ルーディアに訪れてさらに三年、エリサがここに来て五年が経過した。
ある日執務室でソフィアとカーランと一緒に休憩を兼ねてお茶を飲んでいる時、ナイン・ロードという青年を知っているかと問いかけられた。
記憶を探ると一人の青年が思い浮かぶ。
王都に居た頃、登城する時にエリサの護衛についてくれていた真っ赤な髪と瞳の凛々しい顔立ちの青年だ。
確か最年少で騎士試験を突破して、さらにはソードマスターの称号も手にした若き天才剣士。
将来は王宮騎士筆頭、つまり騎士団長になるのではないかと噂されていた。
エリサの護衛は彼の志願による配置だと聞いたが、その理由は分からなかった。
どこに行くにも従順に付き従ってくれて、仕事が押している時は夜遅くまで残るエリサをいつまでも根気強く警護してくれていた。
城の中は安全だから先に寝てくれと懇願するも、頑なにそれを拒否してエリサが仕事を止めるまで現場を離れなかった。
仕方なく彼を休ませるため、エリサも仕事を切り上げることも多かった。
ある意味エリサが過労死しなかったのはその青年のお陰である。
ナインという青年の顔は思い出せるが、その行動となると断片的な記憶しかない。
それは公爵令嬢と護衛騎士としての関係を超える行動が殆どなかったからだ。
護衛だから傍を離れられないという立場を盾にして、エリサを休ませるという行動が記憶の殆どを占めている。
時々慣れない手付きでお茶を淹れてくれたこともあった。
そのお茶はとても渋かったけれど、なぜかそれをおいしく感じた記憶がある。
心配してくれる心が有難くも申し訳なかった。
その彼がどうかしたのだろうか?
「数日前、貴女に会いたいと手紙を貰ったの。ここにはいないと突っぱねたのだけれど彼は諦めなくて、どうしてもエリサに伝えたいことがあるからとこれが同封されてきたわ」
ナインはエリサがここにいると確信しているようで、どれほど祖父母がここにはいないと言っても引かなかったそうだ。
「この紙を見て、エリサに知らせるべきだと思ったの」
「……!?」
テーブルに置かれたのは王族が使う特殊な用紙だった。
そこにはエリサ・クロイドを探し出し王都へ連れ戻せという内容が記されていた。
勅命の主はアレン。
発令日はエリサが王都を離れてから半年後で、それから五年もこの命令を下げることなくエリサの行方を探させていたということになる。
「……!」
久しぶりにその名を見て体が震え、内容に目を通しその意味と執着を感じて息を飲む。
「なぜわたくしを……?」
手が勝手に震えて止まらない。
エリサが恐怖を感じている。
「大丈夫よ、私たちが守るわ」
「僕らが絶対に王家に君を渡したりしない!」
震えるエリサをカーランとソフィアが抱きしめる。
「ナイン様は……わたくしを連れ戻しに……?」
「いいえ、彼はエリサを連れ戻しに来たわけではないとはっきりと言っていたわ」
「言って?」
手紙のやり取りだけではなかったのかとソフィアを見ると、カーランと顔を見合わせ苦笑した。
「ごめんなさいね。彼を見極めようと私たちは貴女に秘密で会ったわ」
「エリサ、万が一でも君に危害を加える者をルーディアに入れるわけにはいかないからね」
「いいえ、お気遣いありがとうございますわ」
祖父母の心遣いを嬉しく思う。
でもそれよりナインがどうやってここへ辿り着いたのか、そちらの方が気がかりだ。
もしも公にエリサの居場所が知られているのなら事態は急を要する。
「ナイン様はどうしてわたくしがここにいると分かったのです?」
エリサがルーディアに居ることがバレているのなら、王都へ強制連行などという事態に繋がりかねない。
最悪この領地を離れることになってしまうかもしれない。
「大丈夫だよ、エリサ。我々の情報操作は完璧だ」
「ええ、エリサの情報など一片たりとも漏らしていないわ」
カーランとソフィアはエリサの知らない所で色々してくれていたようだ。
エリサへ愛情を注ぎ、労力を惜しまず手を貸してくれる。この領地に来てよかったと何度思ったことか、どれほど感謝してもし足りない。
励ますように握られた手に力が籠る。
離すものかと思っていてくれるのが強く伝わって来るのが嬉しくて心強い。
「ここに貴女がいることはナインしか知らないと言っていたわ」
「我々がナインに会った時、君をここに連れてきた元クロイド家の御者が一緒に居たんだ」
「まぁ、あの方が」
穏やかな御者だった。
ルーディアへ来る旅程で何度か話させてもらったけれど、とてもいい方だった。
エリサをルーディアへ送った事は絶対漏らさないと誓ってくれた。
「ナインになら貴女の居場所を教えてもいいと思えたから伝えた。もしも、危害が及ぶようなら自分も一緒に処分して欲しいと言っていたわ」
「まぁ……。それほどまでにナインを信用したんですのね」
「私は彼らの言葉に嘘はないと思ったわ。でも、貴女の気持ちを確認するのが先だと思ったの」
「君に会って話したいことがあるみたいだった。僕らは彼を信じてもいいと思っている。でも、エリサの気持ちが一番大事だからね」
気遣うように二人がエリサを見つめる。
「エリサが嫌なら私たちだけで対策を取るわ。貴女を傷つけた王都になんて戻させるものですか!」
「我が領地の全てを賭けて阻止するよ」
力強いソフィアとカーランの言葉に心が温かくなる。
けれど同時にここでの幸せな生き方を知ってしまった今、王都での生活を思い出すと息が出来なくなるような恐怖が這い上がって来る。
流れ込んでくるエリサの絶望に支配されそうになるのを呼吸を整え踏み止まった。
私がエリサに引きずられてどうする! 助けるためにいるんだろう!?
心の中で自分の両頬を思いきり叩いて顔を上げる。
「ナイン様に会います。わたくしは当事者です。……逃げません!」
アレンの心積もりなど予想はつくがそれが、正しいのか確認しておかなくてはならない。
予想通りなら絶対思い通りになどなりたくないし、そのための対策も立てておかなくてはいけない。
「エリサ」
「僕らがついてるよ」
励ます様に肩を抱くソフィアとカーランを見上げた。
「ええ。ですからわたくし大船に乗ったつもりでおりますのよ?」
笑ったエリサを二人は強く抱きしめる。
それから三日後、ナインと会うことになった。
「ねぇ、カリス」
「何だ?」
夜、自室で寝る前に白梟のカリスに話しかける。
カリスの部屋は別にあるのだが、夜はこうして白梟になりエリサの部屋で寝る前に二人で話すのが習慣となっていた。
白梟の姿はカリスが相手に見せようとしなければ認識されず、変な噂が立つことも無い。
「王子さ、エリサを諦めてないのかな?」
「そうだろうなぁ。お嬢が居なくなって仕事が滞っているだろうし」
エリサに押し付けられた大量の仕事の中には、アレンが嫌がらせで含めた当時やらなくてもいいような案件も大量に入っていた。
それによっていなくなってしばらくは間に合っていたのだろう。
けれどそれだっていつまでも続くものではない。
エリサが居なくなった後、肩代わりしていた仕事は今まで通りアレンに渡された。
けれど今度はアレンが自分でそれをやらねばならず、出来上がったものは使い物にならない残念な仕上がりの書類だったことだろう。
文官たちから苦情が上がり、現状を知った王と王妃が慌ててアレンへ厳しい教育を施そうとしているかもしれない。
けれどアレンは元々努力が嫌いで、面倒くさい事をやりたがらない。
エリサがやったような毎日分刻みで寝る暇もないほどの過密な教育スケジュールを、あの甘えた王子がやり遂げられるはずもない。
そうしてついに限界が来て、もう一度仕事を押し付ける為にエリサを探させたという流れだろうと、カリスが呆れたように肩を竦める。
それには同意せざるを得ない。
そしてきっとマリナも同じ状態でいることだろう。
妃教育どころか一般的な貴族の知識もマナーもぎりぎりのマリナ。
勉強なんてお姉さまがやればいいと家庭教師の授業もまともに受けていなかった。
あの二人はある意味似た者同士のお似合いカップルなんだと思う。
いやー、この国の未来は暗いねぇ……。困るな。
最悪誰か別の王位継承者を立てなきゃならなくなるかもねぇ。
エリサの記憶を探ると候補は出て来るけれど、それを考えるのは王と王妃たちの務めだと考えることを放棄した。
何とかよき治政を行ってくれる方を次期国王にして欲しい。
「エリサさえ戻れば元通り。面倒くさい仕事を丸投げしてまた自由に暮らせる。ってあのバカ王子は思ってるよねぇ」
「だろうな」
「まだエリサは自分に惚れてて、声をかければ喜んで帰って来ると思ってんの? だとしたら腹が立つぅぅぅ」
「あのバカは都合の悪い事を忘れることにかけては天才だからな」
「なんでエリサに全部押し付けることで全てを解決しようとするのかしら。本当に呆れるわ。っていうか五年も経ってるのにもう諦めなさいよ」
確かにエリサは優秀な公爵令嬢だったかもしれない。でも、ただの普通の女の子だよ?
王と王妃はエリサを可愛がってくれてはいたけれど、その裏でアレンを甘やかし、諫めることも、態度を改めさせることもしなかった。
存外アレンと同じ、エリサが戻れば元通りと思っているかもしれない。
けれどエリサが王都を出た理由が自分たちの息子のしでかした不始末ゆえ、表立ってエリサの行方を捜す事は出来ない。
でも、アレンが勝手にエリサを連れ戻すために策を弄したなら黙認するだろう。
この勅命も知っていて見逃している可能性がある。
結局エリサに全てを押し付けて解決しようとする姿勢が許せない。
「とりあえず、王家滅びろ!」
「いや、王家が滅んだらこの領だって困るだろ」
「そうか、それはよくない。じゃあバカ王子、死ぬほど勉強していい王様になって!」
「まぁ、本当に死ぬ思いをしても無理な気がする」
「……うん、それは私もそう思う」
どう考えてもあまりいい結末を迎えられなさそうで顔を見合わせ沈黙した。
「とりあえず、ナインの心づもり次第か」
「そうね、味方かどうかの確認をしてから対策を練りましょう」
連れ戻しに来たのではないと言っていたけれど、万が一ナインがアレンの味方なら速やかにお引き取り頂こう。
どうやってここにエリサがいると確信しているのか分からないが、場合によってはカリスの魔法を使ってナインの記憶を消す事も辞さない。
とにかくエリサを守るんだ。
しっかりカリスと話し合い、何パターンも作戦を用意した。
そして、ついにナインと面会する時が来た。