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陳寔6  孝行息子の無力

陳寔ちんしょくが死んだ。


孝行息子の陳紀ちんきであるから、

当然大慟哭である。

そしてろくろく食い物ものどを通らず、

満足に立ち上がれぬありさま。


これを見て、母氏、哀れに思った。

陳紀に、絹の衣を被せてやる。


そこに郭泰かくたいという人が弔問にやってき、

陳紀の様子を見て、言う。


「陳紀殿よ!

 そなたを国内に名を馳せる俊才と、

 皆が手本としておる!


 だというのに、そんなそなたが

 喪装でなく、絹の衣を着ているとは

 どういう了見だ!


 孔子こうしも言っているだろう、

 服喪期にてきらびやかな衣服が、

 うまい料理たちが、

 そなたの心を安らげなどするのか?

 とな。


 そなたの振る舞いには、

 まるで賛同できんな!」


そうして袖を打ち払い、

郭泰は退去した。


それから百日ほどの間、

陳家に訪問客はなかったという。




陳元方遭父喪,哭泣哀慟,軀體骨立。其母愍之,竊以錦被蒙上。郭林宗弔而見之,謂曰:「卿海內之俊才,四方是則,如何當喪,錦被蒙上?孔子曰:『衣夫錦也,食夫稻也,於汝安乎?』吾不取也!」奮衣而去。自後賓客絕百所日。


陳元方の父が喪に遭ずるに、哭泣哀慟、軀體骨立たり。其の母は之を愍れみ、竊かに錦を以て上に被蒙す。郭林宗は弔ぜるに之を見、謂いて曰く:「卿は海內が俊才にして、四方は是に則る。喪に當りて錦を上に被蒙せるは如何? 孔子は曰く:『衣の夫れ錦にして食の夫れ稻なるに、汝にては安きか?』と。吾れ、取らざりたるなり!」と。衣を奮いて去る。自ら後の賓客の絕ゆるは百所日なり。


(規箴3)




郭泰

後漢末あたりの最強の儒者集団「八顧」の一人。なお八顧のメンツは以下のような感じ。郭泰、宗慈、巴肅、夏馥、范滂、尹勲、蔡衍、羊陟……おぉ、見事に世説新語には郭泰以外おりませんですわね? つうかこれ「あんまりにも悲惨な陳紀の様子を哀れに思い、郭泰、弔問客がこれ以上来ないよう計らった」って読むと、大変なごちそうに化けませんかね?


衣夫錦也,食夫稻也,於汝安乎?

論語陽貨より。父親が死んだときに三年間の喪に服すのが当時の礼だったわけだが、孔子の弟子で「いや三年って長すぎませんか? 一年でいいでしょうに」と言ってきたやつがいた。すると孔子が「衣夫錦也,食夫稻也,於汝安乎?」と聞いている。(一年で喪が明けるのはいいが)父の死の二年後、三年後に綺麗なおべべを着てうまい飯を食ったら、おまえは嬉しくなるのか? とのことである。つまり「親の死から三年間はショックから立ち直れないのが孝子ってもんじゃあないのかね」が主意なので、ぶっちゃけ郭泰さんのこれがマジレスだとしたら孔子の言葉を理解できていない。やっぱり郭泰さんなりの思いやりってことにしましょうよ!


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