七月の終わり。
寮生たちは実家への帰省を始め、寮は閑散としている。
ユディも明日には寮を出るつもりで、荷物をまとめていた。
旅行鞄を閉め、元通りになった狭苦しい寮部屋を見回す。
狭いはずなのに、なぜか広く感じる。
あんなにオセロから解放されることを望んでいたはずなのに、いざいなくなると心にぽっかり穴が空いた気がした。
「……違うの、呼べばいいだけだもんね。
今度は小さくてかわいくて大人しいの。
もう何でも自由に召喚できるんだから」
ユディは杖を片手に、幻獣辞典を開いた。
いくつかの幻獣が目に留まるが、どれも召喚にまでは至らない。
最後のページにある迷子幻獣を長々と眺める。
(……召喚したい。けど)
正体を勘づいている今、ただ興味本位で召喚するには過ぎた相手だった。
かといって、それ以外を召喚するのは気がねしてしまう。
結局、ユディは杖を振らなかった。
今はべつに幻獣を呼ぶような差し迫った用がないと理由をつけて、辞典を閉じた。
革鞄を背負って部屋を出る。
寮の管理人が無人の部屋の手入れをしていた。蝶番を調整している。
「お出かけかい?」
「はい、家族にお土産を買いに行こうと思って」
「いいのが見つかるといいね。
あんたの部屋も夏休み中に手入れしとくから」
「よろしくお願いします」
管理人は始終愛想がいい。おやつのアメまで分けてくれる。
以前と違い過ぎて怖いが、ユディは安堵もした。オセロが確かにいた痕跡だ。
正門を出て、坂を下る。
前方からいまいち噛み合わない会話が聞こえてきた。
「ルジェ。こんなものに乗らなくても、僕が送ってあげるのに」
「どうやって」
「おんぶして」
「ナイト、おまえは僕がいくつだと思ってるんだ」
「十六歳。大きくなったねえ」
「大きくなったって分かってるのに、なんでその発想が出るんだよ!」
ユディはルジェとナイトに手を振った。
さすがはお坊ちゃまだ、最近実用化された魔石で動く
「ナイトさんが運転手なんですね」
「ルジェが運転手やるなら学園に来てもいいっていうから。
でも僕、カラクリ物は苦手なんだよねえ」
ナイトは気乗りしない様子でハンドルを握っていた。
ルジェが助手席から話しかけてくる。
「ユディ、まだ学校にいたのか。召喚士協会の聞き取り、まだ終わらないのか?」
「昨日ようやく終わったよ。もー、色々質問攻めで。疲れたあ」
ユディは大きく息を吐いた。
オセロが幻界に帰っていった後、本物の召喚士協会の人間がやってきて、ユディはオセロについて事情聴取を受けていたのだ。
「あのオセロの初契約者だからな。
初めてオセロを間近で観察した貴重な証人だ。
詳しいデータが欲しくもなるさ」
「分かるけどさ、オセロが食べてた物まで聞かれたよ。それいる?」
「来たやつ、オセロのファンだったんじゃないか?
あの竜はクセモノなだけにコアなファンが多いらしいじゃないか」
「『オセロのヒト型はハートマンさんの好みを考慮したもの何でしょうか?』なんてことまで言われて。もう勘弁してほしいよ」
ユディは握った拳をぶんぶんと上下させた。
「ルジェはサークル活動? 夏休みもあるの?」
「今日までだ。八月中は学園閉鎖だからな」
兵士が操る荷馬車が二人のそばを通っていく。
夏休み中、学園は軍の臨時駐屯基地になる。
軍が魔獣の発生した裏山を調査し、残りの魔獣を掃討するためだ。
「反乱軍が自決した洞窟、やっぱり魔力の溜まり場になってるのかな」
「そうらしい。軍の魔導士が軽く透視したら、魔道具らしきものがたくさんあったそうだ」
洞窟の発掘作業はすでに始められているようで、山林につるはしやスコップを担いだ兵士たちの姿が見え隠れてしていた。
「じゃあ、ユディ。いい夏休みを」
「よかったらスペイド家に遊びに来てね。
だれも来ないと、ルジェはひたすら魔法の修練に励んでしまうから。
外に連れ出してやって」
「そうだな。ぜひ来てくれ。
で、ナイトに守護幻獣として適度な警護の仕方を指導してくれないか。
ナイトは君に信頼をおいているようだから、君のいうことなら聞きそうな気がする」
「はは、二人ともありがと。機会があったらぜひ寄らせてもらうね。じゃあ、いい夏休みを」
ルジェと別れようとして、ユディは坂を駆けあがって来る兵士たちに気づいた。
必死の形相で叫んでくる。
「君たち、学園に引き返せ! 魔獣だ!」