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夏侯玄2 夏侯玄はイケメン

夏侯玄かこうげんはイケメンである。

どのくらい? こんな評がある。


「夏侯玄さんの朗らかなことと言ったら、

 まるで太陽や月を

 懐に抱え込んだかのようだ!


 あと李豊りほうさんはぐんにょりとしていて、

 まるで宝石の山が崩れたかのような

 あやしさを漂わせているな!」


李豊さんのコメントも

いろいろ気になりますが、

ともあれ、じゃあ夏侯玄さん、

どうイケメンだったんでしょう。



こんなエピソードもある。


ある大雨の日、

夏侯玄が柱に寄りかかって

書き物をしていたところ、

夏侯玄の寄りかかっていた柱に

雷が落ちた!


これによって夏侯玄の衣服は

焼け焦げたのだが、

しかし夏侯玄は平然としていた。


その周辺では、賓客や側仕えたちが

突如の落雷で浮足立っているのだった。



そして夏侯玄のイケメンぶりに

とばっちりを食らった人もいる。

明帝めいてい皇后毛氏の弟、毛曽もうそう


明帝さま、彼をある宴にて

夏侯玄かこうげんの隣の席に座らせた。


これを見て、当時の人が言った。


「おやおや~?

 宝石の生る樹に、

 雑草が絡んでるよ~?」




時人目「夏侯太初朗朗如日月之入懷,李安國頹唐如玉山之將崩」。

時人は目すらく「夏侯太初が朗朗なること日月の懷に入りたるが如し、李安國が頹唐なること玉山の將に崩れんとせるが如し」と。

(容止4)


夏侯太初嘗倚柱作書。時大雨,霹靂破所倚柱,衣服焦然,神色無變,書亦如故。賓客左右,皆跌蕩不得住。

夏侯太初は嘗て柱に倚りて書を作す。時に大いに雨なれば、霹靂は倚りたる所の柱を破り、衣服は焦然せど、神色に變ぜる無く、書も亦た故の如し。賓客、左右は、皆な跌蕩して住ぜるを得ず。

(雅量3)


魏明帝使后弟毛曾與夏侯玄共坐,時人謂「蒹葭倚玉樹」。

魏の明帝は、后の弟の毛曾を夏侯玄と共に坐せしむ。時の人は謂えらく「蒹葭が玉樹に倚る」と。

(容止3)





李豊

ぁゃιぃおじさんという印象にしかならない。ともあれその娘が賈充かじゅうさんに嫁いでおり、そのひとはあの郭隗かくかい(賈充のもう一人の妻にして賈南風の母親。めっちゃ嫉妬深いことで有名だった)を存在感だけで土下座させたという女丈夫。この人もただ者ではなかったのだろう。なお夏侯玄もそうだが、この李豊も反逆者として殺されている。


毛曾

父は微賤の出だったが、姉が皇后になるほど寵愛されたという事で引き立てられていた。なおこの話に絡んで、「職人の息子のこいつと同列にすんじゃねーよ」って夏侯玄が露骨に不機嫌になったとかいう記録が残ってる。夏侯玄さん小者過ぎて笑える。しかもそれが理由で降格されてて草。誰だよこんなクズ名士として褒めやそしてたの。当時のみんなか。


明悼皇后毛氏

この人も拾っとくべきだろう。曹叡の皇后となったが、やがて顧みられなくなる。まぁたぶんこの人の人品もきっとアレ。と言うのも曹叡、お妃たちを集めて宴会を開いた時に「敢えてこの人には内緒にしておく」とかやってる。ただ、そのことを聞いた毛氏が「昨夜は楽しかったですか?」と、ちらりと詰った瞬間湯沸かし器発動。毛氏以下侍従十数人が殺されたという。もうこうなってくると毛氏の人品が仮にどうであっても曹叡の鬼畜度待ったなし。つーかこんな理由で殺した元皇后に「悼(=いたましい、あわれな人、的な意味)」って諡号送るとかこいつの頭ン中どうなってんだ。

なお「蒹葭けんか」は『詩経しきょう秦風しんふうにこの題の詩があり、儒教的には憧れる君子に、世俗的には好きな人に会いたくても会えないことを指す。なら、毛皇后が省みられなくなったあたりで毛曽を夏侯玄の隣に座らせ、周囲の人に嘲笑わせた、と妄想を逞しくすることも可能でしょう。

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