さて、こんな突拍子もない話を受け入れて貰えるかしら。
まして最愛の人に別の人間の精神が入っている事実に耐えられるものだろうか。
真っ直ぐエリサの顔を見つめるナインに視線を重ねた。
目が合うとナインは幸せそうに微笑んだ。
ナインはエリサを想う心を隠すことなく伝えてくれる。
どうか話を聞いた後もこの顔をエリサに向けてくれますように。
そんなことを願いながらカリスに顔を向けると、心得たというように頷く。
「まず、結界を張って音を遮断します。どのような事が起きても幻惑の魔法がかかっているので、外から見た俺たちはティータイムを楽しんでいるように見えるでしょう」
カリスが魔法を発動して、今いる東屋の周りに結界を張る。
名前を得てからカリス自身が習得している魔法は勿論、エリサが所有する結界魔法も自在に操れるようになった。
「なっ、これほどの魔法を……!」
ナインは張られた結界に目を見張る。
結界魔法は廃れて久しい。周りから視界も音も遮断し、なおかつ幻影まで見せるような魔法を使えるものは今は存在していない。
「これほどの者を従者にしておられるとは……、流石はエリサ様です」
カリスの力を評価して、ナインが尊敬の念を込めた視線をエリサに向けている。
この人、本当にエリサが好きなんだ。
これから話す事を信じて受け入れてくれるといいな。
「ナイン様、わたくし……。いいえ、私は高橋美奈と申します。故あってエリサの体に入り彼女を守っています」
「……タカハ?」
耳慣れない日本名にナインは戸惑った顔を向ける。
「高橋美奈です。ミナとお呼びください。今はエリサに憑依してこの体を動かしております」
「! 貴様、エリサ様の体を乗っ取っているのか!?」
憑依しているという言葉にナインは即座に剣へ手を伸ばす。
「落ち着け、騎士殿」
だが立ち上がろうとしたナインの体はカリスの魔法で強制的に椅子へ座らされた。
「!」
全く体を動かす事が出来ないナインはカリスを睨みつける。
「少しの間体を縛った。結界術の応用で害はない。まずは美奈の話を聞け」
カリスの勢いに圧され、ナインが剣にかけた手を外した。
「……エリサ様に不都合はないのだろうな?」
確認するように私、美奈を睨みつける。
凄い威圧感だわ。これがソードマスターの力なのかしら。
けれど、エリサの体を気遣いそれを抑えてくれているのも分かる。
「ええ、私はエリサの合意を得てこの体に入っているの」
そう言うとナインは不承不承頷いて、椅子に深く座り直した。
「少し長くなりますが、話を聞いて下さい」
私はここに来た一部始終を順番に話していく。
「私はここではない世界から魂の状態で来ました。あちらの世界で私は事故で恐らく死んだか、死に近い状態にいると思われます」
「死……」
「実際どうなっているのか、戻ることが出来ないので分かりません。気付いたら暗闇を漂っていて、そしたらどこからか泣き声がしました」
「泣き声?」
「エリサが暗闇の中でただ一人悲痛な声で泣いていました」
「!」
「もう何も見たくない。辛いと泣いていました。あの婚約破棄の直後の事です」
エリサが公衆の面前で婚約破棄を告げられたあの日。
いつか気持ちが伝わるはず。
頑張れば、成果を出せば、従順でいれば……。
そう思い頑張って来たエリサの希望の糸が千切れたあの時、エリサの心は絶望に染め上げられた。
「あの時……っ、あの時、せめて俺が一緒に居られれば……」
悔しそうにナインが呻くようにそう吐き出す。
あの学園は関係者以外の立ち入りを禁止されていた。そもそもナインは王城内の護衛という立場で学園までは付き添えない。
ナインはエリサの護衛という立場ではあったが、それはあくまで王城内に限られた話だ。
騎士団を抜けエリサの専属護衛になりたいという願いは、ソードマスターを騎士団に置いておきたい国の思惑で却下されてしまっていた。
あの時もエリサに寄り添いたかったとナインは今でも悔いているみたいだ。
「殿下は、エリサ様を大切に扱ったことはなかった。エスコートも迎えに行かれることも無く、俺が何度か代わりを務めたこともあった。こんなことをさせてしまってごめんなさいと申し訳なさそうに謝るエリサ様を何度悔しい思いで見送ったことか……」
体を震わせ絞り出すようにナインは言葉を紡ぐ。
どうにもならなかったこととはいえ、どこまでもエリサを慮ってくれるナインを好ましく思う。
「エリサは本当にあの王子を愛していた。凄く頑張ってた」
「ああ、知っている」
「でも、その愛は届かなかった」
「……」
「それどころかマリナと愛し合っているという現実を突き付けられたエリサは、絶望して自分の心を手放そうとしていた」
「手放す?」
「心を意図的に閉じようとしてた。もしもあの時私がいなければ、エリサは二度と覚めない眠りに落ちていたと思う」
「!!」
「あの時のエリサは辛い現実から逃げ出したい一心で古の力を目覚めさせた。その力が新しい領域を作り出し閉じ籠って、私をこの世界に呼び寄せた。ってカリスに聞いた」
私は正直その辺の事はよくわからない。
カリスがそうだって言うから多分そうなんだろう。
私がそう言うとカリスは同意するように頷いて、説明を補足してくれる。
「お嬢は助けを求める為に発動した魔術は強大で、新たな空間を作り出し次元を超え自分を助けてくれる相手として美奈を呼び寄せた。けれどその術は古の失われた魔術。危機に瀕し制御なしに使ったせいで暴走して自分を守る結界を張るつもりが、お嬢自身を封印してしまった」
「ただの侍従であるお前に何で分かるんだ?」
ナインはエリサに入っている美奈ではなく、確信を持った物言いをするカリスに疑問を投げかける。
「俺はお嬢の聖獣だ。お嬢は太古の昔、ここルーディアにある神秘の森を守る巫女の血を引いている」
カリスの目の前で白梟に変わり、エリサの肩に留まった。
「!」
「お嬢の聖獣として生まれた俺は、ずっとお嬢の傍にいて密かに守ってきた。お前の事も知っているぞ」
「俺は、お前を知らない」
「肉体はなかったからな。お嬢がもしもう少し周りに意識を向ける余裕があれば、俺と契約してもっと自由に魔法を使えるようになっていたはずだし、俺も今のように肉体を得ていた」
聖獣と心を通わせるには存在を認識することが何より大切だ。
それには目に見えないものを見て、聞こえない声を聞く鷹揚な心と環境が必要だった。
エリサにはそんな心の余裕を持てる時間など一瞬たりとも訪れなかったし、彼女を取り囲む環境も最悪だった。
もしもエリサが自由に成長し、カリスと契約出来ていたならもっと違う人生があったかもしれない。
「俺はお嬢と契約できず、陰ながら守るので精一杯だった。そしてお嬢が心を閉ざすと同時に消えかけていた。そんな俺ごとお嬢を助けてくれたのが美奈だ」
白梟のカリスが羽根を広げもう一度侍従の姿に戻った。
「もしあそこに美奈が来なかったら、お嬢は一生覚めない眠りに落ちたまま生涯を閉じることになっていただろう」
「エリサ様が……。そんな……」
「それほどあの時エリサは絶望していたの」
「そうか、そうか……。ミナ嬢、ありがとう」
「いいえ、お礼を言われる事じゃないわ。私もエリサを助けたいって思ったから」
「エリサ様は、今どうしていらっしゃるんだ?」
「心の奥で眠っているわ。」
そっと両手を心臓の上に置く。
「エリサ様は辛くはないか? 苦しくはないか?」
「ええ、大丈夫。今エリサはとても安らいでいる。私には分かるの。エリサが嫌な事は一つだってしない。私はエリサに幸せを感じながらこの世界でもう一度生きて欲しいって思ってる。その為にはなんだってやるつもりよ」
そう言うとナインは安心したように息を吐きだした。
「そうか、そうなのか……。ミナ嬢、感謝する……。エリサ様を助けて下さってありがとう……」
ナインはエリサを思って泣いてくれる。
どこまでも深くエリサを想ってくれている。
この人なら……。
「エリサは疲れたって言ってた。もう何も見たくないって。だから私は休んでって泣いてる彼女を抱きしめたの」
「エリサ様は、そこに居て寂しくはないのか?」
「大丈夫よ」
ナインは何処までもエリサの事を考えてくれる。それが嬉しい。
「エリサは私の行動を見ていて、それによって生じる感情の動きを私は感じることが出来る。今もこのやりとりをエリサは見ているわ。そうね、彼女は眠っているから夢を見ている感覚に近いと思う」
「そうか。エリサ様が安心して休めているならそれでいい……」
ナインは何度も感謝を私たちに示す。
「それで今俺たちはお嬢の領域にある封印を一つずつ解除している」
「エリサには悪影響がないから安心してね」
「封印を解くには六つの封印を解かないとならない。全部解けたらお嬢は目覚める。今まで二つ解除している状態だ」
「二つも! カリス殿、ミナ嬢、ありがとうございます」
ナインは喜ぶけれどエリサの体に入って五年。十七歳だった彼女も二十を超えた。
五年でこの成果は多いのか少ないのか見当はつかない。けれど、急ぐ気持ちはない。
彼女が重圧に耐えて生きて来た時間はもっと長いのだから、心の傷が癒えるまでゆっくり休んで欲しい。
「まだまだよ、残り四つもあるんだもの」
「俺たちだけじゃ手が足りない。だからナイン殿、俺たちに協力してくれ」
「勿論だ」
即座にナインは頷いたが、すぐ困ったように俺たちを見た。
「だが、俺は剣を振ることしかできない。傍にいて守る以外、何をしたらいいんだ?」
「ナイン様は今まで通りエリサを想って行動してくれればいいわ。貴方の気持ちはエリサにちゃんと届いてる。返事は、エリサが起きた時に自分で貰って頂戴。その為に頑張って欲しい」
「そんなことでいいのか?」
「それが大事なの!」
「俺がエリサ様の役に立てるなら何でもする」
「エリサの中には美奈(わたし)が入っているけれど、同時にエリサでもある。ナイン様は美奈(わたし)の存在を忘れて、エリサの為だけに尽くしてください」
「ミナ嬢はそれでいいのか?」
「ええ。エリサがまた生きたいと願って幸せな気持ちで目覚められるようにしたいの。利用するみたいでごめんね」
「とんでもない! エリサ様の為になるのなら、その為に俺が選ばれたなら、俺はその気持ちに応えよう。俺の全てをエリサ様に捧げたい」
真摯に頷くナインを美奈は頼もしく思う。
「ありがとう。エリサは、貴方が自分の騎士になりたいと言ってくれたことをとても嬉しく思っていたわ」
「そうか」
「それと同時に貴方の未来を狭めてしまう事に心を痛めていた」
「俺は……!」
ナインはエリサの元へ行き跪く。
「エリサ様、俺が分かりますか?」
真っ直ぐ目を覗き込むナインは奥に眠るエリサへ語りかける。
「貴女の傍に居られることが至上の喜びです。貴女をお慕いしております。例えエリサ様が他に愛する方が出来たとしても俺の気持ちは変わりません。貴女が幸せになるのを一番近くで見ていたいと思っております」
そっとエリサの手を取って指先に口付ける。
「エリサ様、俺に貴女の傍に居る権利をください。貴女の騎士になりたいです」
ナインの想いが痛いほど伝わって来る。一途で温かく強い想い。これならきっとエリサに届くはず。
けれど、この確認だけはしておかなくてはならない。
「ナイン様、もう一つだけ」
美奈として最後の言葉をかける。
「私はエリサが目覚めるまでエリサリール・シア・ルーディアとして生きる覚悟を決めています」
「……」
ナインは私の言葉に深く頷いた。
「……エリサが目覚める可能性を探り最大限努力はするけれど、生涯目覚めない可能性もある。それでも、気持ちは変わらない? 想いが返らない状態で愛情を注ぎ続けることが出来る?」
「問題ない。お気持ちを頂けるかどうかは関係ない。俺は生涯をエリサ様に捧げると決めている」
間髪入れずナインは返事をくれた。
胸の底から湧き上がる温かい気持ち。
そう、エリサ。決めたの?
「では、ナイン・ロード」
「はい」
美奈はもうこの場にいらない。
エリサリール・シア・ルーディとしてナインの前に立った。
「わたくし、エリサリール・シア・ルーディアの騎士になっていただけますか?」
「喜んで」
「その想い、確かに受け取りました」
「有難き幸せ」
ナインは頭を下げ、自らの剣を両手で差し出す。
自ら選んだ主となる者へ己の剣を捧げる事。これが騎士の誉れである。
ナインは剣を受け取るエリサを恍惚の表情で見上げていた。
「今この時を持ってナイン・ロードをエリサリール・シア・ルーディアの騎士に任命いたします」
「謹んで拝命いたします。この命尽きるまで貴女を守り抜くと誓います」
エリサは慣れた手つきで鞘から剣を取り出し、剣の平らな部分でナインの肩を叩いて再び鞘に収め戻した。
「エリサリール・シア・ルーディアを主人とし、どのような時でも優先なさい。心のまま仕え、その生涯を捧げなさい」
「はい」
顔を上げるナインに剣を戻し儀式は終了した。
「おじい様とおばあ様にナインがわたくしの騎士になってくださったとお伝えしましょう」
「ありがたき幸せでございます」
呼び捨てにされたことにナインは喜びを隠せず、口元が緩くなっている。
感動でちょっと瞳が潤んでいるのが見えた。
ナインは涙腺が弱いのかもしれない。
格好いいけど、可愛い人でもあるね。エリサ。
そんなことを思うと胸の奥が温かくなった。
「そういえば王城に居た頃にして頂いた気遣い、本当に嬉しゅうございました。ナインが淹れてくださったお茶はいつも冷めてから飲むことになってしまってごめんなさい。とてもおいしゅうございました」
「いいえ、未熟な俺の淹れたお茶を飲んでくださっただけで嬉しいですエリサ様。……お守りできず、申し訳ございませんでした。これからはこの身に変えても貴女をお守りいたします」
「ええ、頼りにしています」
カリスがナインに声をかける。
「ナイン殿、これからは同僚って事でよろしくたのむ」
「ああ、カリス殿。こちらこそよろしく」
カリスは結界を解きお茶を淹れ直す。
エリサの願いで三人でテーブルに付きお茶を飲む。
「……俺も茶の淹れ方を勉強するべきか」
「それは俺がやるからいい。仕事を取るな」
真剣に悩むナインにカリスがツッコミを入れる。
「このマフィンはわたくしがおじい様と焼きましたのよ? お口にあうかしら」
「はっ! 頂きます!」
エリサに勧められ即座にマフィンを手に取るナイン。
幸せそうに頬張ってくれるが嬉しい。
「エリサ様の手作りの物を頂ける日が来るなど……。生きていてよかった」
「大げさだな」
「大げさではない! 出来れば食べずに飾っておきたいくらいだ」
「腐るからやめろ」
「ふふふ、お気に召して頂けたのならまた作りますわ」
「有難き幸せでございます」
賑やかになって嬉しいね、エリサ。
その日からエリサの傍には常にナインとカリスが寄り添うようになった。