「そもそも魔力とはなんぞやって話ですよ、カリスさん」
「美奈の世界に魔力はなかったのか?」
夜、ベッドに座って白梟の姿になったカリスをモフりながら会話をする。
「私が住んでいた世界では魔法は空想に過ぎなくて、全ての事象は科学で証明がつく。金属の鳥がたくさんの人を乗せて空を飛ぶのも、大きな鉄の箱が物凄い速度で人や物を運ぶのも全部理屈で証明出来るんだ」
「へぇ……、それこそ魔法みたいだな」
「行き過ぎた科学は魔法のようだ~なんてどこかで聞いた事があるわね」
「それじゃ魔力の事は分からねぇな」
「そうなの。エリサの体にある魔力の存在は理解できるし、使えもするけど、人の体に宿る魔力と、自然にある魔力は何が違うの?」
「根本的にはどれも同じものだな」
「同じなの?」
羽根の中に指を入れてもしゃもしゃとかき回し、抱き上げて吸う。
干したての布団の匂いがするのは何でだろう? カリス日干しされてる?
何をしても文句を言わないのをいいことに、白梟の体を堪能しながら会話を続ける。
「魔力は神の力そのものなんだ」
「それが人や自然に宿ってるの?」
「そうだ。神はこの世界を愛しているからな」
「自分の力を分け与えてるってこと? それじゃいつか神様がカラカラになっちゃうんじゃない?」
「現になってるだろ」
「! 神や聖獣が今眠りについてるってそういうこと?」
「そういうこと。俺はたまたま血の契約を持つ一族であるお嬢が、大きな魔力を持った恩恵を受けてこの世界に生まれ落ちることが出来た」
「……でも契約が出来ずに魔力が枯渇して死にかけてた」
「そうそう。聖獣は成長するにも生きるにも魔力が必要だからな。本来は契約した主の魔力を分けて貰うんだ。その代わり自分の魔力を捧げて主の魔力量を増やす事が出来る。それを貰って成長をするって感じで魔力を循環させるんだ」
「へぇ……。じゃあ神様って力を分け与えちゃったらどうやって生きるの? 力は無限じゃないからこうなってるんでしょ? 困るじゃない」
「祈りだ」
「祈り?」
「神に感謝し、祈ることで魔力は神の元へ戻る。自然や人を介し、感謝と祈りを捧げることで神に上質な魔力が還元される。その魔力が世界を巡り、それがまた神へ……と本来は回るはず、だった」
でも、この世界の人は神への感謝の心も祈りも忘れてしまった。
神に力がなければそれに仕える聖獣にも力が巡らない。
信仰を失ってしまった人々がもう一度神への感謝を思い出せば、眠ってしまった神もいつか目覚めるかもしれない。
ルーディアはそうではないけれど、この世界は辺境に行くほど荒廃が進んでいた。
神の力が戻ればそういった土地にも魔力が巡り、今は限定的にしか育たない浄化ハーブも普通に生えるようになる。
「……いや、先が長すぎでしょう。例え今から祈ったとして神様いつ目覚めるのよ」
途方もなく長い話にベッドに倒れる。手から離れたカリスがコロコロと布団の上を転がって止まったところで乱れた羽根を整え座った。
「いや、でもやってみる価値はあるぞ」
「何を?」
「人々の信仰と祈りがあれば神の力は徐々に回復していくんだ」
「うん」
「今は誰もが神の存在を物語のように遠く感じている。それを身近なものにしてしまうんだ」
「どういうこと?」
「神の像を作る」
「なるほど、象徴があった方が祈りやすいもんね」
何もないところに感謝を捧げるより、祈る対象がある方がイメージも湧きやすい。
偶像崇拝はどの世界でも共通なんだ。
「貯水池に神像を建てて祈れば魔力が集まり、それが水に宿るかもしれない」
「神様本体じゃなくてもいいの?」
「祈り自体は神に対してのものだしな。神像に集まった魔力は自動的に神へも届く」
「へぇ、そういうものなんだ」
仮に猫や犬の神像を作って崇めたとしても、眠っている神に祈りは届くという事か。
自分が枯渇するまで力を世界に分け与えてくれるし、神の愛情の深さが半端ない。
神などいないという世界で生きて来ただけに、存在を近くに感じられるのはなんだか不思議だ。
「なんだか途方もない話だけど、やらない理由はないわね。それに長い目で見ればいつか祈りが届いて神様も起きるかもしれないし」
そうしたら少しずつだけれど世界が再び活力を取り戻す可能性もある。
「万が一神が目覚めれば、世界にとってこれほどの僥倖はないからな」
「ダメ元だし、何でもやってみよ!」
「そうだな」
そうして計画は進められることになったんだけど……。
「なぜ神像がわたくしの顔なのかしら?」
「細工師へ試しに依頼を出したら、顔は好きにしていいのかと問われたので了承したところこのように……」
「えと、お一人だけに依頼したのかしら?」
「いいえ、この見本の数だけ」
「素晴らしい出来ですね。どれもエリサ様の慈悲深さと美しさ、それから聡明さがよく表現されております」
「ナイン、わたくしの像ではなく依頼は神像なのですが……?」
「崇め、祈りを捧げる対象として貴女様ほど最適な方はいらっしゃいません」
キラキラと並べられた像を見つめるナイン。
うん、今日もブレなくエリサが大好きね。それでこそナイン。
……とは思うけど、十体ほどの試作品は示し合わせたように全てエリサを模した女神像だった。
「……カリス、これでいいのかしら? 神様はお怒りになりません?」
戸惑いながら声をかけると、カリスは済ました顔で大丈夫だと頷いた。
「お嬢様はこの土地ですでに信仰の対象となられております。お嬢様への祈りは神への祈りとして届く事でしょう」
「わたくしが祈られてしまってよいのです?」
「大切なのは感謝の心です」
「そうなのですね……」
戸惑うエリサに、傍で見ていたおばあ様も何体か像を眺めた後一体を手に取った。
「私はこれが素敵だと思うわ! エリサの良さが余すことなく出ていると思うの」
「僕はこれかなぁ。女神様にも天使様にも見えるじゃないか?」
「衣装はこっちだと思うのよね」
「羽根はあってもよくないかい?」
「羽根ね! 素敵よね」
「おじい様、おばあ様、わたくし羽根は生えておりませんわ」
「何言ってるの! 似合ってるしあってもいいわ」
「演出としてこのくらいあってもいいね」
「俺としましてはこちらの花飾りのドレスが……」
「こっちの衣装の方が似合ってると……」
エリサを除きどのデザインにするかの検討が始まってしまった。
「わたくしの顔なのは確定なのですね……。領民の皆様は受け入れてくださるのかしら?」
という疑問は一瞬で解消された。
まずは実験的に近くの大き目な三つの街に川から水を引き入れて噴水を作り、そこに皆の意見を取り入れた女神像(エリサ)が設置された。
各噴水から地下を通して領主館の庭に作られた大きな貯水池へ水が集められる。
魔力と神、それから祈りの説明をして時々でいいから祈って欲しいと領民たちにお願いしてみた。
そうすると置かれた像を見て、領民からは自宅でも祈りたいから小さいものが欲しいと希望が殺到し細工師の工房はあちこち大忙しになった。
まだ効果も出ていないというのに自分たちの街や村にも欲しいと、見学した足で陳情にやって来る者まで出て来る始末。
目的と手段が入れ替わってしまっている。
「ほほほ、うちにあるのが一番素敵だわ」
「本当だよねぇ。うん、いい出来だ」
自宅の庭に作られた大きな貯水池には二メートルほどもある女神像が置かれた。
像には地質調査で見つけたという霊石が埋め込まれている。
霊石とは魔石よりさらに多くの魔力が籠っているもので、中々見つかるものではない。
この石の効果で魔力を集めやすくなっているとカリスのお墨付きである。
羽根の生えた麗しい女神像(エリサ)が霊石を祈るように握っている。
「各街や村の工房はここ数十年で一番忙しいみたいです」
「材料を持ち込み、自らの手で作りたいと細工を教わるものまで出てきているようですね」
農業や畜産が主な産業のルーディアの冬は毎年静かに過ぎていくというのに、今年は随分賑やかだ。
「まぁ、うちのエリサは大人気ね」
「エリサは本当に女神様かもしれないねぇ」
「皆様……わたくしを持ち上げすぎですわ」
私だって、エリサは素敵で女神様みたいって思うけど、ここまで領民が熱狂するなんて予想外だった。
エリサも戸惑っているように感じる。けれど……。
悪い気はしないよね、エリサ?
これほどエリサが求められていることが嬉しくないわけはない。
やがて徐々に整備が進み、ついに浄化ハーブの育成場が稼働することになった。
「……育って、いますわね?」
「瑞々しいです」
「こちらは新しい芽が出ております。これは、成功ではないでしょうか?」
試しに採取して成分を調べてみたら、野生の浄化ハーブよりも濃い成分が検出された。
貯水池から流れる水で育てられた浄化ハーブは青々と葉を茂らせ、毎日一枚ずつ毟ってもすぐ次の若葉を生やす。
温室の中を魔道具で常に水源と同じ気温にすることにより、ついに浄化ハーブの栽培に成功した。
摘んだハーブは新鮮なうちに隣の加工場ですぐに乾燥させ粉末にして厳重に保管される。
これでいつでも効果の高い浄化ハーブを扱うことが出来るようになった。
「素晴らしいです。エリサ様!」
「お嬢、やりましたね」
「ええ!」
もうそろそろ春になる。他の領地が流行り病が過ぎるのをじっと待っているというのにルーディアだけは活発だった。
すぐにルーディア全ての村や街に噴水と女神像が設置され、水を集めやすい場所に温室を作り浄化ハーブを育てる。
取り急ぎ収穫したその浄化ハーブで石鹸や薬を作り世に出すと、国中に蔓延していた流行り病は徐々に沈静化していった。
ようやく神像の設置と浄化ハーブの生産体制が整い、久しぶりにゆっくり眠ることが出来ると早々に寝室へ引き上げた。
自室の窓が見えるテーブルに座り腰を落ち着けて、カリスが淹れてくれた温かいお茶を飲む。
この部屋でカリスが人型でいるのは何だか逆に珍しい気持ちになる。
「はぁ、夜にゆっくりできるなんて久しぶり。お茶おいしい」
「頑張ったな」
「カリスも、色々ありがとう」
「俺はお嬢の聖獣だしな。力を貸すのは当然だ」
「うん、それでもありがとう」
礼を言いながらお茶を飲んで窓の外に目をやると、庭にある美しい池には月の光に照らされる女神像が見えた。
「本当にあれで魔力が集まってるんだねぇ」
「お嬢がどれだけこの領の民に慕われてるか分かるな」
像の周りには蛍のような細かな光が舞っていてとても神秘的だ。
カリス曰くあれが祈ることで集められた魔力が具現化したものなんだそうだ。
「ふふふ、照れくさいけど嬉しいねぇ」
「これが世界中に広まったらいつか神も復活するかもな」
「そうなったら凄いねぇ」
「失っていた神への信仰を取り戻させたんだ。凄い事だぞ」
カリスに手放しで褒められて、嬉しいが照れくさくなってしまう。
「私じゃなくてエリサが凄いんだよ?」
「美奈だって凄い。俺はそう思ってる」
「そっか……」
照れくさくて、誤魔化すみたいにお茶を飲もうとしたら中身はなかった。
「もう入ってないだろ。ほら」
差し出された手にカップを乗せると、カリスは新しいお茶を注いでくれた。
「次は何をするんだ? まだやりたいことがあるんだろう?」
これで終わりにするつもりなんてないのを、カリスは分かってくれている。
「折角浄化ハーブが育ったんだから、別のハーブや薬草も育てて新しい薬を作ろうと思うの」
魔力を含んだ水で育てた薬草は自生している物より数倍の効果がある。
こちらは良い肥料を与え、魔力を含んだ水で育てるだけで簡単に育った。
温室を広げたくさんの種類を常時採取できるようにして、それを使って薬品を開発もしたい。
今までのように街の薬剤所に頼むのでは回らなくなるだろう。だから開発研究する専門の薬学研究所も作りたい。
そうしたら今まで治らなかった病気や怪我の治療が進むかもしれない。
「美奈、この成果は誇っていい。これはこの世界にとって物凄い偉業だ」
隣に立つカリスが、尊敬の念を込めてエリサを見つめる。
とくり、と小さく心臓が鳴ったのはエリサではなく私(美奈)。
「……?」
「どうした? 美奈」
胸を押さえると掌の中に鍵が現れた。
「エリサが、呼んでる」
「行くぞ」
「うん!」
鍵を握り祈るように胸の前で手を組むと私の意識は闇に飲まれる。そしていつも通り光の奔流を通って深層部屋に出た。
いつもと違い部屋に満ちる眩い光が目に飛び込んで来る。
「鍵が開くぞ、美奈! 早く来い」
「うん!」
カリスに呼ばれ魔法陣が描かれた壁の前に立つ。
「本の南京錠が!? え、四葉のクローバーも?」
一度に二つの南京錠が光り輝いていた。
「同時に解放されるっていうのか!?」
まず本の形をした南京錠が一際輝き、光が本を模した鍵に変化する。
それが鍵穴に差し込まれ回るとカチリと澄んだ音がして、掛け金が外れ南京錠が砕け散った。
そしてすぐに今度は四葉のクローバーを模した南京錠から零れた光が、同じように四葉を模した鍵に変わり差し込まれる。
鍵が回り南京錠が外れて繋がっていた鎖が連鎖する様に砕けていく。
「わぁ、凄い。綺麗」
砕けた鎖の欠片が光になって降り注ぐ。
「一度に二つも、凄いぞ。美奈!」
「うん! そっかー、エリサの心が満たされたんだ。よかった」
半分以下の大きさになった繭を見ていると自然に顔が緩んでしまう。
「何のニーズが解放されたんだ?」
「四つ葉と本だから、価値のある存在でありたい。社会に貢献したい、かな?」
エリサの女神像だから領の人たちはたくさん感謝を捧げてくれたし、その成果でこれからやろうとしている事業が世の中を良くしていくのが見えている。
だから多分そのニーズであっていると思う。
「よくやった、美奈」
褒めてくれたカリスを見上げたらまた心臓が小さく鳴った。
「??」
不思議な鼓動に首を傾げながら胸を押さえる。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
今はカリスの顔を見ても何も感じない。気のせいだったのかも。
「鍵はあと二つだね」
「そうだな、繭もだいぶ小さくなって来た」
「この世界ならエリサは戻りたいと思ってくれる? ここで幸せに過ごせるかな」
「ああ、絶対大丈夫だ」
「ふふふ、もっと頑張ろう!」
「お前は十分頑張ってるよ。でも、お嬢の為に一生懸命になってくれてありがとな」
くしゃりと褒めるように頭を撫でられて、私の心臓はやっぱり変な音を立てる。
けれど、私にはそれが何だか分からない。
「?」
もう一度胸に手を当てると不整脈はすぐに無くなった。
美奈の精神が変な分にはエリサに影響がないしいいか。
分からない事はとりあえず投げ捨てて、とにかく今は封印を二つも解放できたことを喜ぼう。
「カリスが居てくれるからだよ、これからもよろしく」
「おう!」
私一人だったら迷走したり落ち込んだり悩んでどうにもならなかったかもしれない。
カリスが傍に居てくれるから、安心して真っ直ぐ前だけ見て走って行ける。
「あと二つ、成長したいと愛し愛されたいか。愛はナインに任せるしかない」
「まぁ、あいつならやるだろ」
「そうだね」
ナインのエリサに捧げる愛情は見ていて気持ちがいい。
真っ直ぐで偽りなくエリサが好きという気持ちが伝わってくる。
エリサもナインを受け入れつつあるけれど、まだ最後の勇気が出ないといった感じか。
でも、一緒に居る時間が長くなればきっといつかそこは超えられる。
早く直接二人が話せる時が来るといいな。
「後は成長したい、か。何をしたらいいかなぁ」
エリサは基本的に何でも出来る。
頑張り屋さんだし少しくらいの努力では成長したと実感出来なさそう。
「難しく考える必要はないと思うぞ。今まで通りやっていればいずれ時は来るしお前はやれる。俺は美奈を信じてるからな」
「……ありがとう、カリス。頑張るよ」
胸の奥が温かくなる。
エリサも助けたいし、カリスの期待にも応えたい。
「また明日から頑張ろう! っていうかやること山積み」
「確かにそうだな。明日からもまたよろしくな」
「うん!」
笑い合って深層部屋を出た。
そういえば前は真っ暗だったのに明るくなってきた気がする。
これはエリサの心情の変化を示しているんだろうか。
だったらいつかエリサが目覚める時は光の中かもしれない。
そんなことを思いながら外に出た。
ベッドに転がり白梟になっているカリスへ手を伸ばす。
「カリス、一緒に寝よ! 抱っこさせて」
「またか。ぬいぐるみ代わりにするなよな」
「へへへ、あったかーい」
白梟になったカリスは文句を言いながら腕の中に大人しく収まってくれる。
「おい、顔を擦り付けるな! 羽根が乱れる」
「いいじゃーん、もふもふー」
「背中じゃなくてせめて腹にしろ!」
「もーカリスは我儘なんだから」
「我儘なのはお前だ!」
文句を言いながら笑い合う。
カリスが居てくれてよかった。
こうして肩の力を抜ける時間があるから私はまた頑張れる。
エリサにもこんな風に出来る場所や相手がいればよかったのにな……。
そんなことを思いながら目を閉じた。