それから私は家庭教師が正式に来出すまでというもの、シリア姉様の住む離れに入りびたりだった。
マンダリンという聞き慣れぬ音をもった小姉様の母というひとは、豊かな波打つ黒髪と同じ色の瞳と太い眉、そして少しだけ濃い肌の色をしていた。
耳には大きな金の輪。厚い唇。
お母様だったら絶対しないだろう、顔一杯の笑みで私を迎えてくれた。
私は離れに綺麗に手入れされた木々や花壇、菜園、薬草園の間を駆け回るようになった。
無論その中にはキョウチクトウ同様危険な植物もあるということを、常に彼女は身をもって教えてくれた。
出たばかりの葉が真っ赤で綺麗な木だと思って手を伸ばしたことがある。
すると彼女は私の手をそっと退け、ぱき、と枝を切り、ほんの少し樹液を自分の手にたらした。
とたんにかぶれが出たのでびっくりした。ウルシの木だった。
またアジサイの葉がいつまで経っても綺麗なことに不思議がっている私に、虫が食べない葉は綺麗だけど絶対に口にしてはいけないと言ってくれた。
その一方で、薬草園ではレモングラスのように見かけと香りが一致しないもの、一度手についたらそう簡単に匂いが取れないローズマリーだの、お茶にすると爽やかなミントだのも教えてくれた。
先のことになるが、肌に散ったそばかすも彼女が綺麗にする方法を教えてくれた。
彼女は自分の娘に教える様に、この離れで起こる色んなことを教えてくれたひとだった。
ところでこの時期、本宅の館に引き取られたというのに、離れにばかり居た理由はいくつかある。
まず何より、私がしばらくお母様から放っておかれたからだ。
お母様はそれまでも侯爵の側室、妻の一人ではあったが、正式な夫人ではなかった。子爵令嬢の気分のままだった。
この違いは大きい。
側室というのは、地位は低いが気ままに暮らすことができる。でしゃばることがなければ。
だが繰り上げでお母様は侯爵夫人になってしまった。
お父様が何故相応の地位をもらわなかったのか。それは後で知ることになる。
ともあれ、お母様は唐突に忙しくなったのだ。
正夫人としての知識や礼儀作法、この家の交際関係、しきたり、社交界のこと、そして何より、できるだけ早く、とその頃急かされた皇宮への目通りに向けての準備が大変だった。
昼間の服、夜の舞踏服、礼服、それぞれ形も着こなし方も、扇の使い方一つもそれまでの子爵令嬢時代とは異なっているのだ、と聞かされたお母様は大きなため息をついていた。
私はそのため息を聞くのは好きではなかった。
それに入れ替わり立ち替わりやってくるお母様の指導をする人々は、私には興味を持たなかった。
この時十一歳で、あと少しで社交界デビューも近いというエリアお姉様ならともかく、五歳の見慣れぬ娘に対して、彼等は実に無頓着だった。
それをいいことに、私は新しくついた小間使いのイレーナの手を引っ張ってはシリアお姉様の離れに行ったものだった。
時々そんな私達の様子を屋敷の一番高い部屋の窓からエリアお姉様が眺めていた。
無論最初に行って戻った時にはさすがにお母様も心配した。
誰か必ずついて行かせるように、とお父様も注意した。
それでこの頃の一番小さな召使いであった十五歳のイレーナが私づきとなったのだ。
そして今の今まで、もう二十五になるのに、結婚もせず私につきっきりである。
だがそんな日々は五年ほどで終わった。
マンダリンが急死したのだ。