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第9話 新しいニーズ







「エリサ、お茶を一緒にどうかしら?」

「頂きますわ!」

 エリサは読みかけの本に栞を挟んで座っていたソファに置き、いそいそと祖母ソフィアの傍に歩み寄る。

 書庫で本を読むのが最近のエリサの趣味となっていた。

 王都に居た頃には読んだことがなかった大衆小説が最近のお気に入りだ。

 日差しが当たる場所にソファとテーブルをわざわざ置いてくれた。そこがとても居心地が良くて時間が空けばそこに居る。

 中でもエリサは英雄譚が好きみたい。読み進めるとこれが結構面白くてこの世界独特の物語が楽しめる。

「いきましょうか、エリサ」

「はい! おばあ様」

 二人並んでティールームに向かって歩くのが楽しい。

「今日は何にしましょうね?」

 おばあ様はティータイムにはいつも違う茶葉を用意してくれていて、まだ一度も同じものは出されていない。

「まだわたくしが知らないお茶がありますの?」

「ふふふ、まだまだたくさんあるのよ。凝って集めたかいがあったわ」

「昨日のは爽やかな味がすっきりしていて気に入りました。一昨日のは香りが甘くておいしゅうございました」

「エリサはハーブや果物が入ったお茶が好きみたいねぇ」

「ええ、どちらも様々な趣と味わいがありまして選べませんの」

「お茶請けのお菓子と合わせるとまた違うから、楽しみ方は無限大なのよ」

「そうなのですね」

「今日はスコーンにしましょう。茶葉を入れて焼いてみたのですよ」

「おばあ様がですか?」

「ええ」

「まぁ、わたくしにも今度教えてくださいな」

「あらまぁ、そしたらエリサが作ったスコーンが食べられるという事かしら? 嬉しいわ」

 ティールームに向かうとすでに祖父、カーランが待っていた。

「二人とも楽しそうじゃないか。やはり僕も一緒に行けばよかった」

 出迎えたカーランがソフィアとエリサをエスコートしてくれる。

「貴方が一人で準備をすると言うからでしょう?」

 拗ねるカーランにソフィアが苦笑を浮かべる。

「君たちに秘密で用意したかったんだ」

 どうだいと自慢する様に手で示されたテーブルの上には見慣れない茶色のものが並んでいた。

「まぁ、おじい様! これはチョコレートではございませんの!?」

「いつの間に用意したんですか。私は知りませんよ!?」

 ケーキスタンドの上にはスコーンとサンドイッチ、そしてチョコレートが並んでいた。

 チョコレートはこの世界では高級品で中々手に入らない。

「今日のお茶には絶対コレだよ」

 驚くエリサとソフィアに満足したのかカーランは嬉しそうに笑い、椅子に座らせてくれた。

「お茶を」

 ソフィアがそう言うとメイドがお茶を淹れてくれる。エリサの分はカリスが淹れてくれるんだけどこれがまたおいしいんだ。

 淹れ方をメイド長にも褒められていて、何だか私まで誇らしい気持ちになってしまった。

 おばあ様やおじい様も時々カリスにお茶を頼む時がある。

 温かいティールームに茶葉が蒸される香りが漂う。ティーカップに琥珀色の液体が注がれるとそれは一際増した。

「まぁ、このお茶。チョコレートの香りがいたしますのね」

「そうなんだ。いいだろ」

「なんて贅沢なんでしょう」

「そしてやっぱりこのお茶はこう飲みたいよね」

 カーランは優雅にお茶を一口飲んで、皿の上にあるチョコレートに手を伸ばし食べて味わった後、またお茶を飲む。

「まぁまぁ、私もやるわ。エリサもどうぞ」

 ソフィアも皿の上からチョコレートを取ってエリサの皿に置いてから、自分の分を手に取り口に入れてお茶を飲んだ。

 エリサも二人の真似をする。

 甘い香りのお茶と甘くて蕩けるチョコレート。口に入れて噛まずにゆっくり味を堪能した後、お茶を飲むとすっきりとした味わいが口に広がり、チョコレートの香りが鼻に残る。


「なんて贅沢なのかしら」

「だろ? どうだい、ソフィア」

「貴方、私に内緒でこんなものを用意するなんて……」

「君たちを驚かせたかったんだよ」

 拗ねたふりをするソフィアを構うカーラン。

 この二人は本当に仲がいい。結婚するならこんな夫婦になりたいといつも思いながら微笑ましく二人を見つめる。


 大好きな祖父母と穏やかに会話をしながら、おいしいお茶とお菓子を味わう最高に贅沢な時間。

 エリサはこんな風に日々をゆったり味わう時間など初めてで、毎日二人と飲むお茶を楽しみにしている。


「……おいしい」




 この充足感に満ちたため息はエリサか、ミナか区別はつかない。



 チョコレートは堪能したので、今度はソフィアが作ったというスコーンに手を伸ばし、ちぎってまずは何もつけず口に運ぶ。

 さっくりとした歯ごたえがとても良く、香ばしいスコーンと茶葉の香りが鼻を抜ける。



「おばあさま、おいしゅうございますわ!」

「まぁまぁ、嬉しいわ。ねぇ、貴方。今度エリサが一緒にスコーンを作ってくれるっていうのよ?」

「え、そうなのかい? そしたらソフィアとエリサの作ったスコーンが食べられるって事かな?」

 おじい様が期待の籠ったキラキラした目でエリサを見つめる。

「あの、上手くできるかわかりませんが。おばあ様と一緒に作りとうございます」

 しどろもどろになりながら答える。

 エリサは料理をしたことがない。ミナとしてもミックス生地で型抜きしたクッキー程度のお菓子作りの知識しかない。

 役に立てるかはわからないが、エリサがとても興味深そうにしているからぜひともやってみたい。


 それにおじい様とおばあ様に手作りのお菓子を食べて欲しいとも思っているみたいだ。


 エリサ可愛い。


「いいなぁ。じゃあそれが叶ったら僕ともマフィンを作って欲しいな」

「おじい様はマフィンを作られるのですか?」

「スコーンは私、マフィンはこの人って決まってるのよ?」

「素敵ですわ! 是非!」

「どうしよう。楽しみがどんどん増えて消化しきれないよ」

「本当ねぇ。時間が足りないわ」

 楽しそうなカーランとソフィアを見ているだけで嬉しくなる。

「エリサはいい顔で笑うようになったわねぇ」

「ああ、ここに来た時より随分安らいだ表情をしてくれるようになって僕たちも嬉しいよ」


 うんうん、そうなの。

 この領地に来ておじい様とおばあ様と暮らして、エリサの固まっていた表情筋は徐々に解れて行った。

 元々整った顔立ちをしているエリサは真顔で見つめるだけでも相手が委縮してしまうほど迫力がある。

 別に睨んでいるわけでも、嫌がっているわけでもなかったのに、すっかり固まってしまった表情筋が上手く動かなかっただけなんだ。

 だから怖がられてしまい、アレンの流した出鱈目な噂を増長させることになってしまった。


 でもここに来て、リラックスが出来たエリサは段々笑うようになった。

 最初はぎこちなかったけれど今では意識しなくても緩やかに微笑む事が出来る。

 その表情は見惚れるほど美しく可愛らしい。

 もしも、王都に居る時にこんな笑みを見せていたのなら悪い噂などすぐにかき消えたことだろう。

 けれどストレスで圧し潰されそうになっていたあそこでは出来なかったことだ。



「おじい様とおばあ様のお陰ですわ。わたくし、ここに来て毎日楽しいんですの」

「私もよ、エリサ。ここに来てくれてありがとう」

「僕も嬉しいよ」

 席を立った祖父母はエリサを抱きしめた。その温もりを目を細め嬉しそうに受け入れる。

「ふふふ、温かくて嬉しくてとっても幸せですわ」

「ええ、そうね」

「でも、もっと欲張って欲しい。どんどん幸せになっていいからね」

「その時はおじい様とおばあ様もご一緒に」

「勿論よ!」

「いやー、寿命が延びちゃうなぁ」

「まぁ、長生きしてくださいませ! わたくし、その為なら何でもいたしますわ!」

 二人の愛を溢れるほど浴びながらエリサは平穏を取り戻し、幸せを甘受する。


 そうやって一年を一緒に過ごした。

 けれど徐々にエリサは二人に与えて貰うだけでは物足りなくなっていった。


 エリサがソフィアとカーランへ何かを返したいと思っているのが伝わってくる。

 その意思に従い、祖父母の執務室へ足を向けた。


 ノックの後、返事を貰い扉を開ける。


「どうしたの? エリサ」

「もう少し待ってくれるかい? すぐ終わらせるよ。そしたら一緒にお茶にしよう」

 申し訳なさそうに書類から顔を上げる二人の傍に歩み寄る。

「おじい様、おばあ様。領地のお仕事をわたくしにも手伝わせてくださいませ」


 真剣な顔つきのエリサに祖父母は顔を見合わせた。


「もっとたくさん休んでいてもいいのよ?」

「そうだよ、今まで大変だっただろう? 王都でも長い間大変な仕事をこなして来たじゃないか」

 難色を示す二人にエリサは言い募る。

「わたくしはもっとおじい様やおばあ様と一緒に居たいのです。ご迷惑でなければ手伝わせてくださいませ。お二人となら大変でも一緒に頑張れると思いますの。是非に……!」


 エリサの情熱と、共に居たいという可愛らしい願いに折れて、ソフィアとカーランは少しずつ仕事を任せてくれるようになった。


 回された書類を確認して必要事項を纏め、提案を記す。


  分からなかったらどうしようって思ったけれど、全く問題ないわね。


 文字は読めるし書ける。提案に必要な施策は示せるし、必要な対応もするすると出て来る。

 エリサがいかに優秀なのかがそれだけで理解できた。


 憑依しているのは高橋美奈という全くの別人格だけれど、エリサの記憶があれば行動のトレースは容易で、エリサが何を思って何をして欲しいのかは常に伝わってくる。

 だから私はエリサが望むまま振る舞うことが出来た。

 カリスもそれで間違いないと言ってくれているので、エリサの心に従って行動していく。


 今まで取りこぼしてしまった分を少しずつ取り戻すように様々な事柄に触れていく。


 ソフィアとスコーンを作り、カーランとマフィンを作る。

 料理長に教わりながらクッキーを焼いて使用人に配った。

 初めて街に出て欲しいと思ったものを自分でお金を出して買ってみた。

 露店の串焼きを外で食べた。

 春夏秋冬、四季の移ろいと共に領内は表情を変える。その度に新しいやることが増えて退屈している暇などない。



「エリサ、領地の視察へ一緒に行かないかしら?」

「! 行きます!」

 今までは屋敷から見える街にしか出たことがなかった。

 書類上の報告を見るだけだった領地へ実際に行ける。そう思ったら食い気味に答えてしまいおばあ様に笑われてしまった。

「はは、元気だね。じゃあ支度をしよう」

 ここに来て一年。エリサは新しい戸籍を貰った。

 祖母の遠縁の娘を養子に貰ったということにして、エリサは名前を捩って「エリサリール・シア・ルーディア」となった。

 愛称としてエリサと呼ばれる。シアはこの領地の次期領主としての意味合いがあり、正式に領主となった時には「エリサリール・ルーディア」と名乗ることになる。

 それに合わせて祖父母に新しいアクセサリーを貰った。

「エリサ、これを付けて頂戴」

「これは?」

「魔法で髪と瞳の色を変える魔道具だよ」

 おばあ様が手首にブレスレッドを付けてくれると同時に、髪色がプラチナブロンドからショコラブラウンへ変わった。

「まぁ、髪が!」

「あらあら、この色も可愛らしいこと」

「本当に僕らの孫はどんな姿をしていても可愛いねぇ」

 二人がエリサの頭を撫でながら可愛いと何度も褒めてくれる。

 カリスが居てくれれば魔法で容姿の印象は変えられるのだけれど、エリサを思って準備をしてくれたのが嬉しい。

 この色調整もエリサに似合うように合わせてくれていて違和感はない。

 プラチナブロンドの髪は優雅で美しかったけれど、この落ち着いた色合いはエリサの可愛さを引き立てているように見えた。

「目の色も変わっているんだ。見てごらん」

 カーランに鏡の前へ連れて行かれ覗き込むと、ペリドットの瞳は落ち着いた琥珀色になっていた。

「貴女のプラチナブロンドはとても目立ってしまうから、外に出る時だけで構わないから付けて頂戴。特注品だから余程の事がない限り魔道具に気付かれることはないわ」

「万が一にも君がここに居ると洩れてはいけないからね。髪と目の色が違えば印象もかなり変わるから安心感が増すと思うんだ。この容姿を見てエリサ・クロイドを連想する者はいないだろう」

「はい。お気遣い嬉しゅうございます」



 色が変わった髪と目を何度も角度を変えて鏡を覗いてしまう。


 この色の組み合わせのエリサも可愛い!


 そんなことを思うと心の中でエリサが嬉しそうにしているのが分かった。

 そうだよね、髪色を変えてみるだけでも気分が上がるもん。

 美容院で新しいカラーに試したら、その日は何度だって鏡を見ちゃうもんね。わかる!

 髪を傷めず色だけ変えることが出来るなんて魔法って便利だなぁ。


 編むか、結うか。散々悩んだ末、今回は髪色を印象付けるためそのまま外に出ることにした。


 髪色に合わせた新しいアクセサリーを用意しようと、ソフィアとカーランが言ってくれたのが嬉しかった。


 着替えて馬車に乗り領地を巡る。

 自然と農地が多い領地だが、貧しさは感じられない。

 ワインを作る広い葡萄畑。遠くまで広がる小麦、豆や根菜。酪農や牧畜。

 広くはないがしっかりと管理されたこの領地では食料が領内で全て賄える。


 馬車が進む度に変わっていく景色は、いくら見ていても飽きることはない。


「綺麗。葡萄畑とはこれほど美しいのですね。本の挿絵で見た事はありましたが、実物は圧巻ですわ」

 緑が映える畑には青い実が成っていて、まだどちらの色の葡萄になるのか分からない。

 けれどもたわわに実るその量に目を奪われる。

「ここら辺は赤ワインの葡萄が成るんだ」

「向こう側は白ワインなのよ?」

「また実が成る頃に見てみたいですわ!」

 季節はまだ春先で実はまだ小さい。

 どちらの葡萄も収穫期はきっと見事な実を付けるのだろう。

 それを想像すると心が躍る。

 王都では資料や書物、またはワインという完成品としてしか見た事がなかった。けれど生産過程から見られるのは思った以上に知的好奇心を刺激されるものだ。


 そういえば工場見学とか私結構好きだったな。

 エリサも好きそう。今も楽しそうに畑を眺めている。

 結構趣味も合いそうだし、いつかゆっくり話が出来たらいいなぁ。



 馬車が道をゆっくり進むと、領民たちが作業を止めて手を振ってくれる。


「領主様! その美しいお嬢様はどちらの方ですか?」

 代表して馬車の傍まで駆け寄ってきたのはこの農園を纏めているという初老の農夫だ。

 王都と違い貴族の馬車に近づいてもこの領地では咎められることはない。

「うふふ、新しくうちに来てくれたエリサリールよ。これから一緒に領地運営へ携わってくれるの」

「可愛い孫なんだ。よろしくしてくれ」

「エリサリール・シア・ルーディアと申します。皆様、よろしくお願い申し上げます」

 馬車の中からだが挨拶をすると、農夫はエリサの微笑みに見惚れた後、シアの名を聞いて慌てて姿勢を正し頭を下げた。

 次期領主だと理解したんだ。

「エリサリール様、こちらこそよろしくお願いいたしますだ。こんな女神様のような方がいずれこの領地を治めてくれるだか! ありがてぇ」

「まぁまぁ、女神に見守られた領地なんて。今年はきっと豊作ねぇ」

 カーランとソフィアが一緒に居るからか、とても好意的な視線を向けてくれる。

「よき領地に出来るよう、わたくしも頑張りますわ。皆様、よろしくお願いいたします」

「女神様ー!」

「エリサリール様ー!」

 エリサの挨拶に元気よく手を振ってくれる領民に振り返す。


「ここでもエリサは人気者ねぇ」

「当然だよ、こんなに可愛くて賢いんだから」

「おじい様も、おばあ様も身内の欲目ですわ」

「エリサは可愛いのですよ」

「そうさ、君が可愛いのは誰が見たって一目瞭然」

「おじい様もおばあ様も素敵な方々です。お二人が素晴らしいのはわたくし一番分かっていましてよ!」

 ソフィアもカーランも素敵な人だからもっと称賛されて欲しい。そんな思いのまま勢いよく言ってしまったら、二人は微笑みエリサの頭を撫でてくれた。

「私たちのエリサがこんなに可愛いわ」

「ああ、こんな可愛い子は他に居ない。僕らは恵まれているねぇ」

「わたくし、ここに来られて本当に幸せですわ」

「それは私たちもよ」

「君がここに来てくれた幸運を神に感謝しなくてはねぇ」


 温かい祖父母と領民。華やかさはないけれど堅実で素朴。だがそれがいい。

 領民の顔が浮かぶと領地運営の書類を進めるのに力が入る。

 彼らを幸せにしてあげたい。そう思うといい案がたくさん浮かんで止まらない。


「まぁ、こんな施策があるの?」

「これは物凄く有用だね。早速取り掛かろう」


 カーランとソフィアは企画書を見ていくつも案を採用してくれた。

 王都では何回も会議を通すのに、ここでは二人の采配でてきぱきと行動が起こされる。

 その為、必要な時に必要な対応がされていく。

 可決した時には遅かったなんてことはここでは起こらない。

 だからいくらでも、領民の為に出来るだけのことをしたくなってしまう。


 新しい肥料の考案。作物を食べる虫を寄せ付けないための人体に害がない薬品の開発。


 エリサと美奈の知識を合わせれば王都に居た頃より、もっとたくさんの事が出来るようになった。

 それでも目立たないように真新しい物を生み出す事をせず、この世界にある物をベースに、少し手を加えたり、使っていなかった素材を取り入れる程度にしている。

 レシピを公表してしまえば、知識を持つ者ならそんな方法があったのかと納得できる範囲の物に収めていた。

 下手に新製品を発表してまかり間違って王都までそれが届いてしまったら困る。

 今程度ならルーディアからの発表だと言えば、領地のあちこちで引きこもって研究をしている一族の誰かが成果を出したんだろうと、世間は勝手に思ってくれる。

 中々絶妙なラインに仕上がっていると思う。


 年を取り農業が出来なくなった領民には、新たな民芸品として領地の草木から取れる良質な繊維から糸を紡ぎレース編みを提案した。

 特に家へ籠ることが多かった女性に大人気であっという間に領内に広がっていき、徐々に他領から買い付けの問い合わせが来るようになった。

 街へ出向いて公民館などで一緒に編んだりもした。同時に刺繍も伝授した。



 貴族女性として嗜む程度に覚えた刺繍もレース編みも、こんなところで活躍することになるなんて思わなかった。



 そうしてこの領地へ最初に来てから二年が過ぎた。

 領内は前よりいっそう豊かになった。

 部屋には領民がエリサの為にと丁寧に作ってくれたレース編みが送られ、一緒に収穫したブドウで作ったワインが開けられる時期を待って寝かされている。


 この間は刺繡とレース編みに目覚めた領民が力を合わせてエリサの為に作ってくれたドレスを送ってくれた。



 クローゼットへ入れず部屋に飾ることにしたそれは、目にするたび幸福感で満たされる。


「わたくし、この領が、今のわたくしが好きですわ」


 夜、ベッドに座りながらドレスを見つめていたら意図せず声が零れた。


 今のは、エリサだ。

 きっと何かが満たされたんだ。


 エリサに会いに行こう。



 胸に手を当てると掌に硬い感触がして、鍵が現れた。


「エリサ……」


 両手で祈るのように握ると視界が回り、光の奔流と一緒に流れ落ちて真っ暗な空間に辿り着いた。


 そこにはすでにカリスがいて光っている南京錠を見つめている。

 空間に私が来た事に気付き興奮したようにこちらを見た。

「ミナ、鍵が開く」

 早く来いと手招きされて慌てて南京錠の前に走り寄る。

「凄い、光ってる!」

 輝きはどんどん増していきついにそれが鍵になって南京錠へ差し込まれ回された。


 最初の時と同じように澄んだ音を立てて開き南京錠が砕け鎖が外れた。

 太い鎖は光によって罅が入り空中で砕け散って行った。


「猫は……刺激と、変化かな?」

 猫は自由、変化、柔軟の象徴だったと記憶している。

 だからきっとエリサの刺激・変化が欲しいというニーズが満たされたんだ。


「エリサはこの領に来て自分が変われたことを喜んでた。そして領がいい方向に変わったことも嬉しいと思ってた」

「ああ、ここの領民と触れ合うのを楽しみにしてたもんな」

「うん」

 エリサを包んでいた繭の鎖も砕け散り、一回り小さくなった。

 この領地に来てエリサは変わり、エリサの力でこの領が良くなった。

 大きく変われることが出来たこの領での生活は、エリサにとってとても良い刺激になったのが確信出来た。

 エリサのニーズを二つも満たす事が出来た。


「あと四つだね、カリス」

「ああ、ミナ。やるぞ」

「うん!」

 鍵が壊れた事を喜びハイタッチをする。


「これで、安心したいのと変化、刺激が欲しいというニーズには応えたな」

「残りは価値のある存在でありたい、社会貢献したい、成長したい。愛し愛されたいか……」

 愛し愛されたい以外は、祖父母と領地の運営に関わっている限りいつか達成できる気がした。


 けれど愛だけは、どうにもならない。


「おじい様もおばあ様もエリサを愛してくれてるけど、求めてるのは多分それじゃないものね」

「恋愛、の愛情だろうな」

「うーん。私のエリサへの溢れんばかりの愛じゃダメかな」

「駄目だろ」

 バッサリ切られた。駄目かぁ。誰にも負けないのになぁ。

「カリスはどうなの? エリサを愛してないの?」

「俺のお嬢への愛情は主への敬愛だ。多分望まれてるもんじゃねぇ」

「えー、そっかぁ。でもこんなに素敵なエリサだもん。愛してくれる人、いるよね」

「ああ、絶対にな」

「その時は私たちの事も話す?」

「話さないわけにはいかねぇだろ。それにこんな突拍子もない話でも、信じて愛し続けてくれるような奴じゃねぇとお嬢は託せねぇ」

「確かにそうだ」

 そこからどういう男ならエリサを託せるかの話し合いは白熱して、戻った後も一晩話し込んでしまった。


 翌日寝不足な顔でソフィアとカーランに会ったら心配されてしまって、その日の業務は休みになった。







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