どいつもこいつも使えない! 何故女一人連れて帰れないんだ。
溜まっていく仕事、減らない書類の山。そこらを歩く文官を捕まえて適当にやれと言ったのに、国家機密が含まれるものもあるから自分には無理だと言うばかり。
宰相や身分の高い官僚は咎められるから言えない。
結果自分でやるしかないのだが、とてつもなく面倒くさい。
最初の頃は俺だってやれば出来ると意気揚々と手を付けたが、出した書類に不備が多いと全部返って来た。
やってもやってもさし返される書類に嫌気がさした頃、文官たちがエリサ様ならもっと早く丁寧で完璧だったとため息を吐きながら俺の書いたものを指して嫌そうに話しているのを見てしまった。
また、まだ。ここでもエリサだ。
婚約破棄が成立して俺の視界からあの女が消えたのに、まだ幻影が付き纏う。
悔しくて唇を噛んだ。
初対面の時、なんて可愛らしい子なんだと一目惚れをした。
この子と将来国を支えていくんだと胸が熱くなったのは、もう遠く遥か昔の事で思い出す事も出来ない。
婚約してから苦痛の毎日が訪れるなんて誰が予想できただろうか。
勉強、教養、マナー、歴史、ダンス。どれをとってもエリサに勝っていた物は一つもない。ずっとエリサと比べられてきた。
最初の頃は負けるものかと必死に勉強した。
王になる為の知識を学び、覚えは悪くなかった。今思えばおそらく世辞だっただろうが素晴らしいと褒められたのが嬉しかった。
次に会った時、自慢してやろうと思っていたのにエリサはとっくにそこを超えて遥か先に行っていた。
……惨めな気持ちになった。
最初は褒めてくれていた家庭教師は、次第にエリサの優秀さに惚れ込んだのか気付けば俺とエリサを比較するようになっていった。
父上も、母上も、エリサが居てくれれば安心だなんて嬉しそうに話す。
努力して頑張って、ある時何もしなくなったら皆困るのではないかとサボってみた。
……何も、変わらなかった。
むしろエリサの評価が上がっていくばかり。
努力してもサボっても結果が同じなら努力するだけ馬鹿らしい。
エリサが居れば大丈夫だって言うならあの女が全部やればいい。
あいつは俺が好きらしいから俺の為だと言えば何でもやるだろう。
婚約者との定期の茶会には顔を出すだけで嬉しそうな笑みを浮かべた。
俺の為に選んだドレスを貶せば美しい表情を悲しそうに歪める。
年頃になって美貌を増したエリサを褒め称える言葉が聞こえるようになると、エリサに自分の政務を押し付け社交場に出られないようにした。
学園に入り、俺の周りに人が集まるようになった。俺はそこで自分が王子という高位に立つ存在だと改めて認識するようになった。
その中にはエリサの話をしてくる者もいたけれど、そういう奴にはあの女が美しい顔の下でどれほど醜悪な事をしているかを捏造して話してやった。
皆その話を楽しそうに聞いた。話すほど持て囃され徐々に誇張が酷くなっていく。
慈悲深い王子の俺が、あの女を貰ってやることでお前たちの被害を減らしてやっていると言えば英雄のように扱われた。
気持ちがよかった。
エリサという人間を貶せば貶すほど胸がすいた。
俺の言葉にエリサが傷つくのが楽しかった。
お前のせいで傷付いたんだから、俺がお前を傷つけてもいいはずだ。
そのうち俺と同じような鬱屈な気持ちをエリサに抱えているアイツの異母妹マリナに学園で出会った。
同じ人物に劣等感を抱く俺たちの距離はすぐ縮んだ。
エリサは学業を全て修めてしまっていて、学園に通う必要はない。
それでも貴族の子女としてこの学園に所属している。
入学式と卒業式。そして公式の行事だけ学園に来ることを知っていた。
だから俺たちが撒いた噂の真相を学生たちが確かめる術はない。
マリナと出会い俺は真に心の安らぐ愛を知った。
肩の力を抜いて等身大の自分と向き合える人に初めて出会う事が出来た。
一生を共にするならこの女がいいと心の底から思った。
マリナこそ俺の正妃に相応しい。
エリサは俺に惚れているのだから側妃にしてやれば喜ぶだろう。
俺の為なら何でもするからな。
そう思ってマリナとも話し合い、卒業式に引導を渡してやることにした。
卒業パーティ当日。
相変わらず俺の瞳に準じた青色のドレスを着ていて、まだ婚約者気取りなのかと腹が立った。
けれどこれから始まることに胸が躍る。
俺とマリナが作り上げた悪役令嬢エリサの罪状を突き付け、婚約破棄を言い渡す。
血の気を失い真っ青な顔で縋るような瞳を向けたエリサが愉快で、俺はこれ見よがしにマリナの腰を抱いた。
エリサは大きく目を見開いて数歩後退り、顔を俯ける。
絶望はこのくらいでいいだろう。慈悲を与えてやる。
そんな寛大な気持ちで側妃になることを提案してやったのに、あの女は俺を睨みつけた。
提案を即座に却下すると婚約破棄を承諾し、振り返ることもせず会場を出て行く。
その背中は潔く、取り残された俺たちが間抜けに見えるほどだった。
微妙な空気になってしまった会場は、まばらに俺たちへの祝辞が投げられしらけムードを漂わせたまま閉会になった。
提案は断られてしまったが、どうせ意地になっているだけ。
何度か優しいふりをして誘い掛ければ折れるはず。少しくらいなら可愛がってやってもいい。そうしたら機嫌も直るだろ。
だってあいつは俺に惚れているからな。
面倒な事は全部あの女に丸投げをして俺はおいしいとこだけ拾っていけばいい。
それこそがエリサ・クロイドという女の価値だろう。
一生俺の礎として生きて行けばいい。それこそ本望だろう?
その日はマリナと祝杯を挙げた。人生は順風満帆。これからは俺の時代だと意気揚々と両親の帰国を待った。
だがエリサとの婚約破棄を伝え、新しい婚約者をマリナにしたいと報告した俺に待っていたのは激しい叱責だった。
両親は婚約破棄など許さないと怒り、今すぐエリサに頭を下げて謝罪をし、婚約破棄を撤回しろと急かされた。
抵抗しても、拒んでも両親は俺を許さなかった。
渋々クロイド家に使いを送ったけれど、その時はもうエリサは王都から消えていた。
マリナの話では家を出て何処かに行ったということだが、その行方は分からない。
クロイド家はマリナを新しい婚約者に立てる気満々で、エリサの行方を捜す気はない。
そのことを両親に報告すれば、顔を青褪めさせ何かを話し合いながら部屋から出て行ってしまった。
新しい婚約者ならマリナが居るのだから、エリサが居なくなってしまったのなら丁度いい。
そう思った。
そうしているうちに婚約破棄の宣言から一ヵ月が経ったが正式な手続きはまだ進まない。
早く婚約破棄を進めてくれと迫る俺に中々首を縦に振らなかった両親だが、エリサの行方も掴めないままいつまでも破棄すると宣言した相手と婚約したままでは体裁が悪い。そういい募ると、両親は渋々ながらエリサとの婚約破棄を承知した。
正式な手続きが完了し、自由になれたのならマリナと婚約したいと言うとそれは了承できないと却下される。
「その娘と婚約したければ己の価値を示しなさい」
そう言われ、そのくらい楽勝だと今までエリサに押し付けていた仕事に向き合った。
……結果は惨敗だった。
やればやるほど溜まっていく仕事は一つだって片付かない。
そしていなくなった筈のあの女とまた比べられる日々が始まった。
人格が破綻していて、人を虐げ、仕事は他人に丸投げる悪役令嬢エリサ。
あの女が俺に仕事を押し付けるせいで眠る時間もない。
俺が広めた噂を覚えている者はもういない。
そもそも俺の話を信じていたのはあの学園に居た者ばかりだった。
今まではエリサがやった仕事だと分かっていても俺を褒め称えていた者も、掌を返したようにエリサを称える声が聞こえる始末。
やはり、俺にはあの女が必要なのかもしれない。俺の為に生きて、役に立ち、礎となるのにエリサほど最適で最高の女は居ない。
あいつさえ戻ってくれば元通り。
今度は誰の目にも触れない場所に閉じ込めて、こっそり仕事をさせればいい。
不満が出るなら少しくらい構ってやればいい。あいつは俺に惚れてるからそれで十分だろ。
両親に内緒で騎士団に勅命を出し、エリサを探させた。
一年、二年と時間が経っても何の成果も得られない。そのうち騎士団長から私用で騎士団を動かすなと抗議され、捜索は一旦打ち切りになった。
けれど諦められない俺はもう一度今度は前回の半数でいいからと騎士団長に縋りつく。
交渉事は全てエリサに任せていたから、俺には剣術指南をしてくれていた騎士団長しか頼る相手がいない。
どうしてもと懇願した俺に騎士団長は渋々ソードマスターのナインが任務へ名乗りを上げていると教えてくれた。
ナイン一人が勅命を受けることを了承するのであれば、任務を引き受ける。
だが断れば騎士団長に王たちへこの勅命の事を話すと言われてしまった。そうしたら俺はエリサを探す事を諦めなくてはならない。
ナインならば一人でもこの任務を遂行するのに十分な能力を兼ね備えている。
そう強く推薦され、渋々エリサ・クロイドの探索をナイン一人に預けることになった。
ナインは捜索に協力的だった。腕は確かだし、報告書は丁寧に送ってくれる。
だが、いかんせん一人では成果は上がらない。
さらに二年が過ぎ、王子という立場の重圧が圧し掛かって来るようになった。
王と王妃は俺とマリナへ再教育を施す様にと新たな命令を下したが、仕事もやって勉強もなんてとてもじゃないがこなせない。
けれど今度は逃げることが許されない。
あの時サボって許されていたのはエリサが居たからだ。
いつの間にか俺は王城の執務室に引き籠り、ひたすら書類と向き合いながら勉強をさせられていた。
違うだろ。これはエリサがするはずだった汚れ役。俺はもっと表舞台で光り輝かなければならない存在のはず。
妃教育どころか、普通の勉学もあまり真剣に学んでこなかったマリナも、せめて王位継承者の婚約者になりたいのならそれなりの人間になれと厳しい教育を受けている。
マリナとはここ一年ほどまともに会えてもいない。たまに会うことも出来たが、お互い疲れた顔で喋る気力も湧かなかった。
そうしてさらに一年が経過した。
あの女さえ、エリサさえ戻れば元通り。
そんな希望を抱いていた俺にナインが報告書を持って、久々に王都へ戻って来た。
王都へ戻るとナインが知らせてきたのは初めてで、ついにこの苦痛の日々から解放されると喜んだ。
その俺にもたらされた報告は思いもよらない物だった。
「……死?」
「はい。エリサ様はお亡くなりになっておりました」
「この無能者が! どうしてもっと早くエリサを見つけられなかったんだ!」
机の上の書類を掴んでナインに向かって投げつけた。
ナインは床に散らばる書類に目もくれず報告を続ける。
「エリサ様は短期間に居場所を転々としておられ、探し出すのが遅くなってしまいました」
「……何故だ? なぜそんなに居場所を変える必要がある?」
「連れ戻されることをとても恐れていらっしゃった。側妃にされ、元の生活に戻るのがとても怖かったと、死の間際までうわ言の様に申されていたようです」
「言っていたって誰に聞いたんだ」
「ルーディア領主様方です」
「……ルーディア?」
ルーディア領は行先として真っ先に疑い、匿っているのだろうと書簡を送った場所だ。
返って来たのはうちの孫娘に何をしているこの痴れ物がという激怒の返事だった。
太古の昔、神が降りた大地であるとされている神秘の森を有する領地。全ての国に於いて不可侵であると定められたその森に入ることが出来るのは、特別な血を持つ者だけという伝承通り、未だ誰もその森の奥に何があるのか知らない。神秘の森の守り役でもあるその領地の人々は閉鎖的であり外部からの干渉や介入をことのほか拒む傾向にある。
ルーディアへ入るには厳しい検問を越えなければならず、それは王族や王命を持つ者でも例外ではない。
かの領地の一人娘がクロイド家に嫁に来たのが奇跡のようなものだった。
ルーディア領主たちは本来後継者にとエリサの返還を望もうとしていたのだが、早々に王子の婚約者とされてしまい取り返す機会を失った。
その大切な孫が一方的に婚約破棄をされた上行方不明になったなど、この国からあの領地が離反しても可笑しくない。
小さくはあるが隣国に接した位置にある分、独立や離反をしたら勢力図が変わるほどの影響力を持っている。
俺の行動がすでにルーディア領主たちの怒りを買っている。
ここでさらに怒らせルーディアがこの国から離反したら俺の人生が終わる。流石にそのくらいは理解できていた。
これ以上怒らせてはいけないとそれ以来ルーディア領へ関わる事を避けていた。
その隙をつかれたのだと思うと腹が立つ。
どうせ最初からルーディアで匿っていたんだろうし、死んだというのも嘘だろう。
「見え透いた嘘を吐くな! どうせ最初からルーディア領にいたのだろう!? 狂言はよせ、エリサもどうせ生きているんだろう!?」
「エリサ様はお亡くなりになりました」
激昂する俺にナインは感情の見えない淡々とした口調で報告を続ける。
市井の中で隠れ住みながらの生活は決して快適なものではなく、資金だってそれほど潤沢ではなかったはずだ。
クロイド家に所縁の深い場所は全て聞き込みをしたが、誰も行先を知らなかったし匿っている様子もなかった。
協力者も知り合いもいない生活は苦労が多く貧しい物だっただろう。
王都に戻れば多少仕事は増えるかもしれないが、何不自由ない生活が出来るのに。
そこまでして何が得られたというんだ。
理解が出来ないとナインを見ても答えは貰えない。
俺の視線に気付いているはずなのに反応を示すことなく、無表情のまま報告書の続きを読み上げる。
「王都からの書簡でエリサ様が行方知れずになっていることを知ったルーディア領主様方は手を付くしエリサ様を探しておりました。けれどようやく見つけた時にはもう息を引き取る寸前だったそうです。ルーディアに連れ帰り出来うる限りの手を尽くしたのですが、看病のかいなく……」
「……」
「私が居場所を探し当てた時にはエリサ様はもう亡くなった後でした」
ナインの声は震え、手に持っていた報告書がくしゃりと歪んだ。
「何故、そこまでなるまで誰にも助けを求めなかった。エリサは何を考えているんだ」
「私などにはエリサ様の心情を推し量ることなどできません。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「王都にだけは戻りたくないと、今わの際までうわ言で何度も申されていたそうです」
「それでも……死んだら終わりだろう?」
死ぬくらいなら俺の為に仕事が出来る方が幸せだっただろう?
俺の傍に居たいとそう言っていたではないか。
エリサは俺が好きだった。
俺を愛していた……はずだ。
「たとえ死んでも、それだけは嫌だと何度もおっしゃっていたそうです」
死ぬまで、死んでも、そこまで俺はエリサに……?
そんなに俺が嫌なのか……?
エリサは俺をもう愛していない……?
いや、そんなわけはない。エリサは俺を愛していた。
エリサは俺が好きなはずだ!
俺の傍に居ることが幸せだと、あいつは言ってたじゃないか。
辿り着いてしまった思考に何度も頭を振りそれを否定する。
「本当にエリサは死んでいるのか? 死んだという証拠はあるのか! もしも俺を謀っているのなら許さんぞ」
胸に蟠る重苦しい感情を吐き出すように怒鳴りつける。
「エリサ様はお亡くなりになりました」
能面のような冷たい表情のまま冷静に言葉を返される。
死んだという言葉が何度も脳を駆け巡る。
エリサ・クロイドという女はもうこの世に居ない。
「エリサが……死……」
俺は……、俺が……?
手が勝手に震える。
死んだ……。死んだだと……?
「これが預かって来たエリサ様の遺髪です。墓にも行きました。それからルーディア領主様方からの伝言です」
「何だ?」
「もしも本当は生きているのではとお疑いの場合はどうぞ領地までお越しください。エリサの墓の前で待っております。その際、我々に殴られる覚悟をしておいで下さいませ、と」
「……」
あの温厚なルーディア領主が怒りを露わにした態度は初めてだ。
それほど俺を恨んでいるという事だろう。
目の前にいるナインも、本当は俺を殴りたくて仕方がないはずだ。
この男はソードマスターとなり望めばどんな地位にも就くことが出来たのに、自ら望みエリサの護衛の任に就いていた。さらにはたった一人勅命も請け負って、エリサを探すために尽力した。その献身的な態度を見ているだけでエリサを主として敬愛しているのは明らかだった。
ナインはエリサを探す為に俺の勅命を利用したんだ……。
王族の命であれば普段探る事の出来ない場所にも容易に入れるし、情報を簡単に吐かせることも出来る。
そしてそれを理由にエリサの探索を何より優先させられた。
だからあれほど真剣に任務に取り組み遂行してくれたんだ。そんなことに今更気づく。
そのナインは先ほどからずっと怒りを抑えるように震える拳を握りしめ、あえて感情を出さないように淡々と報告を続けている。
きっとエリサの行方もこの男でなければ追えなかった。
勅命を最後までやり遂げたのは、俺ではなくエリサの為……。
ナインの手の中にある丁寧にハンカチで包まれた長いプラチナブロンド。
似たような髪色の者は数多くいるが、この美しい輝く白銀に淡い金が乗る色合いはエリサだけのものだった。
替えが利く代物ではない。
……エリサは、死んだ。
その事実が胸を強く締め付ける。
……俺の所業がエリサを殺したのか?
そう思った瞬間耐えきれないほどの重圧が体に圧し掛かった。
震える体を誤魔化すように掌を握り締める。
差し出した遺髪へ手を伸ばさない俺に、ナインは仕方がないというように小さく息を吐き、机の上へ丁寧な手付きでそっとハンカチに包んだ遺髪を置く。
「これにてエリサ様捜索の任務を終えます。無能者ゆえ長くかかってしまい申し訳ございませんでした」
「……」
机の上に残されたエリサの遺髪。
ナインが部屋を出て行った後、躊躇いがちに手を伸ばしそっとハンカチを掬い取り遺髪を手に取る。
アレン様……。
俺を呼ぶ幻聴が聞こえた。
「……っ、なんだ、これ」
途端に目頭が熱くなり書類の上に水滴が落ちて来た。溢れだして止まらないそれが大切な書類を濡らしていく。
「くそ……、何なんだ……!」
エリサが俺を勝手に好きだっただけで、俺は何とも思ってなかった。
想われていることが鬱陶しくて、いつだって俺より先に立つあの女が憎くて目障りだった……。
握った遺髪を手放せない。
アレン様! わたくし、あなたが大好きですわ!
あなた様が王になった時、傍で支えられるようにわたくしがんばります!
幼い頃、俺が見惚れた無邪気な笑顔が突然脳内に浮かんで消える。
「そういや、最後にあいつが笑った顔を見たのはいつだったか」
思い出そうとしても思い出せない。
俺は優秀なエリサが憎かった。
比べ続けられて辛かった。
嫌いだった。
けれど手放すつもりはなかった。
便利で使い勝手が良くて何でも言うことを聞く都合のいい女……のはずだった。
この胸の痛みは錯覚だ。そうでなくてはならない。
これ以上この感情を掘り下げてはいけない。
俺は涙を拭い、濡れてしまった書類をどかして新しいものを手に取った。
その後エリサの死を知った両陛下は俺とマリナの婚約を認め、俺たちは仕事に加えさらに過酷な勉強を強いられることになった。
だが、これは俺が王になるのに必要な事だと今度は受け入れられた。マリナは抵抗はしているものの俺たちはもはや運命共同体。
王命でやれと言われたらやるしかないから諦めろと諭した。
目障りだったあの女はもういない。比較されることも無い。
胸の奥に開いてしまった穴を見ないふりをする。
「いなくなって、清々したじゃないか」
そう嘯(うそぶ)きながら山と積まれる仕事に手を伸ばした。