孔融は十歳ころの時、父親に従って
この時、洛陽では
めっちゃ声望を集めていた。
みたいな地位についており、
面会する人は声望高いか
その清名をよく知られたもの、
の、いずれかに限られていた。
孔融、李膺の家の
門前にまで行くと、門番に言う。
「私は李膺さまの親族です」
あまりにもその堂々とした言い切りに、
門番も特に疑わずに孔融を通した。
一方で、びっくりしたのは李膺である。
初対面のちみっこが、
いきなり目の前に現れたのだ。
「おや? 君と私に縁はないはずだが、
どういった繋がりなのだろうな?」
すると孔融、答える。
「私の先祖、
あなたのご先祖さま、
師弟の付き合いにありました。
ならば、私とあなた様にも、
よしみがある、と言えるでしょう」
これを言う機知、
これを衆人の前で言い切る度胸。
こいつはただもんじゃないぞ、と
李膺や周りの人たちは思うのだった。
そこに、一人の男が遅れてやって来る。
男の名は
陳韙、周りが孔融のことをしきりに
褒めやそすのを聞いて、言う。
「幼い頃に賢かったからと言って、
大きくなってもなお
素晴らしくあるとも限るまいに!」
すると孔融、すかさず返した。
「なるほど、ではあなた様は、
さぞ幼き頃に
賢くあられたのでしょうね!」
陳韙、ギャフンとした。
孔文舉年十歲,隨父到洛。時李元禮有盛名,為司隸校尉,詣門者皆俊才清稱及中表親戚乃通。文舉至門,謂吏曰:「我是李府君親。」既通,前坐。元禮問曰:「君與僕有何親?」對曰:「昔先君仲尼與君先人伯陽,有師資之尊,是僕與君奕世為通好也。」元禮及賓客莫不奇之。太中大夫陳韙後至,人以其語語之。韙曰:「小時了了,大未必佳!」文舉曰:「想君小時,必當了了!」韙大踧踖。
孔文舉は年十歲にして、父に隨いて洛に到る。時に李元禮に盛名有りて司隸校尉為れば、門に詣でたる者は皆な俊才にして稱わるに清、及び親戚は乃ち通ず。文舉は門に至り、吏に謂いて曰く:「我れ是れ李府君が親なり」と。既に通り、前み坐す。元禮は問うて曰く:「君と僕には何ぞの親有りや?」と。對えて曰く:「昔、先君の仲尼は君が先人の伯陽と與とし、師資の尊を有さば、是れ僕と君も奕た世の通好を為さん」と。元禮、及び賓客に之を奇しまざる莫し。太中大夫の陳韙の後に至れるに、人は以て其の語を之に語る。韙は曰く:「小さき時に了了なれど、大なるに未だ必ずや佳たらざらん!」と。文舉は曰く:「想うらく、君が小さき時、必ずや當に了了たらん!」と。韙は大いに踧踖す。
(言語3)
孔融
ここで平然とこういうこと言っちゃうような人だからソソサマの前でも同じようにへーぜんと強い言葉を叩きつけたりとかする。そのせいで殺されたんじゃねえのこのひと、とかは思う。
李膺
清廉な大物として知られるも、
陳韙
もし陳羣たちと同族だとしたら、