翌日、学園から戻って来たマリナがエリサの婚約破棄とアレンの新しい婚約者に自分が選ばれたと告げると、屋敷は父母の先導で祝宴が開かれることになった。
……エリサは呼ばれない。
アレンの部屋はとっくに引き払われていて、もしも学園で一夜を明かしたとしたらそれはマリナの部屋だろう。
作戦会議が必要だったとはいえ、未婚の男女が一晩同じ部屋で夜を明かすのは駄目なんじゃない?
そうは思ったが報告を聞いた父母は喜ぶばかりで、娘が一晩何をしていたのか気にするどころではないらしい。
この親にしてこの子あり。浅慮なところがそっくりだわ。
「まぁ、わたくしには関係ないことですわね」
エリサの口を通すと無意識に丁寧な話し方に変換される。
美奈の口調で話したいと思わない限り上品に話す事が出来てありがたい。仕草も洗練された美しい貴族の振る舞いが出来る。
寝巻に着替えることもしなかったからドレスが皺くちゃだけど、これはもう着ないものだしいいか。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
「ええ、起きているわ」
ノックされて返事をすると失礼しますという言葉の後、ドアが開き馴染みのメイドがワゴンと一緒に入って来た。
殆ど屋敷にいないエリサはこの家に馴染んでおらず、母の代から仕えてくれていたメイド長が食事を運んできてくれる。
クロイド家は基本「家族で」食事を摂るのだが、 彼らが語る家族というカテゴリにエリサが入っていないのだと気付いたのは、随分昔の事だった。
そこに混ざったとしても彼らはエリサを気にかけることも話しかけることもせず、寂しく気まずい思いをするだけ。
それを知っているメイド長はいつもエリサが屋敷に戻って来るとこうして部屋へ食事を運んでくれる。
いつもだったらどうせ詰め込むだけだからと給仕を断り、仕事をしながら食べられるものを用意して貰い食べていた。
寂しいと思いながらも、虚しさを抱え一緒の食卓に着くよりはマシだった。
「朝食をお持ちしました……。あらあらドレスが皺だらけでございますね。先にお着換えをなさいますか?」
「ごめんなさい、お腹が空いているの。着替えは終わった後に手伝ってくれる? あ、でもコルセットだけ緩めてくれるかしら?」
夕べは何も食べていない。流石に空腹が勝ってしまって我慢できない。エリサだったらきちんと着替えてからご飯なのに、ごめんエリサ。
肉体的欲求には勝てなかった。修行が足りない。
それにしてもコルセットがきつい!
よく寝れたわね。さすがエリサの体だわ。
珍しいエリサの我儘にメイド長は微笑まし気に微笑み、ドレスの背中を寛げコルセットを緩めてからテーブルに運んできた朝食をセットする。
爽やかな香りのお茶を差し出されゆっくり飲む。まるで予定調和のように馴染んだ美しい所作でティーカップを口に運ぶ。
凄い、エリサの動作でお茶を飲むとこんなに優雅に飲めるんだ!
「……おいしい」
「ようございました」
温かいお茶を飲んだのはいつぶりかしら? エリサの記憶を手繰っても出て来ない。
婚約者との定期に行われるお茶会では、アレンは遅れて来たから温かいお茶に口を付けた記憶はない。
政務に追われている時に気遣って淹れて貰ったお茶も、口にする時はいつも冷めていた。
爽やかな香りと共に程よい温度のお茶が喉を伝い体を温める。
「……ほぅ」
思わず息をつくとメイド長がにこにことその様子を見守った。
「お嬢様がこんな風にゆっくり朝を過ごされる時間がやってくるとは……。ようございました。マーサは嬉しゅうございます」
喜びの涙を拭うメイド長のマーサ。
「マーサ、こんなことで泣かないでくださいまし……」
「年を取ると涙脆くなってしまうものでございますが、マーサは本当に嬉しく思っております」
「ええ、ありがとう」
こんなにもエリサのことを心配してくれていたんだ。
嬉しいね。
胸元を軽く押さえて眠るエリサに呼びかける。
「今まで用意してくれた食事も味わう暇もなくて、ごめんなさいね。こんなにおいしいのに勿体ない事をしていたわ」
小食なエリサの為に用意された小さいパンケーキとサラダ、スクランブルエッグにハム。
いつもだったら前日に簡単なものでと注文を通しているのだけれど、今日はそれがなかったからか、しっかりとした食事を用意してくれていた。
ふわふわのパンケーキを口に運ぶと程よい焼き加減と素朴な甘みが口に広がる。
「お嬢様は小さい頃から好き嫌いもなく、何でもお食べになってとても賢く聞き訳がようございました。けれどマーサはそれが少し寂しく思っておりました。このお茶はお気に召したようで嬉しゅうございます」
今まで用意してくれた食事や軽食はエリサを慮った物が数多くあったに違いない。
けれどエリサは重圧と忙しさに追われそれに気付けなかった。
全ての重荷から解放されたエリサは、これからそういった気遣いを改めて知る機会が訪れるだろう。
今、こうしてマーサの気持ちを知ることが出来たように。
心の中に温かさが宿る。
たっぷり時間を使い用意された食事を食べ、食後にはまた違うお茶を淹れて貰い飲む。
今度のお茶はデザート代わりなのか、甘い匂いがした。
アップルティーとか、アプリコットとかその辺に近いかな?
フルーティな香りが好ましいと感じる。エリサはこのお茶が気に入ったみたい。
味わうように飲んでいるとマーサがもう一杯どうかと勧めてくれたのでお願いした。
「お嬢様はこれからどうなさるおつもりですか?」
労わるような声に微笑んで見せる。けれど長く笑うことを忘れたエリサの表情筋は硬く、少しぎこちない。
それでもメイド長はそんなエリサを微笑まし気に見つめた。
新しく淹れて貰ったお茶を一口飲んでカップを置いてマーサを見上げる。
「おばあさまの領地へ行こうと思うの」
「! 奥様の! あそこはいいところです。のんびりしていて穏やかで、嫌な事なんてすぐ忘れられます」
母について何度か里帰りを一緒にしたことがあるマーサが提案を喜んでくれた。
「ええ、そう思うわ」
お茶を飲み終わったエリサの髪を整え、服を着替えさせてくれる。
「私もついて行きたいのですが、家族を置いていけません」
「その気持ちだけで充分だわ」
お給料を払えるか分からないのに付いて来て欲しいとは言えない。
荷物は纏めたし、いつ出て行こうかと思案していると光る蝶が視界を横切った。
魔法書簡の返信だ。
手を差し出すと掌に蝶が留まりそれが手紙に変わった。
封蝋はおばあ様のいる領地、ルーディア家の物。
開くと整った文字でエリサを気遣う文面の後に、いつ来てもいい。迷惑などいくらでもかけてくれて構わない。待っていると書かれていた。
迷惑などいくらでもかけて欲しい。
来てくれることの方が嬉しいのだと締めくくられていたその手紙は、それほど長い文章ではなかった。
けれど、エリサを慮って書かれたことが十分伝わる温かいものだった。
「……よかった」
貰った手紙を抱きしめる。祖父母のエリサへの愛情を感じられて嬉しくなった。この人たちならエリサを大切にしてくれるはずだ。
これで安心して旅立てる。馬車を用立てて貰えなかった時の事を考え、領地までの旅程と方法を検討しているうちに夜になった。
検討は十分できて、これでもし馬車が無くても安全にルーディアまで辿り着くことが出来る。
小さな手帳に書き記し終わって一息ついた。
明日の朝には出て行こう。
そう決意して椅子から立ち上がる。
二度と戻らない場所だからと、忘れ物がないか隅々まで調べていると義母がノックもなしに部屋のドアを開けた。
祝宴が一息ついたのか、エリサの存在を思い出したようだった。
義母は止めようと後ろについて来たマーサに軽く咎められたが、気にすることもなく貴婦人らしからぬ大股でエリサがいる窓際までやって来て顔を覗き込んだ。
……お酒臭い。
「エリサ、婚約破棄されたんですって? なんて恥さらしな! 旦那様は貴女をクロイド家の籍から抜くとご立腹よ?」
楽しそうに扇子で口元を隠しながら嘲笑う。
いや、そんな意地の悪い顔してたら口元隠す意味なんてなくない?
心の中でそう思いながら目を伏せ殊勝な態度を見せる。
「申し訳ございません。わたくしが至らないばかりに……」
「ええ、本当ねぇ」
勝ち誇ったように高笑いをする義母。自分の娘が代わりに選ばれたのが嬉しくて仕方がないらしい。
まぁ、そうだよねぇ。後妻は教養の足りない貴族ですらないただの商人の娘。礼儀作法も教養も足りてないって散々嫌味を言われてたもんねぇ。
キツめだけど顔はそこそこだし、何と言ってもプロポーションが凄いから顔と体で落としたなんて下世話な話もされていた。
綺麗だが品がない。総称するとそんな感じだ。
その容姿と体形と品の無さは見事にマリナにも受け継がれていて、エリサを蹴落として新しい婚約者に座った彼女も同じような噂話をされるんだろう。
ゴシップ大好き社交界にいいネタを投下したものねぇ……。
高らかにマウントをぶちかます義母の演説を虚無顔で聞き流す。
窓に映るエリサの顔は虚無っていても気品に溢れていて美しい。
その美しい顔を鑑賞して、しばし現実逃避をする。
「殿下がお選びになったマリナが、わたくしの至らなかった部分を埋めてくれるものと存じております」
段々嫌味がループしてきて聞いているのが苦痛になって来たので、殊勝な面持ちで義母の言葉を肯定してやる。
「ほほほほ、マリナが居れば我が家は安泰ね!」
途端に機嫌を良くして再び高笑いをした。
この国には今王子の身分に釣り合う若い女性はエリサとマリナしかいない。
近隣諸国でもとっくに結婚や婚約をしている王族や貴族ばかりで、エリサと婚約破棄をしたから次はうちの娘をと推薦できる貴族はいない。
仮に身分が違っても優秀であればどこかの公爵家が養子に迎えて推薦できるだろうけれど、エリサの代わりとなるような秀でた娘であるならアレンの方から断るだろう。
「その通りでございます。わたくしはこの家を出て王都を離れようと思っております。籍に関しましてはお父様が思う通りになさって下さい」
全てを受け入れる意思を見せると義母はにんまりと笑う。
「あらあら、それはいいわねぇ。そうなさいな。すぐ馬車を用意するわ! 朝には出発なさい? いいわね、すぐよ!」
時刻は深夜をとっくに過ぎている。
今すぐ出て行けと言わなかったのは最後の慈悲のつもりなんだろうか。
義母はエリサに何処へ行くのか聞くこともなく、ウキウキと部屋の外へ出て行った。
エリサが目障りだったんだなぁ、あのおばさん。まぁ、美人で賢いママと比べまくられ娘の出来も良くない中の一発逆転だもんねぇ……。
本当に大変なのはこれからなんだけど、まぁエリサにはもう関係ないしいっか。勝手に頑張って。
部屋に入られないようにしっかり鍵をかけてベッドに入った。
翌朝、エリサが出ていくことが余程嬉しかったのか、玄関前にはクロイド家が所有する中で一番いい馬車が一台用意されていた。
どんだけ嬉しかったんだ。あのおばさん……。
馬車の準備が整った事を告げに来たメイドへ、父母が寝ている間に出発したいと言うと素早く身支度を手伝ってくれた。
どうせ顔を合わせたとしても嫌味くらいしか言われないのは分かっている。
てきぱきと支度を整え馬車に向かうと、かなりの人数がエリサを見送りに出て来てくれていた。
馬車までの通路にずらりと並ぶ執事やメイドに驚く。
クロイド家で働く使用人は多く、顔も名前も知らない者もたくさんいる。
それでもかなりの人数がここに集っているのが分かった。
「……皆様どういたしましたの?」
「お嬢様の見送りをしたいという者が自主的に集まっております」
「そうなのですか? お心遣い感謝いたします」
目礼をして礼をすると皆礼を返す。
「お嬢様の幸せを祈っております。どうかお元気で」
代表してマーサが声をかけるともう一度一斉に頭を下げた。
これだけの使用人が集まってくれたのは、恐らくこの屋敷の労働改革をエリサがしたからだ。
エリサには十歳の頃から二年ほどクロイド家の運営を丸投げされていた時期があった。
その時に屋敷の中を良く歩き、使用人たちにも気軽に声をかけて回った。
気付いたことの是非を確かめた後迅速に改革していき、屋敷内の労働環境はかなりよくなったし、無駄な出費も減った。
浮いた収支は使用人たちの給金に還元した。
その時の事を今でも感謝してくれているんだろう。こんなにたくさんの人がエリサを気遣ってくれていたなんて嬉しいね。
馬車のドアを開けてくれる初老の執事に礼を言うと、ドアを開けた後恭しく頭を下げた。
「お嬢様が我々に施してくださった恩義、決して忘れません」
「皆様の働きに報いただけですわ」
馬車に乗るのに手を貸してくれる騎士に促され、中へ入る。
だが、その屋敷運営はすぐ父の元に戻された。
徐々に使用人たちからの評判が上がる様を見て、危機感を覚え慌ててその権利を取り上げたんだ。
そもそも十歳の子供に家の運営を丸投げするってどうなの……。
出来ちゃったエリサもエリサだけどさ。
権利を取り上げられる前にエリサは、折角改善できた環境を戻されることを危惧し、この改革案は王家でも導入されていると父に話す。
元の体制に戻せば王家への批判と取られる可能性があると進言した。
その真偽を確かめるべく王家に探りを入れた父は、エリサの言葉が正しいと知る。
仕方なくその施策の続行を決めた。
そもそもその改善案が王家で導入された経緯は、お茶会に現れないアレンの代わりに話し相手になってくれた王妃が、エリサの話した内容をそのまま王家で取り入れたというだけの話である。
けれど愚鈍な父はそこまで掴めなかった。
公爵家の主としてはあまりに小物なのよね、あの父親。
目先の利益にしか目が向かず、長期的な思考が出来ない。
けれど父は自分の矮小さに目を瞑りエリサが評判を上げ、慕われるのを疎ましく思った。
着々と名声と信頼を獲得していく姿に実母を重ねる。
エリサの父はリディアから与えられた劣等感を昇華出来ないまま、優秀さを引き継いだ娘の能力の高さを思い知ることになった。
そこでさらにコンプレックスを肥大させてしまった。
そこでエリサがデビュタントに近づいた事を理由にさらに厳しい教育を施した。
本心ではエリサが挫折することを願っていたんだと思う。
厳しい躾と教育を施し、出来ないとエリサが泣きつくのを待っていた。
そしたら思いきり見下してやろうとしていたのに、エリサはその全ての課題を修めて行った。
年を重ねて出会った頃のリディアによく似て来たのも要因の一つだ。
どうにもならないリディアへのコンプレックスを、エリサに対し厳しい教育を与え、家族として扱わないことで鬱屈を晴らしていた。
まぁ、今更どうなるわけでもないしね。血が繋がってるからって仲良くなれるとは限らないし……。
そもそも父親が浅慮で狭量なだけなんだよなぁ。エリサは一つも悪くない。
母に文句があったのなら、きちんとそう言って話し合えばよかったんだ。
それも出来ずに弱い子供に当たるだなんて言語道断。同情の余地なし!
馬車に乗りドアが閉められる。
使用人たちが再びエリサに向かって頭を下げた。
……エリサ、見てる? 貴女の事を心配してくれてた人がこんなにいるよ?
エリサが自分で用意した荷物がトランク一つだけだったことに気付いた使用人たちが、慌ただしく屋敷の中へ引き返しさらに三つのトランクを積み込んだ。
料理長からは馬車の中で食べて欲しいとお弁当と飲み物が入ったバスケットを渡された。
「お嬢様、馬車を出します」
「ええ、お願い」
ゆっくり動き出した馬車の中から豪奢な造りの屋敷を見上げる。
「……ここは、エリサにとって心安らげる場所ではなかったわね」
何の感慨も浮かばない胸元に手を添える。
そうしているうちに美しい庭園を抜けて門が開かれ、馬車は屋敷の外に出た。
朝早い王都の道を軽快に駆けて行く。
馬車には馬に乗った騎士が十五名追従してくれていた。
全員クロイド家の家紋が大きく刺繍されている真っ白なマントを羽織り、鋼の鎧は全て同じデザインで統一感がある。
この騎士たちは指示ではなく、自らの意志でこの馬車の護衛についてくれていた。
「あの……」
休憩だと川辺に停車した時、馬車のドアを開けて傍に居た黒髪を短く切り揃えた精悍な顔つきをしている騎士に声をかけた。
馬車の一番近くに陣取るこの青年が、この隊で一番上位の騎士だ。
「どうかしましたか?」
爽やかに微笑みエリサに跪く。
それを止めさせ、普通に接して欲しいとお願いした。
「……かしこまりました。エリサ様」
少し考えた後、騎士は立ち上がり普通に礼をした。
あまり荷物も積んでいないし、引く馬も多いから移動はそれなりに早いが、ルーディア領までは片道一週間はかかってしまう。
往復したら半月もかかってしまう。
そんなに公爵家を離れて大丈夫なのかと問いかけると、騎士は快活に笑う。
「問題ありません! 団長直々に与えられた立派な任務です。隊長である自分が保証します」
「お給金は出るのかしら?」
心配した問いかけに隊長は微笑む。
「ええ、出ます。ちゃんと出ますから安心してください」
「よかったわ」
「お嬢様くらいですよ。我々の体の心配や給金を考えてくださるのは」
父と義母はエリサに護衛などつける気はなかったはずだ。
目立つ馬車に乗せ途中で襲われて死んでくれればいいくらいに思ったかもしれない。
クロイド家の目立つ馬車が護衛も着けず走っていれば格好の的でしかない。
例え生き残ってもエリサは表舞台に出て来られない状態になる。
それこそがあの二人の思惑だろう。
それなのに護衛がついてしまってはその確率が下がってしまう。
勝手な事をしたと減給や解雇される可能性だってあるんだ。
身分社会とはそんなことが簡単にまかり通る。
自分の為にそんな理不尽な目に合わせるわけにはいかない。
もしも無給の好意でしてくれたのなら、私物から給金の代わりになる物を出そうと思っていた。
「わたくしたちの為に働いてくださっているんですもの、当然じゃなくて?」
エリサの言葉に隊長は柔らかく微笑んだ。
「エリサ様、貴女が行ってくださった改善策のお陰で我々の待遇が格段に上がりました。騎士団一同貴女の行いに感謝しております」
「……わたくしは、大したことはしておりません」
そんなのはエリサの中では当たり前の事だった。
「それでも、貴女が旦那様に待遇改善の必要性について説いて下さらなければ我々は使い潰されていたでしょう」
隊長が深々と頭を下げる。
「エリサ様は騎士団で人気なんですよ? 護衛、どの部隊がつくかで取り合いになりましてね。我々が模擬戦で勝ち取りました!」
分かる。見目麗しくて上品なのに、分け隔てなく人と接して気にかけてくれる主。
誇れるし、仕えたいと思うよねぇ。
隊長の言葉に心の中で何度も同意して頷く。
「まぁ、お怪我とかなさってませんか?」
先に心配が出てしまったのはエリサがいつも思っていた事だからだ。
「貴女はいつも我々の身を案じて下さる」
隊長は眩しい物を見るようにエリサを見つめる。
「当たり前のことですわ。わたくしたちを守ってくださっているのですから」
「エリサ様が遠くに行ってしまうのはとても惜しいですが、そこで貴女が笑って暮らせるならその方がいい」
あの屋敷でのエリサは誰が見ても幸福そうには見えなかっただろう。
その中でもエリサは使用人や騎士たちの事を常に慮っていた。
礼を尽くせば感謝が返る。それがどれほどの活力を与えるか仕える者にしか分からないだろう。
「エリサ様が望むなら我々は貴女について行きたいくらいです」
「駄目です! 今のわたくしでは騎士様たちの価値に見合う対価をお支払い出来ません!」
反射的にそう言うと隊長を始め、会話を聞いていた他の騎士たちからも笑いが零れた。
「そういうエリサ様だからついて行きたいと思うのですよ。ですが、その想いは今の貴女には負担となってしまう」
残念そうにそう言ってから真っ直ぐエリサの顔を見て敬礼をする。周りの騎士たちもそれを見て姿勢を正した。
「騎士団一同、エリサ様の幸福を祈っております」
隊長の言葉に部隊の全員がこちらを見て敬礼をした。
「皆様、ありがとうございます。現地まで遠いですが、よろしくお願いいたしますわ」
笑った顔はやっぱりぎこちなかったけれど、騎士たちの顔は満足気だった。
エリサ、あなたが渡した優しさはこうして芽吹いて育っているよ。