まー、そう言う官位だ。
めっちゃ人気ものだった。
何晏の催した座には多くの人が集まり、
そこで、盛大な論戦をなしていた。
そこにやってきたのが、
未だ成人もしていなかった頃の
のちに何晏、
名を等しくする論客だ。
この頃には王弼、すでに論客として
名を知られていたのだろう。
何晏、かれが来たことを知ると、
自分のところに招き、
いわゆる通説的なものをいくつか提示。
そして、言う。
「これらの内容は、俺には
至極もっともなもののように
感じられている。
あるいは君には、
論破されてしまうのかな。
どうだろうか」
何晏さん! 言い回し!
ねちっこいよ! うざいよ!
ともあれ王弼、さらっと論駁を提示。
座を埋めるどの論客たちも、
王弼のそれに再反論できなかった。
そうしたら、今度は王弼が
論戦のテーマを提示する番だ。
二、三のテーマを提示してみたが、
誰一人として、
それに応じられる者はいなかった。
何晏為吏部尚書,有位望,時談客盈坐,王弼未弱冠往見之。晏聞弼名,因條向者勝理語弼曰:「此理僕以為極,可得復難不?」弼便作難,一坐人便以為屈,於是弼自為客主數番,皆一坐所不及。
何晏は吏部尚書と為り、位望有り。時に談ぜる客の坐に盈つるに、王弼は未だ弱冠にならずして往きて之に見ゆ。晏は弼が名を聞き、因りて向きの理に勝れたる語を弼に條べて曰く:「此の理を僕は以て極と為さん、復た難ぜるを得べかるや不や?」と。弼は便ち難を作し、一坐の人は便ち以て屈せるを為す。是に於いて弼は自ら主に客を為せること數番、皆な一坐の及ばざる所たり。
(文學6)
王弼
その文名は非常に高く、現代にも『老子』の注が残っている。あと正始名士のうち何晏と夏侯玄は誅殺を受けているが、彼は病死である。もっとも夭折しているので、下手に長生きしていたら彼もやっぱり政争に巻き込まれたのかもしれない。