王弼は二十歳になったばかりの頃、
そこで裴徽は王弼に問う。
「無は万物の淵源、と言われている。
だが聖人は無について語らなかった。
けれども
無を飽くことなく語り続けた。
これはいったい、
どういうことなのだろうな」
王弼は答える。
「聖人は無を体現しています。
しかし無は本来、言葉にならないもの。
故に、聖人は語りません。
あえてそれを語るのであれば、
どうしても無の周囲にある
有を語らねばなりません。
老子にしても、
それは同じこと。
だから彼らは、自分の言葉が
決して無には届かない、と
語り続けるしかないのです」
王輔嗣弱冠詣裴徽,徽問曰:「夫無者,誠萬物之所資,聖人莫肯致言,而老子申之無已,何邪?」弼曰:「聖人體無,無又不可以訓,故言必及有;老、莊未免於有,恆訓其所不足。」
王輔嗣の弱冠にして裴徽を詣でるに、徽は問うて曰く:「夫れ無は誠に萬物に資したる所、聖人に言を致すに肯んぜる莫く、老子の申べて已める無きは、何ぞや?」と。弼は曰く:「聖人は無を體し、無は又た以て訓ずべからず。故に言は必ず有に及びたり。老、莊は未だ有にて免ぜず、恆に其の足らざる所を訓ず」と。
(文學8)
王弼
裴徽
無
道徳経 道経11
三十輻 共一轂 當其無 有車之用
埏埴以為器 當其無 有器之用
鑿戶牖以為室 當其無 有室之用
故有之以為利 無之以為用
空白や余白は、何もないがために「そこにあるもの」の働きの源となる。車輪のシャフトを徹す穴であるとか、皿や鉢のくぼみ、部屋という空間。すべて空白ありきの存在だ。これが無を以て有為をなす、の、最も卑近な例である。(蜂屋邦夫釈)
この辺の話に接続してくる印象。