カーテンの隙間からベッドに差し込む日が、顔をチリチリと焼く鬱陶しさで目を覚ました。時計の針を見ると、九時二十五分といったところ。大学の講義は九時三十分から始まるので、今日も完全に遅刻コースまっしぐらだ。どうして寝坊というのは、こう絶妙な時間に目が覚めるのだろうか。今から急いで行けば、まだ少しの遅刻で講義に間に合ってしまう。いっそのこと思い切って寝過ごしてしまった方が諦めがつくというのに。
嫌がる体をのそりと起こした。ベッドから降り、テーブルに置いてあったタバコとライターを右手に取り上げ、冷蔵庫に入ってある飲みかけのコーラを左手に、玄関へと向かった。無造作に脱ぎ散らかしていたため、これまた酔い潰れて眠っているかの様にひっくり返った雪駄を、足でくいと仰向けに叩き起こして、そのまま指に突っ掛けドアを開けた。アパートの玄関を出ると、すぐ目の前に駐車場がある。駐車場の縁石に腰掛け、ペットボトルの蓋を開けると、かなり控えめに「フシュ〜」と、すっかり気の抜けた音が。気にせずそれを、がばがばっと口に流し込んだ。目が開けていられない。日はもうすっかり高くなっており、コーラを煽る顔を一層強く突き刺す。
角のひしゃげたボックスからタバコを取り出し、一口煙を吸った。寝起きの体にニコチンが染み渡る。コーラとタバコを代わる代わる口にしているうちに、いくらか体も目覚めてきたような気になったので、そろそろ学校にでも行こうかと重たい腰を上げた。
アパートから出て、一二六号線を原付きで飛ばして十分程。片側二車線の大通りを田舎へと下って行くと、田んぼが広がる開けた土地の真ん中に、ドンとキャンパスが構えられている。あぜ道を抜け、駐輪場に乗り込むと、おれはそのまま食堂へと向かった。
食堂の柱に掛けてある時計を見ると、すでに十時を回っていた。おれはそのまま入り口正面の券売機の向こう側、料理の受け渡しのカウンターの側にある冷蔵ショーケースへと向かった。中から紙パックのレモンティーを一つ、財布から百円玉をカウンターに出し、奥にいる調理員に声を掛けた。
「おばちゃーん。レモンティー」
腰のエプロンで手を拭きながら、「はいはーい!」と調理員の一人が奥から出て来た。昼時のラッシュに向けて、もうすでに仕込み作業を始めていたのだろう。カウンターに置いた百円玉を手に取り、ガチャンとレジを開けながら「おはよう、川嶋君。今日授業は?」と訊ねてきた。
「一限。今日も寝坊しちったよ」
レモンティーにストローを差し一口啜った。そのスッキリとした甘さが、少しばかり空腹を刺激する。そういえば、今朝も寝坊してそのまま学校に来たもんだから、朝食を摂っていなかった。
「まだ始まって三十分ちょっとだし、今からでもちゃんと行っといでよ」
おばちゃんは、カウンターに肘を付きながら優しく促してくる。
「だよね……。じゃあ、行ってくるわ」
おばちゃんの「行ってらっしゃい」という声を背に、おれは食堂を後にした。
レモンティーを片手に、仕方なくおれは一限の教室へと向かった。どの教室でも、もうとうに講義は始まっているため、廊下は静まり返っている。ペッタンペッタンと、おれの足取りとは対照的に、雪駄の音が心地良く廊下に響き渡る。
教室の後ろのドアをガラッと開けると、講義を受けている学生の数人がこちらを向いたが、すぐに顔を前へと戻した。教授も一瞬こちらへ目を向けたがそれっきりで、何事も無かった様に講義を再開した。
三十分以上遅れてやって来たものだから、空いている席はほとんど見当たらない。五人掛けの長テーブルの様な机に、間隔を一席開けて三人ずつ、学生達は規則正しく並んで座っている。教授に近い前の方の席はポツポツ空いているにはいるのだが……。できれば後ろの方の席が良いと思うのは、小学生でも大学生でもその心理は変わらない。
さて、どこか後ろの方で席が空いてやしないかと伺っていたら、向こうの方で手招きするパーマ頭の野郎が目に付いた。招かれるまま、おれはそいつの隣に座った。
「そういや優一もこの授業一緒だったな」
「おう。ってか、竜也。お前また寝坊したんけ」
関西出身の
優一は、「もう出席取り終わっとるで」と、誰も座っていない一番前の席に置いてある出席カードリーダーを顎で指した。おれは財布から学生証を取り出してそこを目指した。教授の講和を遮る様に雪駄が鳴る。カードリーダーの脇には、今日の授業の最初に配られたであろうレジュメが置かれていた。カードリーダーに学生証をかざして読み込ませると、画面には「BG-219 カワシマタツヤ シュッセキ」の表記。
レジュメを一部手に取り、おれは元の席へと戻るなりそれを半分に折り畳み、レモンティーと一緒に机の端に避けて、腕を組んで枕にして顔を伏せた。
「じゃあ、おれ、疲れたから寝るわ」
「疲れたってお前、今来たばっかりやんけ」
講義中の静かな教室で、周りを憚る様に優一は囁く。その言葉を聞いておれは、机に突っ伏したそのまま、顔だけをくるりと優一の方に向けた。
「勉強ってのはよう、机に向かうっていうだけで膨大なエネルギーを使うもんなんだよ。子どもの宿題とかでもそうだろ? 勉強机に向かうのに九割近く力を使うって。だからまずはさ、自分の意志で授業へとやって来たってことを褒めてもらいてぇ、ってなもんだよ」
「九割使って寝てしもとるんじゃあ意味ねぇじゃろ」
優一は眉をハの字にしている。おれは再び、顔をくるっと机の方へ伏せた。
「良いんだよ。二限は教職だから外せねぇんだ。それまでに頭ん中、リフレッシュさせとかねぇと」
「お前みたいなんが教師になるとか世も末じゃわ」と、優一は溜め息をついた。
春の終わり。緑が萌え始め、日に日に鮮やかな景色が窓の外に広がり、その葉の隙間を穏やかに吹き抜ける風が教室にも流れていくる。優しく頬を撫でる風と、優一のその言葉は、おれにとっては心地の良い子守唄だった。