旅路は特に問題もなく、順調に進んで行き六日目になった。
明日には予定通りおばあさまの領地へ着く。
騎士も御者もエリサに好意的で旅はとても快適だった。
エリサは今どうしているだろう。鎖で包まれた繭の中は辛くないだろうか。
あの部屋に行きたい。そう思ったらまた手の中に鍵が生まれた。
それを両手で握ると体が引っ張られ、光の奔流の中を駆け抜けどこかに着地して止まる。
衝撃で閉じていた目を開けると、あの真っ暗な空間だった。
「へぇ、ここがお嬢が眠っている場所か」
真横から声がして顔を向けるとカリスが居た。
「!? カリス、何でここに!?」
「そりゃ俺はお嬢の聖獣だからここに居て当たり前だ」
自信満々に言い切るカリス。
「まぁ、それもそうか。カリスはエリサの聖獣だもんね」
「そういうこと。しかしお前そんな顔してるんだな」
カリスが顔を覗き込む。そういえばここではエリサではなく、美奈の姿になるんだった。
馴染んだ黒髪を掴んでカリスを見上げる。
「そうなの。ここでは私本来の姿に戻るみたい」
叔父さんは可愛いと褒めてくれるけど、自分では十人並みだと自覚がある。
けれど母に似ていると叔父さんが言ってくれるこの顔を私は気に入っていた。
……流石にカリスと並ぶと見劣りするけどね。
「へぇ、可愛いじゃん」
「褒めても何も出ないよ」
平凡な顔立ちなのは十分自覚してるってば。
「お世辞じゃねぇし。しかしこの部屋どうなってんだ?」
「あ、そうだった。この南京錠は何!? この前来た時は壁と鎖の繭だけでこんなの無かったじゃん」
透明だった壁には大きな魔法陣が一面に描かれている。
その中には小さな魔法陣が六個あり、魔法陣の中心にはそれぞれ形の違う真っ黒な南京錠が埋め込まれていた。
南京錠の形は、家、猫、本、四葉のクローバー、剣とペン、ハート。
それぞれエリサの繭に繋がる影のように黒い頑丈な造りの鎖に繋がっていた。
「……この錠を外せばいいのかな。でもどうやって?」
手で揺すっても引っ張ってみても南京錠は緩む様子はない。
「ぐぎぎ……硬い、むりぃ……。鍵は? ……ないよね」
力一杯何度も引っ張ってみたが当然びくともせず、南京錠を開く鍵がどこかにないかと真っ暗な部屋をあちこち歩きまわってみたが何も見つからない。
そもそも壁のこちら側には何もないのだから探せる場所なんてたかが知れてる。
「えーどうしたらいいのよ、どうやったらエリサをここから出せるの?」
もしもエリサが外に出たいと思った時、これが邪魔になって出られないんじゃないの?
それは困る!
……なのにこれを開ける方法が全く分からない。
八方塞がりな状況にずるずると壁の前に座り込んだ。
「それにしても見事な結界術だな」
私の行動を黙って見守りながら魔法陣を観察していたカリスが感心したように声を漏らす。
「結界なの? これどっちかっていったら封印じゃない?」
「そりゃお嬢が自分を守る為に発動した物だからだ」
「……自分を守る」
自分を傷つける世界から心を守る為に……。
そう言われたらこの強固な壁も南京錠も分かる気がした。
「絶望に囚われ、心を守りたいと願ったお嬢と、お嬢を守りたいって美奈の気持ちが融合した結果がこれだ」
「え、私のせいでもあるの?」
「何故か知らんがお前の魂がお嬢の体に入ることで魔力が無限に増えている。そうじゃなきゃこんな強固な結界は発動しない」
そして制御されることなく発動してしまったがゆえ、暴走してエリサを封印する結果になってしまったと。
「どうやらお前の魂には魔力増幅的な効果があるっぽいな」
「お得じゃん!」
「お得……、まぁ、そうだな……」
力技で破ることが出来ないほど強固な封印。でも、逆を返せばエリサの眠りを妨げるものはないということだ。
そして自らを守る為に発動した物ならエリサに害は与えない。
「だったら、この中にいればエリサは安心して眠れるねぇ」
強固なものではあるけれど、エリサを優しく包み込んでいるようにも見える。
そんなことをカリスに言ってみたら、そうだなと同意してくれた。
「お前の守りたいって気持ちが強く表れてるんだろ」
「そっかぁ」
「逆に言えば自然に解けることはない」
「それでもエリサがゆっくり眠れてるなら嬉しいよ」
目覚めて欲しいけれど待っている間が快適ならその方がいい。
「でも、エリサが目覚めたいって思った時に出られないんじゃ困るし、どうやったら解けるのかな? 私にそれが出来る?」
南京錠に触れ、魔法陣を確認していたカリスが確信をもって美奈を見る。
「お嬢を守りたいって気持ちがこの封印を作り上げたんだ。美奈にしか解除が出来ない」
お前がやったのだと言われても実感がわかない。
「私がこれを作ったなんて信じられないよ」
「信じられなくても事実だ」
エリサが魔法で作り上げたのはこの領域のみ。
そこに付随して私がエリサを守ろうとした気持ちがこの封印を発動させた。
最初に訪れた時に何もなかったのはそういう理由なんだ
カリスの説明によれば、私がこの世界にいるのはエリサが呼んだからだという。
絶望に染まり助けを求めたエリサは、血に潜む古の術を使った。
それは次元を越え、私の魂を捕まえてこの世界に連れて来た。
「魂だったから繋がったのかな?」
「多分な。お嬢の術と魔力をもってしても一人の人間を異世界から召喚する事は出来ない」
古の術は危険な物で、もしもエリサが望む相手を見つけられなければ魔力を使い切り、命すら危うかったのだと聞いて体が震えた。
でも全てを引き換えにしてもいいと思えるほどエリサは追い詰められていたんだって思ったら、その思いに応えられた事の方が嬉しい。
「だったら丁度事故にあってラッキーだったわ」
「ラッキー……」
「だってエリサを助ける事が出来るんだもん。ナイスタイミング!」
きっとあの時の事故はこの為の物だったんだ。
「お前な……、まぁ、こうしてお嬢を助けられるなら俺は有難いが」
「でしょ!? それにしても異世界召喚まで出来ちゃうなんてエリサは凄いねぇ」
「この術は異世界召喚じゃなくて、本来は聖獣を呼び出す特殊な魔術の応用だ」
「そうなんだ。でも偶然いいタイミングで事故にあっただけの私でも上手くやれるかな……」
「偶然じゃない。お前はお嬢が選んだ唯一。一番波長の合う、望みを叶えてくれる相手をお嬢は探したはずだ。だからお前じゃなきゃ誰もお嬢を助けられない」
「そっか、じゃあ余計に頑張らなきゃね」
私がエリサを助けられるのなら、求めてくれるなら、全力でそれを成し遂げるまでだ。
決意を新たに壁に張り付いている南京錠を見上げた。
「どうしたらこの封印は解けるのかな。この形には意味があるの?」
「多分だが、この南京錠の形はお嬢が望むものを示してるんだと思う」
「……望むもの?」
「この形にはそれぞれ一つずつ意味があり、領域の中に居る者が望む何かを与え満たせば封印は解かれる、と思う」
「思うって曖昧な……。それに望むものって何?」
「さぁ、そこまでは……。何せ失われた術の、しかも暴走して偶然できた封印だ。正確な事は全く分からん」
カリスは肩を竦める。
「えー、中途半端過ぎない?」
「本来この結界の使い方は力を失った聖獣を休ませるためのものなんだよ。聖獣の為に特別な領域を作り、望むものを与え力を取り戻させるんだ」
「全然違うじゃない」
「美奈のせいだからな」
「……うっ、だってエリサを守りたかったんだもん」
今この世界の神は力を失い聖獣も形をとれない。エリサの一族は神や聖獣が存在していた遠い昔、巫女として聖獣を守っていた一族なんだって。
エリサは特にその巫女の血を濃く継いでおり、巫女には必ず一体聖獣が宿る。それがカリスだ。
「領域に入った聖獣は何を望んだの?」
「んー、休めて安心できる場所が欲しいとか、おいしいものが食べたいとか、好きな物に囲まれたいとか?」
「なんか、結構俗っぽいね」
「聖獣だって生き物だからなぁ。基本的な欲求は変わらん」
「そっかあ、うーん、しかし六個の望みか……。なんかそういうの聞いた事あるな。六個……なんだっけ」
昔叔父さんに聞いた気がするんだよな。
人が人であるために満たされる六個の条件とかなんとか。
「六個……人が……。あ、シックス・ヒューマン・ニーズだ」
「なんだそれ?」
「私たちの世界にある人間の根本的欲求を理解するための理論の一つで、人が幸せでいるため必要な六個のニーズがあると提唱するものがあるの」
「へぇ、六個の内訳は?」
「一つ、安心したい・安全であること。二つ、刺激・変化が欲しい。三つ、価値ある存在でありたい。四つ、愛し愛されたい、仲間になりたい。五つ、成長したい。六つ、社会に貢献したい」
私はカリスに説明をする。
「どれも人によって強弱はあるし、順番も曖昧だけれど、この六個が満たされていれば人は幸福でいられるっていう理論よ」
「なるほど、丁度南京錠も六個だな。試してみる価値はありそうだ」
「五個だったらマズローの欲求五段階ってのなんだろうけど、あっちは満たす順番があって少しハードルが高いのよねぇ」
「そっちはどんなのだ?」
「まず生きていくための生命線、食事や睡眠なんかね。それを満たした後、安全な住居を確保して、社会に受け入れられて、承認欲求、そして最後に自己実現欲求って段階的に進めないと充足に至らないって考え方なの」
でも社会的欲求や承認欲求を満たすために命を投げ出す場合もあるし、下の段階を満たさなくても上を満たしたい、優先したい人もいるんじゃないか思う。
「へぇ」
「シックス・ヒューマン・ニーズなら順番関係なく、一つずつ叶えればいいから少しやりやすいかも。手掛かりは何もないし、とりあえずエリサがしたいと思ったことを全部実行してみようか。どれかが当たるかもしれないし」
「そうだな、手掛かりがない以上とりあえずやってみるのはありだ」
カリスは頷き、六つのニーズを探してみることにした。