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第6話 カリス






 街道を駆ける馬車にずっと一匹の白い梟が並走してきている。

 休憩すれば近くの木の枝に留まり、出発すれば一定の距離を保ってついてきた。


 隊長に問いかけてみたが、白梟など見ていないという。


 見間違えや目の錯覚にしてははっきりと見えている。

 今も川を見つけ、馬を休ませていると傍の木の枝に留まり羽繕いをしている。


「……」


 じっと見上げていると白梟と目が合った。


「ずっと着いて来るけど何か用?」

 思わず小声で話しかけてしまった。

「お前、俺が見えるのか?」

 やけに人間臭い仕草で白梟が驚いて声を上げた。

「あら、喋るんだ」

「驚けよ」

「だって魔法がある異世界にいるんだから、喋る動物くらいいるでしょ?」

「……いや、普通の動物は喋らねぇよ」

 何なんだお前はと呆れたようにため息を吐いた白梟は音もなく肩に降りて来た。

 鋭い爪があるというのに痛みも重さも感じない。

「不思議、触れるのに生き物って感じじゃない」

 遠慮なく腹に触れる。温かいし柔らかい。

 ……これがモフモフってやつだわ。

 顔埋めていいかな?

 持ち上げて腹に顔を埋める。

「お前、エリサ……。お嬢じゃないな?」

「……わかるの?」

「お嬢はこんなことをしねぇ……」

 羽根の中に指を入れてモフモフを堪能する。梟の羽根ってつるすべなのね。羽根の内側や足を触っても文句は言わない。

 大人しくされるがままの白梟。従順すぎて心配になる。

 やられたい放題の白梟がどんな表情をしているのか気になり、モフを堪能しながら抱き上げて顔を見たら嫌がってはいないが喜んでもいなかった。

「……」

「……」

 梟って虚無顔出来るんだね。

 でもモフらせてくれるんならしとこう。

 もう一度腹に顔を埋める。羽根の感触が気持ちいい。

 出発をすると声をかけられて、白梟を持ったまま馬車に入った。


 本来はメイドや従者が一緒に乗ることもあるのだが、今馬車の中はエリサ一人。

 メイドが付いて来てくれようとしたけれど断った。

 往復で半月も掛かってしまうのに、その時間を拘束するのは申し訳ない。


 膝の上に乗せて小声だが遠慮なく話をすることにした。


「お前は誰だ? どうしてお嬢の体を乗っ取っている」

 どこまで曲がるのかというほど首を傾げて睨むように顔を覗き込んで来る。

「乗っ取ってなんていないわ。エリサはちゃんと心の奥で眠ってるよ」

「……本当か?」

 疑り深く私を見て、何かを探るように意識を集中させながら目を閉じる。

「……ああ、本当だ。お嬢の魂が安らいでる」

「エリサ、安らいでる?」

 眠っているのは分かっていたが、どんな様子かまでは確認できない。安らいでいるのならよかった。

「ああ、安心して精神世界の最奥で眠っている」

「そうなんだ、よかった」

 エリサ、そこでゆっくり寝ててね。私頑張るから!

 胸に手を当てて心の中でエリサに呼びかける様子を白梟はじっと見つめていた。


「……お前、変な奴だな」

「初対面なのに失礼ね。貴方こそ誰よ?」


 欲望に負けてモフってしまったのはまずかったわね。

 エリサはそんなことしないんだから動物相手だからと気を抜いてはいけなかったわ。

 誰にも見えていないなら大丈夫かと思ったのに、気を付けなきゃ。


「俺はずっとお嬢と共にいた聖獣だ」

「聖獣! ……聖獣? エリサの記憶には全くないんだけど?」

 どれほど記憶を攫っても白梟の存在は探せない。

「正確には聖獣候補だった。お嬢が俺を認識して心を交わして初めて聖獣として機能するんだ」

「でも、エリサは貴方の存在に気付いてなかったよ?」

「ああ。お嬢はいつも追い詰められていた」

「……そうね」


 どれほどやっても増える課題、年齢と共に積み上げられていく教育内容。求められる貴族としての振る舞いと知識。

 愛した人から返されない想い。だからエリサは必死に学び、従順に従い愛を手に入れようと躍起になっていた。


 ……それが愛される為だと思っていた。


 だが、やればやるほどエリサの望みから遠ざかって行く。


 そうしているうちに疲れたエリサは少しずつ諦めていった。

 家族に認められることを。

 婚約者に好かれることを。


 ……愛されることを。


 エリサが最後にしていたのは、勉学に励み、これ以上嫌われないようにする事だった。


「お嬢は心を閉ざして生きていた。だから俺の存在を認識することは出来なかった」

「そっか、そうだよね」


 周りを見る余裕はなく、肩の力を抜く時間などない。とにかくずっと責務に追われていた。

 細やかな気遣いにすら目を向けるのなかったエリサが、おとぎ話の中でしか出て来ない聖獣がまさか自分の傍にいるだなんて思わない。

 聖獣が主と定めた相手が聖獣は居ると認識しなければ、この世界に存在することは叶わない。


「俺がどれほど呼び掛けてもお嬢が俺に気付くことはなかった。主となる者に認識されない俺は魔力を貰えず弱っていった」


 それでも陰ながらエリサを守っていた。けれどエリサが眠りについた時ついに魔力が底をついた。

 このまま消えるのだと思っていた矢先に大量の魔力が流れ込んでくるのを感じ目を覚ます。

 根源を辿って追ってきたら繋がりを絶たれたと思ったエリサ、に入った私が居た。


「へぇ、私魔力なんてないけど」

「お嬢の魔力がお前の生命力に触発されて活性化してる」

「生命力……」

「激流みたいに押し寄せて急速に力が満ちてて、正直怖い」

「そんなに!」

「お嬢が心からアンタを信用して体を明け渡してるんだ」

 そうでなければエリサの体がこれほど影響を受けるわけがないと白梟は言う。

 そうか、エリサは私を信用してくれてるんだ。嬉しいな。

「それにしてももう消えちまうって思ってたのに、こうして俺が実体化できるなんて。切れたと思った俺とお嬢との繋がりがまだ残ってたんだな。お前が聖獣の存在を在るものだと認識してくれたお陰だ」

「私は別に聖獣の存在を知ってたわけじゃないけど、魔法も神もいる世界だから何でもありだなって思ったせいかな」

「……雑な括りが俺を生かしたのか」

「いいじゃない、生きているなら何でも出来る!」

 白梟を両手で抱えて抱きしめる。


「貴方が消えてしまわなくてよかった。だってずっとエリサを守ってたんでしょ? 目覚めたら今度こそ会ってあげて。きっとこの手触りはエリサも好きだわ」

 抱きしめて柔らかい羽根に顔を埋める。

「アンタ、変な奴」

「失礼ね」

 顔を離して笑い合う。

「私は高橋美奈。こことは違う世界に住んでいたの。事故にあって意識を失って、真っ暗な世界でエリサの泣き声を聞いて目が覚めたの」

「真っ暗な……」

「そう。真っ暗だったわ。エリサと私以外いなかった」

「そうか」

「そこで私はエリサに助けを求められた。私は泣いている彼女を助けたいって思って手を差し伸べて……、気がついたらこうなってて……、それから……」


 いつの間にか日が沈んだことに気付くほど夢中でお喋りをしていた。

 馬車の中で一人でもそれほど退屈だとも寂しいとも思わなかったけれど、やはり話し相手がいるのは楽しい。



「そうだ。貴方名前は?」

「ない」

「ないの?」

「本来は主から名前を貰うことが契約の証なんだ」

「そっか、でも、エリサは寝てるし。どうしよっか」

「アンタがつけてくれ」

「私でいいの? エリサが目覚めるまで待ってからでもよくない?」

「それまで俺はなんて呼ばれるんだよ?」

「……白梟?」

 まんま呼んだら顔を顰めた。梟ってこんな嫌そうな表情が出来るんだ。

「名前をくれ」

「んー……」

 白梟といえば有名だった魔法少年も飼っていたけどその名前を付けるのは安直だし、白だから雪とかスノーもちょっとなぁ。

 梟って神の使いとして扱われることもあるし……。

「カリスってどう?」

「何か意味があるのか?」

「私の世界の別の国の言葉で、感謝、思いやり、それから多くの人に喜びをもたらすって意味なの」


 長期休みを利用して連れて行って貰ったギリシャ旅行をしている時に、叔父さんがたくさん話してくれた中の一つ。

 叔父さんが教えてくれたこと、与えてくれたものは全部私の中にある。


「それに春の芽吹きの象徴でもあるわ。聖獣にはぴったりだと思う」

 女神を指す名前だったりするけど、白梟は綺麗だし違和感はないでしょ。

「カリス……」

 何度か呟いて顔を上げた。

「ん、それでいい。俺は、カリスだ」

 白梟が名付けに了承した瞬間、銀髪で青い目の青年に変わった。

 現世では中々にお目にかかれない美形。

 この世界には美形が多いな。アレンも中身はあれだったけど顔の造形はよかったし。

「おお、イケメンの姿に……。服は普通なのね」

 見目麗しい青年だが、服は普通の庶民が着るような地味な物だった。

「その顔で聖獣だっていうならド派手な真っ白天使みたいな恰好してよ」

「何でだよ」

 私の文句にカリスは呆れた顔をする。

「理由は特にない。なんかこうビジュアル的な心情で……って、今の姿は他の人に見えてるの?」

「ああ、そうだな」

 カリスがパチリと指を鳴らすとキラキラとした光が馬車の周りに広がる。

 それを追って視界を戻したらフォーマルなスーツを着たカリスが座っていた。

「おお、衣装チェンジ。それは似合うので採用」

 エリサにあるまじき行動なので親指を立てるのをグッと我慢した。

「……他に言うことはないのか。まぁいい。これで俺はお前の実家から唯一ついて来た従者ってことになってる」

「なってる?」

「魔法の一つだな。情報操作、まぁ、悪い言い方をすれば洗脳だ」

 ウインクをしてお茶目に笑うカリス。


 うん、顔がいい。


 思わずツラの良さに見惚れてしまった。


「それにしてもさっきの光は魔法! 魔法なのね。初めて見た。聖獣凄い!」

「お前がお嬢の為に頑張るってなら、聖獣の俺が手助けするのが道理だろ?」

「ありがとう、カリス。心強いよ!」

 エリサも豊富な魔力を持っている。けれど制御する術は学んだが、それを活用することは教わっていない。

「魔法、私にも使えるかな?」

 公爵令嬢が魔法を用いて戦場に立ったり研究しないんだから当たり前なんだけど、折角あるなら有用に使ってみたい。

 氷とか炎とかバーンって出せたら格好いいじゃない?

「お嬢の魔力なら出来ない事の方が少ない」

「へぇ……」

 補足て綺麗な両手を見つめる。

 エリサは優しい人だから、傷つける為じゃなくて守る為に使えるようにしよう。

「俺が使う魔法は自然とお嬢も使えるようになる。だから見本は全部俺が見せるから安心しろ」

「うん!」


 エリサの為になんでもやろう!

 そんな決意をしていると手を差し出された。


「じゃあ、改めてミナ、よろしくな」

「私は今はエリサだよ?」

「二人の時はミナでいいだろ」

「そうなの?」

「そうだろ。これから目覚めるまでずっとお嬢として生きるなら、一人くらい「ミナ」を知ってるやつがいたっていいだろ」

「!」

 その提案に心が温かくなり、無意識に微笑んだ。

「うん、ありがとう。カリス」

「どういたしまして」

 柔らかく微笑むカリスに胸の奥がエリサではなく私の心臓が小さくトクリと鳴った気がした。




 道中は恙なく進んで行く。魔法がしっかりと作用しているのか、カリスは最初からエリサの従者だったように扱われる。

 何故かカリスは、ついて行きたかった使用人や騎士たちの想いを継いで、たった一人エリサの傍に居ることを許された存在として認識されていた。

「なんか凄くいいように話が進んでるけど」

「お嬢の行いとそれに付随する記憶の改変だな。魔法は俺が従者だって思いこませるだけの物で、こんな風になったのはお嬢がそれだけ慕われてたって証だ」

「そっか、なんか嬉しいね」

「皆俺が羨ましいってさ。お嬢はこんなにたくさんの奴らに慕われてんだなぁ」

 身分のある世界では下の者から上位の者へ気軽に声をかけることを許されていない。

 どれほど感謝していてもそれを伝える術は殆どない。

 従順に従うことでそれを示すしかないが、それで心の中が見えるものではない。

 エリサは特に周りへ目を向ける余裕もなく、自分の事で一生懸命だったから細やかな気遣いを感じ取ることが出来なかった。

 でもそれは仕方のない事だと思う。


 この国も、あの家もたった一人の少女に背負わせすぎだったんだ。

 優秀であることが、重荷を背負わせてもいいという理由にはならない。

 改めてエリサが置かれていた環境を思うと腹が立つ。


「お前は、お嬢の為に本気で怒ってくれるんだな」

「そんなの当たり前じゃん! 私は絶対エリサを幸せにするんだ。その為には何でもやるよ!」

「おう、俺も居ることを忘れるなよ」

 一人でも成し遂げるつもりだったけれど、一緒に走ってくれる人がいるのは心強い。

「エリサが幸せになる条件にはカリスの存在も含まれてるんだよ。まとめて幸せにするからね!」 

 私の宣言にカリスが目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。


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