実は
の、だが、これが終わらない。
日々春秋の諸伝と格闘する毎日。
そんな中、鄭玄、旅行先で
とは言え二人、面識があったわけではない。
宿の中にいた鄭玄のところに、
車に乗って誰かと話していた
服虔の言葉が聞こえてきたのだ。
服虔が語っていたのは、
自身がなぜ春秋に注を加えているのか、
その、意義。
そしてその内容は、ほぼ鄭玄が
考えているものと合致した。
そこで鄭玄、宿から飛び出し、
服虔の車にすがりつく。
そして、言うのだ。
「私も春秋に注を入れようと
取り組んでまいったのですが、
どうにも完成しません。
貴方様のお話を
聞いてしまったのですが、
伺うに、志はほぼ
同じでいらっしゃるご様子。
ならば、どうか、
わたくしの注をあなた様の注として
用いては下さるまいか」
そうして鄭玄が途中まで書いた注は、
すべて服虔の注となった。
もっとも、それは
散逸してしまったそうだが。
鄭玄欲注春秋傳,尚未成時,行與服子慎遇宿客舍,先未相識,服在外車上與人說己注傳意。玄聽之良久,多與己同。玄就車與語曰:「吾久欲注,尚未了。聽君向言,多與吾同。今當盡以所注與君。」遂為服氏注。
鄭玄は春秋傳を注せんと欲す。尚お未だ成らざる時、行くに服子慎と宿客舍にて遇す。先に未だ相い識らざれば、服は外に在りて車上にて人に己が傳に注せるの意を說く。玄は之を聽くこと良や久しうし、多きを己と同じうす。玄は車に就きて與に語りて曰く:「吾れ久しく注せんと欲せど、尚お未だ了わらず。君が向の言を聽くに、多きを吾と同じうす。今、當に以て注せる所の盡くを君に與えん」と。遂に服氏が注と為る。
(文學2)
えっこのひと「じょうげん」って読むの? まぁいいや。ぼくは音読みを貫くのです。
服虔
後漢末に多くの古典に注釈を残した、とされている。とは言え董卓死後まわりの騒動に巻き込まれる中、病死。後漢書儒林伝に伝が残る。次話にも登場します。