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第4話 エリサ・クロイドとこれからのこと





 馬車に乗り目を閉じる。


「エリサ、私やれたかな。あなたの役に立てた?」

 胸に手を置くと体の奥底が温かくなった。


「これからの事を考えるとエリサの事を良く知っておかなきゃだよね」

 意識を集中させると、エリサの記憶を見ることが出来る。



 先ほど一通り覗いたが屋敷に着く前に予習しておこう。


 記憶を探り、まずは家族構成とどんな関係だったかを把握していく。



 エリサは父、ナリス。母、リディアとの間にエリサは生まれた。

 この国に公爵家は三家ある。クロイド、ネルツ、フィクロ。

 それぞれの家の力は拮抗していて水面下で権力争いはしているものの、表面上は穏やかな関係を保っていた。

 父は外交を担当してはいるが、あまり有能ではなく名前だけ冠して窓際に追いやられている。

 なまじ身分が高いゆえに皆腫れものに触れるように、閑職へそっと置かれていた。

 そんな父だから前クロイド公爵が一線を退き、地方へ療養に向かってしまってからクロイド公爵家の権威が衰えてきていた。

 それを盛り返していたのは実母のナディア。

 持ち前の社交性と有能さを発揮して家を切り盛りして、クロイド家を盛り立てて来た。

 リディアはルーディア領主の一人娘で若い頃視察に来た父に一目惚れをして実家を飛び出した。

 そしてその気にならない父ナリスを押して、押して、押しまくって結婚するに至る。


「エリサのママ、滅茶苦茶大人しそうな淑女な顔して凄いな」

 肖像画に残る母はお淑やかな完璧な淑女のように見えたのに、人は見かけによらない。


 けれど、エリサを産んでから体調を崩しがちになり三年後に病で倒れこの世を去った。


 けれどあろうことか父は母が死んだことを悲しむどころか喜んだのだ。

 父は良くも悪くも全てが平凡な男だった。だから頭が良く自信に溢れた美しい母が苦手だった。けれど前クロイド公爵がその付き合いに大賛成して、気付いたら外堀を全て埋められていて結婚が成立していた。

 それでも家を盛り立ててくれているのだから、愛してくれているのだからと我慢を重ねた。

 どこへ行っても話題の中心はリディアで、自分は添え物として扱われる。

 そんな生活は父にとって苦痛の日々でもあった。


 それがリディアが死んだことにより解放された。


 多くの人がリディアの死を悼む中、これからは自分が頑張るのだと、一人前を向き努力は重ねた。

 けれど平凡な父がやれることなど意味を成さない。

 リディアがいなくなってからクロイド家の衰えは顕著だった。


 手を出していた事業は主軸であるリディアを失い減衰。仕事も相変わらず成果を上げられない。それどころか現場からは手を出されると仕事が増えるから何もしないで欲しいと言われる始末。

 どれほど足掻いてもどうにもならない現実に疲れた父。そんな時事業で関わっていた豪商の娘と出会う。

 肩の力を抜いて、同じ目線で物を見る。

 初めての経験に、あっという間に惹かれて行った。

 そしてエリサが四歳の年。母が死んで一年も経たないうちに後妻を迎える。


 結婚した時にはすでに身重だった後妻はすぐ異母妹のマリナを産んだ。

 エリサとアレンが婚約したのは同じ年だった。


 三大公爵家の中で女児が生まれていたのはクロイド家のみ。身分的にも婚約者になるのはエリサでほぼ確定していた。

 見合いは上手く行き、無事婚約までこぎつける。

 それに喜んだ父は今度こそこの家を自分が盛り立てるのだと、王子に見限られないようにエリサへ厳しい教育を施した。


 それは家を思っての事ではなく、長年押さえ付けられた鬱屈を晴らすかのように感じられた。



 エリサは、積み重ねられる教育に挫折することなく次々と習得して行った。

 それが父にはまた煩わしくも忌々しいように映ったらしい。

 エリサの教育も習い事もやればやるほど増えて行った。


 もしもエリサがここで無理だと泣いて父に縋りつけば、妄執に囚われた父もいくら似ていてもリディアとエリサは違う人間なのだと気付いたかもしれない。

 リディアのことも苦手ではあったが憎くはなく、エリサが生まれた時は嬉しかったと思い出せたかもしれない。


 けれどこの父娘はそうなれなかった。

 父は長い間の抑圧の憂さを晴らすのを家の為にと大義を掲げ、エリサはそれを信じ愚直に努力した。


 義母は自分が生んだ娘の事しか考えておらず、何かといえば父の味方をするばかりで、エリサを気遣う事はしなかった。


 やがて、それが当たり前の生活となっていく。


 エリサは勉強に追われる日々を過ごしクロイド家の家族は父、義母、異母妹の三人で完結するようになる。




 そうして家族の溝は深まっていった。



「んー……闇深い」


 誰か一人でも、エリサを思いやり、気を配ればこんなことにはならなかった。

 人はたくさんいるのに身分という壁が邪魔をして手を差し伸べることが出来なかったのも原因か。


 エリサが出来ないと泣ける子供であればこんなになる事はなかった。


 結局誰一人掛け違えたボタンを直せることも無く、こんな状況に陥ってしまった。




「本当に、人生はままならないねぇ。エリサ……」


 胸の奥に眠るエリサの魂を撫でるように心臓の上にそっと掌を置いた。






 考え事をしているうちに馬車はクロイド家に到着した。

 馬車から降りて屋敷に入ると、執事やメイドは声をかけてくれるが、その場にいた両親はエリサを一瞥しただけで歩き去ろうとした。

 それでも姿を見てしまったなら無視は出来ないと声をかける。

「ただいま戻りました」

「ああ……」

「そう」

 一応足は止めたものの、視線も寄越さず背中越しに父と義母がエリサにかけた言葉はそれだけ。

 すぐに歩き去ってしまう。


「……ふぅ」

 無意識にため息が零れた。


 完璧に王妃教育を終えたエリサに両親はほぼ不干渉だ。普段は王宮の部屋で暮らしているエリサはもう嫁に出した物として扱っている。

 王宮でどのような生活をしてどんな扱いをされているのかなど気に掛けない。

 クロイド家に迷惑をかけず、繁栄のために役立ってくれればいいと思っている。


 デビュタントを迎えてから婚約者であるアレンからエリサに送られたドレスは一着もない。

 エリサはドレスが必要な時は自分で用意した。派手な物はアレンに好まれないからと簡素なドレスばかりを身に付けていた。

 それでもアレンへの愛を示すように必ず瞳と同じ青色のドレスに、髪と同じ金色の糸で刺繍が入れられているものを仕立てていた。

 今日のドレスも布こそ最上の物を使っているが、クロイド家の令嬢が身に付けるには地味すぎる物だった。

 それでもエリサの魅力は十二分に発揮できた。

 対する今日のマリナが身に付けていたものは派手なピンク色の流行りのドレス。レースやフリル、リボンだけでなく宝石までも潤沢に使い飾り付けられているものだった。

 そのドレスはマリナを想う人から送られたもので、それに合わせてアクセサリーを両親が選んだと聞いていた。

 珍しく屋敷に居たエリサに話しかけてくると思ったらそんな自慢話をした義母。

 その時にはマリナにいい方が出来たのね、なんて暢気に考えていたけれど、今更ながらあれは王子からの贈り物だったと気付く。


 ……飲み物くらいぶっかけてやればよかった。


 いやいや、エリサはそんなことしない。


 甘やかされ愛されたマリナは無邪気で明るいが、思慮の浅い人間だった。

 お世辞にも利発とは言い難く、エリサの代わりなど務まるわけがない。

 仮に新しい婚約が成立したとして、これから二人に待ち構えているのは恐ろしいほどの教育の日々だろう。

 それを思うと溜飲が下がる。


「……ふぅ」

 形だけ整えられたエリサの部屋に入り息を吐く。


 広い部屋に最低限の調度品がぽつぽつと置かれたこの部屋は寒々しく、まるでエリサの心のようだと思った。



「これからどうしよう」

 ベッドに座りエリサが安心して身を寄せられる場所はないだろうかと記憶を辿る。


 働くことを厭わないし、エリサの知識で物価やお金の使い方も分かる。貧しい暮らしだって平気だ。

 市井に下るのは全然かまわないけれど、いくらエリサの記憶があるとはいえ、何の環境も整っていない場所へいきなり飛び込むのは難しい。

 自由になるお金は庶民に比べれば多少あるかもしれないが、それでも個人の資産などたかが知れている。

 これから一人で住居を探し、仕事を見つけ、生活の基盤を作らなくてはならないと思うとかなりハードルが高い。

 街の治安や住み心地は実際に住んでみなければわからない。書類だけでは見えない事だって多いんだ。


「生活の基盤を整えるってどこの世界も大変なのねぇ……」


 このままここに残る選択肢はない。

 エリサの心も休まらないし、下手をすれば陛下たちが戻ってきた時に、王宮に連れ戻される可能性すらある。

 それは避けたい。


「王都で暮らすのは却下ねぇ。かといって資料でしか知らない街や村でゼロから生活をするのは厳しい。特にエリサは若くて綺麗だからそれだけで危険が増えるし……」

 出来ればエリサの味方をしてくれる人が居て、心を癒してくれる場所がいい。

 一人で暮らすのも気ままかもしれないけれど、ずっと孤独だったエリサには人の温かさが必要だ。

 あれこれ考えながら記憶を探ると一つの候補地が見つかった。


「うん、ここがいいかもしれない。エリサはどう思うかな?」


 そういえばエリサは今どうしているだろうか。

 心の奥に居るのは分かる。けれどそこでどうしているんだろう?

 最初にエリサに出会えたあの空間にはもう一度行けるのかな。


「エリサ……」

 彼女を思い無意識に胸の前で祈る様に手を組むと、掌の内側に硬い感触がした。

「鍵?」

 手を開いてみるとキーヘッドの部分が羽根のような形をしている金色の鍵が入っていた。


「何これ……!」

 触っているうちに鍵が光り、意識が暗転した。

 そして体がどこかへ引っ張られて行く。

「わぁ……!」

 目を開けると光の奔流に流されていた。長いスロープをかなりの速度で滑り降りているようにも感じる。

 ふわりと体が投げ出されどこかに着地して周りを見渡す。

「あれ、ここは……」

 そこはエリサと最初に会ったあの真っ暗な空間だった。

 持っていたはずの鍵はなくなっていて、手を見つめる私の視界に長い黒髪が目に入る。

「黒……?」

 髪を摘まみ掌を確認して顔を触る。服はエリサが着ていた空色のドレス。

 明らかに美奈の体形に合うサイズじゃなかったのに、特に苦しくもなく着られているのは見えている体が実体じゃないからだろうか。

「元の体に戻ってる?」

 久しぶりの感触を確認しながら視界を巡らせると、真っ暗な空間の中には黒い鎖に雁字搦めにされた繭があった。

「エリサ……!?」

 あの中にはエリサがいる。なぜか私にはそれが確信出来た。

「エリ……っ、え、何これ?」

 繭に近づこうとしてもある一定の場所から先に進むことが出来ない。

 縦にも横にも移動してみたけれど、私がいる側と繭がある空間は見えない壁で区切られていた。

 あの繭の中にエリサがいるのは間違いないのに近づくことが出来ない。

「何この透明な壁!」

 叩いても蹴ってもびくともしない。

 壁を叩き繭の中にいるはずのエリサに声をかけてみる。

「……エリサ? エリサ!」

 呼んでみても返事はない。


 記憶を覗き少しだけエリサが生きて来た環境に触れた。

 彼女がどれほど耐え忍び生きて来たのかを知った。

 これだけはと大切に抱えていた想いを、その愛した人から踏み躙られた絶望を思うと全てを放り投げて引きこもりたくなる気持ちは十分理解できる。

 この雁字搦めの鎖の繭はその象徴にも思えた。



「エリサ、あなたが安心して暮らせる場所を私が作る。もう一度生きたいと思えるように頑張ってみる。だからもしいつか目を覚ましたら、今度は私ともっとたくさん話そう」

 エリサの記憶を探っても好きな物や嫌いな物が分からない。

 そんなことを言える環境ではなかったんだ。

 食事は倒れない為に最低限腹に詰め込むもの。たまに読む本は仕事に必要な経済学や歴史書。誰もいない庭の隅で肩の力を抜くことが出来たけれど、あれは多分人目がなかったから落ち着けただけだ。別にあそこが好きだったわけではない。


「この家にいるのは嫌よね? 王都にこのまま居たい?」


 鎖の繭は反応を示さない。


「おばあ様のところへ行こうと思うの、どう?」

 エリサの記憶を探り、温かい思い出があった場所を提案すると、絡んでいる細い鎖が一本光った気がした。


 この反応はどういう意味なんだろうか。少なくともキラキラした鎖からは嫌な物を感じない。


「エリサ、あなたの好きを一つずつ探していくね」

 壁に額を付けて囁く。

 例え何年かかっても構わない。もしかしたらその生涯を閉じるまで目を覚まさないかもしれない。

 でも私は絶対に諦めない。

 私はエリサを助けると決めた。いつか彼女が笑って生きる為に全力で力を貸すんだ。

 せめてあなたが眠っている間だけでも平穏で幸せな気持ちで居て欲しい。


 もうエリサの心にも体にも一つの傷もつけさせない。



「また来るね、エリサ」

 壁越しに繭を撫でて、元の部屋に戻ることを意識すると体が上に引っ張られた。


 目を開くと部屋に居て、エリサの体に戻っていた。下を向くと美しいプラチナブロンドと空色のドレスが見えた。


「……このドレスも、あのバカ王子の為にたくさん考えて用意したドレスだったのに」

 エリサはいつもアレンの瞳の色に合わせた空色のドレスばかり着ていた。布やデザインを決める時、アレンは気に入ってくれるだろうかと期待を持ちながら選んでいた。時間があれば自分で刺繍を施したかったって思ってたのに……。

 そんなエリサのアレンを想う気持ちは一度も報われることはなかった。

「……はぁ」

 その気持ちを想うだけで勝手にため息が零れる。

「とにかくエリサをゆっくり休ませなきゃ。こんな家にいたら心を癒すなんて絶対無理」


 魔法書簡を使い、おばあ様宛に手紙を書いて送る。

 封筒に手紙を入れて封蝋をしてから掌に乗せると白い鳥の形になって羽ばたく。

 それはエリサの周りを一周した窓をすり抜け外へ出て消えた。



 手紙の宛先はエリサの数少ない良い思い出が残るルーディア領。

 隣国に近い国の端に位置するそこに、エリサは過去二回訪れた事があった。

 気候が安定しており、なだらかな平野が続くその領土は自然に溢れていて領民の気質は穏やか。

 代々領地を取り仕切っているのは領主であるおばあ様で、おじい様は補佐をなさっている。



 実母にコンプレックスを持っていた父はその実家にも苦手意識を持っていて、行きたいと願っても中々行かせてもらえなかった。

 一族は代々皆頭脳明晰で、様々な分野で功績を残しており他貴族からも一目置かれている。

 権力争いに興味を持たず、辺境に居ることを良しとした変わり者の一族ではあるが、学術的にも優れた功績を数多く残している古い名家の一つであった。

 もしも権力に価値を見出していたなら公爵家の一つになれていただろう。





 妃教育の過程を終えた時と、エリサの施策が効果を上げ王に褒章を貰った時。

 王に褒められたことが余程嬉しかったのか、珍しく機嫌がよかった父に褒美は何がいいかと問われて祖母の領地へ行くことを希望した。


 期間は二週間と短かったが、実母の葬儀以来に会う祖父母は優しくて、温かくエリサを迎えてくれた。

 ここに産まれたかったとエリサは心の底から思った。

 八歳と十二歳の時だ。最後に行ってからもう五年も経っている。


 おばあ様とおじい様は、お元気でいらっしゃるかしら。


 無意識に浮かんだ温かい気持ちはエリサのもの。


 エリサは眠ってはいても私(美奈)の意識や体験と繋がっていて、私(美奈)はエリサがそれをどう思っているのか感じ取ることが出来る。


 ルーディアは領土こそ狭いが、その中心には神が降りたとされる神秘の森がある。

 誰も入ることが出来ないとされているその森の奥には、今も神が眠っていると伝承が残されていて、他国からも不可侵とされていた。

 その森を有するルーディアは王家でも安易に手が出せない。



 そこで受け入れて貰えば強引に連れ戻される心配は少なくなる。


 けれど祖父母に多大な迷惑と負担をかけることになってしまう。


 そちらに行くことで迷惑をかけることになるかもしれない。

 それでもエリサにはもうそこしか頼るべきところがない。

 どうか助けて欲しいと祈る気持ちで文面を締めくくった。





「エリサ、ルーディアに行けたらいいね」

 そう囁けば、そっと手を当てていた胸の奥が温かくなった。


 持っていけそうなものを物色したがこの屋敷に持って行きたい荷物はなく、トランク一つに納まってしまった。

「これしかないんだね……」

 ベッドに横になって何もない部屋を眺めていたら疲れが出たのかそのまま眠ってしまった。




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