私は自分の棟の、奥の部屋の扉を叩いた。
「お母様、入ってもいいですか?」
私達の棟は幾つかの部屋に分かれているが、その中でも大きな二つの続き部屋が私とお母様、それぞれのものとなっている。
階段を上ってすぐの方が、何かと家庭教師など来ることがあった私の部屋だった。
お母様と私の部屋は結構離れている。
少し大きくなってから、それがお父様との夜のためであることに皆から気付かされた。
朝寝をするのもその方が良いのだと。
どうぞと声があったので、扉を開けた。
お母様はぼんやり窓に寄りかかり、外を眺めている。
そこから見えるのは、中庭であり、更に遠くの林。離れも見えない訳ではないけど。
「ああ、マリア」
「顔色か良くないですよ。あまり眠っていないのではないですか?」
「……そうね、確かによく眠れていないわ」
「駄目ですよ、そんなことじゃ。今は色々大変だとは思いますけど、お母様はこの家の何と言っても主婦なのですから」
ふふ、とお母様は私の言葉に対してやや苦しそうに笑った。
「そうね…… 主婦だから、ちゃんと色々考えなくてはね……」
「お母様!」
何だろう。私は思わずその身体にすがりついていた。
「どうしたのマリア珍しい。あなたが甘えてくるなんて」
「私、そんなに甘えていませんでしたか?」
「そうね…… 昔は向こうのひとがちょっと羨ましいほどにはね」
向こうのひと。
私ははっとした。
私のこの家に来てからの時間は、確かにお母様より、シリアお姉様やマンダリンと過ごす方が多かった。
特に、まだ小さな頃は。
「お母様」
「なあに?」
結い上げた髪の一房がぽろんと落ちる。
その様子が、まるでふんやりとした花びらが舞い落ちるかの様で。
部屋着の柔らかな服地のせいかもしれない。
その上に大きなストールを肩に掛けた様は、私という大きな子供を持った女性とは思えない。
お母様は美しいひとなのだ。
今さらのように思う。
お父様がわざわざ愛人にした程に。
「何か…… ごめんなさい」
「何をあなたが謝ることがあるの?」
「お母様が忙しいからと、私、いつも離れに行ってばかりで」
「それはあなたのせいではないでしょう? マリア。あなたが小さな頃、私はあなたを構っている暇が確かになかった。それは私があなたに謝ることがあっても、その逆ではないはずよ。本当にあの頃は、私の勉強不足で、ただただ忙しくて…… それは判っているのだけど、それでも、遠くであなたとシリアの笑い合う声とか、あなた方を大きな声で笑わせたり叱ったりするあのひとのことは、……やっぱり、ちょっと…… いいえ、かなり羨ましかったわ」
「お母様」
少しばかり瞼が熱くなる。鼻の奥が痛くなる。
「ずっとあの森の家に居られたら良かったのに、とよく思うわ」