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王敦8  全力の太鼓持ち

東晋とうしんを立てるのに大功があり、

けど後に反乱を起こした人、王敦おうとん

小さい頃、田舎者と言われていた。


実際に、その喋り口も

訛りが剥き出しであった。


さて、武帝ぶていがご健在であった頃の話である。


武帝は有望な若者たちを

一所に集め、彼らと歓談した。

誰もが様々に得意分野をもち、

それに武帝は感嘆する。


王敦、呼ばれこそしたものの、

彼らのような優れたところなど

持ち合わせない。

ぐぬぬ、となる。


やがて、突然言う。


「私め、鼓吹にかけては

 一家言ございます!」


なんだなんだ、と皆が訝ったが、

武帝さま、鷹揚に

太鼓を持ってくるようお命じになった。


そして王敦、立ち上がる。

袖を振り乱し、太鼓を叩く。


その音は非常に豪壮であり、

また発する気は人並み外れていた。

しかも王敦、そのままゾーンに入り、

どんどん加速していく。


おぉ、こりゃすげえな。

それを見た誰もが感嘆するのだった。




王大將軍年少時、舊有田舍名、語音亦楚。武帝喚時賢、共言伎藝之事、人人皆多有所知;唯王都無所關、意色殊惡。自言知打鼓吹。帝即令取鼓與之、於坐振袖而起、揚槌奮擊、音節諧捷、神氣豪上、傍若無人。舉坐嘆其雄爽。


王大將軍は年少の時、舊より田舍の名有り、語音も亦た楚たり。武帝の時賢を喚べるに、伎藝の事を共に言り、人人は皆な多くの知れる所を有す。唯だ王は都べて關わる所無く、意色を殊に惡しとす。自ら鼓吹を打てるを知ると言う。帝は即ち之に鼓を取らしむれば、坐にて袖を振りて起ち、槌を揚げ擊を奮い、音節は諧捷にして、神氣は豪上し、傍らに人無きが若し。坐を舉げて其の雄爽に嘆ず。


(豪爽1)




王敦

王導おうどうの従兄弟。武勇にすぐれていたため将軍となったが、なにせ琅耶王氏なので権限がとにかく大きい。司馬睿しばえいに疎んじられたためキレて叛乱という、中々の瞬間湯沸かし器である。これによって晋皇室の風上に一時期は立つのだが、その内まただんだん権勢を削られるように。なので死の直前にまた乱を起こそうとして、それで寿命を縮め、死ぬ。罰は王敦の死体に下された、と言うことだが、存命中に皇帝もろくに罰することが出来なかったというのが、当時の琅邪王氏のアンタッチャブル振りを示しているようにも感ぜられる。



これが豪壮に入ってる意味がよくわかんないんですけど。「乞われて叩いた」「バカにされて叩いてみせた」とかならわかるけど、自分から言っちゃうのってどうなの……まぁ、豪爽に入ってるってことはこういうムーヴが豪壮と当時の基準で称賛されてたってことなんでしょう。


……納得いかねえなぁ。

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