常が起こった際に鳴る音だ。一度、ブレアが説明をしてくれた。

 気配を探る。

 人の気配はしない。何者かが屋敷を襲撃しに来たわけではなさそうだ。少し安堵した。

 しかし、それは、つかの間のことであった。

「ブレア」

 あり得ないことが起こっていた。ブレアの気配が徐々に小さくなっていた。

 ポーラは自分の部屋を飛び出し、ブレアの部屋へ向かった。飛ぶように走る。壁を蹴り廊下を曲がる。

 すぐにたどり着く。

 ブレアの部屋のドアノブを握る。

 開く。

 開いたドアから光と風が吹き出してきた。

「ひぃいいいいいいい」

 部屋の中は太陽の光にあふれていた。人であった頃には見慣れたもの、夜の住人になってからは一度も見ていない滅びの光。それがあった。

 眼球が焼け、上唇がめくり上がり歯茎まで焼けた。

 のけぞり、四つん這いになりながら、光から逃げる。ブレアが居る部屋のドアから遠ざかる。

 手探りで別の部屋のドアノブを握り、中に転がり込む。

 熱さと痛みに、のたうち回る。

 一瞬で目が焼かれたため、ブレアの部屋の様子はわからなかった。おそらく、窓か壁が壊れて、室内に光が入ってきたのだろう。その中に、ブレアは居る。

 ポーラは何度もブレアの元へ行こうとしたが、ブレアの部屋の開いたドアから漏れ出る太陽の光に近づけなかった。

 熱と痛みに意識がもうろうとし、ポーラは意識を失った。

 目を覚ますと日は沈んでいた。

 風は収まり、静かだった。

 ブレアの部屋に行く。

 部屋は倒木により、窓の鎧戸ごと壊れていた。昔ブレアが、庭に生えていた巨木を指さし「私より長生きしている木だよ」と、うれしそうに笑っていたことを、ポーラは思い出した。 

 ベットの上にはブレアが着ていた服と、風に飛ばされた灰が散乱していた。

 六百年以上生きていた吸血鬼が倒木で滅んだのだ。




 捜査、村の老人の昔話


「その昔、夜に飛ぶ変わったカラスがおった。二匹のつがいのカラスで、夜の空、真っ黒な体で、獲物を探し飛び回っていた。ある夜のことだった。メスのカラスが、空の上から声を聞いた。きれいな星は、いらんかね。と、メスのカラスが見上げると、一匹の蜘蛛が夜空にゆらゆらと浮いていた。あら、きれいな星ね。いただけるの? メスのカラスが問いかけると。蜘蛛は、ああー、もちろんだよ。こっちにおいでー。と言った。メスのカラスは夜空を上へ上へと羽ばたいた。やがて蜘蛛の元へたどり着くと、メスのカラスの体は動かなくなった。星々に張っていた蜘蛛の糸がカラスの体に絡みついたのだ。メスのカラスは声を上げようとしたが、蜘蛛の糸がくちばしに絡んで声は出なかった。蜘蛛はカラスにゆっくりと近づき、真っ黒な、きれいなカラスだー。と笑った。メスのカラスが居ないことに気づいたオスのカラスはメスのカラスを探し、飛び回った。だが見つからなかった。いつも、獲物を探すため下ばかり見ているオスのカラスは、星空を見上げるという発想がなかったのだ。オスのカラスは、メスのカラスを探し、延々と飛び続けたとさ。下ばかり見ていると、上にある大切な物に気づかない。そういうお話しじゃ」

 テレーズ市から二十キロほど離れた北東にある山村に、イーサンとエドワードは来ていた。夜空に浮かぶ怪しい人影の目撃情報をたどっていくうちに、この村にたどり着いた。ここにたどり着くまで一ヶ月はかかっている。

「ご老人、その話は、いつ頃からある話なんですか」

 イーサンは聞いた。

 夜中に飛んでいる人影を見たことは無いかと、聞いたところ、出てきた話がこれである。

「さて、わしが、子供の頃に、親から聞いた話じゃからのう。古いのは間違いない」

「そのカラスがあれか、吸血鬼をあらわしているってことか」

 エドワードはいった。

「どうじゃろうのう。この辺りは自然豊かな場所だ。フクロウやコウモリが夜中に飛んでいても、たいして珍しくもない。夜中に飛ぶ怪しい人影と聞いて、ふと思いだした話をしたまでじゃ。あっはっはっはっ」

 老人はゆかいそうに笑った。


「また山奥だな」

 エドワードは草を食んでいる馬の鬣をなでながら言った。イーサンとエドワードはここに来るために馬を二頭借りた。乗り合い馬車も通っているが、三日に一度ほどしか来ていない。

「空を飛べるなら、人里離れた山の方が、見つかりにくいからね」

 イーサンは疲れた表情を見せた。

「この辺りにいるのか」

「最近の話も、古い目撃談も、この辺りを中心に存在している。可能性はある」

 夜警やホームレスの目撃情報も、この辺りに向かっている。

「じいさんや、ばあさんの昔話なんて当てになるのか」

「ポーラ・リドゲードの年齢が二百歳前後だとすると、村の古老の昔話も当てにならないわけではない。昔から、吸血鬼が居る土地には、不思議な伝承話が多いものだよ」

 昔、己が住んでいた土地でもおかしな伝承話が伝わっていたことをイーサンは思い出した。真夏にあらわれた数ヶ月もとけない氷の柱、雷に打たれ虫のように落ちてきた天使の群れ。全く身に覚えがないものもあれば、少し身に覚えがあるものもあった。

「元々は、この辺りに住んでいたかもしれないな。田舎暮らしに飽きて、ちょっぴり都会にお引っ越し、わからなくはないな、こんな山ん中で一人でいたくないよな」

 エドワードがいった。

「人恋しくなって町に出たか」

「長生きするのも考えものだな」

「おもしろいこともいろいろあるもんだよ」

 イーサンは、かすかに笑った。

「あれから、ポーラ・リドゲードは一度も襲撃してこないが、報復はあきらめたのかな」

「どうだろう。あきらめたかもしれないし、とんでもない大虐殺の準備中かもしれない。だがまぁ、あまりやり過ぎると、他の吸血鬼から怒られたりもするからね」

「へぇ、そういうのあるんだ」

「吸血鬼に対する取り締まりが強化されれば、困るのは吸血鬼だ。そこは吸血鬼も避けたいと思うものだ。それに吸血鬼は元は人間だ。人をむやみに殺す吸血鬼のことを好ましく思わない吸血鬼もいる」

「寂しがり屋の田舎娘が居れば、無益な殺生を止めたがる吸血鬼もいるし、人間に戻っちまった吸血鬼も居る。いろいろあるもんだな、吸血鬼も」

 エドワードはイーサンを見ながら言った。

「そういうもんだね。村の役場で、この辺りの山の所有者を調べてみたら、気になることがわかった」

「なんだ。変な昔話ならもういらないぞ」

 エドワードは顔をしかめた。

「一つだけ所有者が、よくわからない山があった。数年前に、役場で、付近の山の所有者が生きているかどうか確かめるため、調べてみたそうだ。マント社という会社が所有している山なのだが、住所がある町に行っても存在せず、よくわからなかったそうだ」

「その山に、吸血鬼がいるかもしれないって話か」

「わからないが、可能性があるなら、調べなきゃならんだろうね」

 イーサンは山々を見上げため息をついた。


 山の中腹に一軒の家が建っていた。三百年ほど前にたてられた家は元は貴族の別荘であった。そこに行くまでの道の名残はあったが、歳月と共に木々に覆われていた。

「あの家か」

 塀や門などは無く、二階建ての、どっしりとした古びた家が見えた。

「あの中に吸血鬼が居る。おそらく、ポーラ・リドゲードだろう」

 イーサンは手に持ったコインを指でさすりながら言った。魔力に反応するコインである。

 山の所有者はどう調べてもわからなかった。税金だけはしっかり振り込まれているため、誰かが居ることだけは間違いなかった。山に入って調べてみると、強い魔力の反応があり、半径一キロ程度の人よけの結界が張ってあることがわかった。

「もう、俺たちのことは気づかれてるよな」

「ここに来る途中に、人よけの結界を通ったからね。間違いなく気づかれてるよ」

 ここに来る途中の道で、不安や恐れ、嫌悪感を感じる場所を通った。

「あんな変なところ二度と通りたくはないわね」

 パメラ・モートンが額の汗をぬぐいながら言った。

「別に無理して付いてこなくても良かったんだぜ」

 エドワードがいった。

「そういうわけにもいかないわ。私は現場主義なのよ。自分が調達した物を、最後まで現場に届ける責任があるのよ」

「そりゃ、ありがたいことで」

「ま、荷物を運んでくれる人がいて楽だったけどね」  

 パメラは後ろを振り返った。

 二十人ほど、荷物を背にしょっている男達と農耕馬が二頭居た。

「何で、俺達が、あんたらの協力をしなきゃならんのですかね」

 オーガス・タルンドが不満そうな顔で言った。オーガスはデラウェンでギャングをやっている男である。

「仕方ないだろ。吸血鬼退治に人手が居るから来てくれなんて、普通の人足に頼んだって来てくれないだろ」

「だからといって協力する義理は、もう無いはずなんですがね」

 オーガスとは、別の吸血鬼を退治する際協力しあった。

「そういうなよ。最近は取り締まりの方も厳しくなってるんだろ。まっとうな仕事ができて、人々に感謝される。いいことじゃないか」

「これのどこがまっとうな仕事ですか。やべぇやつでしょうに、まぁ、払うもんさえ払ってもらえれば、いいっちゃあいいですけどね」

 顔をそらした。吸血鬼に襲われた事件のおかげでオーガスが所属している組織は著しく弱体化していた。その上、地元の警察には、ばっちり目を付けられていた。

「それで、これからどうするんだ」

 エドワードはイーサンを見た。イーサンは空を見上げていた。

「少し早いが、昼飯にしよう」

 イーサンは背負い袋の中からワインボトルを取りだした。




 吸血鬼


 ポーラは屋敷の地下にいた。イーサン達の行動を使い魔を通じて見ていた。

 わざわざこんな山奥に、人相の悪い二十人もの人間が、二頭の馬と一緒に荷物を持って近づいてくる。

「ピクニックなわけないわよね」

 イーサン達が食事の準備を始める様子を見ながら、首をかしげた。




 捜査、山


 食事を終え、エドワードは良い気分で木陰でうとうととしていた。

「来たぞ」

 イーサンの声にエドワードは目を覚ました。

「おっ、そうか」

 空を見上げると、豆粒のような物体が浮かんでいた。

「あれが、飛行船って奴か」

 ゆっくりと、こちらに近づいていた。

「ええ、そうよ。軍の物を借りたかったんだけど、さすがに無理だったから、民間の飛行船会社にお願いして借りてきたのよ」

「どうやってお願いしたのか知らないが、よくやってくれた」

「そうでしょう」

 パメラ・モートンは自慢げに微笑んだ。




 吸血鬼


「なんなのあれ」

 ポーラ・リドゲードも飛行船が近づいていることに気がついていた。

 使い魔を屋根の上に登らせ、視覚を共有した。

 アーモンド型の飛行船がこちらに向かって近づいてきているのが見えた。

「どうしようもないわね」

 飛行船を打ち落とすような魔法も、空を飛べるような使い魔もポーラ・リドゲードは所有していなかった。




 山、吸血鬼退治


 飛行船はゆっくりと近づいてきた。

 まるで鯨のような巨大な白い袋の下に、窓がいくつか付いた木造の建造物のようなものが、ぶら下がっている。

「ヒーゲル聞こえるか」

 イーサンが無線機で呼びかけた。

「聞こえますぜ」

 ヒーゲルは戦術班の人間である。三十代後半のオールバックの髪型、両端が上に丸まった口ひげを生やした男である。ビル・カークランドの部下でビル・カークランド亡き後、戦術部隊をひきついだ。

「屋敷は見えているか?」

「ええ、ばっちり見えてます」

 飛行船の窓を開け手を振った。

「屋敷の上空に来たら教えてくれ」

「了解しやした」

 無線を切った。

「飛行船とは豪勢だな」

「毒ガスが待ち構えている吸血の屋敷に直接戦術班を送り込むより安上がりだからね」

「俺たちは良いのかよ」

「まぁ、誰かが行かなくてはならないからね」

 肩をすくめた。


 飛行船は、ポーラ・リドゲードのいる屋敷の百メートルほど上空で、静止した。

「屋敷の上空です。指示をどうぞ」

 無線が入った。

「爆弾を投下してくれ」

「了解」

 ヒーゲルは飛行船の窓から時限式の爆弾を投下した。風に煽られながらも、屋根に落ち、しばらくして爆発した。屋根瓦が吹き飛び、屋敷全体が揺れた。次々と投下される。爆発する。いくつかは外れ庭に落ちた。屋根が壊れ穴が空く、そこに爆弾が転がり込む。窓ガラスが割れ、壁が吹き飛んでいく、徐々に壊れていく。ブレアと共に暮らした家が壊れていく様を、使い魔を通してポーラはただ見ていた。

「一方的だな。本当に、あの中に、いるのか」

 エドワードは眉をひそめた。何らかの反撃があるのでは無いかと思っていたからだ。

「人間が空を飛べるようになったのは、五十年ほど前だ。多くの吸血鬼は、それに対応できていないんだよ」

「自分たちだけが空を飛べると思っていたってわけか」

「面倒なのだよ。人の技術的進歩に合わせて、守りを変えていくのは、いつ来るのか、来るのかどうかもわからない人間のために、対策を考えるのも備えるのも面倒なのだよ」

「お袋の突然の訪問に備えるようなもんだな」

 笑った。




 吸血鬼


 ポーラは、使い魔を使って外の様子を見るのをやめた。地下室で空から投下される爆弾の音と壊れていく家の音を聞いていた。

 悲しみも怒りもあったが、それに身を焦がすほど、若くはなかった。ただ、もう、これで終わるのだなという、あきらめの気持ちが強かった。

 地下室の天井は分厚く作られているため、爆弾ぐらいではびくともしない。だが、地下室から他に逃げ場はなかった。

「空から攻撃してくるなんて、ずるいじゃない」

 すねたような口調で口に出してみたが、よくよく考えると、ポーラも空を飛んで移動して人間の血を吸っていることを思い出し、人のことは言えないなと、少し笑った。

 屋敷全体に様々な罠が張り巡らされていた。庭先には串刺しの罠、踏めばレイスが召喚され死の抱擁をもたらす罠、玄関には酸の罠、室内には各種毒ガスが吹き出す罠があり、数体のゴーレムが屋敷内を守っていた。

 それらは、すべて上空からの爆弾で破壊された。庭先にいくつか罠は残っているが、きっとそれらも破壊されるだろう。

 だからといって、生き残るすべが全くないかというと、そうでも無いとも思っていた。夜、日が落ちれば、捜査官になすすべはない。日が落ちるまで、ポーラが地下室で生き残ることができれば勝ちだ。

 勝ち目は薄いかもしれないが。

「抵抗ぐらいは、しないとね」

 ポーラは自身の背丈ぐらいの大きさのあるクロスボウを手に取った。




 山、吸血鬼退治


 一部の壁や柱を残し、屋敷は崩壊していた。瓦礫が積み上がり、噴煙が立ちこめていた。

「庭にも罠が仕掛けられているかもしれない。私たちが居る方向に向かって、爆弾をいくつか落としてくれ」

「了解」

 イーサン達が居る方角に向かって、飛行船を進めながら、爆弾をいくつか投下していった。爆発に紛れ得体の知れない光や音が出た。

 一通り投げた。

「ありがとう。助かったよ。とどめはこちらで刺すから帰ってくれてかまわない」

「ご武運を」

 ヒーゲルがいった。

「善処する」

 飛行船は帰って行った。

「さて、ここからが我々の出番だ」

「後片付けのお時間て訳だな」

 煙と焦げた匂い。建物の破片があちこちに飛び散っている。

「その通り、ただし、日没までに、瓦礫を撤去し、たぶん地下室にいるポーラ・リドゲードを見つけ滅ばさなければ

片付けられるのは我々の方になる」

 イーサンはいった。

「いやだ。あの飛行船に乗って帰りてぇ」

 オーガスがいった。

「俺もだよ」

 エドワードは去って行く飛行船を見ながらつぶやいた。


 まだ壊れず残っている罠に警戒しながらも、イーサンとエドワード、二十人の男達と二頭の農耕馬は瓦礫の撤去を進めた。

 二時間ほど、がれきをとりのぞいていると、瓦礫の下に地下室の入り口らしき鉄のとびらを見つけた。

「何とか間に合ったな」

 汗をぬぐった。

 午後二時三十分、日はまだ十分あった。

 爆弾に壊された部屋の床に鉄製の扉があった。エドワードはバールを差し込みこじ開けた。

「真っ暗だな」

 エドワードは地下室の入り口をのぞき込みながら言った。

「階段が少し続いているようだね」

 イーサンは懐中電灯を暗闇の奥へ当てた。白い階段が下へ続いていた。

「いるな」

 エドワードは、額の汗をぬぐった。地下室の奥から、引きずり込まれるような重圧を感じた。

「ああ、いるね」 

「で、どうするんだ。この様子じゃあ、確実に待ち伏せしてるぜ」

「とりあえず、できるところまで、太陽の光を流し込もう。おっと、その前に、毒ガス対策をしておかないと」

 イーサンは立ち上がって、管が付いたフルフェイスのマスクを手に取った。

「これがあれか、防煙マスクって奴か」

「ええ、そうよ。消防署にお願いして借りてきたのよ」

 パメラがいった。火事などの際に使われる物だ。

「こんなんで、大丈夫なのか」

 エドワードはマスクを付けた。頭部は金属製で顔の部分はガラス製でできており、口元に当たる部分に空気を通すゴム製の管が長く伸びていた。

「けっこう息苦しいな。大丈夫か、これ」

 エドワードは、マスクの中で、苦しそうに息を大きく吸ったり吐いたりした。

「それはね。パメラが君の空気を通す管を踏んでいるからだよ」

 イーサンがあごで指した方向を見ると、パメラが笑顔を浮かべ、エドワードのマスクから伸びている空気を通すゴム製の管を両足で踏んでいた。

「おい! やめろよ!」

 エドワードはマスクを外しながらいった。

「あらー、ごめんなさいね。気がつかなかったわ」

 笑いながら足をどけた。

「それやっちゃいけない冗談だろう」

 エドワードは管を引っ張った。




 吸血鬼


 地下の扉が開けられ、太陽の光が入り込んできた。ポーラは物陰に隠れながら、だるさとしびれるような不快感を感じていた。

 毒ガスは使っていない。使い魔を使って様子を見たところ、マスクらしい物をかぶっているのが見えたので、すでに対応していると考えた。

 しばらくすると、マスクをかぶった男が階段に何かを設置し始めた。

 使い魔越しに様子を見てみると、マスクをかぶった男が鏡を階段に設置しているところが見えた。太陽の光を鏡に反射させ、光を地下室の中に取り込もうとしているのだろう。

 少しでも、あれに触れれば焼けるのだ。

 ポーラは、夜目が利くネコ型の使い魔を肩に乗せ、クロスボウを構えた。

 マスクを付けたエドワードは、長めのトングで鏡を挟み、角度を付けながら階段に鏡を設置していく。少しずつ光が地下室に向かって入り込んでいく。

 五枚目の鏡を設置しているとき、音がした。何かが飛んできて設置したばかりの鏡を割った。エドワードは手をひっこめ、慌てて階段を上った。下を見ると矢が鏡を割りコンクリート製の階段に突き刺さっていた。

「クロスボウか。すごい威力だな」

 イーサンは階段をのぞき込んだ。

「俺の手の心配をしてくれよ。ああなっていたかもしれないんだぞ」

 エドワードは手をなでた。

「クロスボウで狙われているとなると、鏡を設置していくのは難しそうだね」

「どうする。階段がだめなら、地下室の天井を壊して、光を入れるか」

「地下室の天井は分厚そうだ。難しいんじゃないか」

 地下室の天井は、石でできており厚さが三十センチ程度あった。

「一か八か、突入するか」

 エドワードは銃を構える仕草をした。

「普通に突入しても、クロスボウの餌食になるだけだ」

 日のあるうちといっても吸血鬼の運動能力は高い。人間の動きをとらえることはそれほど難しくはない。

「しかしよ。日没まで、あまり時間は無いぜ。日が沈めば俺たちの負けだ」

 夕方の三時、山の中腹であるため、日が沈むのも早い。

「銀紙を使うか」

「なんだそりゃ」

「光を反射する塗料が塗ってある薄い紙切れだ。それを大量に地下室に蒔いて、風で送り込む」

「その地下室に舞った銀紙で、光を反射させようってわけだな。でもよう風なんかどうやっておこすんだ。うちわか」

 エドワードは手を上下に動かす仕草をした。

「毒ガス対策に、空気を送り込む扇風機を持ってきている。鉱山などで使われる物だ。それを使って地下室内に風を送り込み、銀紙をばらまけば、銀紙が風で舞って、地下室内に光を送り込むことができるかもしれない」

 少し不安げな表情を見せた。

「なんにしろやってみようぜ。時間も無いことだしよ」

 エドワードは言った。




 吸血鬼


 日が陰り始めた。それと共に不快感が徐々に薄れ、ポーラは力が増してくるのを感じた。

 地下室の上では人間達が作業をしている。

 後二時間もすれば日は沈む。いや、山があるため日が隠れるのはもっと早い。太陽さえ隠れれば、外に出て戦うこともできる。

 あと少し、あと少し。ポーラはクロスボウを祈るように握った。




 山、吸血鬼退治


 大型の扇風機を発電機につなげ、地下室の入り口付近に設置する。地下室に風が流れ込むように扇風機の角度を調節する。発電機を稼働し、扇風機を動かす。風が地下室目がけ流れ込む。

「よし! 銀紙を流してくれ!」

 イーサンは扇風機の音に負けないよう大声を出した。

「あいよ!」

 エドワードは銀紙がたっぷり入った袋に手を突っ込み、細い短冊状になった銀紙を地下室の入り口に押し込むように流した。風に乗り銀紙が光を反射しながら地下室に入り込む。

 地下室に入らなかった銀紙が、瓦礫の中、空を舞い、光をまき散らした。




 吸血鬼


 地下室に入り込む風の音を聞いたとき、毒ガス対策だろうかと、ポーラはそう思った。地下室の入り口から風と共に、何かが流れ込んできた。

 小さな光。

 無数の小さな光が風と共に入り込んできた。

「いっ!」

 ポーラは苦痛の声を出した。入り込んできた小さな光が、ポーラの目に入った。次々と小さな光りが入り込んできた。ポーラは視野を肩に乗った使い魔に切り替えた。

 暗闇のはずの地下室に、小さな光が太陽の光が無数に舞っていた。それが、熱した針のようにポーラを傷つけた。

「痛い!」

 背中を丸め、物陰に隠れる。それでも、光が、気まぐれにポーラを刺した。なにか、なにかと、手を振り回し、光から痛みから逃れるため、さえぎる物を探した。

 人の気配がした。風の音の中、人の足音がした。クロスボウを手に取る。使い魔の視野で、地下室の入り口付近を見る。銃を持ったマスクをかぶった男が階段を駆け下りてきていた。

 クロスボウを男に向かって向ける。光の針が顔に突き刺さる。痛みに耐えながら狙いを付ける。

 銃声がした。

 散弾銃から放たれた銃弾が、肩に乗せていた使い魔を吹き飛ばした。ポーラの視野が消えた。

 気配を頼りに、クロスボウを向ける。クロスボウの引き金を引く。それと同時に銃声がなる。弾はポーラの頭を半分ほど吹き飛ばした。クロスボウの矢はわずかにそれた。 体がうまく動かせなくなる。意識は、はっきりあった。頭も半分はある。ポーラは動けと体に命じた。クロスボウに矢を装填し、弦を引く。再び銃声。ポーラの残った頭部が飛び散る。音が消える。匂いもだ。意識はある。脳が吹き飛んでいるのにも関わらず、太陽の光の痛みだけは、はっきりと感じた。

 クロスボウを、人の気配のする方向へ向ける。引き金を引く。矢は放たれなかった。発射の感覚が無い。おそらくショットガンの弾が弦に当たって切れたか、どこか壊れたのだろう。 

 ついていない。そう思いながら、ポーラはクロスボウを振り上げ、鈍器として叩きつけようと前に出た。胸に穴が空く。それでも前に出る。銃弾の痛みなんて太陽の光に比べればなんて言うことはない。進む。人の気配がする。怯えたような感情も伝わってくる。それ目がけ、ポーラはクロスボウを振り下ろそうとした。

 意識がねじれた。

 光が見えた。

 頭を失っているにもかかわらず、光が焼き付くように見えた。

 おそらく別の人間が鏡で反射させた光だろう。その熱さと痛みに、ポーラの意識はねじれた。

 銃弾が撃ち込まれる。肉体が倒れる。銃弾がさらに撃ち込まれていく。起き上がれない。その上に容赦なく太陽の光が降り注ぐ。

 皮膚が焼け、白く剥がれていく。

 その痛み苦しみに、叫ぶ口を無くしたポーラは、静かに白く灰になっていく。



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