そこに名を連ねる人がいる。
人々はかれの爽やかなありようを
「まるで松の下に風が吹くようだ」
と例えている。
かれは常に自らを高めようと励み、
また儒の教えを世に広め、
その是非を世に問うことを
己が任務としていた。
李膺の開く学堂に登ること。
人々はそれを「登竜門」と呼んだ。
かれと名をひとしくする人に
なおかれは
潁川陳氏の出ではない。
わかりづらいわ!
共に優れている人であったため、
世の中のひとは甲乙を
付けられなかったそうなのである。
そこにやって来るのが、
後漢末の大文学者、
かれは言う。
「陳蕃どのは目上の者にも
直言を恐れぬ。
李膺どのは
下々を厳しく育て上げられる。
どちらも素晴らしきことだが、
上の者に立ち向かうほうが、
より難しいことであろう」
このコメントもあり、
当時の名士ランキングの中で
陳蕃は三君の下位に位置付けられ、
李膺は八俊の上位に位置付けられた。
で、以上が前置きである。
そんな李膺さんに、
称賛を受けている。
「荀どのの素晴らしき見識には
何ものを付け加えることもできず、
鍾どのの徳高き振る舞いは、
まさに師と仰ぐに足る」
まぁ、要はあれだ、潁川郡の名族、
李、荀、陳、鍾の四家は
めっちゃ仲が良かったですよ、
と言うお話である。
世目李元禮:「謖謖如勁松下風。」
世は李元禮を目すらく:「謖謖として勁松が下の風が如し」と。
(賞譽2)
李元禮風格秀整,高自標持,欲以天下名教是非為己任。後進之士,有升其堂者,皆以為登龍門。
李元禮が風格は秀整、自らを高め標持し、天下の名教の是非を以て己が任と為さんと欲す。後進の士の其の堂に升りたる者有らば、皆な以て登龍門と為す。
(德行4)
汝南陳仲舉,潁川李元禮二人,共論其功德,不能定先後。蔡伯喈評之曰:「陳仲舉彊於犯上,李元禮嚴於攝下。犯上難,攝下易。」仲舉遂在三君之下,元禮居八俊之上。
汝南の陳仲舉、潁川の李元禮の二人は共に其の功德を論ぜど、先後を定む能わず。蔡伯喈は之を評して曰く:「陳仲舉は上を犯すに彊く、李元禮は下を攝うに嚴なり。上を犯すは難く、下を攝うは易し」と。仲舉は遂にして三君の下に在り、元禮は八俊の上に居す。
(品藻1)
李元禮嘗歎荀淑、鍾皓曰:「荀君清識難尚,鍾君至德可師。」
李元禮は嘗て荀淑、鍾皓に歎じて曰く:「荀君は清識難尚、鍾君は至德可師」と。
(德行5)
世説新語はいくつかの条をまとめて読まないと理解しづらいものもあるので、そういうときは極力まとめて紹介します。以下これらの条単体で読まされても「???」にしかならんと思うんすよね。
三君八俊
「
「
李膺、
「八顧はっこ」
「
「
おっあの人のご先祖かな? みたいな姓の人もいて、なかなか楽しいです。