「それでは、行ってまいりますわ」
「気を付けてね」
「何かあったらすぐ帰っておいで」
「はい。おじい様、おばあ様」
心配そうな祖父母と使用人たちに笑顔で手を振り、馬車が動き出す。
王都までは往復で二週間。滞在三日程度の旅程なのに、あれやこれやといつの間にか大量の荷物が詰め込まれそうになる事態を慌てて止めた。
二台目にはきちんとメイドが乗るスペースが確保され、今回は二台の馬車で向かうことになった。
一台目の馬車にはいつも通り、エリサとカリス、そしてナインが乗り込み外にはルーディア騎士団が一部隊護衛についてくれている。
家紋のついた馬車が通ると領民は皆作業を止めて手を振ってくれる。それにエリサは馬車の中から手を振り返す。
そんなことをしているから領内で馬車が動く速度は酷くゆっくりだ。
「ふぅ、ルーディア領内が一番速度が出ませんね」
「仕方がない。エリサ様はこの領地の女神だからな」
「ナイン、わたくしは女神でありません」
「失礼しました。女神より美しく慈悲深い至高のお方です」
「ナイン……」
相変わらずナインの崇拝と愛情はブレない。
見返りを求めず愛情を注ぐのは並大抵のことではない。
けれど、ナインの態度や言葉は出会った頃から何も変わらない。
本当に凄い事だと思う。
そのお陰でナインの愛はエリサの心に深く届くことが出来た。
そう思うと余計にエリサが何に躊躇っているのかが分からない。
「ナイン、カリス。いつもわたくしを助けてくださり本当にありがとうございます」
「当たり前の事をしているだけです。俺はエリサ様の騎士ですから」
「俺も、お嬢様の為に存在しているのだから当然です」
「わたくしは果報者ですわ」
「エリサ様の人徳の致すところでございましょう」
至極当然と頷くナインに私は心の中で同意を示す。
エリサはいい子だもんねぇ。
「皆様に恥じないわたくしでありたいです」
嘘偽りのないエリサの気持ちを伝える。
ルーディアを出て街道を進む景色を眺めていると、もうおじい様とおばあ様の待つあの屋敷に帰りたくなる。
帰る場所があるのだと思うとそれだけで安心できた。
六つのニーズを聞いた時はただ漠然と認識していただけだったけれど、エリサと共に一つずつそれを積み重ねていくとその大切さを実感する。
現代に居た時私は幸せを感じていた。
叔父さんは私に安心して住める場所をくれて、家族になれた。
平穏に過ごす毎日は平凡だけどいつだって楽しくて幸せだった。
私を大切に扱ってくれることで自分に価値があるのだと実感できた。
叔父さんの仕事を知り、私にもできることがあるのではないかと思えるようになった。
その為に力を付けようと思った。
六つのニーズを私はちゃんと満たしていたんだ。だから私はあそこで幸せを感じられていた。
もしも元の世界へ戻っても、夢だった職業にはもうなれないかもしれない。
けれど、私はそれ以上の物をここで手に入れられたと確信している。
エリサに会わなければこの経験はなかった。
もしも私が美奈として再び生きることが出来たなら、ここで得た知識と経験は何物にも代えがたい財産となる。
私の知識と経験もこの先エリサが生きて行くために役立ってくれるだろう。
それを嬉しく思う。
ルーディアへ来た時と同じ工程で片道一週間。
途中で立ち寄った村や街にはルーディアとは違う神像が設置され、人々がその前で祈りを捧げていた。
宿泊した旅館では、ハーブ入りの石鹸が備え付けられている。
エリサが行った功績がこの世界に広まっているのが垣間見えて、これを直に見られただけでもルーディア領の外へ出たかいがあった。
順調に旅程は進んで行き、ついに王都へ着いた。
「こちらの離宮をお使いください」
案内に従い王城まで馬車を進めると、家紋を見た衛兵が離宮へ案内してくれた。
ここは他国の王族や賓客を宿泊させるのに使う場所で、つまりエリサは今VIP待遇を受けているという事だ。
主役であるエリサの到着に合わせて式典が開催される為、参加する全ての貴族はエリサたちより前に王都に入っている。
この催しは全てがエリサの為に準備が進められていた。
ただ使い潰されるだけだった昔とはなにもかもが違う。
エリサリール・シア・ルーディアという人間の価値は、これほどの物なのだと催される式典の規模の大きさが物語っていた。
ようやく、エリサが皆に認められる時が来たのだ。
そう思うと胸がすく思いがする。
お前らが雑に扱ったエリサはこんなに凄いんだ。手放したことを後悔しろ! ザマァ!!
……と私はエリサが丁寧な扱いを受けるたびにずっと心の中で煽り立てている。
「たった数日の為にここを使わせてくださるなんて、貴賓扱いですわね」
「それだけお嬢様の功績を高く評価しているのでしょう」
「わたくしがここを使う日が来るとは……なんだか不思議な気分ですわ。でも王宮内でなくて正直安心しました」
「エリサ様……」
王城に居た頃のエリサを一番近くで見て来たナインは気遣うようにエリサを見る。
「でも、ここに来て改めて思いましたわ。わたくしがいるべき場所はルーディアだと」
もしかしたら少しくらい郷愁があるのかもと思っていた王都も城も、訪れてみれば懐かしさも嫌悪感もない。
ただ、そこに在るだけの物でしかなかった。
何の感慨も湧かない。
エリサの家族はカーランとソフィアであり、ルーディアが故郷だ。
「それが実感出来ただけでも来たかいがありました」
「エリサ様のお気が晴れたのならそれ以上の僥倖はございません」
ナインはエリサの笑顔を見て晴れやかに笑う。
エリサの喜びは自分の喜び。ナインはそれを体現したような笑みを浮かべる。
またエリサの胸が高鳴った。
封印が解かれるたびにエリサの心が体に及ぼす影響が強くなっていて、特にナインに対しての感情の綻びは顕著だ。
気持ちを反映して勝手に赤面してしまった顔を隠すように伏せる。
アレンの時には好きになって欲しくて必死になっていて、こんなときめきを覚えたことはない。
エリサが己の心を制御できず戸惑っているのが分かった。
不自然に顔を逸らしてしまったエリサ。
けれどそんな様子を気にすることなく、ナインはただ愛し気に見つめていた。
一連の流れを私(美奈)はそれをほっこりした気持ちで眺めている。
やがて沈黙が落ちてしまった部屋に、カリスが小さくため息をついたのが聞こえた。
何やってんだお前らというカリスの心の声が聞こえた気がする。
このモダモダした感じが凄く良くてね……。うん、ごめんて……。
「まぁ、式典が終わったらすぐに帰るのでしょう? 早く戻って施策の続きをしなくてはなりませんしね」
「そうですわ! わたくし新薬の効果報告を楽しみにしておりましたのよ? 式典に来る事になってしまってまだ受け取れておりませんの」
カリスがため息をつきながら話題を提供すると、甘酸っぱい空気は吹き飛んで行った。
「確か薬学研究所で新しい調合レシピが開発されたと報告がありましたね」
「ハーブと薬草の調合割合を変えてみたんですって。傷の治療に劇的な効果があるって聞きましたわ。これが量産出来れば怪我をした領民の方々の傷も速やかに治療できますわね。早く報告書が読みたいですわ」
途中で残して来た仕事を思うと、早く戻って続きがやりたい気持ちが勝る。
領民たちの為になると思ったら、いくらでもやる気が湧いてくるから不思議だ。
「お嬢様はいつも他人の事ばかりだ」
「そこがエリサ様のいいところだろ」
「誰も悪いなんて言ってない」
言い争いを始めるのはいつもの事だ。これはもう日常のじゃれ合いとなっている。
二人とも仲良くなってくれて嬉しいなぁ。
「カリス、わたくしお茶が飲みたいわ」
「はい。すぐ準備をしてまいります」
「俺も、腹減った」
「何でお前の……。はぁ、軽食も用意してくる。待ってろ! お嬢様、しばらくお待ちください」
ナインへ雑に、エリサへ丁寧に対応してカリスは部屋を出て行った。
「ふふふふ、貴方たちはいつもわたくしを笑わせてくださいますわね」
「貴女が笑ってくださるのは至上の喜びですので」
他愛もない話をするのは楽しい。そして時々落ちる沈黙も心地よい。
ナインと共にいるエリサは幸せそうで、どうして鍵が開かないのか不思議なほどだ。
やがてカリスが軽食とティーポットとカップを乗せたワゴンを推して戻ってきた。
エリサの希望通りカリスがお茶を淹れてくれて、それと一緒に軽食を差し出されそれも口にする。
具材をたっぷり挟んだパンを小さな口で一生懸命食べていると、カリスが紙を取り出した。
「お嬢様、今後の予定確認をお願いします」
「ええ、よろしく」
カリスが式典プログラムの予定を読み上げる。
「本日の夕食は晩餐会に招待されておりますので後ほど準備に参ります」
「分かりました」
「明日は昼に褒章式典、その後パーティでございます」
「わたくしは式典だけに出席すればいいのですわよね」
一応ダメもとで聞いてみたけれど、カリスは渋い顔で首を横に振った。
「……出来ればパーティに出て挨拶だけでもと」
「仕方ありませんわね」
滞在期間の延長は絶対にしない。式典後はパーティで挨拶だけしたらすぐ退散する約束も取り付けてはいる。
それが守られない場合は褒章を返還し、以降ルーディア家は王家には関わらないと強気の姿勢を示していた。
王家がそれを了承したから王都に足を運ぶことにしたんだけど、あんまり楽観視は出来ない。
貴族や王族という者は言葉尻を取り難癖をつけるのが得意な人ばっかりだからね。
あれこれ理由をつけて約束を反故にしたり、どさくさに紛れて王家の影響力が強い相手を婚約者にどうだと、恥ずかしげもなく推してくる可能性だってある。
クロイド家以外は未婚の子息がかなりいるし、油断は出来ない。
まぁ、その時は無視して帰るだけだ。
エリサを政治の道具になんて絶対にさせない。
メイドに晩餐会の準備を手伝って貰う。着るのはソフィアが見立ててくれた黄色のドレス。
ナインが仕立ててくれたドレスは明日の式典に着る。
鏡を見ると黄色のドレスは魔道具で色を変えたエリサリールの瞳と同じ色で、よく似合っている。
この姿を見てエリサ・クロイドを連想する者はいないだろう。
メイドが二人がかりで着付けと化粧を施してくれる。
「流石おばあ様だわ」
「ええ、エリサリール様にとてもお似合いです。こちらのアクセサリーはカーラン様からです」
「まぁ、おじい様が」
ドレスの事は聞いていたけれど、それに合わせてアクセサリーもあるなんて知らなかった。
こちらは金にパールをあしらった落ち着いた装いのネックレスとイヤリング。
「可愛らしいですわ」
「エリサリール様の魅力をよくご存じです」
化粧を施され整えられたエリサはため息が出るほど綺麗だ。
仕上げが終わり礼を言うと、メイドは何度もエリサを褒めた。
「本日は晩餐会ですので控えめの装いにさせていただきましたが、明日は全力でやらせていただきます!」
「そうなの?」
これで控えめなんてエリサの美貌は天井知らずだわ。
「じゃあ、明日もお願いね」
「「はい!!」」
メイドが部屋から下がるとナインが入れ替わりに入って来る。
「エリサ様、お美しいです」
「あら、ナインも騎士服は久しぶりで素敵ね」
会場までエスコートをしてくれる予定のナインは、普段は着ない騎士の正装を着ていてとても似合っている。
「は、恐れ入ります」
褒められたナインは頬を染め嬉しそうに微笑む。
「それでは行きましょうか」
「はい」
ナインに差し出された手をとり、晩餐会の会場へ向かった。
今日の晩餐会には王と王妃しか来ないから少しだけ気が楽だ。
けれど明日の式典ではアレンやマリナ、父や義母とも顔を合わせることになる。
その時エリサはどんな気持ちになるだろうか。
想像すらできない。
王も王妃もエリサに気付くことはなく、傍に控えるナインに触れることも無かった。
腫れ物に触れるような会話が続く。
式典に出席することを了承したことに王が礼を言い、改めてエリサリールの功績を称え、褒章に不満はないかと聞かれた。
事前に出せるだけの要望は出したし無茶振りもしたけれど、それらは全部叶えられた。
だから、もういい。
ルーディア家としてはこれ以上望まないと言うと、王たちは胸を撫で下ろした。
それ以降は穏やかに会話が進み、晩餐会は無事に終わった。
ドレスから着替えベッドに横たわる。
最高級の寝具のはずなのに、全然落ち着かない。
「早く帰りたいねぇ。エリサ」
温かいルーディア領の屋敷にあるおじい様とおばあ様が整えて下さったあの部屋が恋しい。
「明日、頑張ろうね」
うん、やっぱり来てよかったかも。
エリサの中で様々な区切りがついたのを感じる。
胸の奥に温もりを感じ、私の心も温かくなった。
私、貴女に会えてよかったよ。
エリサの存在を前より強く感じられるようになった。
きっと目覚めはもうすぐだ。
幸せになってね。
祈るように何度もエリサに伝えた。