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第13話 ナイン・ロード(ナイン視点)





 打ち合わせ通り、エリサ・クロイド様は死亡したと報告を終えた。

 一つの任務を完了し、今度は私事を片付ける番だと除隊を申し出るべく騎士団長の部屋を訪れた。

「ここを辞めてお前はどうするんだ? その剣の腕なら放っておかれないと思うぞ」

「俺はエリサ様の死を悼みたいと思います」

「それは騎士団に居ても出来るんじゃないのか?」

「少しでもエリサ様のお傍がいいのです。俺があの方に付いて行けばもっと違う結末があったと後悔しながらここに居たくはありません」

 それに元凶となったアレンが王になり治めるこの国を支えて生きたいとも思わない。


 かれこれ数時間平行線で、食事を挟み、酒を飲み、夜になってようやく騎士団長が折れた。


「……これで俺もエリサ様の元へ行ける」

「おいおい、死にに行くんじゃないだろうな? もしそうなら除隊は認められんぞ」

「あの方はそんなことは望まない。エリサ様が心許した方々がいる所縁の深い場所を、あの方の代わりに守りたい」

 気高く美しいエリサ様を思い浮かべると自然に笑みが零れた。

 その表情を見ていた団長は諦めたようにため息を零す。

「……お前、あの方に惚れてたもんなぁ」

 騎士団長は俺が正式な騎士になる前からそのことを知っている。何せエリサ様は俺の剣の腕が急激に上がったきっかけだから。


「エリサ様は覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、俺は忘れた事はありません」


 あれはまだ騎士見習いだった時代のことだ。

 幼くして才能を見出され、正式な騎士見習いになれたのは誇らしい事だと分かっていた。

 けれどまだ甘えたい盛りの八歳の少年が親元を離れ厳しい訓練の日々には辛い時もあった。


 そんなときは鍛錬場の隅で隠れて泣いていた。

 そこは王宮の庭園の端で樹木がたくさん植わっておりあまり人が来ない。


 故郷の田舎でよく香っていた花の匂いがして落ち着く場所だった。


 ある時、教えて貰った技が上手く出来ないのが悔しくて、いつものようにそこで剣を振って練習を重ねていた。

 けれどやはり上手くいかず、疲れ切って草の上に足を抱えて座りこっそり泣いていると声をかけられた。

「あの、これをどうぞ」

「!?」

 声に驚き振り返ると天使のような女の子がいた。

「怪我をしていらっしゃいますわ」

「だ、だいじょうぶ、です! いつもの事なので」

 慌てて袖で涙を拭う。

「でも、血が……」

 差し出された綺麗なハンカチは、右腕についていた傷を押さえたせいで赤く染まった。

「! ハンカチが、汚れてしまいます」

 あまりに美しい少女。高そうなドレスと高級なハンカチ。どこかの高貴なご令嬢に違いない。

 まだ騎士でもない自分が関わっていい人ではないことは一目で分かった。

「ハンカチとは、こういう時に使うものです。それに怪我をしたらやっぱり痛いですわ」

 何度も傷を確認して優しくハンカチをあててくれる。

「あの……え、あり、がとうございます」

 最後はハンカチで腕を縛ってくれた。

「洗って返……いえ、血はもう落ちませんね。どうしましょう……」

「ふふ、差し上げますわ。騎士様」

「!」

「わたくし、辛いことがあったのです。けれど騎士様に出会えてなんだか心が落ち着きました。ありがとうございます」

「いいえ、俺……っと、私はなにも……!」

「普段通りでいいですわよ。だってここにはわたくしと騎士様しかいないんですもの」

 笑った顔は見惚れるほど可愛かった。

「こんなになるまで皆さま頑張って強くなってくださっているのね、わたくしも頑張らなくては……」

 貴族令嬢の中には傷だらけの騎士を見苦しいと眉を顰める方だっているのに、訓練で作った痣や傷跡を見ても顔を顰めない。

 それどころか勲章のように褒めて下さる。

「あの、俺も頑張ります! 頑張っていつか貴女を守れるような強い騎士になります」

 辛いことがあったのだとほんの一瞬泣きそうな顔をしていた。

 俺と同じ理由でここに来たのなら、泣く場所を探していたのではないかと思った。

 この方が泣かなくて済むように、俺が騎士になって守って差し上げたい。


 初めて、誰かの為に剣を振りたいと願った。



「それは嬉しゅうございます騎士様」


 花が綻ぶような、とはこんな顔を指すのではないかと思うような可愛らしくも美しい笑顔だった。


「あの……」

「エリサ様ー!」

 名前を聞きたくて声をかけたその時、令嬢はハッとしたように顔を上げて立ち上がった。

「ごめんなさい。わたくし、もう行かなくちゃ。騎士様、お言葉嬉しゅうございました」

 綺麗な淑女の礼をして彼女は去って行く。


 立ち上がると探しに来たらしい侍女と一緒に歩いて行くのが見える。


「エリサ様とおっしゃるのか……」


 剣の腕を磨いてあの方を守るんだ。


 それがナインの目標になった。





「あの後からだよなぁ。お前が急に強くなり出したの」

「少しでも早くエリサ様の元に行きたかったんですよ」

「同期の誰よりも強くなって、ついにこの国五人目のソードマスターにまでなっちまって、その褒美がエリサ様の護衛だもんな」

 ソードマスターとは剣技だけではなく、闘気という新しい力に目覚めた剣士のことを指す。

 通常の剣技だけでも目を見張るほどの強さがあるけれど、それに加えて闘気を用いた強大な技を扱う事が出来る。

 俺は闘気を炎に変えて剣技へ乗せて振るう事が出来るようになった。

 他にも氷や風、または闘気そのものを放つ者もいる。

 魔力とは違い、体を鍛えれば威力が上がって行くのが闘気の特徴で、己を高めれば高めるほど強くなれる。

「本当はエリサ様の専属護衛になりたかった……」

「ソードマスターを一人の人間に縛り付ける国はねぇだろ」

「俺、エリサ様の為にしか剣を振りたくない。そのエリサ様は、もうここにはいらっしゃらない」

 この王都には、俺が守るものはない。

「しょうがねぇか……。お前が死に物狂いでクロイド嬢の為に頑張ってたのは知ってるからなぁ……」

 騎士団長は渋々ながらも退団手続きの書類にサインをして渡してくれた。


「これを機にお前を取り込もうとする家が出ると思うが……」

 どれほど金を積まれても地位を与えると言われても、俺にはエリサ様以上に価値のあるものはない。

 そんな気持ちで団長を見ているとため息をつかれた。

「まぁ、お前なら上手くやるだろ」

「ええ、実家の力も使います」

「ロード家か、あそこに身を置くなら大丈夫か」

 俺の実家はルーディアを守る様に囲んでいる辺境の大領地を治めている。

 隣国との境界を長い間守って来たこの家は、武勇に優れ強大な軍隊を所有していた。


 おいそれと並みの貴族が手を出せる家ではない。


「それでは、明日には去りますので」

「おいおい、早いな」

「勅命を受けた時にもう身辺整理は済ませてあります」

「そうか……」

 騎士団長はこれ以上言うことはないと手に持ったグラスに入った酒を飲み干した。


「元気でな」

「やっとエリサ様のお傍にいられるんです。これ以上の幸せはありません」

 偽りない気持ちを零す。


 やっと、ようやくだ。

 エリサ様の傍に居られる。

 あの方に剣を捧げて生きることが出来るんだ。これ以上の幸せはない。


 翌朝まとめてあった荷物を持ち、日が登らないうちに馬へ乗りルーディアを目指した。



 その身の無事を祈り、生死が分からないまま探し続けた五年間は生きた心地がしなかった。

 国中を探し、手掛かりはエリサ様を乗せて行ったという御者にしかないと分かっても、中々辿り着けなかった。

 ようやく探し出し、エリサ様の元へ行くことを認めて貰った。

 そしてルーディア領にいると分かった後も、実際に会えるまで心配は尽きなかった。

 久しぶりにお目にかかれた時は、実際に生きて幸せそうにしておられるお姿を見て込み上げる感情を抑え切れず泣いてしまった。

 そんな俺にあの方はまたハンカチを下さった。


 二枚目の宝物だ。


 そして改めてエリサ様の慈悲深さを知り惚れ直してしまった。

 もうあの方の元を離れる事なんて考えられない。

 話を聞いてそれから決めて欲しいと言われているが、何を聞かされたとしても俺の気持ちは変わらない。



「お久しぶりです。エリサ様」

「お久しゅうございます。ナイン様」

「俺に様は必要ありません。どうぞ、今まで通りナインとお呼びください」

「それは、わたくしの話を聞いてからでもよろしいでしょうか?」

 護衛をしていた時と同じように呼んで欲しいと頼んだが、今は同等の立場であるから駄目だと言葉の裏で会話をする。

 ルーディア領主の館にある見事な庭園で可愛らしいティーセットが並べられたテーブルに一緒についた。


 最初は遠慮していたが卓についていただけなければ話はしませんと可愛らしく拗ねられてしまっては、願いを聞かないわけにはいかない。



 席に着くとエリサの傍に唯一侍る侍従の男がお茶を用意し始める。

「そちらの方は……?」

 前回会った時もエリサの一番近くに居た一度も見たことが無い人物。

 たった数年傍を離れただけで、エリサ様の傍に侍ることを許された人間がいるのか。

 エリサ様ほどの方であればと仕えたいと思う者が居て当然だと思うと同時に、その立場に嫉妬めいた気持ちが湧き上がる。

「俺はエリサ様の専属侍従、カリスと申します。以後お見知りおきを」

 銀髪青い目で見目麗しい侍従は優雅に礼をして俺の前にティーカップを置いた。

「ナイン・ロードです」

「丁寧に、ありがとうございます」

「カリス、今日のお茶は何かしら?」

「今日はお嬢様がお好きなアプリコットに致しました」

「まぁ、嬉しいわ!」

 優美な仕草で頭を下げるカリス。その所作を見ているだけでエリサ様の侍従として申し分のない品位を備えているのが分かる。傍に侍るに相応しいと認めざるを得ない。


 だがエリサ様が他の誰かに心許している姿を見ると胸がチクリと痛んだ。

 恐らくそれが表情に出ていたのだろう。

 気遣うような視線を向け微笑んで下さる。相変わらず人を良く見ていらっしゃって細やかな気遣いをなさる方だ。



「ナイン様は甘いお茶はお好きかしら? 苦手でしたら別の物をご用意いたしますわ」

「同じものを頂きたいです」

 エリサ様と同じものを同じテーブルで食せるなんて、これは夢じゃないだろうか。

 密かに手の甲を抓ってみる。痛い。うん、夢じゃない。

 カリスの手によって運ばれたお茶をエリサ様と同じタイミングで飲んでみる。

「ふぅ、おいしゅうございます。ナイン様、どうですか?」

「初めて飲みましたがとてもおいしいです」

「このお菓子もとてもおいしいのですよ? 甘い物ばかりでは飽きると思いまして、こちらはパンにハムやチーズを挟んだ物も用意しましたのよ、どうぞ召し上がれ」

「はい、頂きます」


 お茶を楽しむエリサ様は、王城で見たことも無い穏やかで柔らかい表情をしている。

 この場所で幸せに過ごしているんだ。

 それが実感出来て胸の奥が温かくなる。


「……よかった。貴女がそんな顔をして笑える場所が出来たのですね」

「はい。ここに来て、わたくしとても幸せなんですの」

 ふわりと微笑む笑顔は俺が最初に恋をしたあの時の物よりもっと美しく可愛らしかった。


「エリサ様、俺はやはり貴女の騎士になりたいです。お話を聞かせてくださいませんか?」

 話を聞いて気持ちが変わらなければ、とエリサ様はおっしゃった。

 どんな話だとしても俺は考えを変える気はない。

 そんな気持ちを込めて真っ直ぐエリサ様を見つめる。


 柔らかい緑色の瞳と薄桃色の形のいい唇。やはりお美しいと見当違いな感想を思い浮かべながら、その可愛らしい口から話が語られるのを待った。



「それでは、まず今のわたくしの事をお話しを聞いて下さいますか?」


 そこから聞いたエリサ様の話は御伽噺よりも不思議な物だった。






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