いろいろ微妙な人だったようだ。
ある時、
そこで袁閎のもとに訪問したが、
車も止めず、なので車についた鈴が
鳴りやむこともなかった。
のだが、
二日も宿泊するような状態だった。
これはまた、ずいぶん扱いに
差がありますね。
その理由を聞いてくる人がいたので、
郭泰は答える。
「黄憲殿は満々と水をたたえた、
広々とした湖のようだ。
その水を澄み渡らせようとしても
叶うはずもなく、かと言って
かき回そうとしたところで、
濁らせられもせん。
まったく、どれほど一緒にいても
測りがたきお方よ」
あっ(察し)
また、別の話もある。
袁閎の師匠筋にあたる人物、
すると辺譲、目通りのやり取りを
うっかり間違えてしまう。
おやおや、先生。袁閎が問う。
「昔、
許由の振る舞いは
どっしりとしていたそうですのに。
先生はなぜ今、
そうもアワアワなされているのです?」
許由が師、堯が弟子である。
かつての弟子が上司として、
目の前にいる。そういう状況で、
辺譲がやらかしたことになる。
だが、辺譲もさるもの。
こう返す。
「袁閎さまが職務につかれて間もなく、
未だ堯王ほどの徳が
現れておれぬことに驚き、
慌てたのですよ」
お前ごときが自分を堯王に例えるぐらい
増長してることに
びっくりしたよ、ってなもんである。
郭林宗至汝南造袁奉高,車不停軌,鸞不輟軛。詣黃叔度,乃彌日信宿。人問其故?林宗曰:「叔度汪汪如萬頃之陂。澄之不清,擾之不濁,其器深廣,難測量也。」
郭林宗の汝南に至り袁奉高に造れるに、車は軌に停まらず、鸞は軛を輟めず。黃叔度を詣でるに、乃ち彌日にして信宿す。人の其の故を問うに、林宗は曰く:「叔度は汪汪にして萬頃の陂なるが如し。之を澄まさんとせど清まず、之を擾せど濁らずば、其の器は深く廣く、測量し難きなり」と。
(德行3)
邊文禮見袁奉高,失次序。奉高曰:「昔堯聘許由,面無怍色,先生何為顛倒衣裳?」文禮答曰:「明府初臨,堯德未彰,是以賤民顛倒衣裳耳。」
邊文禮の袁奉高に見ゆるに、次序を失う。奉高は曰く:「昔、堯は許由を聘せるに、面に怍れる色無かれば、先生は何ぞ衣裳の顛倒を為さんか?」と。文禮は答えて曰く:「明府に初に臨めるに、堯が德は未だ彰らかならざれば、是を以ちて賤民は衣裳を顛倒したるのみ」と。
(言語1)
袁閎
とりあえず世説新語のオープニング周辺を眺めてみると
郭泰
人相見として有名だった。そんなかれが全力で袁閎への言及を避ける、まぁそう言う事である的なアレ。
辺譲
こう言う言葉で刺す口のひとだったからか、のちに