「……な、美奈」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。
でも、体中痛くて動かない。
目も開いてくれない。
「美奈、おい、美奈。頼む、俺を置いていかないでくれ……」
掌が温かい。誰が手を握ってくれている。
「まだ約束を果たせていないんだ……。美奈」
「……」
この声の主を悲しませてはいけない。
そんな使命感に駆られ、なんとか瞼を抉じ開けて見えたのは白い部屋だった。
「先生! 患者が目を開けました!」
丁度入ってきた看護師が慌てて医者を呼びに行く。
「……ここ、は?」
バタバタと看護婦と医師が部屋に入って来る。
「あれ、病院? 何で?」
「お前、婆さん助けて死にかけたんだよ。本当にもう! だからお前は目を離せないんだ。あの時だって俺が一緒に帰るから待ってろって言っただろ、ばか!」
「……カズ」
ぼんやりと検査を受けながら、私を叱る声の主に目を向けると親友の和樹がいた。
そういえば私、赤信号を渡ろうとしたお婆さんを助けようとして車に撥ねられたんだ。
確か車が目前に迫った時に私を呼んだのは確かに和樹の声だった。
和樹は大学に入ってできた親友で、無茶をする私のストッパーみたいな役割を果たしてくれていた。
気付いた時には飛び出してしまう私は、随分和樹に助けられたし迷惑もかけた。
それでもずっと一緒に居てくれている。
「一週間も寝てやがって」
「一週間……」
さらりと和樹の黒髪が動くのを目で追う。
和樹の顔を見ていると何かを思い出しそうになったけれど、それは形になる前に消えてしまった。
ぼんやりしている間に医師は私の状況を確認して、もう大丈夫だと太鼓判を押して部屋を出て行く。
「……?」
「……? どうした、美奈?」
和樹の顔を見ているうちに、私の脳には鮮やかな映像が蘇ってきた。
大変だったけれど、楽しくて愛しい。
夢というにはあまりに鮮明な記憶。
今見たばかりの映画のように全てを思い返せる。
私は事故にあって異世界へ行き、お姫様みたいな女の子を助けるためにその体へ憑依して何年もその世界で生きた。
助けを求めた女の子が幸せになる姿が見たくて一生懸命頑張った。
そのかいあってかなりの年数がかかってしまったけれど女の子は幸せになれた。
まるで漫画かアニメみたいな夢だった。
女の子の名前はエリサ。
全てに絶望した彼女は、生きることを諦めようとしていた。
けれど、私はどうしてもエリサに生きていて欲しかった。
だから、彼女が再び生きたいと思えるように頑張った。
その結果、搾取されるだけだった環境から抜け出し、彼女を必要としてくれる居場所を見つけることが出来た。
彼女を慕い信頼する人々に囲まれ彼女は、最愛の人と結ばれ幸せになれた。
思い返すだけで胸の中が温かくなる。
エリサを泣かせたアレン王子。きっかけは分からないけれど、なんか心を入れ替えた感じで立派な王様になれそうだったな。
婚約者だったアレンを奪ったマリナは王子と寄り添い、何だかんだでそれなりの淑女の皮は被れてたみたい。
ルーディア領にいるエリサのおじい様とおばあ様。とても素晴らしい人格者だったな。老後はあんな風になりたい。
そしてエリサを愛し、エリサが愛した騎士のナイン。強くて格好良くて愛情深い信念の強い人だった。あんないい男はそういない。エリサと結ばれてくれて本当に良かった。
それから……。
「どうした? ぼんやりして、まだ具合が悪いか?」
和樹が心配そうに私の額に手を置く。
「熱はなさそうだな」
「大丈夫だよ。カズってば心配性なんだから」
そう言ったら熱を測っていた手で額を弾かれた。
「痛っ! カズのデコピン痛いんだけど!? っていうか私事故ったばっかり……!」
「そうだよなぁぁ? 俺が一緒に帰るから、絶対一人でふらふらすんなって言ったよな?」
「すみません、ごめんなさい」
「ったく目を話したらすぐ何かやらかしやがって。俺の心臓がいくつあっても足りねぇ。過保護にもなるっつの」
「ごめん……」
勝手に飛び出して行って怪我を負う、事故に合いかける、実際に事故に合うとやらかしまくりの私のせいで、和樹には心配をかけてばっかりだ。
「ごめんね」
「謝るくらいなら気を付けろ。飛び出す前に深呼吸! 右見て?」
「左見て、右を見ます!」
「次はそうしてくれ。ったく何回言ったら理解すんだ?」
「ごめんなさい。気を付けます!」
いい子の返事をすると和樹は頭を撫でてくれた。
結局和樹は私に甘いんだ。私には過ぎた親友だわ。
「それで、どうした? 何か気がかりな事でもあるのか?」
優しい手付きで私をベッドに寝かせて布団をかけてくれる。
「あのね、夢を見てたわ。とても長くて、大変だったけど楽しくて……」
たくさん思い出せたのに、肝心なことが抜けている。
けれどそれが思い出せない。
何か……大切なことが、あったはず……。
もどかしくて布団の中で悶えていると、頭を撫でていた掌が頬に回り私の顔を覗き込んで来た。
「大丈夫か? 美奈」
見慣れた和樹の顔に銀髪の青年が重なった。
「……カリス?」
無意識に口から名前が零れた。
その瞬間、和樹は目を見開き私を見て蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
「やっと俺を思い出したのか。いや、時期的に丁度お嬢に会ったんだな」
「!? カリス!? 本当に!?」
その言葉で全てを思い出す。
髪も目の色も違うけど、和樹は間違いなくカリスだ。
「カリス、カリスなの!?」
「おい、起きるな。まだ寝てろ」
起き上がった私は再び布団に戻された。
「本当に、カリスなの?」
これは夢の続きなのか。私はまだ夢を見ているのか。
確かめたくて手を伸ばすと、和樹がそれを掴み握ってくれる。
「そうだ。お前の傍にいるって言っただろ」
「だからって、本当に異世界まで来ちゃったの?」
「お前が居るところが、俺の居場所だ。聖獣の力舐めんな」
自信満々に笑う顔が見慣れたカリスの物と重なった。
「聖獣凄い」
素直に感動していると、ドヤっていた顔が少しだけ気まずそうなものに変わった。
「実際は俺の力だけじゃ足りなくて、お前の世界に届かず力尽きようとしてたら神が力を貸してくれたんだ」
「へ? 神様が? って力尽きようとしてたの!?」
「世界を渡るってとんでもない事だったんだな。魂だけの存在だったとしても無傷でお前を召喚したお嬢の凄さを思い知ったよ」
「カリスは大丈夫なの? どこか痛かったりしない?」
「もう何十年経ってると思ってるんだ。それに俺はこうしてここにいるだろ」
「……うん」
強く手を掴むと握り返してくれる。
よかった……。
ほっと息をつくと和樹が頭を撫でてくれた。
「お前が復活させてくれた祈りで力を取り戻しつつある。だからその礼をさせてくれってさ」
「お祈り、神様に届いてるんだ」
「ああ、そう遠くない未来に力を取り戻せそうだって言ってた。それで異界へ渡る手助けをしてくれて、お前に必ず会えるように祝福をかけてくれたんだ」
「そうなんだ」
「ただ、その為に俺は聖獣の力を全て使いきっちまった。だからここに居るのはただの水守和樹ってワケ」
「じゃあ、白梟には?」
「なれない。残念だったな」
「ああああ、もふもふがぁぁぁ!」
「お前白梟の姿気に入ってたもんなぁ」
「くぅ、もうあれを堪能できないのか……。でもカリスがこうしていてくれるからいいか」
もふもふは残念ではあるけれど、でもそれ以上にカリスが私の傍に居てくれるのが嬉しい。
そんなことを思っているとカリスがそっと私の頬に触れた。
促されるように視線を合わせると、カリスと同じ笑みを浮かべた和樹が居た。
私も和樹の頬に手を伸ばす。
「カズは本当にカリスなんだね?」
「そうだ」
「また会えて嬉しい」
「俺も、お前に会えただけでも十分だって思ってた。でもこうして俺を思い出してくれて凄く嬉しい」
腕を伸ばすと抱きしめてくれる。
「無事でよかった、美奈」
「うん」
「ちゃんと帰って来られていたんだな」
「エリサの幸せ見届けて来たよ」
「ああ」
和樹は傷に触らないよう優しく背中に腕を回し頭を撫でてくれる。
「カズは会った時から私の事を知ってたの?」
「ああ、俺は生まれた時からカリスの記憶があったしな」
「わぉ、人生二周目」
「生まれた時からお前を探してた。神の祝福があるから必ず会えるって分かっていたけれど全然会えなくて、大学でお前を見つけた時は歓喜したな」
「あ、だからすぐ声をかけてくれたんだ」
入学式が終わってすぐ、和樹は私に声をかけてくれた。
面識なんて全然なかったけど、話してみると不思議と気が合って私たちはすぐ友達になれた。
「年齢からいってまだ俺たちには会っていないのは分かっていた。けど、それでも俺はお前の特別になりたかった」
何かと手を貸してくれた和樹。
面倒くさい事にも付き合ってくれて、いつも傍に居てくれた。
頼りになって、優しくて、時々甘えさせてくれて……。でも、子供みたいな一面もあってそんな和樹を好ましく思っていた。
「カズはずっと大事な親友だ……って痛っぁぁ」
ぴしりとまたデコピンをされて深いため息をつかれた。
「俺は親友のつもりはなくて、ずっと恋人になりたかった! てか、すげぇアピールしてたし、何なら好きだって直接言ったよな!? いい加減気付け、このにぶちん!」
「ひっ、はい! その節は、鈍すぎてすみません!」
好きだって言うからてっきり友達として好きなんだと……。はい、申し訳なく……。
私はずっと恋も友情も区別が付けられなかった。
でも、戻って来た事ではっきり分かる。
「カリス……じゃなかった。カズ、私貴方が好き」
「はぁ……、ようやくか。長かったぞ」
「ごめんて……」
「美奈……」
和樹が体を起こし、唇が重なるその瞬間……。
咳払いが聞こえ慌てて離れた。
勢いよく顔を向けると病室の入り口には息を切らせた叔父さんが立っていて、私たちをみて脱力したようにその場にしゃがみ込んだ。
「!? 叔父さん!?」
「隆さん!」
「くっそー、可愛い姪っ子が事故に合ったっていうから慌てて戻ってきたら、ラブシーン見せつけられるんだもんなぁ。飛行機三十時間も乗り継いで帰って来たのに……」
叔父さんは扉に寄りかかり大げさにため息をついた。
「わぁ、叔父さん。ごめんなさい!」
「あ、えと、椅子、譲ります! こっちへどうぞ!」
「いいよいいよ、美奈が無事なら全部いい」
近づいて来た叔父さんは大きな手で頭を撫でてくれる。
頭を撫でていた手が頬に触れ、感触を確かめた後私を抱きしめて、安心したように何度も息を吐きだした。
「本当にお前は無鉄砲で困るよ。誰に似たんだか」
「叔父さん」
「隆さんでしょ」
「俺かよ! チクショー」
叔父さんも結構取材で無茶して怪我をしてることが多いからなぁ。
「それにしても、和樹。よかったなぁ」
「はい、ようやく積年の想いを成就しました」
「鈍い姪ですまんな」
「そこも好きなんで」
「うわぁぁぁ! 叔父さん知って……!?」
「和樹の気持ちに気付いてないの、美奈くらいだぞ」
「そうなの!?」
「お前に近づく男は俺が全部牽制してたしな」
「? 私を好きになる人なんてカズくらいしかいなくない?」
「「……はぁ」」
「隆さん、言ってやって」
「俺は面倒くさいから嫌だ。お前の役目だろ」
「美奈に救われて惚れた奴がどんだけいると思ってんだーって言うんですか? 嫌ですけど」
何か二人でコソコソ言ってて聞こえない。
「よし、なんかもう退院していいみたいだし快気祝いと、ようやく和樹の気持ちが届いた祝いパーティするぞ!」
「おー!」
「……カズ、恥ずかしくないの?」
「全然? むしろ大声で言って回りたい」
「何で!?」
「美奈は俺んだぞーって自慢したい!」
無邪気な顔で嬉しそうに笑う和樹。
恥ずかしいけれど、カズが幸せそうな顔をしていると自然と私の顔も綻んでしまう。
大好きな叔父さんと、好きなカズ。
私の居場所はここにあるんだ。その実感が幸福感が胸を満たす。
「おい、ニヤニヤすんな」
「頭は大丈夫か? 再検査は必要だったか?」
「失礼ね!」
心配そうに覗き込む二人の背中に腕を回す。
「幸せだなって思ったら勝手に笑えちゃったの」
「そーかよ」
「そういうことはある。幸せならしょうがない」
二人も私を抱きしめ返してくれた。
ねぇ、エリサ。私も幸せになれそうだよ。
だから心配しないでね。
もう声も届かない遠くに行ってしまった異世界の大切な家族に心の中で呼び掛けた。