辣腕を振るい始めた頃のことだ。
ある宴席で、
顧顕、周顗さんに酒杯を進める。
だが周顗さん、そいつを受けない。
すると顧顕、今度は柱のほうに向かった。
しかも、柱に向けて酒を勧める。
「なぁ、柱よ。
家を支える立場ってのは、
ああ己惚れていて
大丈夫なものなのかね?」
そのチクリとした一刺し、
周顗さんのツボにはまった。
こいつは面白い奴だぞ、と、
以降周顗さんと顧顕、
仲良しになったそうな。
顧孟著嘗以酒勸周伯仁,伯仁不受。顧因移勸柱,而語柱曰:「詎可便作棟梁自遇。」周得之欣然,遂為衿契。
顧孟著の嘗て酒を以て周伯仁に勸めるに、伯仁は受けず。顧は因りて移りて柱に勸め、柱に語りて曰く:「詎んぞ便ち棟梁に作し、自ら遇さるべきや?」と。周は之を得て欣然とし、遂には衿契を為す。
(方正29)
顧顕
若死にしてしまったため、まるで事跡が残っていない。ついつい現代の感覚で考えちゃうけど、この時代の夭折率って今とは比べ物にならなかったんですよねぇ……しかし周顗さんのこの傲慢さ。おさすがである。