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第14話

 三月吉日。スポーツ文化センター内のアリーナを埋め尽くす程の、スーツを身に纏った卒業生達。ざっと四、五百人くらいだろうか。普段、食堂が少し混雑してきただけでも厚かましいと感じるのにその比ではない。学内に、四年生がこんなにもいたのかと目を疑った。まぁ確かに入学式でも、頭数の多さから盛大に感じられた記憶があった様な。それに普段学内で過ごしていたとしても、学部が違って授業で顔を合わせることがなかったり、いつもおれ達が居座る食堂には来なかったりと、交流の無い学生の方がむしろ多い。大学という大きなコミュニティに属していたとしても、人間というものはやはり、自分の手の届く狭い範囲でしか活動していないのだということを強く実感した。


 式典が終わりアリーナから出て、メインの学生通りを横切り芝生の円形広場へ。その奥に見えるは食堂。芝生の縁に腰掛け、おれはタバコに火を付けた。正面に伸びているメインの学生通り、その周囲のキャンパスのあちこちでたむろする卒業生達を、おれはそれとなしに見渡した。

 別れを惜しんでいるのか、だらだらとくっちゃべっているグループ。何がイェーイなのか分からないが、とにかく盛り上がっている集団。とりあえずひたすら写真を撮っている奴らも。あっちでお喋りして、またこっちで写真を撮って。うじゃうじゃと同じ辺りを行ったり来たりとまぁ、楽しそうな事で。顔を付き合わせれば挨拶を交わす奴らがおれに気付き、手を振ってくれた。おれもそれに返す様に手を挙げるとこちらへやってきて、記念に一枚。するとすぐにまた手を振って他所へ。忙しい奴らだ。

 芝生に腰を据えたままタバコを咥え、そこいらにたむろする人達に、またぼんやり目を配った。このキャンパスで過ごした四年間に懸けた想いの形は人それぞれで、この高台に座っていると、そんな様々な想いで成った人間が、今目の前にこれだけの数いる。

 色んな人達の人生が交わり、そして今日離れていく。そんな学生通りを見渡せるここに腰掛け、タバコを咥えている時間は何とも穏やかで、でも今日は、この賑わいとは裏腹に、何だか少し物寂しげな気もして。

 そうやって、少し物思いにふけって一つ、また一つとタバコの煙を吐き出していると、「竜也!」と、背後から声を掛けられた。

「まぁたこんなとこでタバコ吸うて。お前も今日くらい、皆んなと顔合わせて挨拶の一つでもしてこんかいや」

 その汚い訛りと説教染みた言葉は優一しかいない。階段を登ってきた優一はおれの隣に腰掛けた。

「なぁ、優一。お前には、おれがそんな挨拶回りみてぇなもん、ただただ面倒臭ぇからこんなとこで呑気にタバコをふかしてる様に見えんのか?」

「そうにしか見えんじゃろ」

 そう言って笑いながら、優一もタバコに火を付けた。

「そういうお前も、他所じゃ気ぃ遣うからここに逃げて来た様なもんだろ?」

「うるせっちゃ」と優一は、フンと鼻で笑った。

 なんだかんだここが一番落ち着くのは、きっと優一も変わらないはずだ。おれ達が四年間過ごしてきたのは、この芝生の広場と食堂だから。

「お前、地元にはいつ帰んの?」

「ついこないだにも言うたじゃろうが。部屋出る予定が来週の頭じゃけぇ……、今日で丁度、あと一週間じゃの」

「ああ。じゃあ、あと七回は飲みに行けるな」

「お前と毎日飲むとか勘弁してくれいや」

 ハハっと笑って、腰掛けていたコンクリートに、すっかり短くなったタバコをぐりぐりと押しやって火を消し去り足元に置いておき、おれはもう一本タバコに火を付けた。

「山口と愛媛だったら近ぇよな」

「そうじゃのう。お前が行く愛媛も瀬戸内やもんな。海挟むって言うても少なくとも、ここから山口帰るよりかは近いんかの。フェリーで二、三時間のもんやないんかな」

「二、三時間って、そりゃ遠いだろ! それだったら飛行機にでも乗って、皆んなで東京にでも集まった方がマシじゃあねぇのか?」

「そんなもん、気持ちの問題じゃろ」

「お前が精神論みてぇなこと言うなんて珍しいな」

 うるせぇと言いながら、優一ももう一本タバコを咥えた。

「にしても、あれやのう」

 優一は大きく煙を吐き出してから続けた。

「お前がホンマに教師になるんやのう」

「つっても臨時だけどな」

「それでも、生徒らから見たら先生は先生じゃろ」

「まぁ、なあ」

「しっかりやれいや。キレて生徒に向かって、雪駄で蹴つり掛かったりせられんで」

「おれのそんな暴れん坊エピソードあったか? それに雪駄で学校行く訳ねぇだろ。お前こそ、そんな仏頂面で役所の窓口座ってんじゃねぇぞ」

「馬鹿言うな。窓口に座るんは綺麗なお姉ちゃんに決まっとるじゃろうが」

 それはそうだ。自分で言っておいて何だが、わざわざ優一みたいな奴を窓口に置く訳がない。それを口にするとまたこ奴がこじれて、そのせいで頭のチリチリが増長してしまっても不憫なので黙って笑っておいてやった。


「あー! やっぱりいたー!」

 芝生の向こうの方から、手を振りながらこちらへ向かってくる紗良と由希子の姿。元よりはずいぶんと落ち着いた色味だが、ほんの少しだけ髪を染めた紗良。まぁ、女だしな。程良い髪染めならば、逆に品が出て良いのかもしれない。

 今日の由希子は髪を結ってある。ポニーテール? ハーフアップ? ドレスの時とはまた違い、スーツ姿と相まって小綺麗にまとまっている。

「いやぁ、ゼミの人達との集まりが長くってさ! 二人のことだから、絶対ここにいると思って来たんだよねー!」

 そう言いながら紗良は鞄からデジカメを取り出した。ここからしばらくは紗良の一人舞台。

「ほら! とりあえず写真、写真! 皆んなで撮ろー!」

 セルフタイマーで四人の写真を撮ったかと思えば、一人ずつ撮って、ペアで撮って、「私も撮ってー!」と皆で代わりばんこに撮りあって……。写真に写っているおれ達なんかよりも、写真を撮っている紗良の方が、よっぽど輝いている気がしてならない。

 そんな紗良の姿を見ていたら、写真を撮る事が好きではない、などとは言っていられない。この、幸せそうにファインダーを覗く紗良は、確かにおれ達と今を共有しているのだから。ひとしきり写真を撮り終え、撮れ高を見返しながら満足気な紗良。

「宗太と真由の中退組にも写真、見せちゃらないかんの。竜也も何とか卒業できました、ってな」

「中退組って、言い方ー! でも、後で皆んなにデータ送るよー!」

「おう、そりゃ有難いわ。宗太と真由は一緒になったとはいえ、結局皆んなバラバラじゃけぇのう。これからそうそう会えるもんでもねぇし、写真とか思い出になるもんがあるんは素直に嬉しいわい」

「んー? でも、竜也君も由希子もここに残るんじゃないのー?」

「あれ? お前まだ進路のこと言うちょらんかったんけ」

「まぁ、なんつーか、言うタイミングもなかなか、なぁ。もう学校も無かったし」

「お前っちゅう奴はホンマに……。やっぱ、お前みたいな奴が教師になるとか世も末やな」

「なになにー? 竜也君も進路決まったのー?」

「実はな……」


 改めて由希子と紗良に自分の進路と、事の経緯を話した。別に二人に隠していた訳でも、言うつもりが無かった訳でもないのだが、優一の振りのせいで、無理矢理に言わされている空気になっている様な気がして、話している最中、何だか申し訳なく思えた。

「すごーい! 良かったじゃん! でも、愛媛? って……、名古屋のとこだっけ?」

「それ愛知な。四国だよ」

「えー! また遠いねー! まぁ、私も東北だけど!」

「四月からは皆んなバラバラってことやな。こっちに残るんは由希子だけになってしまうの」

「そっか……。でも竜也くん、進路決まって良かったね」

「そういうことじゃけぇ、たまにはここの芝生に来て、俺らの居場所を守っちょってくれよ、由希子」

「卒業したのにわざわざ? 一人でこんなとこいてもチョー寂しいじゃんー!」と陽気な紗良。

 ひとしきり報告も談笑も終わり、吸殻を拾い集めておれは階段を降りた。

 タバコを捨てるついでにちょいとここらでレモンティーを買いに行き、食堂のおばちゃんにも挨拶に行こうか。優一の言う通り今日くらい、お世話になった人に、挨拶のひとつくらいしておかなければバチが当たるというものだ。そうなると教授にも顔を見せに行っておくべきか……。面倒だが、それくらいは仕方ない。

 吸い殻を灰皿ボックスに放り込んだあたりで、カツンコツンとヒールの音がする階段の方にパッと顔を向けると、向こうから降りてくる由希子と目が合った。由希子も食堂へと向かうのだろうか。

「お前もミルクティー買いに行くの?」

「……ああ、うん。そうしよっかな」

 ついさっきまで皆と笑っていたのに、少々歯切れの悪い由希子。

「何だよ急に。調子悪いなぁ」

「別にそんなんじゃないけど……」

「あ? 腹でも痛ぇのか?」

 溜め息を吐く様に小さく「……ばか」と言い、一呼吸、二呼吸置いてから、少し遠くを見る様にして由希子は続けた。

「竜也くんもいなくなるんだーって思ったら、ちょっと寂しいかな……って」

「まぁ、卒業したら遅かれ早かれ皆んな、な」

「でも優一くんには話してたんでしょ?」

 ああ……、そういうことか。面倒なやつだ。

 でもまぁ確かに由希子は、この一年半くらいか。毎日毎日勉強も一緒についてやってくれたし、授業にしろ進路にしろなんだかんだと気にはかけてくれていたし、採用試験に受かった時には、一番に連絡をくれたし。そんなことを考えると、あんなもののついでに言わされた様な報告では、腑に落ちないというのだろう。本当に面倒なやつだ、全く。

「あー……。悪かったよ、すぐに言ってなくて」

「本当だよ」

 そう言って由希子は目を伏せ、難しそうな顔のまま少し間を置いたけど、グッと口角を上げながら口を開いた。

「でも……、本当、良かったね。先生になれて。おめでとう」

 そう言い残して由希子は食堂へと歩いていった。

 残されたおれと目の前の灰皿ボックス。スーツのポケットからタバコを取り出し火を付けた。吐き出した煙は春風に乗って、遠い空へとどこまでもどこまでも流れていった。

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