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漢成帝  怨歌行

前漢成帝の皇后、趙飛燕ちょうひえん

彼女がまたえらく嫉妬深く、

疑り深い人であったそうである。


あるとき趙飛燕、側室の一人、はん氏から

呪いをかけられた、と成帝に訴えてきた。


尋問を受ける班氏。

だが、班氏の受け答えは、

非常に堂々としたものであった。


論語ろんごにも載っております。

 死生は命有り、富貴は天に在り。


 生きるも死ぬも定められたもの、

 栄枯盛衰もままならぬもの。


 このような世の中です。

 良き行いをいくら積んでも

 幸福に巡り合えませぬのに、

 何が悲しくて邪なことを

 わざわざせねばならぬのでしょう?


 また、もし我が先祖の霊が

 全てをお見通しであれば、

 邪な願いなど

 お聞き入れになるはずもありません。

 ならばやる意味はございますまい。


 さらに言えば、先祖の霊が

 物事を見通せぬようであれば、

 そもそも呪詛したところで

 力を振るえる筈もございませんでしょう。


 いずれにせよ、呪詛をなす意義が

 どこにもございません。


 なのにどうして、わたくしが

 そのような面倒をなすでしょうか?」




漢成帝幸趙飛燕,飛燕讒班婕妤祝詛,於是考問。辭曰:「妾聞死生有命,富貴在天。脩善尚不蒙福,為邪欲以何望?若鬼神有知,不受邪佞之訴;若其無知,訴之何益?故不為也。」


漢の成帝は趙飛燕を幸いす。飛燕は班婕妤の祝詛せるを讒す。是に於いて考問さる。辭して曰く:「妾は聞く、死生に命有り、富貴は天に在りと。善を脩むるも尚お福を蒙らずして、邪を為し以て何をか望まんと欲せるか? 若し鬼神の知る有らば、邪佞の訴は受けざらん。若し其の知る無からば、之を訴うに何ぞ益さんか? 故に為さざるなり」と。


(賢媛3)




婕妤しょうよ

婕妤、は側室のランクをあらわすものなので、彼女の名ではない。唐代の詩評「詩品」において無名人(古詩十九首の作者)・李陵りりょう曹植そうしょく劉楨りゅうてい王粲おうさん阮籍げんせき陸機りくき潘岳はんがく張協ちょうきょう左思さし謝霊運しゃれいうんと言うそうそうたるメンツと共に「上品」、つまり詩作者としてのトップに選ばれている。その主要作品が「怨歌行おんかこう」。ちなみにしん孝武帝こうぶてい謝安しゃあんを疎んじ始めていた時に、それを諫めるために桓伊かんいが歌い上げた詩でもある。



新裂齊纨素 皎潔如霜雪

 新しいせい国産の練り絹を裁断する。

 その穢れなき白さは、霜や雪のよう。


裁爲合歡扇 團團似明月

 形を整え、張り合わせて、扇を作る。

 その丸さ、まるで満月のよう。


出入君懷袖,動搖微風發。

 扇はわが君のふところを出入りし、

 仰ぐごとに微風を起こすのだ。


常恐秋節至,涼風奪炎熱。

 しかし暑さも去り、秋にもなれば、

 涼やかな風が熱を奪うだろう。


棄捐篋笥中,恩情中道絶。

 扇は箪笥にしまい込まれ、

 見向きもされなくなってしまうのだ。



はじめ成帝の寵愛を受けていた班婕妤が、趙飛燕の登場によってお見限りとなった。そんな境遇を、自らを「扇」に例えて歌っている。しかもその上で讒言まで受けてしまうのだからたまらない。その後班氏は皇太后のお世話をする役を買って出、そこで慎ましく生活した、と言われている。

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