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第20話 エリサリール・シア・ルーディアと高橋美奈



「え、あれ?」

 気付いたらエリサがいる深層部屋に居た。相変わらず現実世界の服が反映されていて、私もエリサが着ていた赤いドレスを纏っている。

 けれどそんなことに気を取られる前に、剣とペンを模った南京錠が眩い輝きを放ちその光が鍵に変わって錠に差し込まれて開いた。

 掛け金にかかる太い鎖が外れ連鎖して砕け散って行く。

 そしてもう一つ、ハートの南京錠に鍵が差し込まれようとしたその時。



「待って! 待って下さいまし! まだ開かないで!」

「!? エリサ!?」

 声の方に顔を向けると鎖に絡まれたままのエリサが無理やり起き上がり、赤いドレスを纏って太い鎖を引きずりながらこちらへまろび出て来るのが見えた。

「危ないよ、エリサ! 転んじゃう」

 支えたいのに壁が邪魔でエリサの元へ行けない。


「そうだ、鍵!」

 顔を上げると、ハートの南京錠に刺さろうとしていた鍵が光に戻って再び錠に吸い込まれてしまった。

「エリサ、何で? 心のまま解放してもいいんだよ? 起きても大丈夫って思えたんだよね? この世界でもう一度生きたいって思えたんだよね?」

 壁の傍までやってきたエリサに声をかける。


「まだ、まだダメですの! わたくしは、まだ美奈に何もお礼が言えていませんもの」

「お礼なんていいんだよ、私がやりたくてやったことなんだし」

「でも、でも、わたくし、美奈と話したいことがたくさんありますの! 叔父様のことや、あちらの世界のお話、美奈がやりたかった夢のお話、まだ、もっとたくさん、たくさん話したいですわ。なのに鍵が開いてしまったら、あなたはどうなってしまうのですか!」


 泣きながら叫ぶエリサの懸念に私は無意識に微笑んだ。


「そうだね……。元の世界に戻る。エリサの代わりに封印される。最悪、消える、かな」


 ずっと頭の片隅にあった。

 エリサが目覚める時私(美奈)はどうなってしまうんだろうか。


 仮にあちらの世界に戻ったとして、事故にあった体はどうなっているの?

 ここで過ごした歳月はどう影響している?

 私は、まだ生きている……?



 仮にこの世界に残ったとして、私の存在は本来エリサにとって異物だ。

 体の外に出たとして、魂が宿る肉体は存在しない。

 エリサがいる場所と入れ替わり封印の中に入って眠りにつくか。

 弾き出されて消滅するか。

 目覚めと共に消えて行くか。


 淡々と言い可能性を並べていると、遮るようにエリサが叫ぶ。


「嫌です! わたくしは、嫌です! わたくしが助かっても、美奈が居なくなるのは嫌なの!」

 嫌だ嫌だと駄々を捏ねるエリサ。


「ふふふ、イヤイヤって小さな子供みたい」

「イヤイヤ期が今来てるんです! 美奈が居なくなるのはいや! 消えてしまうのもいや! 全部いや!」

 居なくならないでと必死なエリサが可愛くて仕方がない。

 あれほど従順で物わかりのいい生き方をしてきたエリサが、私に対してイヤイヤ期を起こしてるなんて可愛いしかない。


「あははは、エリサ、可愛い」

「笑ってる場合じゃありませんのよ!」

 エリサの口調が、美奈のそれと似て来ているのが愛しくて笑ってしまう。

「笑い事じゃありませんの、わたくし嫌なんです……」

「でも、しょうがないんだよ。本来私はここにいるべき人間じゃない」

「わたくしが、貴女を呼んでしまったから」

「うん、それに関してはありがとう。私を頼ってくれて嬉しかったよ」

「そうじゃありませんの! 怒ってくださいまし! 私が貴女を無理矢理ここへ呼んでしまったんです。美奈には美奈の人生がありますのに……」

「何で? エリサと過ごした日々は凄く楽しくて幸せだったよ? 私はここに呼んで貰って、エリサに会えてよかったって思ってる」

 嘘偽りない私の気持ち。

「わたくしだって美奈に会えて幸いだったと思っておりますわ。貴女が応えて下さらなければ今のわたくしはありませんでした」

 笑う私の顔を見てエリサがまた涙を零す。

「私がやったことはエリサの役に立てたかな?」

「当たり前ですわ!」

「じゃあ、いいよ」

 晴れやかな気持ちでエリサに笑いかけたんだけど、泣かれてしまった……。

「泣かないでよ、エリサ」

「美奈は、優しすぎますわ」

「泣いてる子を見るとね、抱きしめずにはいられないんだ」

「ええ、知ってますわ」

「ねぇ、この壁があると抱きしめられないんだけど?」

「……」

「ほら、早く。エリサ」

 両手を広げてエリサを見つめる。

「抱きしめさせてよ」

「……美奈は、ズルいですわ」

「ふふふ、貴族の令嬢に悪い言葉を覚えさせてしまいましたね」

「美奈にしか言わないからいいんですのよ」

「ほら、早く」

 優しく言って微笑みかける。

「……」

 エリサは悔しそうに唇を噛んで鍵を見上げた。


 するとハートの南京錠がもう一度強く光り、鍵を模って鍵穴に差し込まれる。

 だがその鍵はまだ回らない。


「約束してくださいまし。鍵が開いても消えないで」

「ええ……」

 祈るような声に頷く。


 うん、まだ私も消えたくないよ。だってエリサを抱きしめてないんだもん。


 私もエリサも同じ気持ちで鍵が開くさまを見つめる。


 鍵が回り澄んだ音を立てて南京錠が開き、繋がれた鎖とついに魔法陣が描かれた壁が消え去った。


「美奈!」

「エリサ!」


 砕け散った壁と鎖の欠片が光りになって降り注ぐ中、エリサが腕の中に飛び込んで来る。


「消えていませんわよね。まだいますわよね!? 美奈!」

 存在を確かめるようにエリサが私の体を力一杯抱きしめる。

「うん。大丈夫だよ、エリサ」

 安心させるように私もエリサの背中に腕を回す。

 同じ赤いドレスを着ている私たち。

 しゃがんで広がるドレスの裾がまるで花畑みたいに見えた。



「美奈、美奈ぁぁ」

「エリサ……! もう一度会えたね」

「はい! 美奈。お話しとうございました」

「うん、私も!」

 泣きじゃくるエリサの背中を慰めるように優しく撫でる。


「ほら、泣き止んで? 可愛い顔が台無しよ?」

「無理ですの。ああ、でも泣き止まないと涙で美奈が見えませんわ。でも止まりません、どうしましょう」

 腕の中でオロオロと焦るエリサが可愛くて堪らない。

「あはははは、エリサ可笑しい、可愛い!」

「笑わないでくださいまし!」

「あははははは」

 嬉しくて、愛しくて、幸せで、色んな感情が溢れて止まらない。


 私の目からも温かい涙が零れ落ちる。


「美奈……」


 私が泣いているのに気付いたエリサが抱きしめてくれる。


 何度も涙を拭い合い、ようやくお互いの顔をしっかり見ることが出来るようになった。



「エリサ……。お帰り、おはよう、おめでとう」

「美奈、ただいま、おはようございます、ありがとうございます」


「「ふふふふふ」」


「ほら、消えなかったでしょ?」

「ええ、美奈はいつだって約束を守ってくださいますわ」

「私、約束は破らないから」

 消えてしまわなくて本当に良かった。こんな風にエリサと話が出来る時間があって嬉しい。



「美奈がしてくださった全てを見ておりましたわ。貴女が行動を起こしてくださるたびに胸の奥が温かくなって幸せな気持ちになりました」

「そっか、よかった」

「美奈の行動は優しくて大胆で、それでいていつだってわたくしと誰かの為でした」

「誰かの為に何かが出来るって素敵な事だよね」

「ええ。わたくし、美奈からたくさん学びましたわ」

「私も! 貴族の大変さをエリサを通して知ったよ。よく頑張ったねぇ、エリサ」

「……」

 褒めるように頭を撫でるとエリサは甘えるように擦り寄って来る。

「たくさん頑張って偉いねぇ。エリサはいい子だよ」

「美奈も素晴らしい方ですわ」

「そう? エリサに褒めて貰えるなら私も中々ね!」

「ええ、美奈は凄い人です!」

「エリサも、とっても素敵だよ」

 褒めるように何度もエリサの頭を撫でていると、甘えるように擦り寄って来る。

「美奈に甘やかされるのはとても気分がいいですわ……」

 もっとして欲しいと頬を染めておねだりするエリサのなんと可愛い事か……!


「はー、可愛い。本当に可愛い」

「美奈も、わたくしの為に一生懸命になってくださって、ありがとうございます」

 エリサの手が伸びて来て頭を撫でてくれる。

「わたくしを思って下さる美奈の心がとても嬉しくて、ずっと感謝しておりました」

「そっか」

 私のしたことは無駄じゃなかった。それだけで全てが報われる。

「貴女に出会えて、わたくしは幸せです」

「それは私もだよ!」

 エリサに会えたことが私にとって人生の宝物になったのは間違いない。


「ねぇ、美奈」

「なぁに?」

「わたくし、美奈とお友達になりたいとずっと思っておりましたのよ?」

 悪戯を告白するように囁くエリサに私は笑いかける。

「私だって思ってたよ。っていうかもう私たち友達通り越して姉妹みたいな気持ちでいたよ」

「姉妹! お姉さま!? 美奈が!? まぁ、なんて素敵!」

「あら、そんなに喜んでくれるの? 可愛い奴め!」

 じゃれるように抱きしめ合う。


 そうして抱きしめ合い無言のまま時間が流れた。



 降り注ぐ光の欠片はこの領域が崩れて行く証。

 上の方から徐々に闇が降りて来ているのが見えた。


 別れの予感を私もエリサも感じている……。


 次に口を開いたら最後の会話になる確信に、お互い言葉を紡ぐことが出来ない。

 けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。


 私はそっとエリサの体を離した。

「……美奈?」

 不安げなエリサの顔を覗き込み、微笑む。

「ねぇ、エリサ。私たちはずっと一緒だよ」

「……」

「私の生きた記憶はエリサの中にある。私はエリサが覚えている限り生き続けるよ」

「……忘れるなんてありえません。でも……美奈が……」

「ねぇ、エリサ」

 消えてしまうのは嫌だと言おうとしたエリサの言葉を遮る。

「私は貴女に会えて幸せだったよ。エリサは?」

「わたくしも! とても、幸せです!」

「だったらこの出会いは幸せな物だったし、……別れだって寂しくないよ?」

 諭すように頭を撫でるけれど、エリサは首を縦に振ってくれない。


 さっきから零れ落ちる光の粒が減っていて、空間が消えつつあるのがわかる。

 いよいよタイムリミットが近づいて来ていた。


「ねぇ、エリサ。起きて? それで、貴女が幸せになる瞬間を見せてよ。ナインが好きなんでしょ?」

「……」

 エリサは小さく頷いた。

「お姉ちゃんに貴女が幸せになる所、見せて欲しいな」

「……やっぱりエリサはズルいですわ」

 拗ねたようにエリサが私を見上げる。

「ふふん、年の功と経験値です」

「それはもうわたくしにもありますわよ!」

「そうなの、だからたくさん使ってね」

 いい子いい子と何度も頭を撫でているとやがてエリサは深くため息をついて立ち上がった。


 私も一緒に立ち上がる。



 ゆっくりと離れ、私たちは鏡合わせのように同時にカーテシーをした。


「お姉さま、たくさんの幸せをありがとうございました。わたくし、これから貴女がしてくださったことに恥じない幸せな人生を送ります」

「ええ、エリサ。貴女の幸せが私の幸せ。たくさん幸せになってね」


 もう一度強く抱きしめ合って名残惜し気に体を離す。



「美奈お姉さま、大好きですわ! お姉さまにたくさんの感謝を捧げます!」



 私を見て微笑んだエリサの笑顔は、最初に見た時のように愁いを帯びたものじゃない。

 幸せそうで喜びに満ちた最高のもので、思った通りこの上なく可愛く美しかった。


「ええ、私もエリサが大好きよ」


 私の返事を聞いてもう一度嬉しそうに笑う。



「それでは、行ってまいります」

「ええ、いってらっしゃい」



 エリサはもう一度頭を下げ、私に背を向けて歩き出した。




 後ろ姿が光の中へ消えても私はそれをずっと見つめ続ける。


「幸せになってね、エリサ」

 その囁きはもうエリサに届かない。



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