前話で紹介した
以下に両家の交わりを紹介する。
貧しかったため小間使いを
率いることができなかったので、
陳寔、長男の
次男の
幼い陳羣については、車に乗せた。
それを迎える荀淑。
陳寔に合わせ、三男の
門まで出迎えに出させ、
六男の
残り六人の子たちには
給仕をさせた。
そして、荀彧。
やはり幼かったかれは、
荀淑の膝元に。
陳氏、荀氏のどの人物をとっても、
当代を背負う名士たちである。
そこで当時の歴史記述者は、
このように皇帝に伝えている。
「真人たちが潁川にこぞっております」
陳太丘詣荀朗陵,貧儉無僕役。乃使元方將車,季方持杖後從。長文尚小,載箸車中。既至,荀使叔慈應門,慈明行酒,餘六龍下食。文若亦小,坐箸膝前。于時太史奏:「真人東行。」
陳太丘の荀朗陵を詣でるに、貧儉にして僕役無し。乃ち元方をして車を將かしめ、季方は杖を持ちて後に從う。長文は尚お小さく、車中に載箸す。既に至らば、荀は叔慈をして門に應ぜしめ、慈明には酒を行わしめ、餘の六龍には食を下さしむ。文若は亦た小さく、膝前に坐箸す。時の太史は奏ずるらく:「真人、東に行かん」と。
(徳行6)
いわゆる五荀五陳のうちの多くがこうして一所に集まる、またその時の振る舞いが片方の事情をよく汲み、スタイルを同じ形にして交わる、と言う、当時の人々にとってはオールスターズ状態の交わりのようでした。なお彼らをぜんぜん知らない現代人はぽかーんとしてしまいます。
それにしても荀彧陳羣の付き合いってめっちゃ長いんですなー。こう言うド名士が、早い段階で