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第3話 お約束な断罪と婚約破棄





 人のざわめきが耳に届き目を開けた。


「聞いているのか、エリサ・クロイド」

 一段高い場所からエリサの異母妹マリナの腰を抱き、指を突き付けているのは婚約者の第一王子、アレン。

 エリサが愛した男。そして絶望へ突き落した男。


 視界を巡らせると広間にずらりと並ぶ生徒たち、正面の段の上にはアレンとマリナと取り巻き。

 エリサの傍には誰もおらずぽっかりと開いた空間が広がっていた。


 一瞬状況が飲み込めずぼんやりするエリサに、アレンはもう一度高らかに婚約破棄を宣言した。



 ああ、そうか。あの婚約破棄の直後か。



 真に愛しているのはマリナのみ。傲慢で意地の悪いお前は自分の婚約者に相応しくない。

 した覚えのない嫌がらせや罪状を滔々と語る。


 それら全てはアレンがエリサの評判を貶める為アレンとマリナがでっち上げたもの。




 アレンも、マリナもニヤニヤと私(エリサ)が泣き崩れるのを待っている。

 なんて醜悪で意地の悪い顔なんだろう。

 顔の造形は悪くないのに内面の醜さはここまで人の顔を卑しくするのだと思わず観察してしまった。

 それをどうとったのか、二人の顔が愉悦でさらに歪んだ。


 不愉快だ。


「……はぁ」

 呆れたように息を吐き出すと、アレンの頬がピクリと引きつりエリサを睨みつけた。

「何だ? その態度は!」

「お姉さま、本当にごめんなさい。アレン様を好きになってしまった私が悪いのです!」

 愉悦を滲ませたマリナが手袋をした手で笑いそうになっている口元を隠す。


 いや、全然隠れてないけどね。


 エリサとは違う、義母によく似た茶色の髪と瞳。可愛らしいがエリサには遠く及ばない。金をかけたピンク色のドレスとアクセサリーでもその品性の無さは覆い隠せない。

 最低限のアクセサリーと地味なドレスを身に付けたエリサの方が何倍も美しいのだが、それは流された悪評で塗り固められた人々の意識には厭味ったらしさすら感じるらしい。

 あちこちで隠す気のない陰口が囁かれている。



  っていうかエリサの性格が悪かった事なんて一度もないんだけど? マジで腹が立つわね!



 ムカムカと込み上げる苛立ちを笑顔で隠し真正面から睨みアレンの目をじっと見つめる。

 その視線にアレンがびくりと身を竦ませた。

 それはそうだろう、エリサがこんな風に怒りを滲ませアレンを見た事など一度もない。



  美人が凄むと怖いでしょ? アンタが虐げて来たエリサの価値を思い知れ!



 深く息を吸い込み腹に力を入れて名を呼ぶ。

「アレン様」

「な、なんだ。反論は……」

 声を張り上げればアレンは驚いたような顔をして、急にオロオロ言い訳を始めた。

 アレンはエリサが自分に惚れていたのを知っていて、それを利用してやりたい放題していた。

 俺を好きなんだからとその想いを踏み躙って、侮って……。


 人の心を弄んで許されると思うなよ?


「この件、王と王妃はどのように?」

 二人は今隣国へ呼ばれ訪問中だ。二人ともエリサを重用していた。実の息子のアレンよりも大切にしていたくらいなのに、とてもじゃないがこの婚約破棄を了承しているとは思えない。

 それにアレンの第一王位継承権はエリサと婚約しているから盤石なものとなっていたのに。

 勉強嫌いで逃げ回るアレンは、このままではエリサが居なくなったら王位継承権も危うくなると幾度となく教育係にそう説教されていた。

 その度にエリサが代わりにやればいいとアレンの勉強や仕事を押し付けられていたものだ。


 自分に惚れているエリサは何でも言う事を聞いて、命令には絶対服従だと信じて疑っていなかったし、実際そうだった。

 けれどもうそれも終わり。


「ち、父上と母上には俺から申し出る」

「つまり、まだ話してはいないということでしょうか?」

「煩い、父上も母上も俺が幸せになる事を望んでいる!」


 アレンの言葉に心の奥が酷く軋んだ。


 胸の痛みはエリサのものだ。

 エリサを慰めるように胸に手を置いてあやすように優しく叩くと、少しずつ痛みが引いて行く。


 アレンとこれ以上話しても無駄だと、隣で愉悦を滲ませ笑っているマリナへ視線を向ける。

「マリナ、貴方はそれでいいの?」

「いいに決まってるわ! アレン様は不愛想なお姉さまより私と一緒にいた方が幸せなのよ」

 エリサに執務を押し付け、空いた時間を利用して二人よろしくやっていたということか。

 特に二人が学園に入ってから回される仕事量が増えていたのは、意地でもエリサを登校させまいとしていたからなんだろう。

 薄々そうではないかと思っていたが、決定的な現場を幸いなことにエリサは目にする機会はなかった。

 もしもその瞬間をエリサが目にしていたら、彼女はもっと前に心を閉ざしてしまっていただろう。


 食事の時間も満足に取れないほどの激務。それを何年も続けたエリサのことを微塵も気に掛けなかったのか。

 アレン、アンタが丸投げした政務をエリサは一生懸命こなしたんだよ? 貴方の為に、貴方の評価に繋がるからっていつだって頑張ってた。

 誰もがエリサが施した政策だと分かっていても当たり前のようにアレンへその名声が与えられた。

 その恩恵だけは存分に受け取っておいて、エリサには何一つ分け与えられることは無かった。


 ……このクソ王子。


 今すぐ壇上に歩み寄って往復ビンタを食らわせたい。

 だが、エリサはそんなことはしない。

「……」

 ゆっくり深呼吸をして、怒りで握りしめた拳の力を抜いた。


 馬鹿な王子に見切りをつけたエリサなら、きっとこうするはず。


 胸に湧き上がる嫌悪感を押し込め優雅に笑う。


「アレン様。わたくしと婚約破棄なさるということはどういうことか理解しておられるのですよね?」

 貴方の代わりにやっていた公務は全て今後自分でやることになるのだが、その覚悟はあるのかと湾曲に伝えるとアレンは何だそんなことかと嘲笑った。

「今まで通りお前にやらせてやる。正妃はマリナになるがお前は側室に迎えてやろう。どうだ、嬉しいだろ?」

「そうねぇ、お姉さまはアレン様が大好きですもの。お姉さまのような評判の悪い方を引き受けてくださるのよ。アレン様は優しいお方だわ」

「マリナ、君は僕を良く分かっている」

「アレン様ぁ」

 婚約破棄をしてもエリサは側室として傍に置き、変わらず業務を押し付けている間、自分は真に愛する相手と結ばれ自由に振る舞う事を夢見ている。

 何という傲慢さ。

 どこまでエリサをバカにして使い潰すつもりなのか。


 ああ、殴り倒したい。

 脳内で目の前のアレンに百万発ほど往復ビンタを食らわせ何とか落ち着く。


「……」


 燃えるような怒りを押さえ付け優美に微笑んだ。

 エリサの笑みを見た二人は自分たちの望みが通ったと喜色の笑みを浮かべ、……凍り付いた。


 笑みとは真逆の殺気を込めた視線に気づいたようだ。目で殺す技術を師匠に教わっていて本当によかった。



 心の中でそんなことを思いながら口を開く。


「アレン様、マリナ」

「「!!」」


 鬼気迫るエリサの様子に二人は戸惑い、怯えるように抱き合った。エリサがショックのあまり可笑しくなったとでも思っているんだろう。


「婚約破棄、了承いたしました」


 淑女の完璧な礼をして頭を下げると二人とも要望が通ったことを確信して、再び愉悦に歪んだ表情でエリサを見下ろした。

 どこまでも甘く、自分に都合のいい思考をしているものだ。

 頭を下げ、見えない位置で口の端を歪ませ嘲笑う。

 おっといけない。エリサはこんな笑い方はしない。

 再び表情を作り顔を上げた。


「そして、婚約おめでとうございます」


「ははは、やっとわかったか」

「うふふ。お姉さまってば、やっと身の程を知ったのね」


 はぁ、この茶番にいつまでも付き合ってるのは疲れるわね。


「ですが、わたくしはご提案をお断りいたします」

 慇懃無礼に頭を下げるエリサにアレンは大きく目を見開いた。そして文句を言おうとアレンが口を開く前に怒気を孕んで名前を呼ぶ。

「アレン様」

「……!」

「わたくしとの婚約破棄の件、ご自分で両陛下へ話をお通しくださいませ」

「なっ……!」

 慌てふためくところを見ると、それすらもエリサに押し付けおいしいところを掠め取るつもりだったのが伺い知れた。呆れて密かにため息を吐きだした。

「それから、婚約者で無くなったのならわたくしが行っていた政務は全てお返しいたします」

「だからそれは引き続きお前にやらせてやると……!」

「お断りいたしますわ。他の女を愛しておられる殿下を想い続ける心は持ち合わせておりません」


 エリサはお前なんかには勿体ねーんだよ、バーカ、バーカと心の中で囃し立てる。


 優雅にスカートを摘まんで見事なカーテシーをしてみせる。

 映画なんかで見るととても優雅に見えるこの仕草は、実際やるとバランス感覚と筋肉が必要だ。

 それを難なくやってのけられるのはひとえにエリサの努力の賜物でしかない。


「アレン様の益々の発展とご活躍を遠くよりお祈りいたします。長い間ありがとうございました。さようなら」

「は、え……?」

 間抜けな声を上げるアレンにはもう目もくれない。隣で同じように馬鹿みたいに口を開けているマリナに視線を向けると、怯えたようにびくりと体を震わせた。

「マリナ。これから両陛下と両親の説得、殿下と力を合わせて頑張りなさい。妃教育も始まるでしょうけれど、貴女が望んだことなのだから尽力なさい」

「お姉さま?」

「それではわたくしはこれで失礼いたしますわ」

 優雅に一礼して会場を後にした。





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